tail-01: 随行
神経は生きているか。
まずは記憶を確認する。手の指のひとつずつに関連づけている。
左手の親指、大切な名前、リグ・リティス。左手の人差し指、彼女の居場所、無線機の先。左手の中指、彼女との記憶、自分の体は他人の仲間でもある。左手の薬指、彼女との記念日、2533年6月6日。左手の小指、彼女との約束、永劫。
右手の親指、自分の名前、レデイア・ルル。右手の人差し指、自分の役目、仕事の遂行。右手の中指、自分の記憶、家との決別。右手の薬指、自分の記念日、2523年4月22日。右手の小指、自分の信念、信じる仲間は選ぶべき。
続いて思考を。イメージした正方形を半分に、さらに半分にと刻む。倍々に増える全体像を映像として再生できる限界を探す。八、十六、三十二、六十四。充分だ。
脳は判断を担う。異常を見つける能力に異常があるなら、自前での確認は知識頼みだ。最悪の頃は四で限界だった。イメージした正方形が、ひとつを割るたびに消えていった。正常だ。少なくとも、いま動かせる範囲は。
では周囲を見る。視界の端の赤はレデイア自身の髪だ。横に流して踏まないように。優しさはここまでだ。手足はベルトで繋がれ、口にはタオルが押し込まれて、ご丁寧にも枕が柔らかい。捕虜への待遇からわかる。動けず死なせず傷めず、交渉にでも使うつもりか。
秋の空と、キノコと、天井。専門家さえ悩ませ、あらゆる情報で絞ってもなお行き詰まる三大難題だが、今回は幸運だ。
この天井は仮設テント、壁は打ちっぱなしのコンクリート、香る周囲は硝煙乾いた砂。レデイアは砂漠の隠れ家にいる。では、どっちの?
周囲が静かなうちに復習する。なぜ今に至ったか、どこかに失態がないか、誰が関わったか。
始まりはいつもの家政婦詰所にある隠し会議室だった。
レデイアは派遣型家政婦の顔をした密偵をしている。金で労力を買う富裕層の懐を借り、時には後ろ暗い者を白日の下へ晒し、時には歴史を作りやすく情報を流したり堰き止める。
雇った本人が関わる事案は滅多にないが、ご近所を堂々と歩いた上で私的な空間を拠点にできるだけでも一般的な探偵には真似できない優位になる。秩序を作る家政婦、オーダー・メイドの噂話が実しやかに囁かれはじめてからは猜疑心が強い依頼人はボディチェックをするが、特別な道具なんかいらない。道具は拾えば足りる。
レデイアは名目上は雅な家で生まれ育ったため上流層の作法に馴染み深く、多少ながら芸もある。縁を切ってからの十年はメイドの技術に集中した。同年代への優位と若さを両立し、まさか彼女がと気を緩める瞬間が誰にでもやがて来る。仕事をするには十分だ。
今回も仕事が降ってきた。受け取った最初の情報はただひとつ、秘密の会議室を使う日時だ。
所長のテル・リブル、彼の様子から読み取れる微細な兆候もある。ちょび髭に乱れがあり、顎と腹が細くなった。この頃はお転婆な養女に手を焼いているらしいが、その程度でこうはならない。本物の悩みが他にある。
集まった人員はわずか四人。足手纏いを除くべき危険な仕事だ。内訳は二人組をふたつ、どの組み合わせでも互いの得手不得手を知る程度に交流がある。
レデイアは最年長にして最長身、さらに成果を示す棒グラフも最長だ。使える道具をなんでも使うため、賠償金や謝罪行客がついて回るが、それらで片付く範囲で済ませる社会性も持ち合わせている。謝罪用の特別予算と共に厄介な仕事がいくらでも届く。
その成果とはリグの補佐があってこそだ。偶然に出会った後、レデイアを追ってメイドになり、ついには伴侶となった。執念とも言える調査と実行、そして結果。直後の仕事がこれだ。
三人目のロゼ・ブラックは裏社会の解体屋と畏れられている。必要とあれば強引な手も辞さず、社会的な脅威を除いては別の地域へと渡り歩いてきた。ホーチミンで、香港で、クアラルンプールで、大阪で。東へ向かった果てに今ここにいる。
