3話
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テントの中へと入ってすぐ、私の目に入ってきたのは故郷の懐かしさを覚えるようなあたたかな光だった。本当は土間や障子、板張りの廊下、行燈やら、もっと色々な物が視界に入っていたのだけど、明らかにあのサイズのテントに収まるサイズの空間ではないものが広がっていたために、理解が追い付かなくてそんなぼんやりとしたものだけを感じてしまっていた。
「(なんだこれは。テントどころか、もはや家ではないか)」
ふと、既に式台を上がっていたマサムネ殿がこちらへと振り返る。
「履き物は脱がなくても構わぬぞ。上がった時点で汚れは消えるようになっている」
「えぁ……あ、はい!」
ぼうっとしていたせいで思わず素っ頓狂な声をあげてしまった私に、彼はくつくつと笑いながら共に来るようにと促す。
草履を脱いでも足袋もすっかり土汚れやらなんやらで汚くなっているのだけど、なんて思いながら進んでみれば、たちまち足袋どころか全身の汚れが消えてしまった。
「何者なのだ、いったい」
盗賊を相手に見せた凄まじい強さに見惚れて勢いで弟子入してしまったが、いざ近くに来てみるとふとした日常の仕草にはさまる人間離れしたものに少し恐ろしさすら感じる。
いや、無関係の人々を助けに来てくれたりと、良い人である事については間違いないのだが。ただ、彼ほどの剣豪と呼ぶに相応しい人物が、私も知らないほどの無名な存在だったのかというのも引っ掛かっていた。
「某が何者なのか、すぐに話すとも。むしろそれをカンナ殿に話したくてわざわざ時間を取ったのだ」
「マサムネ殿……」
障子を開けると、8畳ほどの畳張りの部屋が広がっていて、床の間にはどんな国の王族や故郷の将軍すら目にしたことは無いだろうと思うほどの見事な刀が飾られている。
欄間に施された彫刻もそれは見事なもので、小枝にとまる鳥をえがいたそれは今にも動き出しそうなほどの生々しさを持って静寂の中に居た。
そんな部屋の中央に、ごろりと丸まって居座る何かがいる。ふわふわとしていて、白と黒と茶の3色で、ピンと立った三角形の耳を持っていて、尻尾が二股になっていて……。
「ネコマタっっっ!?」
「おや、こやつの事は知っていたのか」
知っているも何も、ネコマタは故郷ではお伽噺の中に現れるような存在だ。人間と明確に意思疎通を行えるほどの高い知性を持ち、更には大軍1つ簡単に滅ぼせるほどの魔法を軽々と使いこなす大妖怪。
驚きで動けなくなっている私を他所に、彼は部屋の真ん中で丸まって眠っているネコマタへと近付くと、困ったようにため息をついた。
「『牡丹』、起きなさい」
「……ん、むにゃぁ……にゃ? ごしゅじんさま? そんなはずないにゃあ、ごしゅじんさまは『してんのー』の仕事で、大、忙し……にゃあ……」
「『牡丹』!!!」
牡丹と名前を呼ばれて一瞬起きかけたものの、また寝ようとしたネコマタ。
次の瞬間、彼の大きな声が響き、思わず私までびくりと肩を跳ねさせてしまった。
「にゃあっ!? えっ、御主人様、本当ニャ?!!」
「お主なぁ……ここの管理を頼んでいたはずだが、随分サボっていたらしいじゃないか。開けた時の動きがおかしくなっていたぞ」
「申し訳ないですニャ。あんまりにも暇過ぎて気が抜けてたニャ。……おや、ご来客ですかニャ?」
「そうだ。すぐに適当な茶と菓子を用意してくれ。その後は壊れた場所の修理をするように」
「承知しましたニャ」
飛び起きたネコマタは、二股の尻尾以外ふつうの猫そのままの見た目で当たり前のように二足で立ち上がると、マサムネ殿にぺこぺこと頭を何度も下げた後、指示を受けて慌ただしく部屋を飛び出していく。
「式神だ」
「え?」
「厳密には精霊の一種とされているらしいが、人間と契約してその力を貸してくれる存在だ。しかしネコマタの名は知っているのに式神は知らぬのだな」
「ネコマタといえば、拙者にとってはお伽噺の中に現れる恐ろしい妖怪でして……」
「恐ろしい妖怪か。まあ多少高度な魔法を使いはするが、基本は温厚な奴だぞ。さて、と……適当に腰をおろして楽にしてくれると助かる」
マサムネ殿はテントを取り出した時と同じように虚空から座布団を2枚取り出し、向かい合うように床に敷きながらそう言った。
彼が先にどかりと腰をおろし、私もそれに続いて座布団の上に座って彼と向かい合う。楽にするようにとは言われたが、雰囲気のせいもあってか昔の癖でつい背筋がピンと伸びてしまう。
そうしたところで、つい先程部屋を出ていったばかりのネコマタが、急須と2つの湯呑みに可愛らしい干菓子の乗ったお盆を浮かせながら戻ってきて、私と彼の間にお盆を置くと丁寧な手付きで急須から湯呑へとお茶を注いだ。
「カンナ殿」
「っ、はい!」
