tail-03: 従者
ここで『五階』の四人の基本情報を振り返る。
揃って高校生の四周目だ。往来では話せない仕事で各地を出入りする際、何食わぬ顔をするためだけに本物の高校生から今年の代表の座を奪っていた。今回は部活動から離れたロックバンドなので平和裏に諜報活動をしている。
まずはアリナ・レンドウ。表の顔はエレキギターとボーカル、裏の顔は実地調査。リーダーとして外交を担い、反応をはじめ微かな機微まで見つけて弱みを探す。艶な黒の長髪で、ステージ外では伊達眼鏡で目を守る。
つぎにヨウ・アタラ。表の顔はシンセサイザーとメディア編集、裏の顔は連絡役。誰かが知ったものをヨウも知り、ヨウが知れば全員が知る。ショートボブで、ファンクラブでは休日のテニスも応援されている。
そしてアユム・ミライ。表の顔はドラムと広報、裏の顔は事務。裏方作業を一手に担い、彼女がいるから安心して動けるし、文化的な相手と交渉できる。本部との連絡役も彼女だ。アレンジしやすい長髪だが普段は地味なひとつ結びにしている。
最後にアレスター。表の顔はエレキベースと演出、裏の顔はメカニック。整備するような機械とは、たとえばレバーを引くだけで音と匂いを三十連発する筒がある。彼女のおかげで文化的でない相手とも交渉できる。ドレッドヘアで、たまにアルトの声域も担うらしい。
試用と称して代わる代わる数日ずつの給仕をしたが、後ろ二人は声を聞いたこともなく、目線とハンドサインしか見せない応対だった。歓迎されないアウェーの空間ではあったが意地の悪いやりとりはない。メイドの仕事につきものの、鼻の下を伸ばした旦那様や嫉妬した奥様への応対と比べたら、特別な言葉選びの手間がないので楽な部類になる。
今回もきっと、アリナが雑談という名の監視と、ヨウが最低限の連絡をする程度で、自分たちの仕事に集中できる。
リグとロゼの現地入りから十日後。セーフハウスの準備と調査が済んだところに本隊がやってくる。空港まで車で二時間ほど、話題もほとんど尽きたので五階の歌を口ずさむ。
「非常バラックよし」
「ロゼさんの懸念、外れるといいっすけどね」
現地の気候にも慣れてきた。近隣の道が賑わう時間帯も範囲もよくわかった。会話はロゼ任せだが、たまに英語を話せる者がいたらリグも話に加わった。特に昨日今日は外国語が急に増えた。五階を目当てに来たらしき観光客だ。片手間の偽装工作で本物のファンがつくあたり伊達に諜報員をしていない。
リグが聴いても確かに曲はよかった。歌詞は誰もに自分のことだと思わせる工夫が臭すぎるが、客以外の声に価値はない。目的は頂点でも権威でも美学でもない。インテリがいくら文句を垂れても大衆には届かず、大衆を味方につければどこへでも行ける。
そうは言っても気に入らない歌を覚えるのは気分が悪かった。しかも二十曲もある。ライブでは急に曲目を変えるかもしれないから、どうなっても対応できるよう覚えておく。
音楽は枯れている。ドレミファソラシの七つ、半音を入れて十二、オクターブを入れて二十四。完全なランダムならまだしも実際は聞き心地の良い音の流れは遥かに少ない。すべてのパターンが出尽くした結果、似たフレーズを含む曲はいくらでもある。
今回の仕事を思い出す機会が残りの人生に何度でも現れる。リグはすでに目的を果たしているのにメイドを続ける意味があるのか、高給を資産に換えてあるからこれを最後に隠居しても構わない。派手ではないが衣食住に不自由ない暮らしをできる。
最大の難関はレデイアの説得だ。あのワーカホリックに仕事をやめさせるのは不健康だし、リグだけがやめるのでは近くにいる時間が減る。いっそ四人で仲良く暮らすなら退屈しないと考えてロゼに相談したら、たしかに主目的を果たした同士でも、次の目標があるからと乗らなかった。
ロゼは他人のためにでも動ける。レデイアも、一応ダスクもだ。リグは自分のためでないと動けない。レデイアとは逆に。贔屓目に言えば思想のバランスがよく、しかしそれを活かすには二人きりの暮らしでは窮屈にさせる。