最後にダスクは付き人としてロゼの幼少期から寝食を共にしていた。趣味はロゼを着せ替え人形にして、第一印象通りの小柄で童顔なかわいらしさを眺めたり見せびらかすこと。メイドは基本的に問題児の集まりなので相対的に常識人だが、ロゼが言うならどんな無茶振りでも平然と応えるあたりが問題児と言える。
会議は予定通りに始まった。資料はたった四枚を回し読みで、詳細は口伝で。メイドのポケットにはいつでもライターと携帯灰皿がある。あらゆる痕跡は会議の終わりと同時にこの世から消える。
「今回の仕事は、あるガールズロックバンドの世界一周ツアーの護衛である」
資料とは別の公開情報はタブレット端末で確認する。日付変更線をスタートラインに見立てて、東アジアから始まり、中央アジア、ヨーロッパ、次はアフリカ大陸を無視して北米、そして南米、オーストラリア、最後に再び出身地である日本の東京へ。地球儀に螺旋を描き込む演出だ。会場はSNSでの賑わいを加味して選んだと語る。どこまで本物かは定かでないが、表面上だけでも信じるしかない。
本当にお題目通りの仕事なら、護衛対象の情報が資料にあって然るべきだが、片隅にちょこんと書かれたアレルギー情報のほかは、名前しか載っていない。本名かどうかも怪しいものだ。
リグが「前に試用とか言ってた四人っすよね」と確認し、所長は「いかにもその通り。たいそう満足いただけている」と鼻高々に語る。個人の識別はできる。正体はまだ。
四人のメイドが担うはトルクメニスタン会場、ヨルディズガラ産業特区。唯一の人が足りない地域だ。西側諸国なら練度も信頼も確かな組織がどこにでもあるし、現地人だからこその文化的知識を頼れる。では現地人がいない地域を担うのは誰か? 都合のいい人員がいた。ロゼとダスク、この二人はちょうど現地で幼少期を過ごしている。
メイドは顔立ちの幅が広い。ロゼは特に中央アジア離れしたイギリス人で、ダスクは現地人だ。正確には近隣国だがこの場では誰も区別がつかない。
しかしリグは二人をトルクメニスタンへ向かわせるのは否定的だ。人は一般に、よからぬ記憶と紐づいた場所では気が滅入る。その視線へはロゼが答えた。この場で唯一のソプラノで。
「心配はありがたいけど私らは構わない。適任だろ」
「お二人が本当に平気ならいいんすけどね」
ロゼはかつて豪邸に住んでいた。レデイアのような名ばかりではない、本物のお嬢様だ。親の仕事の都合で移り住み、商談の傍らに生の言葉を教わったり、文字や計算を身につけてからは書記の真似事で技量を磨いていた。
すべてが炎に消える日までは。あるマフィアが現地人の排外派を焚き付けて四方八方から炎と銃弾を浴びせた。生き残ったのはロゼとダスクの二人だけ、残った品は着ていた服だけだ。財産も信用も後ろ盾もない中で足掻き続け、いつか当たると信じて裏社会を探し歩いた。メイドの道を知って活動の幅を広げた甲斐ありつい半年前にようやく片付けた。数奇なことだ。第二の人生の最初も最初で育ちの故郷へ戻るとは。
「私もダスクも、トルクメン語とウズベク語がわかる。他に誰ができる? 確かレデイアはロシア語も話してたが」
「そうね。日常会話程度だけど」
国外では言語の問題がつきものだ。歌は言語の原型であり、言語がわからずとも歌ならわかるから、世界一周ツアーで各地に合わせた言葉にするのも十分に可能、とはアーティスト側だけの事情で、同行者にまで同じ理屈は通じない。
「いやあ皆さんね、言葉なんて後でいいんすよ。気づいてるでしょ? 本当の問題は、この異常な仕事そのものっすよ」
四人の視線が所長に戻った。
「やはり、言わずには進めない、か」
彼は重い仕事を取る手腕があるくせに、内容を伝えるプレッシャーに弱い。伏せて済まそうとしたりおちゃらけた言葉で負担から守ったりする。メイドは恐ろしい。無害で可愛らしい仮面の下に獰猛な技術と気性を隠している。
「バンドも全国ツアーも表の顔である。観念して言おう。本当の仕事は――」
この国には都市伝説じみた諜報組織がある。小狡い話の頭につく「五階を恐れずに言えば」の言葉通り、壁に耳あり障子に目あり、小声でも話せばどこからか嗅ぎつけて、時に超法規的な汚れ仕事もする。有名な噂では、五階から飛び降りて無傷で現れたとされているので、影の組織はいつしか『五階』と呼ばれるようになった。
