2話
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かくして、私と飛び入りで弟子入り志願してきた少女カンナの二人旅は始まった。村を離れて街道へと入り、まっさらな平原をゆったりと歩いてゆく。
普段ならば魔法なりで飛行・もしくは瞬間移動を繰り返して素早く移動していきたいところではあるが、村での一件でこの時代における魔法技術は退化、個人が使用できる魔法の水準も大幅に低下してしまっている事がわかった為に、有事以外ではあまり魔法を使わないことに決めたのだ。
下手に魔法を人前で披露して悪目立ちしてしまうのはなんとしても避けたいところだった。
出る杭は打たれるという言葉があるが、抜きん出た能力を持つものが余計な恐怖を買ったり、周囲から冷遇されたりなんてのはしばしば目にしてきたからこういうものは実感が籠もっている。しかも、あの日から500年後の世界で孤立無援な状況なのだから、なおさら無駄に敵を作ってはいけない事ぐらい剣術馬鹿な私でも理解できる。
「しかし……こう……ゆったり歩くというのも悪くない」
わざわざ自分に縛りを課した事で始まった歩き旅ではあるが、のどかな平原の景色を眺めつつの旅は戦で荒んだ心を癒やしてくれている。
見たことのない鳥の群れがピィピィと遠くの空に騒がしい声を響かせながら飛んでゆき、平原の緑は優しい風に撫でられてさわさわと音を立てている。
草木の隙間からは虫の奏でる音色が小さく響き、遠くの草原では兄弟らしきキツネの魔物が二匹でたわむれているのが見えた。
思えば景色を楽しむ余裕など随分と長い間忘れていたような気がする。人間だった頃は周辺諸国との争いから故郷を守るために各地を飛び回り、魔族となった後は人類の連合軍と昼も夜もほとんど休みなく戦い続け。
自身がこう穏やかな心持ちになっているのに気が付くと、自分の時間感覚ではつい数時間前まで魔王軍の将として戦線に立ち、勇者を相手に命のやり取りをしていたのが嘘のようだった。
「そう言えば、マサムネ殿は先程の盗賊共との戦いで見たこともない剣術を使っていたでござるな。『飛ぶ斬撃』?とでも言うのでござろうか」
ふと、感傷に浸りかけていた私の耳に彼女の、カンナの声が飛び込んできた。
村を出る前に私が渡した刀『鎌鼬』を歩きながらずっとしげしげと眺めていた彼女だったが、先の戦いの事が気になったらしい。鎌鼬を鞘に戻した彼女は、興味深げにそんな事を聞いてきた。
「『紫電一閃』の事かの?」
「そう、それでござるよ!あの、紫色の光がぶわーっと広がって飛んでいった!いったい何処であのような技を学んだのでござるか?」
「あれは某がわらしの頃、師に教わった」
「マサムネ殿にもお師匠がいたのでござるな。あ、いや、師匠がいないというのも珍しい話なのだが」
少し恥ずかしそうに頬をかく彼女を横目に、世話になった師へと思いを馳せる。彼は私が勇者と最期の戦いをした頃も高齢ながら未だ存命だったと聞いていたが、流石にあれから500年も経ってしまっていては人間の身では生きていられるはずもない。そう思うと、親しい間柄の人がこの世を去ってしまっている事実に何とも言えない寂しさを感じた。
「ふむ……そうだな。カンナ殿は誰かに師事した経験は無いのか?」
「あ、拙者は……そのぅ……」
ふと、気になって口にした質問に、彼女は言いにくそうに目をそらして言葉を詰まらせた。
続きの言葉を言い辛そうな、どこか気まずそうな雰囲気に何となく事情を察する。元いた師があまり良い人物ではなかったか、それとも師を取ること自体が厳しい境遇だったか。
現代の社会情勢など、ポンとこの世に湧いて出たような私にはてんでわからない。故に他人の境遇について「こうだったのではないか」と予測することも少々難しい。
しかし500年前のあの頃と同じような感覚で考えても良いのであれば……あの時代も女性の武人というのは珍しい存在だった。いや、武芸に秀でた女性は確かにいたが女性に求められる強さとは精神的なものが主であり、いざ実戦に駆り出される事は殆ど無かったと記憶している。人も魔族も変わらず同じように、戦いは男のものであり女は守られるべきという空気が強かったように思う。