面と向かい合い、私の名前を呼ばれて思わず声に力が籠もる。私の緊張を察してか、彼は一拍置いてから再び語り出した。
「先の村では人目があったゆえに、某の身の上について伝えておけなかった事がある。今から話すことを聞き、今一度カンナ殿が某と共に旅をするか否か、考えて欲しい」
篭手に覆われた彼の手が、彼の顔を隠している面頬に触れる。ぴたりと彼の顔に張り付いていた面頬は、その手に掴まれた途端にいとも簡単にするりと剥がれ、隠されていた彼の素顔を私の眼の前に曝す。
「な……っ!?」
面頬に隠されていたマサムネ殿の素顔。
そこには、がらんどうの眼窩に青紫色の揺らめく炎のような光を宿したしゃれこうべがあった。
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「ふむ。驚きはしても、問答無用で斬り掛かるような真似はしないのだな」
私の素顔を目にして、目を丸くして驚いている彼女を眺めながらそんな事を呟く。スケルトンとしての素顔を見せたら、魔物だと思って刀を抜くくらいはするものだと考えていたが、案外そうでもないらしい。
「いやいやいや、マサムネ殿がそのような顔をしていたのには驚いたでござるが、それだけの理由でマサムネ殿に刀を向ける理由がござらん。むしろ人間じゃないとわかって少し安心した節があるくらいでござる」
「……!なるほど、カンナ殿は面白いな。そういう考え方もあるか」
昔はこの素顔がバレた瞬間に斬り掛かられるような事もしばしばあったから、こうあっけらかんとした態度を取られると拍子抜けである。
いや、この見た目が素直に受け入れられた事はむしろ喜ばしい事なのだが。
「ただ『人間ではない』というには少々語弊があるが。カンナ殿は『魔族』というものをご存じかな?」
「魔族ですか? 拙者が知る魔族と言いますと、500年前に魔王が率いた種族で、人間と争ったという事しか。あいにくどの歴史書にもあの時代のことはろくに残っていない状態でして」
「そうか。では魔族についても話すとしよう。某の身の上と共に。菓子でもつまみながら聞いてくれ」
そうして、私は彼女に身の上について洗いざらいを話した。
私が魔族の不死の体を持つアンデッドという種族の、スケルトンという存在であること。
500年前の戦争を戦った内の一人であること。
自分も昔は人間だったこと。
何らかのトラブル?で現代のこの場所へとやってきた事。
未開拓領域と呼ばれている場所に行きたい理由は、封印されているという魔王を助けたいからだという事。
あとは、魔族が人間と近い種の生き物であることも。
「某もこのようなナリだがヒトと変わらぬ生き物ゆえ、生きていく為には飯を食わねば不死の体を維持できぬし、睡眠も取らなければならん」
「……骸骨の身体で、食べられるのでござるか?」
「まったく、奇妙な事にな。某の種族は年に一度、肉体を取り戻す時期がある。もしかすると、その復活する肉体が関係しているのかもしれんな」
「へぇ〜不思議な身体でござるなぁ」
最初は緊張からかぎこちない様子だった彼女も、段々と話の内容が和やかになるにつれて肩の力が抜けてきたのか、お茶を口にしながら自然と表情が緩んできている。
「……うむ、マサムネ殿の話を聞いて拙者も頭がすっきりしたでござる。やはり、拙者はマサムネ殿のもとで学びたい。実を言えば奇妙な魔法を使うマサムネ殿に少々恐ろしさも感じていたのだが、いざ理由がわかればそんな気持ちも杞憂だったでござるよ」
「ニャニャッ、御主人様は妙に威圧感があるからそう感じるのも仕方ないニャ。カンナちゃんは悪くないニャあね」
「牡丹、お主はもう少し主君に対する敬意と言うものをだな」
「怖いのは事実だから仕方ないニャあ」
いつの間にやら戻ってきて、自分ものんびりとお茶をすすっていた牡丹に見た目の事でいじられて、思わず小言を漏らしてしまう。ただ、こういう遠慮のない距離感は嫌いではないから、気分は別に悪くなかった。
タンポポのようなふわふわした毛並みの小さな頭を撫でてやれば、彼女も気持ちよさげにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「マサムネ殿、これからはお師匠と呼ばせて貰っても?」
「好きに構わぬとも。ふむ……では飯時にはまだ時間もあるし、まずはカンナ殿の腕前を見せてもらうとするかな」
そう言ってすっくと立ち上がると、ネコマタの牡丹が首をかしげながらこちらを見上げて話しかけてくる。
「ニャ、御主人様もう行くのかニャ?」
「カンナ殿に少し特訓をつけるのと、飯をとりに出るだけだ。近くに小川が流れていてな。牡丹も来るか?」
「んニャ。にゃあは修理のお仕事が残ってますニャ。あ、でもお魚は持ってきてくれると嬉しいニャ」