「リグ」
「ん、すみません、ぼっとしてました」
「アクセルが緩んでる。遅れるぞ」
車が唸る。無意識に普段の速度に近づけていた。はるか遠くの山と青空のほかは地面が流れるだけの道だ。目印もない荒野では時計とスピードメーターで位置を割り出す。いつからずれていたか調べるには外部の手段、GPSを頼るしかない。
「百五十出せ。それで間に合う」
「ひい。給油を先にします」
悪路に飛び出して十分間の座るだけトレーニングを始めた。これによる検問所スキップを駆使してタイムを短縮する。無人の荒野を駆ける。遥か遠くの世界共通建築を目指して。
飛行機の時間だ。
楽器を持つ四人と付き従うメイドが二人。合流する座標は一見して何もない道路だ。慣れ親しんだ道かのように歩く後ろから軽いクラクションをひとつ。後部座席をロゼが開けて、上座に『お嬢様方』が、下座にロゼとダスクが、最後に助手席にレデイアが座った。
「こちら六人は異常なし」
「了解っす。トイレはいいですね? これから二時間っすよ」
助手席に置いていた箱から無線機を配った。レデイアに、ダスクに、五階の連絡役のヨウに。すべての通信はヨウを経由して五階にも届く。メイドたるもの聞かせて恥ずかしい言葉はない。
それなりに大きな車だが、全速力で二時間も走りっぱなしでは下半身が焦れてくる。皆が皆リグのように訓練を受けてはいない。サービスエリアのような気の利いたものはない。視界はまるでパソコンの背景だ。変わり映えのない青空と砂漠がどこまでも続き、下のほうで地面が後ろへ飛んでいく。誰もが同じ感想を呟く。見所がひとつだから感想もひとつだ。
こんな未開の地を挟んでもインターネットを経由して世界中の情報が届いた結果がこの世界一周ツアーだ。誰かが見つけて誰かが紹介してを繰り返して一大ムーブメントが起こった。いくつが本物かは疑いどころだが、少なくとも表向きには、この地にはファンがたくさんいる。かつ、ファン以外は現地人か物好きだ。秘密の取引に適している。交通の手間を除けば。
どれだけいい景色でも二時間は長い。右側が山で左側が太陽の道がいつまで続くのか、この先に街が本当にあるのか、事前に調べなければとても通れない。開放的な閉鎖空間だ。旅路は心で進む。行きたくないと思ったら行けなくなる。
「道を間違えてない?」とアリナが茶々を入れた。今日のお世話係はダスクだが、道の話なのでリグが答える。
「退屈させて申し訳ありません、お嬢様。ここはひと肌脱いで一発芸で温めましょう。ではどうぞ、ロゼさん」
「は?」
生の反応を見せた。これまでのアリナなら一発芸なんかに食いつかないが、無茶振りなら話は変わる。無茶振りとは技術とライブ性の極みだ。準備がひとつもなく、しかも期待によりハードルが上がっている。どう対応するか、あるいは失敗するか。もちろん周囲の声も重要になる。技術を無駄にするのは観客気分の技術知らずだ。メイドの威信を賭した一発芸が始まる。
「ではお嬢様方ご注目、私の親指が、こう、スポーンと抜けてしまいましたあ」
倍率が上がった。かつては地を舐める暮らしをしたロゼが意外にもホームシックらしい。
「ロゼさん、流石にもっとあるでしょう」
「私はロゼの味方です」
「ロゼ、見損なった」
「うるさいな馬鹿ども! だったらお前らが一発芸しろ!」
「いいんすか? うちの親指がスポーンと抜けたらお砂場遊びが始まるかもしれませんよ」
「私はロゼの味方ですので笑う役です」
「私は中指がスポーンと抜けたことあるから」
「レデイアのそれは一発芸じゃなくインシデントなんだよな。イしか共通点ないぞ」
アリナは声をあげて笑った。ロゼのくだらない一発芸を皮切りにした仲良しコントがお気に召したようで、試用のときは四人での連携は見せなかったから、各組み合わせでの反応の違いを楽しむ目がある。
「最高、本当に仲良いのね」
「私が仲良いのはダスクだけだ」
「えっショック、うちも仲を育んだと思ってたんすけど」
「ダスクは私とも仲を育んだから」
