「~してはならない」より「~しようよ」をしようよ!
いきなりですが、私はルールが嫌いです。
その理由は、たいていのルールが次の書き方でされているからです。
「~をすること」
「~をしてはならない」
この書き方をされると、そこに定められている通りにしなかったら『罪人』みたいな気分になってしまいます。
もっと楽しい書き方はできないんだろうか?
そこに定められている通りのことをしたら景品がもらえるとか、
あるいは何かのランクがひとつ上がるとか、憧れの有名人と会えて好きな話を一方的にしても嫌がられないとか。
そんな気分になれる書き方が。
あ。『誉められる』はダメです、私の場合。
あまのじゃくさんですので、ルールを守れば誉められるとか言われたら、「じゃ、ルールなんて守ってたまるか」となってしまいます。
おまえの目論見になんか乗ってたまるか。
なんてひねくれた私でも楽しくなる書き方がいい。
「~をしよう」
私、これがいい。
シンプルで、わかりやすくて、意味が広い。
そして何より、「別にルール通りにしなくても罪人扱いはされないけど、あなたがルールの理念をもし『そうだなぁ』と思うのなら、あなたの自発的な行為として○○をしよう」みたいなニュアンスがあっていい。
「~をすること」の場合、しなければやっぱり罪人になってしまう怖さがあって、気の弱い私なんかはビクビクしてしまう。
たとえば『なろう』の感想の書き方で、『こうこうこういう感想の書き方をすること』『こんな感想の書き方はダメ』みたいな主張を見ると、もっと楽しくやろうよ〜…と思ってしまいます。
作者さんがつけられて嫌がるような感想の書き方というのは確かにある。
でも、そういう感想を書く人に『そんな感想、どうかと思う』『感想はこう書くべきじゃないかなあ』と言っても、相手は罪人扱いされてる気分になって、もしかしたら意固地になって、さらに暴走してしまうかもしれません。
感想の書き方にもルールがあるのかどうかは知りませんが、マナーはありますよね。
それを押しつけるんじゃなくて、私はその人に気づいてもらいたい。
そしてその人が気づいたとして、あるいは元々気づいていたとして、それを守るかどうかは好きにすればいいと私は思う。
別にしなくても罪人じゃないなら、いいじゃない。
ただみんなが『いいこと』だと思ってることをその人は『いいこと』だと思わない。それだけ。
色んな人がいるから面白い。
ただ、気づいてない人は困る。
気づいてない人には教えたい。
教えるといっても、ルールやマナーの押しつけみたいにはしたくない。
「たとえばこんな感想もらったとしたら、どう? 嫌だと思わない? もしもあなたも嫌だと思うなら、次から違う風にしようよ。あなたが考える楽しい感想のつけ方しようよ。そうしたらあなた、もしかしたらあなたの大好きな有名人と会えて、好きな話を一方的にさせてもらえるかもよ?」
こんな言い方をされれば私なら「そうだな。確かにそんな感想もらったら、私も嫌だな。気づいてなかったな」「よし、これからはこうしよう!」って思うと思います。
教えようとしても意固地になる人でも、自分で気づいてもらえたら、きっと自発的になってくれる。
何より罪人が誰もいなくなって、楽しい!
日和見主義の甘いたわごとでしょうか…。
最後にもう一度言いますが、私はルールが嫌いです。
堅苦しいし、読むのがめんどくさいです。
そのルールが定められた理念にさえ同意していれば、ルールなんて知らなくても、自然にルールを守るようになるものだと思っています。
論理的思考が苦手すぎるやつなのでわかりにくい文章ですみません。
あと、なんか最近、偉そうなことばっか言ってごめんなさい_| ̄|○