壁壁壁壁壁
昼休み。賑やかな校庭の片隅で、ひとりの生徒が鉄棒で逆上がりの練習をしていた。一向に成功できず諦めてしまう。
見守っていた教師の男が激を飛ばす。「諦めるな。誰だって最初は出来ないものだ。人は壁を乗り越えてこそ成長するんだ」
しかしその生徒は、聞く耳を持たず去ろうとする。「待て!」と教師の男が追いかけて行くが、突然目の前に壁が現れる。ドン!と激突して吹っ飛ばされる。男は校庭に尻餅をつく。その間に生徒は去って行ってしまった。
「全く近頃の若者は、すぐに周囲に壁を作るんだから」
男は立ち上がり、服についた砂ぼこりを払う。
そこに同僚の女性教師がやってきて、男の名を呼ぶ。ここだけの話、男はその女性教師に惹かれていた。軽やかな足取りで彼女に近づいていくが、目の前に壁が現れる。ドン!と激突して吹っ飛ばされる。男はまた校庭に尻餅をついた。
彼女との間に昨日までは壁はなかった。仲の良い同僚だったはずなのに。男は不思議そうに彼女の方を見上げると、女子教師は無表情な顔でこちらを見下ろしていた。彼女のこんな顔を初めて見た。原因に心当たりはあるが、この変わり身の早さに彼女の怖さを感じた。男は立ち上がると壁越しに話しかける。
「あの、どうされました?」
「校長先生がお呼びです」
「そうですか。何だろう」男がとぼけて見せる。
「おそらく例の体罰の件かと」女性教師が嫌悪感を浮かべ言う。彼女の壁が高くなる。
「ああ、その事か。誤解なのに嫌だな」
男がうんざりした感じで言うと、彼女の壁がまた高くなった。男は高くそびえる壁を見上げながら、苦笑いを浮かべる。すっかり嫌われてしまったようだ。まぁ男女の間に壁はつきものだ。それに、恋は障害があるほど燃える。男は渋い顔を作り、彼女の壁に手をドンとかける。
「先生、本当に誤解なんだよ。話せば分かってもらえると思う。今夜あたり食事でもどうかな」
彼女の壁がさらに高くなる。よく見ると壁の上には有刺鉄線まで張り巡らされてあった。
そこにサッカーボールが転がってくる。むこうで、生徒が「すみません。ボール取って下さい」と声をあげている。その生徒は女性教師に向けて言ったのだが、サッカーボールを足で受けたのは男だった。その瞬間生徒たちの顔が無表情に変わる。
「ボール、いくぞ」男はサッカーボールを生徒に向けて軽く蹴った。しかし生徒との間に壁が出現して、ボールは跳ね返されてしまう。
男はどちらかというと熱血教師だ。跳ね返されたからって、諦めたりしない。男は教育者の熱意をたぎらせる。こんな壁、突き破ってみせる。
「でぃあー」と男は力一杯ボールを蹴った。ドン!とあっけなく壁に跳ね返される。男が力任せに蹴った分、跳ね返りも強烈で、サッカーボールは勢いよく男の顔面に直撃する。ウッと顔を押さえうずくまる。
それでも、諦めてたまるかと立ち上がる。壁は乗り越えてこそだ。正々堂々と真正面からぶつかれば分かってくれるはず。男は壁に近づき訴える。
「そうやって壁を作っていたら、誰とも仲良くなれないぞ。自分と合わないからって、怖がるんじゃない。勇気を持って踏み出すんだ。さ、壁なんて取っ払っちまえ」
男が熱くなり大きな声で言うものだから、その場にいた関係のない生徒たちにまで聞こえていた。周りにいた生徒たちが一斉に壁を作る。校庭におびただしい数の壁がそびえたつ。さすがにそれ以上、男は何も言おうとはしなかった。サッカーボールをその場に置いて、離れる。代わりに女性教師が、サッカーボールを蹴って生徒たちに渡した。無数にあったはずの壁は跡形もなく消え去っていた。
休み時間が終わると、男は校長室に入る。そこで校長先生から体罰について厳しい叱責を受ける。男には生徒に手を挙げた言い分があったので、必死に説明を繰り返す。
「私は暴力など振るっていません。その生徒が、授業中に消しゴムのカスを他の生徒に向けて投げていたんです。何度注意してもやめないので、軽く頭をコツンとやっただけです。本当に軽くなんです。コツンです。あんなの暴力ではありません。それを体罰だなんて…」
しかしいくら訴えても、校長先生の耳には届いてないのだ。校長先生の前には、先程から騒音をシャットアウトする防音の分厚い壁が立ちふさがっていた。
後日男は、懲戒免職となった。
納得がいかなかった男は、直談判をしに小学校に向かった。小学校の正門が見え始めた辺りで、校舎から生徒が出て来た。下校時間と重なってしまったようだ。
ほとんどの生徒が、体罰の件を知っていたので、男を目にした瞬間に壁を作った。壁が出来た事で道路が狭くなる。男は苦笑いを浮かべながら、身体を横にして、狭くなった道路を通っていく。
校舎から次々と生徒が現れると、どんどん壁が増えていく。男は巨大迷路の中にいるかのように、右に行ったり、左に行ったり、一旦引き返したりしながら、正門を目指して進んで行く。
ようやく正門までたどり着いた。正門を潜り校舎の中に入ろうとした矢先、偶然にも男が暴力を振るった生徒が校舎から出て来た。ドーン!と巨大な壁が出現する。男は壁に突き飛ばされ、正門の外まで戻されてしまう。
巨大な壁が正門を塞いでいた。男は圧倒されしりごみする。だけど、この壁さえ乗り越えれば、懲戒免職を取り消して貰えるかもしれない。暴力を振るったとされるあの日から、彼との接触は禁止されていたから、ここで会えたのはラッキーだった。男の目付きが変わり思いの丈をぶつける。
「確かに俺は頭をコツンと叩いたけど、お前の事を想ってやった事なんだ。分かってくれ。あれは暴力なんかじゃない。愛の鞭だ」
その生徒の心には響かなかったようだ。壁は正門を塞いでままであった。男は強行突破に出る。「あれは暴力じゃない。愛の鞭だ」と叫びながら、勢いをつけてジャンプし壁にしがみつこうとするが、ボルダリングのようにホールドと呼ばれるさまざまな色と形の石が据え付けられてないので、よじ登る事など出来るわけがなく落下する。
諦めが悪いのが男の特徴であり、何度も何度も壁を乗り越えようとチャレンジする。が、結果は同じ。落下する。
それでも男はまた立ち上がる。何か方法はないかと、壁をじっと見詰める。そして見付けた。壁の端の方が低くなっている。男の目には一筋の光が差し込んでいるように見えた。あれなら超えられなくもない。男は光が差す壁の方に向かい走り出し、勢いよくジャンプすると、しがみつき、登っていき、ついに壁を越えた。
「うおぉぉ!」と男は高らかに両手を上げ歓喜の雄叫びを上げる。俺は超えた。ついに壁を越えた。見たか。超えられない壁なんてないんだ。
しかし男が超えた壁は、小学校の校舎の壁だった。懲戒免職で教師でなくなった彼にとっては、決して超えてはならない壁だった。間もなく通報を受けた警察官が駆けつけてきて、男を不法侵入罪の容疑で逮捕した。
男は留置所に収監された。しばらくは塀に囲まれた場所で暮らす事になるが、男にとっては壁に囲まれた場所よりは良かったのかもしれない。
終