「ロゼだけ仲間はずれになったら味方としてさみしいですよ」
「お前ら全員馬鹿だ。あとお嬢様、乱暴な物言いになり申し訳ありません。勢いの制御を失ってしまいました。今後はこのような無礼がないよう善処します」
アリナは笑っている。こんな話で初めてお笑い番組を見たような振る舞いをするあたり五階にはコミュニケーションがないらしい。
「笑ったから許してあげる。没落令嬢は道化の才もあるのね」
「痛み入ります」
ロゼは青筋を立てている。ルームミラー越しでも見える。アリナのあだ名は痛い所をくすぐって楽しむものだ。子供には見せたくないが、当の本人は高校生を繰り返してこんな様子を見せている。世はままならない。
「一発芸はここまでにして。見えてきましたよ」
地平線あたりに。ここからアクセルを緩めて二分ほど、街に着いたら外周を回り込む。
「左に見えますは、半屋外ステージでございます」
街並みを一望できる位置に、地形を利用した起伏で工費を節約した多用途ホールだ。円形の観客席に屋根なし、控え室の入り口は街から見えない奥側にある。
「コロシアムみたいね」
アリナの呟きにはロゼが答えた。
「建築家がローマかぶれのようです。中身は現代なのでご安心ください」
「ふーん。入るのは明日の朝でいいのよね? 下見は?」
「護衛できなくなるのでお控えください。お嬢様に傷をつけるわけにはいけません」
「わかった。行くならこっそりってことね」
「お嬢様、命はひとつでございます」
試すような言い草をどうにか収めてホテルへ向かった。直前までの田舎道とは翻って高層建築の最上階をフロアごと借り切って使う。
昨日のうちに確認したので盗聴器や隠しカメラはメイドが仕掛けたもののみ、その記録にも異常なし。安全な空間だ。
居室には四人がけのテーブルをふたつと、秘密の話をするための簡易防音室を用意した。毛布とテーブルクロスが余った分を使い、壁へ届く音を閉じ込める。盗聴器がなくても盗聴技術はある。コンクリートに聴診器を当てたり、窓ガラスの振動を読み取ったり。技術の発展は魔法と区別がつかない。
メイドだけなら話をしなければいいし、五階もわかってるので話なんかしないはずだが、世の中には万が一がある。必要になる前に用意したものだけが間に合う。
寝室はふたつ。片方は広々と眠れるクイーンサイズベッドが四つ、もう片方はシングルベッドが二つだ。メイドは全員が同時に眠る想定をしない。誰かがトイレに起きたときも案内する。
「共有みたいな部屋ね」
アリナはたびたび突飛な言い回しをする。半ば解読役のリグに視線が集まったが、そのリグも頭を捻るばかりなのでお手上げだ。レデイアは迂遠な表現が苦手で、ダスクも逆引きでは考えが進まない。
「あら、伝わってない? スマホとか使ったことは?」
「わかりました、あの共有ですね。トレイから矢印じゃない方の、三つの点をくの字で繋いでる」
「そうそうそう」
共有をメモ帳に描いて共有した。この部屋と同じく、ひとつの大部屋からふたつの小部屋へ繋がる形だ。品の字のほうが伝わるところを共有と呼ぶあたり意地と性根の少なくとも片方が悪い。
アリナはテーブルの端の席を陣取った。すかさずレデイアがコップを出し、ダスクが飲み物を注ぐ。
寡黙な二人が楽器を運び込んだきり寝室に篭った。部屋の前に椅子を運んでヨウが座り、いつでも連絡できる準備としている。やはりアリナ以外は私語をしないつもりだ。
落ち着いたのでレデイアとダスクは届いた資材の確認に向かった。食糧と装備品、あとは洗顔道具がどれだけ揃っているか。いざとなったときに頼る道具だ。いちご大福と歯磨き粉でナイフを研ぐなど、創意工夫の上限を頭に入れる。役立たないことを願って。
「お嬢様方、お食事はいかがいたしましょう」
「あたしはもらう。ヨウちゃんも。奥の二人は自前のを食べるって」
「承りました。本日はロゼが準備いたします」
ルームサービスの食事を頼ってはいけない。安全が台無しになる。上水道はない。水がいくらでもある地域とは異なる。
