アドリア海の野牛
虹以外に藤子不二雄Aのパロディがあります。共和国軍と銀十字警察は関係あるのかな(笑)。
あと、まだカリギュラは仮面を被ってません。
欧州の国際旅団でXF2Aバッファロー戦闘機が使われていたのはごく短期間である。
ケルンテ……いや、もう亡国と化した公国の名は上げまい。
仮にK公国と呼ぼうの内戦で、敵対勢力であったグリューネ……G共和国と称した反乱軍に、裏から手を引くナチスの影に気付いた国々の義勇兵が、収まりつつあるスペイン内戦と同様に反ァシズム立場から義勇兵を送り込み、呉越同舟、烏合の衆と言った風情で設立されたのが国際旅団である。
人員も様々でスペイン内戦に見切りを付け、理想に燃える社会主義者や改革派。極秘裏に各国軍から派遣されて来た顧問団。戦争でひと旗上げようと目論む。傭兵もどきの食い詰め者まで混在していた。
装備も各国が持ち込んだ物ばかり、流石に小火器は公国正規軍の物であるが、戦車、戦闘機と言った大物はペイント以外はそのままだったと言って良い。
まぁ、そんな大物は数の上では少数派だったのだが、それでも大はB17重爆、小は義勇兵個人の自家用機だったらしいタイガー・モスまであった。
そんな中、米国の新型艦上戦闘機が上陸したのは、19338年の春だった。
★ ★ ★
「野牛……ねぇ」
お世辞にも精悍とは言えない胴体を目にして、カリギュラ・スケルトン軍曹は呟いた。
「確かにそんな感じはするが、使えるのか?」
ぶっといシルエットは確かに野牛に見えなくも無いが、ソ連から譲渡されたI16戦闘機にも似て鈍重そうな機体だ。如何にも高性能なスタイルをした共和国が使用するメッサーシュミットに対抗可能なのか?
「まぁ、X付きの新型機だらねぇ。米海軍が採用前にくれたんだから、有り難く貰って置いたらいいさ」
日系の京極アリサ曹長が無責任にも言う。国際旅団でも珍しい現地の人間だ。
昔から日本人の移民が多さで知られる公国にあって、陸軍航空隊から左遷された女パイロットである。
正規軍人時代に部隊でひと悶着あり、余り物の国際旅団に回されてきたらしいが。本人はその事情事を話しはしないし、吹きだまりのここで詮索する者も存在しない。
「ブリュースター社の意向では無いよな」
「本採用前の実戦テストってとこだろ。X印が取れるか取れないか、ここで見極める気だろうよ」
ドラム缶の上で頬杖を付きながら、面白くも無さそうにアリサは呟く。
そうなのだ。このバッファローはまっさらの新品。と言うか試作機を持って来たらしいXFA2と言う型式番号そのままの機体である。アメリカでは試験も終えてるのだろうが、初期不良が直ってるのかと言えば未知数の戦闘機だ。
多分、ここに来たのは実戦テストで、パイロットはモルモットなのだろうと容易に想像が可能である。
「あんたの機体は?」
「今度からこいつになるな。昔の機体は取り上げられたし」
「昔の?」
「国産機だよ。正規軍時代の……」
国際旅団に配備替えとなって、昔の愛機も取り上げられてしまったらしい。K国には欧州の小国にも関わらず、航空機を自力開発する力があって内戦での主力はG共和国がナチスから機体を提供、又はライセンスされているのと違い、主力機は全て独自開発の自国製だ。
その数少ない例外がこの国際旅団な訳であるが、正規軍は自国産の機体をこの員数外の部隊に回す気は無いらしく、「機体は現地で調達しろ」との命令が下されていた。
まぁ、そうだ。
元々、国際旅団は他国へ「我が国は皆様の支援を得て。憎きファシズムと戦っているのです」を他国をアピールする為の装置に過ぎない。使えるか使えないかも判らない義勇兵をかき集め、国際的にアピールするだけの宣伝部隊と軍は割り切っている。
だから、戦力的には大した期待は持たれていない。前線には出るが、補給だの、後方警備だの、任務は二線級の物だけに限られていた。
攻勢時に主力として先頭を突っ走るとかは間違えてもしない。保安師団の代わりみたいな物だが、一応、適度な戦闘には参加している。
国際アピールの為、戦ってくれないと諸外国への宣伝にならない。
「そんな訳で、あたしが小隊長だ」
「今日出会ったばかりだろう」
「階級はあたしが上。そしてここの現地人だから、自動的にリーダーはあたし」
国際旅団の指揮権は公国の陸軍にある。
義勇軍とは行っても、公国軍の一員なのだから独立指揮権が与えられている訳ではない。陸軍なのは地上部隊が中心なのと、大規模な航空隊が陸軍所属だからだ。
因みに独立した空軍は無い。海軍航空隊はあるにはあるが、規模は陸軍に比べてはるかに小所帯である。実質、陸軍が 航空部隊の主力なのだ。
同様に指揮官もなるべく公国人が当たる事になっている。外国人の統制に自国人を宛がうのはそれだけ外国人が信用されてないのかも知れないが、まぁ、戦時中の事でもあるし、仕方ないかと割り切る必要もあろう。
「情報庁の人間か、お前は?」
監視役にスパイみたいな奴が紛れているとの噂もある。
「まさか。あたしがそんなエリート様かよ」
「違いない」
そう否定してやると、アリサは先程とは打って変わって不機嫌顔になる。