争いの多い時代柄、男の命が女と比べて軽いというのもあったが、そんな空気感もあって女が積極的に武芸に打ち込むというのはしばしば良くない目で見られていた。
「余計なことを聞いたな。すまぬ」
「あっ、いえマサムネ殿がそう気にするほどの事では…」
「非礼は詫びさせてくれ。それに、だ。カンナ殿は既に某を師として選んだのだから過去の事など要らぬ話であった。まあ、某もこうして人に教えるという経験は初めてだから上手く出来るかはわからぬがな」
「えっ! あれほどの実力があるというのに一人も弟子を取ったことが無いのでござるか!?」
思わずといったふうに目をまんまるに見開いた彼女が素っ頓狂な声を上げる。確かに、この時代の感覚では私と同程度の腕がある者で、弟子の一人も取らずにふらふらとしているのは珍しい事なのだろう。私自身も、そろそろ個人的に後進の育成に励みたいと考えていたこともあった。
だが、なにぶん戦い続きで弟子を取るような余裕は無かったのだ。率いる兵の育成も基本的に部下に任せ、自分は人間の中でもいわゆる『英雄』と呼ばれるような突出した個人相手に対する抑止力として戦場を駆け巡ることが専らだった。
「うむ。弟子を取ること自体は考えたことが幾度があったのだがな、その時々に優先せねばならぬ事情があって取れずにいたのだ」
「そうでござるか。確かにマサムネ殿ほど抜きん出た実力があると戦力として引っ張りだこで、弟子を取るような暇も無くなってしまうのでござろうな。この頃は魔物の被害も増えてきているとも聞きますし」
「う、ううむ」
しかし、こうも全肯定されているとくすぐられているわけでもないのに、ムズムズとくすぐったいような感覚になってくる。自分の腕前を素直に褒められるような機会があまり無かった事もあるかもしれない。
嬉しくはあるが、どう反応すればよいのか同時にわからなくもなる。
「ところで……今しがた『魔物の被害が増えている』と言ったが、そのような話が流れるほどに酷いものなのか?」
「魔物でござるか?先程も言ったようにこの頃急に魔物の動きが活発化……というか、どうも元の生息域から外れるような動きを始めたらしくて。拙者も旅を続ける身だったのでござるが、道中よく被害の噂を聞いたり、魔物による被害を受けた跡なんかにも遭遇したでござるよ」
「ほう、それで魔物の行動が活発化した原因については未だ不明……といったところかな」
そう聞くと、彼女はこくりと静かに頷いた。
「やはりか。魔物の行動を予測することは難しい。知られている生態の通りに動いてくれている内はまだ良いが、予想外の行動を取り始めるとその原因究明に何かと手間がかかるものだ。魔物の活発化か……某の目的以外にも、気になることが出来たな」
「そういえば、マサムネ殿の旅の目的は未開拓領域にある故郷への帰還だったと記憶しているが、未開拓領域は魔物の活発化についても何か関係があるのでござろうか」
ぽつりと彼女の口から出てきた素朴な疑問に、言い知れぬ不安を感じた。人類の文明が後退し、ずいぶんと様変わりしていたのを私は確かに目の当たりにしたが、魔族の世界が同じように様変わりしていないなんて保証はどこにもないのだから。
魔族はヒトと比べてずっと長い時を生きる種族だ。最も寿命が長い悪魔族や私のような不死族はそもそも寿命が存在していない上に、短命な方である蜥蜴人族や木精族でも400年、最も短命な種族である小鬼族や獣人族ですら150年は生きる。
それ故に世代の交代が発生しにくく、文化・生活様式の変化もまた起こりにくい傾向にある。起こり得る変化と言えば、それこそ戦争などの外部圧力による強制的な変化や、強靭な魔族ですら対抗し得ない災害によるものだろうか。
どちらにせよ、心配な事には変わりない。
そんな事を考えていたら、ふと忘れていたことに気がついて、今も自分の顔を覆い隠して。
「ああ、そうだ。共に旅をするのだから話しておかねばならぬ事が一つあったな」
「? どうかしたのでござるか?」
「カンナ殿、確か今日中に目的の街までには到着しないだろうとの話だったな?」
「確かに、その通りでござるよ。かなり良いペースで進んでもせいぜいビューラ大森林を抜けたあたりまでですっかり日も落ちて野宿……といったところかと」