食糧は陸路で届いた荷物から使う。開封前に水に浸して穴がないか確認する。特殊な訓練を受けた者なので理解している。
調理器具もリクエスト通りに。調理用パックに生石灰と密封したままの食糧を入れて、適量の水を注ぐ。化学反応により発熱したその水蒸気で温める。熱が通るまでの待ち時間はスマートウォッチで測る。今のうちに二人分の食器を並べた。
加熱用のエネルギー源を火でも電気でもなく確保できる点に優位がある。いわゆるミリメシで、五階は都市部での活動が主なので野戦用の道具には縁がなかった。
「思ったより地味」
「派手だと敵に見つかる環境向けですので」
「ねえ没落令嬢、夜は鉄板焼きを食べたいわ!」
また無茶振りだ。ロゼは届いている資材から鉄板焼きの可否を導き出す。まず肝心の鉄板がない。海鮮系の食材は一応いくらかあるが、鉄板焼きにするような大きさではないので代替案に足りない。ならば答えはお説教だ。
「一流のおもてなしをご存知であろうお嬢様のお腹に、おもてなしもどきの半端な物を詰めるわけにはいきません」
メイドは無茶を聞くばかりでは決してない。時には丁寧な言葉で諌める。時とはどんな時か、丁寧な言葉とはどのように選ぶか、見極める知性が必要になる。奴隷とメイドの違いだ。半人前を従えるなど誰にでもできる。一人前の目に適う器があってはじめてメイドが仕えてくれる。
「あらそう。じゃあ没落令嬢の趣味でお願いね」
趣味が合って助かった。ロゼとダスクが日本料理を好むので米や魚を多く発注している。
レデイアの趣味と言われなかったのも助かった。虫はもちろん届いていないが、今から捕まえに行ってもおかしくない。あれはそういう人だ。
スマートウォッチが手首を叩いて時間を知らせた。まだ熱い中にでも手を突っ込み、パウチを開けて皿に並べていく。メイドのお料理と聞いてイメージするような家庭的なサービスシーンにはならない。実用品を末端で実用する、それがメイドだ。
メニューはピザとチキンとボルシチ、ご当地性も季節感もない野戦用の食糧だ。興味本位のリクエストだが顔は満足げとは言い難く、今夜と明日は腕を振るうことになった。ポータブル電源と誘導加熱パネルと圧力鍋、同時進行でカセットコンロと四川鍋。これらがあればどんな料理でもできる。
ヨウが席を動いてアリナの向かいに、手を合わせて食事を始めた。メイドの役目は見守るのみ、五階の二人は黙って食べる。ヨウの言葉は挨拶の他は事務的な「満足です」の一言だけで、すぐに定位置に戻った。
関わらないでくれるのは作業に集中できて楽だが、アリナだけで四人分のだる絡みをするので総合的には普段の仕事と変わらない。
部屋の電話が鳴った。ロゼが出ると受付から、客人が来たと知らされる。一体誰が? 答えのかわりにアリナとヨウが立ち上がった。
「二人だけで行ってくる。連絡するまで待機、基本は詮索無用、トラブルなら助けに来て」
乱暴に言い残して部屋を出た。ヨウからの「音声テスト」へ「聴こえますよ」と返したら、あとは静かに待つだけだった。今のうちにすぐ動ける程度の軽食を交代で食べておく。
便りがないのはよい便りというが、見落としの可能性でもある。あるときにはあるとわかるが、ないときにないとはわからない。定時連絡くらいしておけばいいものを。文句はいくらでも浮かぶ。おそらくこの場の誰もが。しかし、口にしてはいけない。今は仕事中だ。
「ロゼ、認識を合わせましょう。ここの受付は《《一階》》?」
レデイアの問いはイギリス語とアメリカ語のすり合わせだ。
「合ってるよ。地階じゃなく一階だ」
「一階への時間は」
「最短がエレベーターで一分、最長が非常階段で八分、普通ならエレベーターで二分だ」
往復を加味して二倍に、用事の時間はおそらく話だから十分前後、そろそろ戻るはずだ。
考え通りに扉が開いた。ヨウとアリナが。おまけはついていない。
二人が言うには、五階としての仕事はすでに完了した。あとは妨害できると思ってる襲撃者の顔を潰す。もし失敗したら、まずアリナが死に、数分後にヨウも死ぬ。残りの二人は死なない。