この国には女性軍人が多い。古くは第一次大戦時に兵力不足から女子供も銃を手にした歴史から、女性の社会進出が異様に高いのが原因だが、アリスもその一人だ。
「あんたイタリア人だっけ?」
「アメリカだ。が、親父はシシリーの生まれだって聞いてる。お袋はアイルランド人だ」
シカゴで銃撃戦に巻き込まれて死んだ父を思い出すが、記憶が曖昧で顔は覚えていない。
母は「ろくでなしだったけど、あたしには優しかったねぇ」と言っていたが、子供の時の記憶は常にマシンガン磨いている無口な印象しかない。
ボスや仲間に電話一本で呼び出されるとふらりと出かけ、いつの間にか帰宅している感じである。そしてある晩にとうとう戻って来なかった。
縄張り争いの抗争で死んだと聞かされたが、子供であった自分は「ふーん」とだけ感じで何処か他人事の様に頷いただけだった。
「イタリア人なら、女の扱い方に気を付けるんだね」
「エリート様になりたいのか」
「お世辞の一つも言うモンだよ」
否定しつつも、エリート様であるのを肯定し貰いたかったらしい。つくづく女って奴は面倒臭い。
まぁ、女伊達らに飛行兵なんだから、ある意味、エリートだったのかも知れないと思い返す。公国軍に女性兵が珍しくは無いとは言っても、ほとんど後方の補助兵科か良くて歩兵である。飛行機乗りはやはり珍しいと言えるだろう。
「ハーフで移民の子って訳か、なんで欧州へ?」
「郵便の仕事もないし、航空会社に勤めるのも肌に合わんからな」
30年代に入ってから、アメリカでは航空業界に変革が起きていた。
個人パイロット、大抵は大戦の兵隊崩れが多かったが、そいつらが占めていた航空機の運営が終焉を迎えたのである。
飛行機を操る者が生業にしていたのは航空郵便業務だった。アメリカという国は広大で、通信業務には膨大な需要がある。政府は郵便機に補助金を出して、国内の通信を円滑化していた。
戦争で職を失った飛行士が、戦後の20年代に多くがこれに再就職した。
中には俺みたいに空を飛ぶ事を憧れた奴。昔の夢を忘れられない奴も多かったろう。
ほとんどが個人の零細企業で、人一人、所有機は単機って規模の業者が多かった。あの大西洋を単独横断したチャールズ・リンドバーグなんかも、その一人である。
「エアラインって奴が出張ってきちまった。個人での戦いはもう勝ち目は無い」
「航空会社か」
「ああ、金も資材も太刀打ち出来ん」
徴候は20年代末期にあった。一匹狼が活躍していた航空業界に企業が現れ、定期航路を設定して空のシェアを奪ったのだ。
営業のみならず、ボーイングやらフォードやらの航空機製造業と連携しての登場は個人が経営していた飛行機乗り達に大きなダメージを与えた。
何しろ、経済性に優れた新型機を提供しつつ現れるのだ。個人から結束して会社を設立する者も現れたが、大多数のパイロットはフロンティアを求めて米国を去るか、廃業に追い込まれる。
「航空会社に就職する方法もあったが……」
「やったの?」
「ああ、だが多発機は俺に向かなかった」
コンドルⅡのパイロットも経験したが、どうも肌に合わずに退職したらしい。南米に流れて個人会社を経営したそうだ。
「で、スペインで戦争が始まったと聞いたから、ひと旗上げに来た」
「割としょうもない理由ね」
「アマゾンの上を飛ぶよりゃ、スリリングだ。金を貯めていつか一国一城の主になってやる」
「建国したら、スケルトン帝国って呼んでやるよ」
スペイン内戦はフランコ軍が優勢で、もう望みは無いと新たにこちらへ流れて来た義勇兵が多いが、カリギュラもその口なのだろう。
★ ★ ★
午前中は新機材の慣熟訓練。
午後からはぶっつけ本番で任務に投入されるなんて、余り物の国際旅団では日常茶飯事だ。
「スピードが鈍いな」
バッファローとやらに搭乗した感想がこれだ。
以前に乗っていた公国軍の国産戦闘機に比べると、速度は500km/hを切っているのである。ライバルである共和国のBf109Bも味方のP36も似た様なスピードだから特に遅いとは言えないが、カリギュラにとって気にはなる点である。
「が、ライト・サイクロンエンジンの調子は悪くない」
高度4000mでは快調に回ってはいる。もっともこの戦争での基本高度は平原以外は山岳戦が中心になるから、高度7~8000mが中心になるだろう。
そこでこの調子を維持出来るのかは不確定だ。
「どう?」
聞き慣れた日系人のドイツ語が耳に飛び込んで来る。後方に位置する列機である。
「アリサ曹長か。悪くは無い」
「このままアドリア海まで南下するぞ」
アメリカ製の無線機は優秀だ。前にソ連機に与えられた時、電子装備どころか、照準器のレンズすら無かった事に驚愕したが、この援助物資は準備万端を揃えてくれたらしい。
「で、本当に来るのかね」
今回の任務はアドリア海の孤島基地から飛来するらしい、共和国海軍の機雷敷設機に対する迎撃任務であった。
何でもドイツ製の飛行艇だか、水上機だかに機雷を搭載して港近辺にバラ撒く嫌がらせ作戦らしい。共和国の海軍は潜水艦を導入して通商破壊戦を行っているが、今度は飛行機まで投入して輸送を妨害しようと画策しているらしい。
「奴らの根拠地はスペインだろう。本当にあるのかねぇ」
