1話
1話の内容は短編版と同じです
「魔王、様……」
半壊した砦。
天井が吹き飛び、雨が直接降り注ぐ部屋の中で、私は床に転がってしまったペンダントを力の入らない手でゆっくりと拾い上げた。
私は、勇者に負けたのだ。
人として30余年、最下級アンデッドのスケルトンと化してから60余年。
死してアンデッドと化したばかりの私を拾い上げ、居場所をくれたのが魔王様だった。人間だった頃は、よもやあのような美しい娘が人類を恐怖に陥れた魔王だなどと思ってもいなかったが、魔族としての目線で見た彼女は天使のよう。
人としての自我を持ちながら魔族と化し、世界から弾かれてしまった私を彼女は救ってくれた。
霞む視界の中、ペンダントを眺めれば、あの日のことを想い出す。魔王様は、争いなんて望んではいなかった。魔族による侵略戦争だと教えられてきた人と魔族の戦いは、魔族の土地に眠る資源を求めて人の王侯が起こした戦争だった。
彼女の部下として働き始め、魔王軍の四天王にまで登りつめた時、彼女の部屋に呼ばれてこのロケットのついたペンダントを彼女から譲り受けた。その時、彼女に言われた言葉。
『私はいつか魔族が人と寄り添って生きてゆける世界を作りたいと思っている。そして、そなたは魔族であり、人でもある。今は悪い人間によって戦いが起きてしまっているが、皆の働きによって争いが集結した暁には、そなたには我らと人との架け橋になってもらいたいのだ』
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
人としての私も、魔族としての私も彼女はどちらも認めてくれていた。そして、私の事を信頼して、四天王にまで重用してくれた。
だから、その期待に応えようと必死に戦ってきたのだが。
「……止めは、刺さんのか」
ぐったりと力なく壁にもたれている私の前で立ち尽くしている勇者の青年に、そう問いかける。
「あなたの剣には、殺気が無かった。どうして僕を殺そうとしなかった」
「剣じゃあない、刀だ。それに、某は本気で戦い、そして負けたのだ」
人類の英雄である勇者を殺したら、魔族は人類に更に恨まれ、両者の融和どころではなくなってしまう。そうなっては、魔王様の望みが潰えてしまう。
それに自分も、ただ戦いの道具として使われているだけの青年を殺す事が出来なかった。甘い男だ。
そんな本音、人類の敵として言えるわけが無い。
「本気だろうが、殺す気の無い刀など手を抜かれているのと同じだ。妖刀の呪いを受けてアンデッドと化した武者『マサムネ』よ。僕は、殺す気で向かってきていない相手を殺せるほど、人間をやめたつもりは無い」
二度目の死を待つつもりであった私に向けて、彼はそんな事を言う。人間が我ら魔族を打倒するために、神に祈って作り上げた最強の生物兵器が、まさかそんな事を言うとは思わず、私はふと顔を上げた。
勇者とやら、なかなかによい顔つきをしている。覚悟を持った男の顔だ。だが、戦士の顔では無い。こんな時世でなければ、この青年も平和に暮らしていたのかと思うと少し悲しくなった。
「かかっ……ならば、お主より王侯貴族共の方がよほど人間をやめておるわ。某もヒトだった事はあるゆえ、あやつらの事はよおく知っておる」
「……何だと? 詳しく聞かせろ」
「それは出来ぬなあ。あやつらをどう思うかも個人の主観というものが入る。ヒト全体で見ればあやつらも正しいかもしれぬ。それでも知りたければ某の部屋を探れ。その代わり……魔王様だけは、傷付けんでくれ………」
既に死者と同じ身であると言うのに目が霞んできた。
もう身体が保たないのだ。人の身であれば十数回は死んだだろう激しい戦いを続けた結果、この不死の身を維持するための魔力すら尽き果ててしまったらしい。
「おい、待てマサムネ。このまま逝くなど許さないぞ!僕に真実を教えてくれ!何を知っているんだ、どうして僕は戦っているんだ、教えてくれ!」
勇者の姿も霧がかかったようにかすれ、声だけが遠くに聞こえるよう。思考もままならず、ただ一言。愛し、仕えた女性の名を呟く。