その本拠地は、正確には本拠地じみているが根拠もない部屋は、霞ヶ関の五階にある。表札もなくパソコンもなく、あるのは書類棚とパイプ椅子がぼちぼち程度で、職員に尋ねれば倉庫とされている。
本当の仕事は『五階』の国外活動を護衛する。
「彼女らも生え抜きだ。細かい指示はしない。立案から実行まで、現場の勝手を知っている君たちに一任する。必要な情報を伝えるだけがわたしの役目だ。題して『侃侃諤諤! 訳アリなスケを守り抜け!』よろしく頼むよ」
所長はプレッシャーと向き合うときに小粋なタイトルをつける。少し前にも小粋な大仕事でレデイアが指を失いかけた。道化を演じる男とは対照的に真剣な面持ちの四人は今回も五体満足で成功できるよう最善を尽くす。
「まず指揮系統っすけど、ロゼさんがリーダーでいいっすね」
「お? 最強をレデイアから更新したか?」
「当然してませんが、今回ばかりはロゼさんが適任でしょう。ねえルルさん」
「そうね。私たちは道も知らないもの」
決定役を決めたら、まずは敵になる。盾を扱うには剣の扱いを知らなければならない。護衛の本質は危機回避だ。凶刃を防ぐのではなく、凶刃を出せない空間を整える。『五階』を殺したい者は少なくとも時の権力者からは肯定されないと知っている。殺すのは目的ではなく過程だ。何食わぬ顔で死んだ後の話をできなければならない。目立てばただのテロ組織だ。無関係を装える状況で動く。
「誰がやるって考えたら政治組織っすよね。けど多すぎるんすよ。全てが敵に見えます」
「長い中央集権体制が崩れてたった五年、乱立して淘汰も進んでないからな。親米改革派と中立維持派に分けてもまだいくつもあるな。だがそいつらも全くの無秩序じゃない。他所のシマを荒らさない範囲で動くなら三つまで絞れる」
ロゼが資料にチェックをつけた。拠点と会場の間に他の組織を挟まない組織。現地ではこの三つの調査から始まる。
「まだ三つっすか」
「しかも拠点は車でも遠いぞ。砂漠だから隠れ家も作りやすいし、そもそもあそこは隠れ家でしか政治活動をしない」
「衛星写真なんて、無理っすよね」
「諦めて砂遊びだな」
ああだのこうだの言って前提をすり合わせる。普段のやり方をレデイアとリグが挙げて、有効性と条件をロゼとダスクが割り振る。
歴史が前提を作る。1991年にソビエト連邦から独立してからも400年は翳りもない中央集権国家だった。認知戦や利害調整の果てに事実上の体制転換があっても国民性は変わらない。表現の自由や集会の自由がない環境に合わせて、自殺と反出生と村八分が生きる遺伝子の助けになる。
政府がいつ動くとも知れないから念のため隠れる。必要かどうかもわからないが、もし必要なら隠れなかったら死ぬ。『五階』の連中がなぜそんな所へ行くかといえば、表の顔の音楽がSNSで受けたからだ。開放的な変革を謳う歌は逆を求める者へのメッセージにもなる。
おおよその共通認識ができたら脳を休めて記憶を固める。気晴らしの雑談を始めた。
「五階って奴ら、よほどの人材不足らしいな」ロゼが見識を説いた。「銃や柔道くらい持ってるはずだろ。自分らの生死を外注するなんてな」
「他にもある」レデイアが悲観した。「邪魔になった駒を片付けておきたい、なんてね」
元よりメイドの派遣先は金で時間を買いたい富裕層だ。悪どい手に関わる者を片付けて秩序を守る組織、彼女らは往々にして五階と近い領域にいる。
特にレデイアとロゼが派手に成果を出すものだから、衝突の懸念も十分にある。直接の支配が及ばない組織、知りすぎた個人、どちらも邪魔な存在だ。
「頭には置いてるが、仕事は山積みで自分らで足りない。まだないだろ」
「苛立ってる?」
「お前のせいだ」
「牛乳あげるから許してごめん」
「はぁーー? そっちのほうが許せねえだろ」