共和国のUボート基地はスペイン領のバンアレス諸島にあると言われている。それが公国の領海に近いアドリア海に根拠地を設けるのはリスクが高いと言わざる得ない。
「ゲリラと諜報員からの情報だ。信じるしかあるまい」
「へいへい」
確かにアドリア海には名も知れぬ小島が幾つも存在する。だが、そこに共和国の秘密基地があるとはいささか荒唐無稽だろう。機雷敷設は潜水艦でも可能なのだから、その任務にUボートを回せば良いだけだからだ。
「奴らの保有隻数は2隻だっとと聞いてるが……。通商破壊戦に回せる数を優先する為か?」
一隻は大戦中に建造された旧式艦。もう一隻はナチスから譲渡された新型らしいが詳細は不明だ。機雷搭載型だとしたら厄介だが、共和国の人材事情から専用艦を用意する事は出来まい。
潜水艦の乗り組み員を教育するのは時間が掛かるし、元々、共和国は陸軍国だから志願数も少ないだろう。なら、通常型の汎用艦で船団攻撃をする方が合理的である。機雷戦専門艦を用意するだけの余裕はあるまい。
「なら、航空機による敷設も現実を帯びてきそうだな」
「何をぶつぶつ言ってる」
アリサの声が響いた。顔を上げると乱暴に公国の徽章が描かれたバッファローが前方を飛んでいる。黄色い翼に灰色の胴体のマーキングは米海軍の制式塗装そのままだ。
「いや、俺達が無駄足になるかもと思っててな」
「遭遇しない可能性か。いいさ、奴らを追い返せば良い」
仮に敵機が存在したとしても、真っ昼間に飛ぶ奴は少ないだろうと思うからだ。
機雷敷設なんかは夜間、こっそりと忍び寄ってブツを投下すりゃ済む話だから、こんな昼間に飛んだとしても機雷敷設機に遭遇しない可能性の方が高い。
こんな任務が回ってきたのも、戦闘はまず起こらないと想定した国際旅団向きの閑職だからだ。とにかく沿岸を哨戒する飛行機の存在を知らしめて、共和国軍が警戒して任務を諦めてくれれば勝ちだと上層部では判断しているのだろう。
「沿岸の住人にも姿を見せれば、公国軍の存在をアピール出来るぞ」
「顔見せかよ。夜間に来るかもだぞ」
「その時は、その時だ。第一、我が軍には捕らえられん」
アリサの言葉に黙る。この当時の警戒網は甚だお粗末であった。
レーダーとか言う機器は発明されたばかりで、無論、このアドリア海沿岸に実戦配備なんかはされていない。せいぜい目視による上空監視と、数少ない聴音機、ラッパのお化けみたいな奴が都市近郊に、ぽつりぽつりと配備されているだけで、闇夜に魔切れて飛来されても全く敵機を補足するのは不可能に近かった。
「サーチライトも少ないしな」
「あっても役に立たんよ」
ここら一帯は公国の海の玄関口で、国際貿易港と共に軍港もある。多少の対空装備も配置されてはいるが、伝統的に公国は海に対して空から攻められるとの考えは持っていない。
海軍は前時代的な前弩級戦艦に19世紀的な装甲巡洋艦が一隻ずつ。大型艦はそれだけで、残りは水雷艇や駆潜艇みたいな小型艦が中心。
航空機は若干の観測機がある程度だ。昔は戦闘飛行艇部隊も揃えていた時期もあったそうだが、陸上機の性能向上と共に航空戦力は陸軍に移管され、今では見る影も無い。
「せめて哨戒飛行は海軍でやって欲しいもんだ」
「言うな、多分、予算が無いしな」
前大戦の後、世界的な潮流に乗って公国軍は軍縮に入った。前大戦でも活躍が見られなかった海軍は真っ先に槍玉に挙がった。新しい艦艇の新造は凍結されたし、生き残った戦艦も時代遅れとして退役させられる寸前だった。
海軍の象徴としてかろうじて退役が免れた観もあるが、実際、今度の戦争で役に立つかと問われれば、敵が沿岸に押し寄せない限り、浮かぶ砲台としてて役に立つくらいで微妙な線だ。
主砲の305mm砲は絶大な威力を発揮はするだろうが、それも敵が射程内に到達すればの話で、今世紀初頭に作られた砲は仰角の改造も成されていないから、最大到達距離は短い。余り価値の無い代物と化している。
「金食い虫の航空機も整備はなされない……か」
軍港の上空を飛ぶ。あらかじめ連絡を入れてあるから、下の基地からは敵対行動は見られない。のんびりと浮かんでる大型艦の艦上も平穏で、対空砲なんかは防水布のカバーが掛かったままだ。基地の所々にある対空陣地も空っぽであり、配備されている機銃も支柱以外は本体が見当たらない。
対空機銃と言っても、歩兵用の重機関銃をそのまま転用しただけで、近代的な航空機が来たら役に立つのかは疑問なのだが。
「のんびりしてやがる」
「前線から遠いからな。隣の州とでは緊張感が違う」
市街地に入ると下の町並みに子供の集団が見えた。
こちらに向かって手を振って駆け出している。確かに戦争の影は見えない。隣の州では一時期、敵の爆撃隊が州都を空襲して、国際旅団も防空任務に当たってたから、びりぴりした空気に包まれていたが、ここまで航続距離の関係で共和国軍は届かないのだろう。
「おっ、ブラウ空軍基地だ」
「俺達の借宿か」
「これから一週間、な」
目の前に現れたのは小さな基地だ。滑走路とは名ばかりの平原が広がる原野に近い敷地に、マッチ箱的な建物が数棟。大きいのは格納庫だろう。管制塔は見当たらない。
公国の陸軍部隊は州軍制なので、戦場になっていないから部隊も残っているかと思ったが、留守部隊が若干残っているだけで、肝心の飛行機は余り見当たらない。