「リーゼ、ろっテ……」
全てが消える瞬間、握りしめたペンダントが眩く輝いたように見えた。
『起きて……起きて、マサムネ』
「…………リーゼ?」
彼女が私を呼ぶ声がする。
暖かな日射しの降り注ぐ中で、私は目を覚ました。
「夢、なのか……?」
目を覚ました私の目の前に広がるのは、どこまでも続く森、平原、川、そして遠くに街。
「人間の領域のようだが……ここはどこだ?」
遠くに見える街も、点在している村も、そのどれもがマサムネにとってやけに古めかしいものにうつった。まるで、培われてきていた魔法や技術のほとんどが失われてしまったかのような。
「なぜ、私は生きているのだ」
最後の記憶は、勇者に倒されて力尽きた瞬間。
最期に自分に居場所を与えてくれた彼女の名を呼んで、私は二度目の死を迎えたはずだった。
だというのに、なぜか私は今生きている。
「具足も刀も、全て綺麗に残っている。はっ!ペンダントは!」
ふと自身の身体を見てみれば、黒と朱を基調とした具足と、藤色の柄糸が巻かれた太刀が目に映る。どれも自身が戦いの時に身につけていたものばかり。
自分が身にまとっていたものが、戦いなど無かったかのように綺麗に残っていた事に気が付き、慌てて懐をまさぐった。
まさか、あのペンダントだけ失くなってはいないだろうかと。そんな不安も杞憂に終わり、ペンダントはすぐに見つかった。
「はぁ、良かった。これを失くしたら、リーゼロッテに怒られてしまうな」
ペンダントに吊るされたロケットを開けば、美しい少女の写真が現れる。緋色の髪と紫色の瞳に、雪のような白い肌をした細身の少女。その名を『魔王リーゼロッテ』。唯一頭から生えた一対のねじれ角が、彼女が人外の存在、それも高位の魔人であることを証明していた。
「ともかく、今はこの状況をなんとかせねばな」
ロケットがパチンと音を立てて閉じる。そうして、絶対に無くさないようにペンダントを首にかけ、具足の内側へとしまい込んだ。
「そうそう、人の国を歩くのであればこれを付けなければな。【収納】」
あらゆる物体を異空間に収納して持ち歩くことが出来る魔法。その魔法によって持ち歩いていたものの中から、一つの道具を取り出した。
取り出したものは、怒れる鬼を象った面頬。普段戦っていた時には視界の邪魔になるからと付けていなかったが、この骸骨の顔を隠すには役に立つ。怖がられはするが、この身で人の街を歩くときには重宝していた。
腰から下げていた刀を抜き放ち、太陽にかざす。
私の命を奪い、スケルトンへと変えてしまった妖刀【ムラマサ】。
刀の刃は一片の刃こぼれもなく、傷一つない美しい刀身を陽光のもとに輝かせた。
手に入れてからけっして私の手を離れず、そして一度も壊れる事の無かった刀であったからなんとなく察してはいたが、この様子なら武器の方も問題なさそうだ。
いざという時もすぐに戦える。
ひとまず、今は自分が置かれている状況を確かめるため、周囲の探索を行う必要がある。もし、あの戦場へとまだ戻れるだけの余裕があるのであれば、すぐにでも馳せ参じて彼女を、リーゼロッテを助けにゆきたい。
面頬を装着し、行き先の方向を見据える。
そして、【幻影瞬歩】の魔法を無詠唱で使い、空高くへと瞬時に移動した。
【幻影瞬歩】は、自身を中心として半径30メートル以内の点に瞬時に移動する魔法。一定以上の腕の戦士であれば、誰もが使っていた魔法の一つだ。今のように移動だけに使うこともあったが、戦場ではこの魔法を使う猛者達が縦横無尽に暴れまわり、地獄の様相を呈していたものだ。私もその猛者の一人であったわけだが。
「あれは……?」
そうして空高くへと舞い上がった事で、景色の中の異変に一つ気が付いた。森や平原の中に点在していた村の一つから、火の手が上がっている。もくもくと立ち上る煙が、大蛇のように渦を巻きながら風に流されていた。
明らかに異常事態だ。
だが、その周辺には軍隊が集まっている様子も無く、大規模な争いによってそうなったようには見えない。つまり、何らかの自然災害によって引き起こされたか、賊に襲われたということ。だが、これだけの晴天で自然災害によるものなど考えにくい。つまり、原因は――