二人で魔王領、現・未開拓領域を目指すにあたってひとまずの最終地点として未開拓領域との境界線が存在するとある街を彼女は選んだ。
現在私達がいる場所は『イルゼナ王国』の領内であるらしく、最終地点となる街はその最北端に位置しているそうだ。
500年前は飛空艇なんていう便利な移動手段が存在していたのだが、今は徒歩か馬車かのどちらかしか無いらしく、結果ひたすらに街から街へと陸路での移動を続けていくことになる。
そうして1つ目の目標地点となったのが『カランサの街』だ。この時代で目を覚ました時に遠くに見えていた街だから、強く印象に残っている。
あの村からカランサの街までは、今私達がいる『南イルゼナ平原』から『ビューラ大森林』『カランサ平原』と続いている街道を進めば簡単に到着できる。が、その道程がそこそこ長く、一日そこらでは到着しないだろうという話だった。
「であれば、まだ明るいがビューラ大森林の中ほどで野宿にしないか。なに、森には魔物もいるだろうが身の安全は某が保証する。少々話したい事もあるし、上手く出来るかはわからぬが早速剣術の指南も始めていきたいしな」
「それなら丁度よい場所があるでござるよ。街道がビューラ大森林に入ってからしばらく進んだところに、拙者のような旅のものがよく野宿に使っている場所あるのでござる。今日はそこで野宿と致しましょうぞ」
にこりと何処かあどけなさの残る笑顔をこちらに向けた彼女はそう言うと、機嫌良さげに早足で進み始めた。私も、その小さな背を追って道を進んでゆく。
しばらく歩き、道がビューラ大森林の中に入ってから少し進んだ所に、確かに彼女が言っていた場所はあった。
街道沿いの、道を少しそれた場所をさらさらと小さな川が流れている広めの河原。既に誰か来ているのか布製の小さなテントが設置されていて、茂る木々で薄暗くなっている中で放置されたランタンが暖かな光を放っている。
「ここでござるよ。あいにく拙者は貧乏ゆえテントは持っておらぬのだが……まあ、休むくらいならどうにかなるでござる! 川で魚も採れますしな!」
「女子一人で旅をしていたと言うのにテントも持たぬのか。カンナ殿、元気が良いのは美点だが、もう少し己の身に対する危機感というものをだな……」
「いやはやそう言われましてもな、刀一本と身一つで家を飛び出してきたゆえ」
威勢よくそう言ってのけた彼女に呆れつつも、手持ちのテントを設置するのに適当な場所を見繕う。
「此度は某が持っているものを使うから、カンナ殿も入られよ。しかし、村での一件といい、楽観的な考え方に対して教育が必要と見える」
「ははは手厳しいでござるなぁ……って、マサムネ殿はテントなぞ持っておられるように見えないが……?」
「しばし待たれよ」
キョロキョロと不思議そうにあたりを見回す彼女の前で、虚空から四本の杭と小さく畳まれている布を引き出す。そして、ちょうど正方形が出来るように河原に杭をそれぞれ突き刺して中心に布をポンと置いた。
「故郷を去ってからしばらく一人旅をしていた時に使っていたものだが、今でもちゃんと使えるかどうか」
「えっ? 今、それをどこから出して……? わっ、広がった!」
四本の杭で結ばれる四角の外に出た途端に、中央に置いた布がブワッという音を立てながら広がり、四角錐の立体へとひとりでに変形する。
ちょうど眼の前にあたる四角錐の面に巻き上げるような形の入口が作られ、最後に半ばヤケクソのように入口の隙間から外へと向けて灯りのついたランタンが飛び出てきて転がった。
「おお、まだ使えるようで何よりだ。……ちょいと、手入れは必要らしいがな」
転がったランタンを拾い上げ、入口の横に立てなおす。火を灯すタイプではないから転がったところで火事になったりなんてしないが、こうも乱暴に投げ出されるとガラス部分が割れやしないかひやひやした。
普通なら入口の横にすとんと置かれるだけなのだが、このテントも年季が入っているからそろそろガタが来ているのだろう。
「まあこんなものだな。カンナ殿もこちらへ」
「唐突に物を手にしてると思ったら、今度は変なテント……いったいなんなのだこれは」
そうは言いつつも彼女は素直についてきて、私に続いてテント中へと入るのだった。