「前線に動員されたか」
「予備部隊も残せない程、前線が逼迫してるんだろうな」
公国は、いや、共和国もだが欧州では小国だ。そこそこ産業は発達しているが、米、英、仏、ソ何かとは比較出来ない。当然、動員可能な軍隊だって少ない。
各州が一個師団を用意出来るのがせいぜいで、航空隊だって数は少ないから、戦場では遠隔地の部隊が動員されるのは珍しくないのだ。
「……管制、了解した。軍曹、先に行け」
「やれやれ、ちゃんと整備して置いてくれよ」
二騎のバッファローは着率体勢に入る。出張扱いでブラウ基地まで遠征して来たが、本当に共和国理機雷敷設機がやって来るのかは不明だ。
この基地を始め、現地に戦闘機の実働機体が無いから国際旅団にお鉢が回ってきただけなのである。旅団本部は使えるかどうかを確かめる為、新鋭機をテストとして送り込み、二人のパイロットを訓練代わりに回した。
「つまり、余り期待はされては居ないか」
ごつごつした草地を滑る感触。田舎の飛行場ではお馴染みのアプローチを済ませて、バっファローはエンジンを停止した。
キャノピーを開けると基地の公国兵が近寄ってきた。
「カリギュラ軍曹でありますか?」
「ああ、出迎えご苦労」
「格納庫へ入れます。凄いなぁ、外国の新鋭機だ」
トラクターが続いて現れ、尾部付近をロープとロッドで連結する。
公国の制式機だと前脚の二箇所に固定具を填め、そのまま牽引するのだが、規格が違う外国機はそうは行かないらしい。
「数時間後には出撃だ」
同じく、機体を降りたアリサが口にする。
機雷敷設機は夜間に現れるだろうから、先に哨戒飛行を行う予定なのだ。その時、待機所の方からじたばたと数人が走ってくるのが見えた。
「おや、偉いさんだな」
「基地司令じゃなそうだが、何だ?」
会話はのんびりだが、着ている軍服から階級を見極めるのも軍人のスキルとしては大切だ。二人は佐官クラスの階級章に態度が厳しくなる。胡麻を擦っても手だと感じる。
「蝕雷だ。たった今、スペイン国籍の貨物線マッド・ドック号が定期航路で機雷にやられたらしい」
彼の第一声がこれだった。
「共和国め、既に機雷を係留してたのか」
「被害は?」
「幸いにして軽い。傷は負ったが、甚大な被害は無いそうだ」
昨日までそんな報告は無かったから、今朝か、少なくとも午前中に機雷はバラ撒かれたのだろう。
★ ★ ★
その夜から、カリギュラとアリサは交替でアドリア海の上を飛んだ。
無論、成果は無い。敵の水上機の影は見えず、極めて不正確な目撃情報を頼りに哨戒を続けたが、その間にも蝕雷の報告が度々なされる様になって行く。
「くそっ」
「カリカリするな」
既に五日。駐留期限まで半分を切っている。アリサはのんびりと埋めていたクロスワード・パズルから顔を上げ、苛ついているカリギュラを窘める。
「お前は何をやってるんだよ」
「パズルだ。暇を潰すには最適だぞ」
被害は増えていた。
航空機の投下する小型の機雷だから、損害その物は軽微な物が多い。少なくても、一発で爆沈するみたいな事例は無かった。
まぁ、当たり所が悪ければあの世行きかも知れないが、そんな訳で公国へ出入りする商船はこの海域を避ける傾向が出て来た。
これには貿易立国である我が国としても痛い。陸送と言う手段は残されてはいるが、隣国経由となると余計に手間が掛かり、費用も増えるからだ。
「ロコネル島付近にアラドが目撃されているから、今日はそこら近辺を飛び回ろう」
騒がしい軍曹に嫌気が差しのか、パズルの本をぱたりと閉じてアリサが言う。
アラドとはドイツ製のアラドAr95水上偵察機の事だ。スペイン内戦のコンドル軍団にも配備されていた機体で、旧式の複葉機だが実用性は高く、航空魚雷も詰める搭載量がある。機雷敷設にはうってつけだろう。
「コロネル島か。領海外だな」
「牽制くらいにはなる」
アリサは顔見せとして公国の戦闘機が姿を見せれば、共和国軍の活動を鈍らせる効果があると考えているのだろう。
「無論。領空の外だから攻撃は出来ない」
「下手すればイタリア領だからな」
公国の地理では南北がイタリアに囲まれている。北はヴェネチア、南は公国によって飛び地になってしまったトリエステがある。コロネル島は公海とイタリア領ギリギリの位置にあり、下手に空戦するとイタリア上空へ入ってしまう危険があった。
「公海でやるならイタリア側も目を瞑るだろう。ムッソリーニが政権を取っているとは言え、前大戦時には同盟国だったからな」
公国はイタリアと組み、第一次世界大戦で国土をドイツ帝国からを守り抜いた。だからファシスト政権になってもイタリアに公国民は希望を抱いている。これは向こうも同じでヒトラーの仲間になっていても、互いの国民感情は悪くない。
「先発はどっちにする」
「俺が行こう」
落下傘を担いで愛機へと向かう。アメリカ製の機体は優秀らしく、セルモーターを入れるだけで発動機が回る。ピッチを調整して回転数を搾り、機銃同調装置を確認すると続いて機銃の試射だ。
発射ボタンを押すと、機首の銃口からマズルフラッシュが飛び散る。
「もうちょい火力が欲しいな」