妖刀の呪いによりアンデッドの身となり、葛藤を抱えつつも魔王軍の一員として人間と戦ってきたが、自身の行動理由の根底にはいつも義と人情の2つがある。
ゆえに、目の当たりにしてしまった横暴を見てみぬふりをして見逃すことは出来なかった。あの時は、王侯貴族の横暴を見過ごせなかった正義感と、居場所をくれた魔王への恩義。今回は、弱者がいたぶられる事を見過ごせないという正義感から。
「予定、変更だな」
デアン王国領、東側の土地に位置する小さな村。コルポト村は農業によって栄えてきた。人口は100に満たない程度の、とても小さな村だ。はっきり言って、人も金もなく、資源も無に等しい貧しい村だった。
ゆえに、そんな村に対して襲撃をかけるようなものが、まともな思考が出来る者ではない事は自明の理。だが、この村はある集団による襲撃を受けていた。
「くっ、数が多過ぎる……!」
「冒険者様、もう良いのです、儂らの事は見捨てて逃げてくだされ」
火を放たれ、燃え上がる家々。
あたりには村人の男たちの死体が転がり、生臭い血と汚物の匂いが漂う。
そんな地獄のような村の真ん中で、極東風の旅装に見を包んだ少女は刀を構えて生き残った子供や女性、老人たちをたった一人で守り続けていた。
「ギャハハハ!お嬢ちゃん頑張るねぇ!」
「そろそろ諦めなァ。他の女達と一緒に気持ちよーくしてやるからよぉ!」
「……下衆が」
少女を下卑た目で眺めるのは、村を襲った盗賊の男達。彼らは村を襲って物資を奪い、更には女達をさらって慰み者にしようとしていたのだ。
刀を構えた少女は村人達を盗賊から守るために立ち向かっていたが、流石に多勢に無勢。疲労も溜まり、手にしている刀も度重なる剣戟で半ばから折れ、少女が盗賊の男達に敗北してしまうのは明白だった。
「へへへ、ガキの癖にデカい乳ブラ下げやがってよお、誘ってんのかあ?」
「捕まえたら、まず俺からだ。わかってるな?」
「御頭の後かよぉ、ちぇっ」
それを盗賊達も理解していたから、一人一人は少女よりも弱くともそんな軽口を叩きあえるほどの余裕があった。
「冒険者様……もう、儂らは」
「一宿一飯の恩義、返せなくては刀を志す者として恥でござる。なにより、拙者の正義感がこのような狼藉、見てみぬふりをする事は出来ぬゆえ」
そんな絶望的な状況にも関わらず、少女は盗賊達に立ち向かう意思を曲げはしない。極東の国より剣客としての修行の旅を続け、自身にとっての理想の武士を目指して研鑽を続けてきた少女。負ければ死ぬよりも辛く、絶望的な未来が見えていても、彼女の正義感は村を見捨てて逃げる事を許さなかったのだ。
少女を囲み、じりじりと距離を詰めていく盗賊達。
絶体絶命のその状況で突如としてソレは現れた。
「ぎゃあぁっ!」
突然、聞こえてきた断末魔の声。
盗賊の頭は、ふとその音の方を向く。
「今のは、何だ。見張りをさせていた奴の声だ」
「お、お頭?」
異様な空気の中、燃え上がる建物の裏から、一人の大きな男の影がぬうっと姿を現した。いや、それは男と呼ぶべきだろうか。全身からおぞましい死のオーラを振り撒きながら、その手に殺した盗賊の首を下げて現れた赤黒の具足で身を包んだ何か。
雄々しい鹿角のようなクワガタがそびえる兜は見るものを圧倒し、怒れる鬼の面頬は目の前の悪をけっして許さないのだと、強く睨みつけているよう。
「よ、鎧武者……?」
その姿を見た少女がそう呟いた。
おそらくは、極東の国でそう呼ばれている戦士の一種。
具足という鎧で全身を固めており、彼らの振るう刀はあらゆるものを容易く斬ってしまうのだという。
その鎧武者は、未だ血の滴る刀を目にも止まらぬ速さで振るって血を飛ばし、持っていた首を盗賊達へと向けて投げ捨てて、淀みのない所作で剣を構え直す。彼の持つ刀は黒に紫が混じったような、妖しげな美しさを纏っていた。
「某の名はマサムネ。旅の剣客である。義によって助太刀致す」
彼が、そう言った次の瞬間だった。
本当に一瞬。