「あいわかった、お主のぶんの魚も取ってくるとしよう。ではカンナ殿、行こうか」
既に彼女も立ち上がっていて、早く稽古に取り掛かりたくてウズウズしているようだ。私は【収納】の魔法を使って虚空から木刀を二本取り出して、テントの外へと向かった。
「ぜぇ、ぜぇ……はぁ……」
「ふむ、こんな所かな。よく頑張った、カンナ殿」
すっかり日も陰り、ランタンの灯りに照らされている河原で、彼女は全身を汗でぐっしょりと濡らしながら手にした木刀を杖にしてへたり込んでいた。
ひとまず彼女がどれほどの腕前を持っているのか試してみてから育成方針を考えたかった為、木刀を使った模擬戦を行うことにしたのである。
もちろん、私が本気を出してしまっては実力を測るどころではなくなるので、基本的に私からは仕掛けず、魔法も一切使わないという縛りを課して行った。一方の彼女に対しては、好きに魔法も使って良いようにと伝えた上でだ。
「はじめの見立て通り、筋は悪く無い。その若さと女子の身でありながら、身体もよく鍛えられている。剣術も荒削りなところはあるが、多少の心得はあると見える」
元々誰かに師事してはいなかったと言うから見様見真似なのだろうが、その割には良い動きも出来ていた。あれだけ動けるのであれば、刀一本と身一つだけで家を飛び出してきたというのにも頷ける。彼女一人でも小型の魔物の群れ程度であれば容易に蹴散らせる事だろう。
本音を言えば、小型の竜種くらいは狩れる腕前があって欲しいと期待していたが、すっかり人々が弱くなったこの時代において私の時代の基準で考えるのは酷だ。
「ぜぇ……家で、稽古していた兄上たちの、姿を……ずっと観察していた、ので……ぜぇ……」
「武家の生まれか。カンナ殿にとってはさぞ窮屈だっただろうな」
「ええ……まったく」
そこまで話して、思った以上に体力の限界が来ていたのか彼女の身体がふらりと傾いた。慌てて駆け寄り、河原に頭を打ち付けないようにさっと抱えあげる。
少し、無理をさせすぎたかもしれない……。
今度からは控えめにするとしよう。
彼女をテントの前まで運び、あらかじめ用意していた折りたたみ式の椅子に座らせる。体重を預けられる場所に来たからか、彼女の身体からはぐったりと力が抜けた。
「かたじけない……ここまで、疲弊するのは……久し振りで」
「いいや、某もやりすぎた。水と塩飴をここに置いておくから、休んでいなさい。某は食事の準備をしておこう」
彼女の座っている椅子の横に冷たい水の入った瓢箪を置き、紙に包まれた塩飴を彼女の手に置いておく。彼女は、疲れてはいたものの喉の乾きのつらさが勝ったのか、ゆっくりとした動きで瓢箪を掴んでぐびぐびと水をあおると、すぐに塩飴を口に放り込んで舐め始めた。
ひとまず大丈夫そうな様子を確認して安心したので、その場を離れて川岸へと向かう。暗いが、アンデッドという種族は夜目が効く。それゆえに川の中の様子はよく見えた。
川自体は全体的にだいぶ浅く、少し深くなっているあたりを串焼きにするのに手頃な大きさの魚が群れをなして泳いでいる。もっと浅い所にも魚はいるが、そちらは小さ過ぎて調理に少し困りそうだ。
「さて、と。魚は、手掴みで良いか」
ざぶりと足を水につければ水の冷たさが伝わってきて、この生暖かい空気の中では心地良い。川が深くなる部分まで歩みを進めてから、一応誰かに見られてはいないかと周囲を見回した。
「む、そういえば、あのテントの主はまだ戻っていないのだな」
ふと、ここにやって来た時に見えたテントが気になって目を向ける。あれから私達以外にここを訪れた旅人はいなかったようで、河原に建てられているテントは既に設置されていたあのテントと私達のテントの2つだけだ。
もう遅い時間だと言うのに、まだ戻っていないとは妙な事だなと疑問に思ったが、居ないのであればこちらとしても好都合である。
「【魂縛】」
両の手を水面へと向けて、魚の位置を探りつつ、五指を曲げながらぐっと手に力を込めて持ち上げる。すると、川の中を泳いでいた魚の内の数匹が突然金縛りにでもあったかのように硬直し、そのまま吸い寄せられるように手元へと浮き上がってくる。
大層な名前をしているが、効果は『離れているものを掴んで動かす』というだけのごく簡単な魔法だ。しかも、生物相手ではよほど力に差がなければ効果が無かったり、術者本人の力が無ければ重いものもまったく持ち上げられないというおまけ付きである。
要するに普通の人間が使うには実戦では役に立たない、日常生活に使われるような魔法の1つだ。
「白飯が手元に無いのが悔やまれるが、これで腹も膨れよう」
手元に集まった銀色の美しい魚たちを見て、思わず「ふふふ」と笑みが漏れてしまう。
勇者との戦いに破れ、今はただ一人500年後のこの世にてのうのうと生きている私だが、この貴重な平和を享受しようと、そう思っていた。