ブリュースター社の試作機だから、基本は共にM2と名付けられた小口径と中口径の機関銃が一挺ずつだ。予定では翼に一挺ずつ機関銃を追加可能だそうだが、国際旅団に届けられた機体には装備されていない。公国製の13ミリ機銃を載せる案も出たが、改造に掛かる手間と費用が惜しまれて、そのままである。
「無い物ねだりだな」
わざわざコックピットまで上って来て、アリサ曹長は茶々を入れる。
尾輪式の機体だから、バッファローの放った射線は上空へ消えている。問題はなさそうだ。前方は海だから、落下して来た弾が被害を与える事はまずあるまい。
「もう少し、くれた機数が多けりゃ」
「文句を言うな。あたしが出るのは四時間後で良いな?」
結局、バッファローの納入は試作機二機のみ、残りはセバスキー社のP35に切り替えられていた。アメリカ政府としても最新鋭の機体は自国軍に回したいとの思惑もあると同時に、ブリュースター社の生産にも問題があって、遅々として製造が進まないとの事情もあった。
自軍機の配備も進んでいないのに外国まで手を回す余裕は無い。代貸は余裕のあるP35と旧式のP26にされ、欧州機とも互角にやり合えるとのアピールを望んだブリュースター社の思惑とは反対にアメリカの援助は止められてしまっていた。
せっかくの海軍から勝ち取った採用を取り消しとちらつかせられたら、社としても従うしか無い。そして多数が配備されず、サンプル程度の機体に手を掛ける余裕も公国軍には無かった。
「四時間で交替か、遅れるなよ」
「パズルでもやってるさ」
「抜かせ」
キャノピーを閉める。郵便機の時代とは違い、昨今のトレンドでコクビットは完全密閉式だ。国際旅団に回されている機体は、旧式機も多いので未だオープントップの物も多いが、共和国軍も含めて最近の機体は速度を出す為か、ここらが完全密閉になっている。
「風を感じられないのが不安だな」
ベテランの古参パイロットの多くはそれを感じていた。前線での不満に屈して、わざわざキャノピー付きのそれを取っ払う国がある程で、ここらは一笑に付す事が出来ぬ問題でもあった。
ぐんぐん加速して、ふわりと浮かぶカリギュラ機。
コロネル島まで全速で飛べば半時間も掛からない。
★ ★ ★
公国はバルカン半島沿いにある。
アドリア海に点在するダルマティア諸島と呼ばれる中にコロネル島はあった。残念ながら諸島の大半は沿岸から12海里以上の場所にあり、大部分が何処の国所属の領土とは見做されない。
よって、古くは海賊が根拠地にしていた過去がある。小型の海賊船が島嶼に潜み、付近を航行する船舶を襲うあれだ。
一応、島はどこの領土でも無いから占拠していても立ち退かせる事は出来ず、犯罪行為をしている現場を捕らえない限り、軍隊も警察も手出しが出来ないし、加えて国境問題も絡んで来るので積極的に介入も避け気味になる。他国の軍との睨み合いは御免である。
「空賊って奴も居たな」
海賊の空中版だ。後年、どこかの有名スタジオが製作したアニメで有名になった無法者。飛行艇を駆使して商船を襲う連中である。
船舶に比して行動範囲も増えるし、時間的にも有利だから一時期は雨後の筍みたいに増えたが、各国の空軍が整備されて来ると旨味が無くなったと勢力は萎んだ。前大戦の失業パイロットが正規の職で喰える環境が出来れば、何も危ない橋を渡る事は無いと敬遠されるのは当たり前だろう。、
「割に合わなくなって廃業したらしいが、その末裔が共和国軍と手でも組んだか」
心地よい振動が伝わるコクビットでカリギュラがごちる。自分も下手すれば空賊の仲間になっていたかも知れないからだ。
無論、彼は大戦の経験者では無い。大戦後の空中サーカスの妙技、大抵は癪を失った軍人崩れが空中生活を忘れられず、退役の払い下げ機で各地を回る大道芸を見て、郵便機のパイロットを志した少年に過ぎない。
成り立ての頃は景気が良く、仕事にも張りがあって前途は開けていた。アメリカは大戦景気に続く空前の好景気に沸いていたからだ。暗黒の金曜日が訪れるまでは。
「南米に移ったのも景気のせいだ」
郵便機の事業は縮小され、個人経営の飛行機会社が次々と潰れた。カリギュラが活動場所を南米に移したのは、関係ないと思っていた父の仕事関連だった。
マフィア。イタリアのシチリア系犯罪組織の名称だが、合衆国ではイタリア系のギャングを指す言葉だ。
「……スケルトンだな。コリー・スケルトンの息子」
シカゴの裏道でそう誘われたのがきっかけだった。その時、カリギュラは愛機を借金返済の為に手放し、無職の状態だった。
中古のカーチス・ジェニーだったが彼にとってかけがいの無い相棒であったのだが、不景気でパイロットを続けられない状態であったのだ。
「コリーには借りがある。貴様に職をやろう」
異様な姿の男だった。いや、男であるかも外見らは判らない。何故なら、そいつの素顔は鉄の兜に覆われており、全体もコート姿であったからだ。動くと金属音が響く、どうやら頑丈な鎧か何かを着込んでいる怪人だったからだ。
「なに」
男はソフト帽を脱いだ。短い角の付いた黒光りするヘルメットが現実感を失わせる。本当にここはシカゴの裏道かと反芻する。暗い暗黒の面貌の奥に確かに光る二つの瞳が、かろうじて現実感を引き戻してくれる。
