王子の嫁に喚ばれたらしい
山田花子(仮)は目を覚ました。こんなにぐっすり寝たのは久しぶりだったので、なんならこの世界に来る前より元気かもしれない。
「聖女様、おはようございます」
危ない。家族以外の人が家にいる状況になれていないから、お母さんと言いそうになった。
「おはようございます」
「聖女様、わたくし共にそのような丁寧になさらずとも」
「いえ、でも。…わかったわ」
年上には敬語を。向こうの世界では常識だったが、ここでは権力がものを言う。国王と同じ口調で侍女に話しかけては、彼女たちも肩身が狭いだろう。
誘拐されたとはいえ、末端の彼女たちには罪はない。それくらいの気遣いはしなければいけないと思った。
「お支度を手伝わせていただきます」
「ありがとう、あとお話が聞けるのはいつになるかわかる?」
「申し訳ありません、国王陛下はお時間が取れず。第一王子と神官長が聖女様にご説明を」
これは微妙なところかもしれない。聖女召喚の責任者をそもそも第一王子に任せたのか、それにしてもおそらく国の危機を救う聖女に国王が出れないのは、どうなのだろうか。
しかしあっちにも事情があるのだろう、責任者であると思われる第一王子が来るのが妥当なのかもしれない。
着せられたのは白いドレスだった。確かに聖女といえば白だろう。黒髪と対照的でそれなりに聖女らしく見える。
だが朝食のときは冷や汗をかいた。現代と違い、ここは漂白剤などないだろうから真っ白なドレスにシミがつかないか心配だった。
「聖女様、第一王子殿下と神官長がいらっしゃいました」
寝室とは別の応接室で二人の説明を聞くようだった。侍女に扉を開けてもらうと、昨日あった赤髪の第一王子と青髪の神官長らしき人が入ってきた。
やばい、こっちも対照的だ。目がチカチカする。
「おはよう、聖女殿。早速だがこちらはケンジー神官長だ」
「お初にお目にかかります、聖女様。ケンジーと申します」
「はじめまして、山田花子といいます」
正気でこの名前を名乗るのは中々にキツかったが、昨日うっかり言ってしまったのだから仕方がない。
本名を名乗るわけにはいかないし、このまま押し通すしかなかった。
「ヤマダ様…とても良いお名前ですね」
違う、山田は苗字だ。でもよくよく考えたら、外国では名前が前に来るんだった。
「すみません、名前は花子なんです。こちらでいうとハナコ=ヤマダですね」
「なんと、それは申し訳ありません」
いえいえ、そんな。こっちは偽名名乗ってるし。
「それより聖女とはいったいどういうことなのでしょうか?」
「そうだな、少し長くなるのだが宜しいか」
ええ、どこまで正直に話してくれるかはわからないけれど。
昔、人類と魔族は敵対していた。といっても昔と表記されるということは今はそうではないということだ。人類と魔族は友好関係を築き、街で互いの種族を見かけることも当たり前となってきた。
しかしある問題が二つの種族の友好関係に亀裂をいれる。
瘴気
魔族だけの魔力からでる残滓により森や動物に影響がでるようになったのだ。
もともと敵対していた理由もそれが原因であった。であれば何故一旦でも友好関係を築くまでに至ったか。
それこそ聖女の存在がキーとなる。
ある瘴気の酷い地域の村人が、空から降ってくる少女を保護した。村人は自分たちの生活も苦しかったが、少女を慈しみ育てた。
だがそれも限界になってくる。もともと酷かった瘴気が増し、村人たちを蝕み始めた。
せめてと少女を含めた若者を疎開させようとしたところ、その少女が奇跡を起こした。
自分を拾ってくれた村人も病にかかり、看病していた彼女は瞬く間に村中の瘴気を浄化したのだ。
その噂が広がり、やがて彼女は天から遣わされた聖女であるとされた。
長らく続いた友好関係は人類の王族の中に聖女の血が入っているからである。
つまり、その少女は異世界からの転移者で王族の嫁にされたということだ。本人の意思とは別として。
瘴気による病や魔族との戦いによる死者は膨大なものだった。それがたった一人の少女の犠牲によってなくなった。
しかし血はやがて薄くなる。王族や神官たちの神力では太刀打ちできなくなる。
そこで聖女がどうやって来たのかを研究し、召喚魔術を生み出した。
「殿下、私の前の聖女は」
「私の曾祖母だ。サヨという名だった」
なるほど、自分はこの世界の瘴気を浄化し王子の嫁になるために喚ばれたのか。
戦争の過去を繰り返さないため、彼らも必死なのだろう。実際、多くの命が救われている。
でも異世界から連れ去られた彼女たちはどうなのか。もしかしたらむしろ喜んでいる子もいたのかもしれない。
だが、自分は。少なくとも自分は。
「すみません、少し気分が悪くなってしまって。下がらせていただいても」
「それはいけません。早くお休みになってください」
「こちらこそ、すまない。一度に話しすぎたな」
彼女の性格は少し普通ではなかったが、暮らしぶりは普通だった。
おしどり夫婦とはいえないが仲がいい父と母。早生まれによって実際は一年と少しの年齢差の姉。友達はどちらかといえば少ないが、仲の良い子とはよく遊んだ。
そんな彼らとはもう会えない。ここの世界の人達は意地でも彼女を帰そうとしないだろう。帰れたとしてあっちの世界では何年経っているのか。行方不明になっていた期間のブランクは凄まじい。異世界召喚手当なんてある訳がないだろう。
そもそも帰れる術があるかどうかわからない。獲物を逃がさないようにする最前の手は、出口を作らないことだ。
フカフカの枕に顔を埋める。子供のころから姉と喧嘩したときや、拗ねたときはいつもこうしていた。
予想はしていた。覚悟もしていたつもりだった。だが実際に聞いてみると思った以上にショックを受けてしまった。
『………』
彼女の本当の名前を呼ぶ家族の声がする。もうその名を呼ばれることはないかもしれないと思うと、悲しくなった。