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やはり厳しいな、と思った。
様々な資料が、分類もされずにごちゃごちゃと棚に収まっている。『資料室』という割にはあまりにも乱雑で、『倉庫』と呼び方を改めた方が良いのではないか。これはただの現実逃避だ。
リディアはひとつ、ため息をこぼした。
孤児院の状況、孤児院の周囲、港の状況、など。今回振られた仕事を完遂するため、より多くの資料を集めなければと、勢い込んで資料室に来たはいいが。めぼしいものを見つけるのにも一苦労である。
いくら、頻繁に使用するような資料は新資料室に収めてるとはいえ、国の資料室がこんな有様でいいものか。癪ではあるが、鬼上司に今度進言してみよう。あれでも、次期宰相候補だ。何かしらの役には立つだろう。
とりあえず、目の前のことをやらなければ。その為には――
「脚立くらい、用意してくれてもいいんじゃないかなっ!」
睨むのは、背伸びして手を伸ばしても届かない、あと頭一個分くらい高いところにある資料だ。乱雑且つ無配慮、そして不親切である。
微かに見える文字から、今求めている資料のような気がするのだが。如何せん届かないため確認のしようがない。
「お目当てのものはこれかな?」
「あ」
背後から被さるように、リディアが取ろうとしていた資料に手が伸びた。そのまま、目の前で揺れる。
微かにムスクの香りがする。差し出された資料を手に取ることなく、背後を振り返る。窓から僅かに差し込む光すら味方につける、艶やかな赤。思ったよりも近くにあった顔。
(――誰?)
残念ながらリディアの記憶にはないので、初めて会う人ということになる。呆けて眺めるリディアの表情をどう受けとったのか、男は髪と同じ色の瞳を瞼の裏に隠し、ニコリと微笑んだ。
「初めまして。君が、ギルバートが飼っているお姫様?」
男の手から資料を受け取り、距離を取った。なんだ、『ギルバートが飼っているお姫様』って。リディアはギルバートに飼われた記憶などない。
敢えて言うならば『ギルバートが頭を悩ませるじゃじゃ馬姫』の方が的を得ているような気がするが。
何度でも言うが、資料室は利用する人はいるが稀である。ならば、資料室で誰かと会う確率は低くなるということ。この男はなぜ、資料室にいるのか。服装からして、文官だろうが……。
「あぁ、ごめんね、怪しいものじゃないよ。俺は外務政務官のアンリ・テノール」
「外務……政務官……」
つまり、現時点ではギルバートと同じ地位だ。年齢も同じくらいのような気がする。この国の官僚は若くして優秀な人物が多いらしい。
アンリは、リディアの手元に渡った資料をちらりと確認し、リディアに向き直った。
「『港の雇用状態』……? 三年前のだね。そんな古い資料を一体何に?」
「今任されている仕事を遂行するために、必要な資料です」
「三年前のものを引っ張り出すほど、大きなプロジェクトなんだ?」
「半分は私の興味ですが」
なぜ、普通に会話してしまっているのだろう。アンリという名前は確かに、現在の外務政務官であることに間違いはないし、怪しいわけではないが。
財務であるリディアは、外務と関わる機会はほとんど無かった。どうしてアンリは今この時に、自らリディアにコンタクトを取ってきたのだろう。本当に、たまたま資料室に用事があったタイミングが一緒になっただけか。
アンリは、棚に手を滑らせた。
「他にも必要な資料あるの? 手伝おうか。こんな無茶苦茶な部屋じゃ、目的のものを探すだけで一週間はかかるでしょ」
「アンリ様も、資料室に御用があるのでは? 他人に構っていては、目的のものはいつまで経っても見つからないと思いますが」
「うーん、まぁ、そうなんだけど。急ぎじゃないし。お喋りしながら探そうよ。探してるものは何?」
やけに食い下がる。
しかし確かに、と手元の資料を見つめる。これ一つ探すのにかなりの時間がかかっている。できるだけ多くの資料を集めたいというのならば、人手が多い方が効率も良いだろう。
逡巡し、仕事を優先する方に天秤が傾いた。
「では、お願いします。探しているものは、孤児院やその周囲の状況が分かるものです。港についても知りたいので、あればそれも」