気が付いた時には彼の姿は彼から最も近くにいた盗賊の男前へと移動しており、その盗賊の男の首が飛んでいた。
何が起こったのかわからないという、呆然とした表情の男の顔が宙を舞い、残された身体はビクビクと痙攣を起こして汚物を撒き散らしながらその場に崩れ落ちる。つい先程まで命だったものは、あたりに真っ赤な血の池を作りあげた。一人の男の命が、いとも簡単に断ち切られたのだ。
「ば、化け物……!」
「うぎ、ぎ、くそお!お前ら、奴を殺――」
次の瞬間、手下達に攻撃を命令しようとしていた盗賊のお頭の身体は左右に真っ二つに裂けていた。
予備動作すらなく一瞬にして彼の背後に現れた鎧武者が、上段から刀を一気に振り下ろして、まるで斧を使って薪でも割るかのように盗賊のお頭の身体を両断してしまったのだ。
盗賊のお頭の身体は水音を立てながら左右に別れ、地面に真っ赤な華を咲かせた。
あまりにも圧倒的なその強さに、誰もが動けなくなっていた。村人も、村人達を守っていた冒険者の少女も、村を襲っていた盗賊達も。
それは恐怖によるものか、それとも驚きからか。
「ひ……ひいぃいぃ! 助けてくれえ!」
「こ、こんな化け物、相手してられるか!」
つい先程まで、村を襲って家々に火を放ち、人々を殺し、そして女子供を拐おうとしていた盗賊達は遂に逃げ出した。中には恐怖のあまり、失禁してしまっている者までいる始末。
赤黒の鎧武者は、逃げ出した彼らの背中をぼんやりと眺め、そして呟いた。
「お主等は、人々が助けを乞えば助けてやったか?」
必死で逃げてゆく彼等に、その呟きが届くはずもない。
たとえ聞こえていたとしても、彼らの答えなど待つつもりも無かっただろうが。
「紫電一閃」
濃密な魔力を纏わせた手で刀を腰の辺りに一度固定し、そして居合の要領で抜き放たれた刃。
横薙ぎに払われた剣筋に沿うように、刀身から紫色に閃く筋が飛び、既に随分と先まで逃げていた盗賊達全員の胴体を一瞬にして上下に真っ二つにした。
ある男の上半身はずるりと斜めに崩れ落ち、また別の男の身体は走っていた勢いに押されてか本来曲がるはずの無い方向に上半身が曲がり、盛大に血飛沫を散らす。
鎧武者が盗賊達に襲いかかってから数分もたたずに、盗賊達は全員物言わぬ肉塊と化していた。彼は指に浄化の魔法を纏わせながら刀に付いた血を拭い、そして刀を鞘へと戻すと彼は少女と村人達へと振り返った。
「さて、この村の状況をどうにかせねばな。まずは、何人生き残った?」
自分が村に到着して、村を襲っていた盗賊達を全滅させてから、村長を始めとした生き残った者達の点呼が行われた。その結果、村人の男性7人、子供2人、女性3人の死亡が確認された。だが、盗賊達によって破壊の限りを尽くされた村には悲しみに暮れている時間も無い。夜間に魔物が村へと入ってくることが無いように、最低限の村の復旧を行わなければならなかった。だから、自分が面倒事はすべて終わらせてしまおうと思ったのだが――
「此度は災難であったな。壊された建物は某に任せると良い」
「し、しかしマサムネ様、お一人ではこれだけの建物は」
「構わぬ。見ておれ」
たった一人での建物の復旧を申し出たところ、村長の老人は自分たちも作業をするとその申し出を断られそうになってしまった。とはいえ話しているだけでは埒が明かないため、その声を遮って焼け落ちてしまった建物へと手をかざす。
「【再生】」
空中に緑色の魔法陣が展開され、魔法陣と同じ緑色光が焼け落ちてしまった建物を包み込む。その光が消えた時には、建物は完璧にもとの綺麗な姿を取り戻していた。
「な、な……!?」
「見ての通りだ、村長殿。建物を直すだけであれば魔法でどうにでもなる。ここは某に任せなさい」
「あ、ありがとうございます!」
頭を深く下げて、村人達の元へと戻っていく老人。
そんな彼の背中を見送っていると、村人達を守って戦っていた少女がこちらに歩み寄ってきた。服装からして、おそらくは私と同じ極東の産まれだろうか。正直なところ技量はまだまだだが、良い師につけば強くなりそうな気配はする。
彼女は私の前までやってくると、深々と頭を下げた。