「俺はここらでは鉄の男と呼ばれている。本当の名? 顔を失ってからは名乗らんよ」
抗争か何かで酷い傷を負って以来、そいつは元の名を捨てたと語る。この事件に父も関わっていたらしいが、戦友である以外に詳しい事は判らなかった。ただ、その関係でこの話が回って来たのは確かだ。カリギュラがコリー・スケルトンの息子だからだ。
「酒を運べ。カリブ海を横断して南米からフロリダへ」
機体は用意してくれるとの話だ。仮面を被り、鉄の鎧を身に纏った男はシカゴマフィアの一員で、父とは友人だったと事だった。無論、死ぬまで無口だった父、コリーはこの男の事はおろか、生前の仕事の内容も全く家族に話していない。
「断るのは自由だぞ。コリーの息子よ」
「確かに今、俺は無職だが……、酒か、確かに密造酒よりは質は高いだろう」
悪名高き禁酒法から逃れる為に国外からアルコールを入手する方法として、空路が選ばれた訳だ。メキシコでもパナマでも酒ならば安く手に入りそうだし、正規の醸造所で造られた酒だったら安酒でも品質的には問題は無さそうだ。
国内製造の怪しげな酒よりはよっぽどマシな筈だ。用意された機体がフォッカーのトライモーターと聞いて、カリギュラは謎の男の依頼を受ける事とした。
「やってる事は空賊と変わらんか」
犯罪と言う点では変わらない。南米で飛行機会社を営む傍ら、法の目をかいくぐって幾度となくカリブ海を越えた。そんな日々が1933年まで続いた。
カリギュラは危ない橋を渡りつつも、禁酒法が廃止されるまで輸送密売人、ラム・ランナーであり続けた。その後はスペイン内戦に参加した後、流れ流れて公国に至る。
「コロネル島だ」
眼鏡式の照準器のカバーを外し、周囲を見回すと島の入り江に機影が見える。
カモフラージュされてはいるが、良く見ると翼に斜め十字の徽章。共和国軍の国籍マークがはっきりと判る、複葉のアラド機である。数は二機。幸い、動きは止まっている。
やはり、公海上に基地を設けていたのか。付近に人影が無いのを確認し、緩降下を掛けて様子を探る。何かおかしい。
「後で問題になるかもだが……」
試しに軽く一連射。銃撃の射線は砂浜から佇んでいる複葉機に真っ直ぐ伸び、機体を穴だらけにする。が、燃えない。
燃料が空の可能性もあったが、数日間、稼働していたとの報告があった機体だ。ガソリンだってタンクに残ってなきゃおかしいのだ。曳光弾混じりの銃撃で発火しない訳は無い。
「ブラウ基地、聞こえるか。カリギュラ軍曹だ」
無線のスイッチを入れる。四六時中スイッチを入れているとバッテリーが上がるので、作戦任務が無い時は自家発電機に切り替えているが、今回は特別だ。
「こちらブラウ基地だ。共和国軍と遭遇したのか?」
「遭遇はしたが、こいつはダミーだな」
明瞭な音声が聞こえる。発動機に直結の自家発電機は発火に伴うスパークの関係か何かで雑音が酷く、時間無制限に使えるのが利点だが、こうした場合にはバッテリーへ切り替えた方が聞き取りやすい。
「ダミーだと」
「ハリボテだよ。飛行機の形はしているが、廃品で作られたた偽物だ」
囮機の上を飛び越える。良く見ると周囲に生活の匂いが感じられない。テントや小屋の類いもないし、ドラム缶も転がってない。
「奴らがここを根拠地にしていたのかは不明だが、無駄足になりそうだ」
「アリサ曹長に伝えるか?」
「ああ、哨戒飛行は打ち切る」
初めっから欺瞞情報に騙されていたのかも知れない。
共和国軍の機雷散布機が飛ぶと言うのはスパイからの情報だが、諜報員がガセネタを掴まされている可能性もある。
機雷は確かに敷設されたから、根っからの偽情報と言う事ではあるまいが、公国軍の活動を攪乱する為、幻の飛行活動をでっち上げる必要があったのかも知れぬ。
「待てよ。おい、ブラウ基地」
「どうした軍曹」
「アリサか、調べてくれ、機雷の事だ」
★ ★ ★
次の日、やはり何件かの蝕雷事件が発生し、公国海軍が港の安全が確認可能まで航路を通行禁止に指定せざる得ない事態に陥った。
「昨日、蝕雷したタンカーは沈没している」
面白くも無さそうにアリサが書類を投げた。
「掃海艇が引き上げた機雷は特殊な物だったそうだ」
「タンカーがやられたのは、火災が原因では無かったと?」
タンカーの舷側に水柱が上がり、見る見る内に傾いて沈んだと言う。積載していた石油に引火した報告は無い。
「ああ。破孔もでかかった」
「大型機雷か」
つまり、航空機が搭載可能なサイズではないとの話だ。複葉のアラドAr95が搭載可能な重量はほんの300kgが限界だ。その数値でさえ過積載だが、それでも小型の機雷を数個詰めるのが精一杯である。
新型のAr196辺りになればやや増えるかも知れないが、それでも大型の機雷は積めない。単発機の限界なのである。
「飛行艇でも持ち込まないと状況は変わらないな」
「ハインケルHe115か、あれならカタパルトでの発進も可能だが……」
カリギュラが顔を上げ、続ける。
「飛行機に拘る必要があるのか」
「な……」
「俺達は航空兵だから、機雷敷設は夜間に空中投下されると思い込んで来たし、前線からの情報も航空機の活動があったとの報告を信じて来た」
狭い待機所の空気は悪い。カリギュラは窓を開けると初夏の風が吹き込んで来る。