今にも喧嘩が始まりそうだがこれはレデイアとロゼの友情だ。このごろ落ち着いていたのは役割分担あってのもので、対等に話せばライバルになる。休暇と楽な仕事続きで丸くなっていた。犬猿の仲の掛け合い、他のメイドからも人気の味を秘密の会議室で独占している。
メイドには反論の機会がない。わかりましたと言って手を動かすだけが仕事だ。雇用者は社会的な信用をいくつも獲得してきた人間だから確認もいらない喋りをする。そのほうが時短になるから。究極的には声を失っても頷く動作ができれば意思疎通では困らない。
持て余した欲求はこうして発散する。反論と意見、次に反論と意見、そして反論と意見を重ねて話を広げては綴じ、次第次第に確かな共通項の輪郭が浮かび上がる。ギャラリーにも建設的な情報を届けられるのが一流の口論だ。
が。
「ダスクさん、いつ止めます?」
「私はロゼを眺められればいくらでも、ですが」
にこやかに見守っていたがあまり長引けば仕事に響く。二人は持ち場へ向かった。ダスクの止め方は、ロゼの背後から抱きつき襟元を吸う。
「おわーーっ!? よせダスク、人前だぞ」
「ここは秘密の会議室ですよ。すべての情報が短命です」
リグの止め方はもっと淑やかで、コップの水を渡した。
「ありがとう、ちょうど乾いてた」
「お安い御用っすよ。じゃ、続きに戻りましょうか」
資料のひとつ、地図を囲んで座り直した。青の点と線が空港から目的地までを、拡大図には大雑把な道路と雑踏の範囲が記されている。
前提としてトルクメニスタンは五つの州に分かれている。空港と首都のアシガバートは南のアハル州で、今回の目的地は西のバルカン州セルダル県だ。
「残りはどうなんすかロゼさん。北と東と南東、なんかで関わりますか」
「その辺は無視していい。ただ何かあったらそっちへ行く」
「何かって具体的には?」
「具体的にわからない何かだ。私とダスクはそっちの方が土地鑑がある」
かつてロゼとダスクが住んだのは今回のセルダル県よりさらに西の港町トルクメンバシだ。その後の騒ぎの後は砂漠を横切り東へ向かった。アシガバート付近を見ていないが、グローバル化と称して世界中に同じ建築様式とマクドナルドとスターバックスがある。大都市は行けばわかる。
「ロゼ、そのあたりの宗教は? ブルカを使えたら便利そうだけど」
「無神経なレデイアだからものを隠せて便利とか思ってるな? 絶対やめろ。このごろ息巻いてる過激派に見つかれば最悪お説教部屋だぞ」
「最悪で? ずいぶん穏健な過激派だこと」
「何も分かってないな。朝から晩まで代わる代わるにお説教を垂れる男が来るし、口にできるのは『神の恵み』だけだ。デーツと牛乳、たまにキノコ、これがあれば生きられるってセットだな」
ロゼのやけに迂遠な言い回しをリグだけが理解した。厄介になる前に急いで話を変える。
「服装はわかったんで、うちらの顔で出歩いたらどう見えますか。異国人ってわかりますよね」
意図を察してダスクが肯定した。
「続く予想がタイか香港かシンガポールかは人によりますがね。ロゼは西欧かって言われてました」
「ロシア語がいくらかでも通じる地域ですもんね。見慣れなくて白人なら」
文化の交流点には広い情報がある。
「あとそうだ、そこの新婚、指輪もやめとけ。同性婚はない」
「ですよね。置いてきますよ」
「そうね」
広くてなお誰も持たない文化もある。旧共産圏において本人の寿命を最後に消えゆく同性愛への制度は罰則だけだ。人口の再生産はそのまま国力になる。現状維持以上にできるのは天才だけだ。天才は偶然によって産まれる。出生を増やすほど天才が増えるかもしれないチャンスも増える。サイクルに寄与しなかった遺伝子は黙っていても寿命が間引く。
社会の存続と個人の幸福を両立できるのは才能の賜物だ。才能ある遺伝子は長く生存する。子宮を使って幸福になれる才能をメイドたちは持たなかった。
反面、子宮を目当てにした丁重な扱いも長く生存する遺伝子だ。腰の細さが妊娠可能性を示唆し、尻の大きさが生存可能性を示唆し、それらの魅力を用いて理性を眩ませて仕事をしている。社会との関わり方にはこんな形もある。