「マサムネ殿、拙者は『カンナ』と申す者。先程は危ないところを助けて頂き、感謝します」
「うむ、善き哉。そなたもよくぞ戦ったな。自身も危ない状況だったろうに」
「村の人々には世話になりましたから。受けた恩を返せぬとあっては武士の名折れ」
「そなた、武士であったのか」
「ははは……志したばかりの未熟者ですが。それより!今の魔法はなんでござるか!あんな凄まじい魔法、産まれてこのかた一度も見たことが無かったでござるよ!」
少女はきらきらと目を輝かせて聞いてくる。そんな彼女の表情が、昔のリーゼによく似ていて思わず面頬の下で破顔した。…………骨しか残っていない身体に表情を作るような肉など一片も残ってはいないが。
しかし、今の魔法が『一度も見たことが無い凄まじい魔法』だと言われ、奇妙に感じた。【再生】は生物以外の物体に対して使用できる魔法で、設定した時間の状態に完全に戻すことが出来る。瞬間移動を行う【幻影瞬歩】と同様、ある程度の魔法の技量がある者であれば普通に使うことが出来た魔法だ。それが、まるで奇跡のように扱われているのは不思議だった。
「ぬぅ……某のいた土地ではそれなりに使い手が居たのだが」
「それは凄い事でござるなあ。英雄クラスの使い手ばかりが居るとは、拙者もぜひ訪れてみたいな」
「あー、それが、色々あって今は帰る目処がついていなくてな……ああそうだ、そなた、ここから魔王領への行き方を教えてはくれぬか?」
「魔王領で、ござるか?」
「故郷が魔王領の内側にあってな」
少女にそう問えば、彼女は不思議そうに首を傾げる。
少しの逡巡ののち、彼女は口を開いた。
「魔王領は、もう無いでござるよ」
「…………なに?」
少女が泊まっていた部屋で、私と少女はテーブルを挟んで向かい合って座っている。テーブルに広げられた地図に描かれた世界は、記憶の中とほとんど変わらないままの姿を残していた。
だが、どこを見ても知らない国ばかり。
魔王領なんてものはどこにも書かれておらず、代わりに未開拓領域と書かれた空間が地図の半分を埋め尽くしていた。
「魔王と勇者の戦いは、今からずっと昔、500年以上前の話でござる。マサムネ殿の話がその魔王領を指しているのならば、おそらく未開拓領域の中と言うことになるのだが。見たこともないような危険な魔物ばかり生息している危険な場所だという話もあるのでござるよ」
「そうか……」
どうやら、何が起きたか私はあの戦いから500年後に来てしまったらしい。しかし、その500年でなぜこうもあらゆる技術が後退してしまったのは何故だろうか。その答えは、すぐにわかった。
「勇者が、世界を滅ぼしただと……!?」
「勇者は魔王を封印したあと、狂ったのか世界中の王侯貴族をほとんど殺してしまったそうだ。おかげで世界中は混乱に陥り、あらゆる技術が失われた。しかし、そうなるとマサムネ殿の故郷は凄いな。きっと失われた技術がずっと残っていたからこその魔法なのでござろう」
「う、ううむ」
まさかあの勇者が虐殺に走ったとは完全に予想外だった。あれほどの怪物が世界中で暴れ回ったとあれば文明が衰退した原因としては頷けるが、その原因に心当たりがあり過ぎて少しばかり今や存在しない心臓が痛む。
しかし彼女の気安い雰囲気がリーゼに似ていたからか、無駄にペラペラと話してしまったせいでいつ正体がバレやしないかとヒヤヒヤしていたが、なんとか奇跡的にバレずに済んだようである。
代わりになんだか盛大に勘違いされているようだが、まあ今はそういう設定で生きていくのも良いかもしれない。
取り敢えず村での人助けも済んだことなので、ひとまず彼女に礼をしてから、その未開拓領域へと旅でもしてみようと考えて、ふと思い出した。
「やはりマサムネ殿は故郷に帰られるのか? それなら拙者が――」
「魔王を、封印したと言っておられたな?」
もし、リーゼが封印されただけなのならば、彼女はまだ生きているかもしれない。
「えっ?ああ、そうでござるが……」
「ふむ……興味が湧いた。魔王が封印されたという、その土地を目指して某は旅をすることにしよう」