「どう言う意味だ」
「機雷の敷設は船でも可能だ」
「共和国軍が機雷戦艦艇を?」
人材が乏しく、現在、潜水艦戦力に総力を注いでいる他は河川艦隊しか無い共和国軍に、機雷敷設艦艇まで運用する余裕は無い筈だ。
「最初に被雷した船を覚えているか?」
「マッド・ドッグ号だったな。小破した後はイタリアに向かった筈だが……」
「イタリアには入港していねえんだな。これが」
数日あればアドリア海を抜けて地中海まで出られる余裕がある。イタリアなんて目と鼻の先だが、マッド・ドッグ号はイタリアのどの港にも入港した形跡は無い。
「良く分かったな」
「シチリアの伝手を頼らせて貰った。シカゴに居た頃のそれが役に立つとはね」
カリギュラは最初の避雷こそが公国の目を誤魔化す為の擬装で、コロネル島付近の共和国軍機の目撃例も、その目をマッド・ドッグ号からそらせる為だったのでは無いかと指摘する。
「それに奴の国籍はスペインだ」
「フランコの手先か!」
スペインの反乱軍であるフランコ軍は、ナチスドイツの支援を受けており、当然、ナチスの仲間である共和国軍とも通じている。スペインに共和国軍の潜水艦基地があるのもその為だ。
「まぁ、国籍だけスペインで。中身はドイツ軍なんだろうけどな」
良くある事だ。名義だけスペインでドイツが工作に利用している例は多い。
先の共和国軍海軍基地もそうだが、スペインは自国領土に同盟軍の基地を置く事を厭わない。工作艦や通商破壊艦のカバーとして船籍を与える事も多いが、その装備や人材はは同盟軍が用意する事が大半である。これはスペイン自身の趙佗能力が低いのと、軍人などはスペイン人よりも信頼のある自国人を使いたい同盟軍の意向だろう。
「機雷は特殊な物だと言ったな」
「浮遊機雷だ」
普通の係留機雷では無く、海流に乗って流れる新型である様だ。
無論、ただ流れていくだけでは困るので、一定時間が過ぎると沈み、着底して係留機雷へと変化する。信管は接触型では無く、磁器信管であり、近くを航行すると鋼鉄の船体に感知して爆発するが、木製の漁船なんかは反応しない。
「こいつの困った点は、領海外からも流せるって事だ」
「厄介だな。公海上じゃ、現場を押さえなきゃ取り押さえられないぞ」
潮の流れを計算しなければならないが、共和国は公国領海へ向けてじゃんじゃん機雷を放流可能なのである。このまま放っておく事は出来ないが……。
「放流地点さえ判れば、何とかなるかもな」
「時間が無いぞ。明日には任務終了だ」
期日は明日まで、時期を過ぎれば旅団本部にもどらねばならない。命令を破れば軍規違反になって軍法会議に掛けられてしまう。
如何に〝これは公国にとって大切な作戦〟だと弁明しようが、お役所仕事には関係ないのだ。契約は契約で、彼らは文書に縛られた傭兵であるからである。
「一応、勘だけど行き先に心当たりはある」
「本当か」
「勘だけどな。奴らがコロネル島付近で目撃されるってのがヒントだ」
カリギュラが腰を上げた。
「隊長殿、この勘に乗るか?」
アリサが黙って頷いた。
★ ★ ★
二機のバッファフローが北上する。
今までトリエステ寄りのバルカン半島南部にいたのだが、今回はヴェネチア寄りの北部へ向かって航行している。
「本当は海洋学者か何かの意見を聞きたかった」
「潮流に関する話だな」
正確な位置を知るには専門家の助力が必要だと感じたのだが、何しろ時間が無かった。、
町の漁師のおっさんを捕まえて、北部海域に詳しそうな男から位置を尋ねただけだ。大半が沿岸漁師で、他の海域なんぞ知らない者が多い中。奇跡的に一人だけ詳しい男がおり、インテリだったので海図に印まで記してくれた。
軌跡だと言えるだろう。近海はともかく遠隔地の情報を持っていて、かつ海図って何だと言う学の無い集団から、それを知る人物に巡り会えたのから。
「奴らがコロネル島付近で目撃されるのはデマだ。いや、数日は実際にコロネル島で活動していたのかもだが」
実際、ダミーとは言う物の活動拠点はあった。もしかしたら本物のアラド機が駐留していたのかも知れない。
「公国軍を機雷敷設艦から目を逸らす囮として、派手に活動していたと見てる」
「だから、北部に飛んでいるのか」
「ああ、南に目を向けさせて本命は北って奴は、ラム・ランナー時代に俺が良く使った手だ。陽動でポリの野郎を攪乱するのさ」
フロリダには囮の小型水上機を先発させ、本命のカリギュラは機体に酒を満載したトライモーターで、高空から内陸部までひとっ飛び、無事にシカゴマフィアに酒樽を届けていた。
無論、沿岸警備隊や付近の陸軍や海軍にも鼻薬を嗅がせておく。取締官達は飛行機が無いから、国境を越えてくる不審機には自前で対処は出来ず、軍に頼る事になるがここらは金で買収だ。奴らだって酒は飲みたいだろうから、おまけに数本付けてておく。
沿岸警備隊には囮機の情報を流し、「毎夜、不審な飛行機を見た」のを派手に煽っておく。そっちへ注目させ、本命から目を逸らす為の工作である。
「同じ手を共和国軍もやるとはな」
「呆れたな」
「多分、情報を寄越した奴も俺の場合と同じく、共和国軍に買収されているぞ」
ほんの数年前の出来事だったのだが、かなり昔の様にも思える。鉄の男は元気だろうか?