「ところでレデイアかリグ、この辺の話は『五階』の奴らも知ってると思うか?」
「思う」
「思いますけど一応は確認しときましょう」
動き方は決まっている。先遣隊が現地を調査し、一週間ほどの後に本隊を迎える。護衛の仕事に臨機応変の余地はほとんどない。必要な準備が多いだけだ。前提を理解していればどんな順番でもいい。なのでメイドはその場の流れを利用し脳を活性化させている。
「とりあえず先遣隊はロゼさんとダスクさんでいいですね。現地に詳しいお二人なら宿も情勢も見つけられるでしょう」
当のロゼが異論を出した。
「いや、行くのは私とリグだ」
「へえ。分かりました」
「聞き分けがよすぎるな。愛しのルル様はいいのか?」
「理由があるから言う。ロゼさんはそういう人っす。信じますよ」
レデイアとダスクも頷いた。「リグは大丈夫」とレデイアが、「ロゼをよろしく」とダスクが、交差して話をつけた。
「じゃあダスクさん、五階の皆さんへの連絡は頼みます」
「了解、ですがなぜ私に? そこはレデイアさんに任せるものとばかり」
「ダスクさんのほうが気に入られてるみたいですからね」
試用と称した先月に人柄は見ていたが、リーダーという名の煽り役が名前で飛ぶのはダスクだけで、残り三人には変なあだ名をつけた。
メイドとは逆のやり方だ。情を湧かせない振る舞いが仕事のためになる。自分たちだけですべてを完結させられるから外部による邪魔を防ぐ。必要なすべてを自前で用意する五階に対し、メイドは見られて困るものを持てないからその場で拾ったものを利用する。せいぜいがスカートの下に隠し持てる小道具か、見せても困らない名刺や掃除用具か。特化しない応用性を武器にしている。
「私はともかくロゼには失礼、リグには意味不明だったわね」
「組織としては向こうが上だがな」
この場で最も組織論に詳しいのはロゼだ。強みはもちろん、弱みまで。
役目が先で、代替可能な凡人をあてがう。最大値は采配次第でどうにでもなる。重視するのは最低値だ。求めた役割に応えられる真面目な仕事人を集める。
個人や小規模組織と比べた大組織は、想定済みである限り、あらゆる事象を、確実に早く、確実に強く、確実に望み通りの結果を得る。想定を見誤っても致命傷にはならないし、同じ失敗はなくなる。
組織とは成長し続ける巨人だ。個人は巨人の細胞であり、ある者は背骨となり、ある者は胃となり、ある者は手となる。細胞には代謝がある。誰かが退職し、誰かを採用する。時には外部から移植細胞を入れたり合成生物になったりする。
もし組織と敵対したなら、一撃で息の根を止めるしかない。細胞の数個を失う程度では痛くも痒くもない。
「五階という名の指を伸ばせば野犬に食われるから護衛はこっちを頼る、って話だな」
「私たちは犬同士ってわけね」
「お前は猿だ」
「ロゼ、猿って言うほうが猿なのよ」
必要な話はほとんど済ませたから売り言葉に買い言葉でウキウキと騒ぎ出した。会議はすでに雑談に変わっている。元より必要な情報は自分で調べる習慣があるし、情報の価値はどこかで判断を変えて初めて生まれる。所長の出る幕はなかったが、退室しかけたところでリグが呼び止めた。
「今更ですが大丈夫なんすか所長。この資料にある銃の持ち出しって、ともすれば外交問題っすよ」
「ああそれはもちろん、現地の有力者に話は通してある」
「有力者。あわよくば反対勢力を始末してほしそうっすね」
ダスクも確認がある。
「ロゼの私物は持たせていいですかね」
「飛行機に持ち込めば目立ちすぎる。手配してくれれば船と陸路で届けよう」
「了解しました。すぐに」
必要な情報は共有した。あとは個々の役目を果たすだけだ。第一にレデイアとロゼのじゃれ合いを止める。
「ルルさん、帰りますよ。口惜しいならガムあげます」
「の、前にひとつ頼みがあるのだけど」
「はいほい。いつものっすね」
「ロゼ、食事にしましょう」
「そうだな。だが最後にひとつ、リグ」
「なんすか急に」
ロゼの秘密の耳打ちに、リグは「いいっすよ」と答えた。