「ええっ!? 急でござるな!」
「うむ。そなたには世話になった。礼になるかはわからぬが、これを進呈しよう」
【収納】を唱えて一振りの刀を取り出す。昔自分が使っていたものだが、業物であることには間違いない。
「そなたは剣客だと聞いていたからな。先の戦いで得物も潰してしまったようであるし丁度良いだろう。本気でその道を志すのなら、道具には拘るといい。某の使い古しで申し訳ないが、手入れは欠かさずに行ってきたゆえ」
「ひょ?へ……これ」
「名を【鎌鼬】と言ってな、実体を持たぬ魔物の身体も斬り裂ける」
「こ、こんな凄いもの貰えな……」
「構わぬ。今の某にとっては無用の長物。そなたのもとでこそその刀は輝ける。では、私は失礼しよう」
建物の外へと出て歩き出す。
壊れた村はほどほどに直しておいた。最初の魔法だけでも少々問題が起こりそうだった為、完璧に直してしまうのは憚られたのだ。
あと、殺した盗賊達の遺体は燃やして処分した。一応、彼らが持っていた武器は回収しておいてある。あとで街を訪れた際に、売ってこの時代の金銭感覚を付けていく為だ。どんな貨幣が流通しているかも知っておきたい。
村人たちから礼を受け、そして村を出ていこうとしたその時だった。
「待ってくだされ、マサムネ殿!」
「……カンナ殿?」
旅へと出発しようとした私を追い掛けて、彼女は金色の髪をなびかせながら駆け寄ってきた。
彼女は振り返った私の前までくると、じっと私の目を見つめる。
「拙者も、その旅に同行させて頂きたい!」
「カンナ殿、それは……」
断ろうと思った。
だが、すぐに断ろうとした私の脳裏に彼女の顔と言葉が過ぎる。彼女との旅が、人と魔族をつなぐ第一歩になるのではないか、と。もしも魔族が今まで生き残っているのであればだが。
「私は剣客として強くなりたい。見たことのない世界を知りたい。なにより、あなたを見て学びたい!不躾な願いだと言うことは理解している。だが、どうかお願い出来ないだろうか」
そう言って彼女は深く頭を下げる。
あなたを見て学びたい。
私も一人の剣客として、そう言われるのは嬉しかった。
決め手は、きっとそれだった。
気付いたときには言葉が口から飛び出していた。
「……では、未開拓領域までの道案内は頼めるか? そこから先はほぼ手探りとなるだろうが」
「へ……つまり、旅に同行しても、いいのでござるか!?」
「構わぬ。共に行こう」
そう言って私が首を縦に振ると、ぴょんぴょんと飛び上がって彼女は喜んだ。喜ぶ彼女の姿を見ていると、まるで自分のことのように私も嬉しく感じた。
具足の内側からネックレスを取り出し、優しく握り締める。
これから、右も左も分からぬ世界で旅が始まる。だから、きっと私が彼女のもとに辿り着くまでには長い時間がかかるだろう。
だけど――
「待っていてくれ、リーゼ」
いつか彼女ともう一度。
人と魔族が寄り添い合って生きていける世界を作ろう。
遠い空を見上げて、私はぽつりとそう呟いた。
【マサムネ】
元人間であり、魔王軍四天王の一人。剣ばかりしてきた為に嘘をつくのが下手くそ。妖刀ムラマサの呪いによって死に、最下級アンデッドのスケルトンになってしまったという過去を持つ。戦争から500年後のこの世界で、封印されたという魔王リーゼロッテを救うために旅に出ることを決めた。
【魔王リーゼロッテ】
アンデッドになってしまったマサムネを救った恩人であり、主君。マサムネに対しては特別な想いを抱いていたようである。マサムネにペンダントを託し、その力によってマサムネは500年後の未来に飛ばされた。現在は魔王領があった場所のどこかに封印されているらしい。
【カンナ】
冒険者として、理想の武士を目指して武者修行の旅を続けている少女。極東の国の生まれであり、国名自体は変わったもののおそらくはマサムネと同郷か。武士として高い実力を持ったマサムネに理想を見つけ、旅をしながら彼に剣を学んでいく事になる。
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