やがて編隊は海図周辺へと至る。すぐそこはイタリアだ。
「居やがった。あいつがマッド・ドッグか」
事前資料に記されている写真と同一の貨物線が停泊している。甲板には人が溢れ、船尾には明らかに異様な物体が山積みにされていた。丸くて平べったい円盤状の物体、浮遊機雷である。
幾つかは既に海に流されている。
「どうする?」
「公海の上だ。攻撃する訳にも行かねえ。取りあえず、海軍を呼べ」
大きく翼をバンクさせて一航過する。甲板の上では頭を抱え込んで座り込む奴も見える。どうやらこっちが銃撃でもして来ると思ったらしい。懐から拳銃を取り出して向けているのもいた。
「舷側に停泊していたのが離れだぞ」
「補給船か?」
一回り小さい大型漁船風の船がマッド・ドックを離れる。すると乗務員がバタバタと船橋前面に黒光りする機関銃を据え付けた。甲板で何かを覆っていた防水布がめくられ、単葉の水上機が姿を現す。
「共和国軍だ」
機体に描かれた斜め十字の徽章。と同時にマストに掲げられていたスペイン国旗が下ろされ、代わりに共和国の国旗が掲げられた。
マッド・ドッグの方はと見ると碇を上げて、共和国船とは反対方向へ微速で動き始めた。機雷敷設を諦めて離れるつもりだろう。
「海軍は?」
「連絡した。15分もしない内に哨戒艇が到着する」
「遅い、イタリアに逃げちまうぞ」
その時、共和国船から銃撃が開始された。アリサが不意打ちを食らうが、機体を立て直す。
MG34が火を噴いてバッファローを牽制する中、何と甲板の単葉機がカタパルトで撃ち出されたではないか。
「新型だ。アラドAr196だぞ」
ドイツ海軍が採用を開始したばかりの水上機だ。新型機を共和国へ供与の受け取りに来たのか、それとも何かの理由があるのか知らないが、とにかく単フロートの水上機がこちらへと向かってくるのは確かだ。
「ドイツの最新鋭か。こいつは任せろ」
被弾しているアリサ機は空中戦に向かないと判断したカリギュラは、船の方を彼女に一任すると翼を翻して水上機を追う。まだ量産されていない機体だ。早いがバッファローほどでは無い。
「だが、たかが水上機」
本職の戦闘機に喧嘩を売るのは愚かだ。まだ速度の上がらぬ内に頭を抑える。眼鏡式の筒一杯に広がる機体に銃撃をお見舞いする。リズミカルな音と共に2挺の機銃が曳光弾を放つ。アリサの方はは見ると、敵国と正体を現した小型船へと攻撃を開始していた。
「くそっ、燃えない」
速度が違いすぎて、あっと言う間に敵機の前に出てしまう。敵の後方機銃が応戦してくるが、気にせずに上空を通過する。と、今度は後ろに付いたアラドが前方銃を撃ち込んで来た。
「20mmだと」
ぶっとい火線が通過して行く。主翼に大口径機銃を装備してるらしい。こっちが豆鉄砲みたいので我慢しているのに、たかが水上偵察機が20mmとは何事だ。
旋回して、今度は真上から攻撃を加える。二撃目は多数の射弾を送り込んだので、Arr196はズタボロになって堕ちて行った。僅か数分の命だった。
「アリサ」
「こっちも終わった」
海上には松明と化している小型船が浮かんでいる。乗組員は海に飛び込んだり、ボートで漂流しているらしい。哨戒艇が到着するまで監視すればいいだろう。
「マッド・ドッグは?」
「イタリアの領海へ入った。共和国軍はあの船を逃がす為の囮だろう」
既にイタリア側に逃げた貨物船を目で追うと、遠ざかって行く船影が見えた。
「犠牲になったのか」
「機雷を公国軍に知られると厄介だからな。他に機密も持っていたのかも知れん」
「しかし、大丈夫か」
アリサの機体は穴だらけだった。小口径弾ばかりだから傷は酷くは無いが、オイルや燃料も洩れている。頑丈だったから耐えたが、どうにも危なっかしい気がする。
「何とかな。哨戒艇がやって来るまで保てば良い」
「基地に行った方が……」
「まだやる事がある」
エンジンの回転数を搾ったアリサ機は、燃料を振りまきながら公海の上から公国の領海へと侵入する。海面ギリギリまで降下し、突然、機銃を発砲し始めた。
「何やってるんだ」
「機雷処理だ。まだ浮いてるのを始末する」
銃撃は単連射だけどまだ続いている。
ぶかぶか浮いている浮遊機雷。時間が経てば浸水して沈んでしまうそいつが、撃ち抜かれて大袈裟な水柱を上げた。だが、直後にアリサ機のプロペラが力を失う。
「ガス欠か」
「まだ機雷は残ってるのに」
燃料を完璧に失ったのか、ハミルトン製の三翅プロペラは惰性で回っているだけだ。徐々に高度を落として行く。
「機雷は掃海艇に任せて不時着しろ」
試作機を回しただけの公国のXF2Aは後のバッファローとは違い、射撃兵装が貧弱以外に防弾鋼板が未装備だったり、着艦フック他の艦載装備が撤去され、無線機も米海軍制式の物から簡易式の民間用に取り替えられている。
余計な物を積んでない分重量は軽くなり、機動性は上がっているが、野牛とあだ名された防御力は劣ってしまい、MG34の射撃を浴びた程度でもこうなってしまうのだ。防弾タンクになっていないからである。
「後は任せた」
「おいおい」
理想的なアプローチで海面に突っ込む。一応は海軍機だから暫くは浮いているだろう。海面に不時着するアリサの機体を横目で見つつ、残されたカリギュラはぼやいた。
「機雷の処理かよ……」
★ ★ ★
公国軍バッファローの公式戦闘記録はこれだけだ。
カリギュラの機体は無事だったが、帰還した基地の滑走路で脚を破損して損傷。大破って程でも無かったが、僚機に当たる適当な機体がなく、たった一機のみの特殊な機体だけに部品の調達もままならず、使える部品を剥ぎ取った後、そのままスクラップとなった。
バッファローが降着装置のトラブルを抱えているのは後の米海軍で明白となるが、既にその徴候を示していた事になる。
機体は失ったが、パイロットの両名は生還。国際旅団に復帰。
彼らは戦争を戦い抜き、敗戦後はイギリスに亡命後に義勇部隊に所属後、50年代にアフリカでカリギュラ・スケルトンの名を冠した新興国家を立ち上げるのだが、それは別の話になる。
独裁の帝国だったらしい。
ただ、彼と敵対する団体に銀の斜め十字をシンボルとした謎の組織がいたとの話だが、これが共和国軍の残党なのかははっきりしない。
<FIN>
Ar196も試作機のAタイプです。後に全部双フロートになりましたが、単フロート型もテストされていたのです。バッファローは完全に試作機タイプで、後のフィンランド軍仕様に比較すると劣ります。