棚を滑っていた手が、ピタリと止まる。一瞬だが、アンリの纏う空気が変わった。
リディアが目を瞬いていると、アンリは何事も無かったかのように「了解」と頷いて笑い、資料探しに取り掛かった。
「――で、姫ちゃんは」
「リディアです」
遮って、初めて名乗ったことに気付く。アンリはリディアの事を知ってるようだったから、そんな初歩的な事すら頭から抜けていたらしい。
「リディアちゃんは、どうして孤児院の状況なんかを? ギルバートからの指示?」
「…………」
答えずに、淡々と資料探しを続行するが、沈黙は肯定と受け取っていいといっても過言ではない。アンリはケラケラと笑った。
「へぇ、意外だな。なんだかんだでギルバートに懐いてるんだね」
「懐いてません。あれでも、上司ですから」
「次期宰相のことを、あれとか言っちゃうもんな〜。仲良しで結構な事だけどね」
このアンリという男はよく喋る。喋るのだが、資料を探す手は止めない。
彼の腕の中には、既に三つの資料が抱えられている。リディアは、先程の資料を含め二つだ。スピードが異様である。
「随分と、見つけるのが早いですね」
「ん? あぁ、資料室にはよく入り浸ってるから」
リディアの胡乱げな表情に慌てる様子はなく、手を止めることもなく、言葉を継いだ。
「ここは人が滅多に来ないでしょ? 一人になりたい時とか、集中したいときに持ってこいだ」
「はぁ……」
「リディアちゃんも、たまに来るでしょう。ギルバートに無理矢理って感じだけど」
「よく、ご存知なんですね」
リディアとギルバートのやり取りは、城で働くものならばよく見かける光景だ。知られたところでなんら問題はないのだが。直接指摘されると、喉が詰まったような、言葉には表し難い感覚になる。
それからは、今までの喧しさなど忘れたように一切の口を噤み、資料探しに没頭をしていた。騒がしいのがなくなり、リディアもひとつ息を吐いて、目の前の山を崩す作業に戻った。
リディアが我に返ったのは、終業の鐘が鳴り、後ろから声をかけられた時だった。つい先程までは白い光が差し込んでいたのに、今は緋色の光が資料を赤く染めていた。
何か一つのことに没頭すると、周りが見えなくなってしまうのはリディアの癖だ。治そうにも治せないし、リディア自身に何か不利益がかかる事もないので、放っておいているが。
「リディアちゃん」
振り返るのと同時、抱えていた資料が突然重みを増し、膝が沈んだ。リディアの腕力が急低下したわけでも、資料が突如として重みを増したわけでもない。
唸りながらもギリギリ持ちこたえたリディアは、自身の名を呼んだ男につま先を向けた。「なにをするんだ」という意志を込めて。
「そんな怖い顔しないで。お探しの資料だよ、役に立つかな」
重みの正体は、アンリが持ってきた資料だった。リディアの腕が耐えられないというように震える程には、かなりの量を探し出してくれたらしい。
「ありがとうございます。まさか、こんなに」
「それっぽいのを見繕っただけだから。それにしてもこんな時間まで探し続けるなんて、凄い集中力だね」
「すみません。先に帰っていただいてもよかったのに」
重みに耐えきれず、近くの机へ避難させる。腕をプラプラさせてみるが、痺れは取れそうにない。やはり鍛えるべきだ。
アンリは楽しそうにクツクツと笑い、置かれた巻物を半分ほど腕に抱えた。
「執務室に運ばなきゃだよね。俺も手伝おうか」
「それは助かります」
「リディア? まだこちらにいるので――」
リディアも残りの巻物を抱えたところで、聞き覚えのある声。巻物を持った二人が、息ぴったりに入口に顔を向ける。
それを見たギルバートは顔を顰めた。
「これは……まさか、テノール殿も一緒とは。どういうことで?」
「リディアちゃんのお手伝い。まったく、女の子一人にこの部屋から資料探しさせるとか、財務部は末恐ろしいね」
今回に関してはリディアの独断と興味で来たのだが、ギルバートは反論することは無かった。代わりに、二人の腕の中にある資料を睥睨する。
そして、アンリから軽々と巻物を奪い取った。
「御協力どうも。もう結構ですよ、後は私が引き受けます」
「大事な部下取られて、やきもちでも焼いてんの?」
「財務部のことは財務部でやります、と言っているのです。あなたも、こんなところで油を売っている暇はないのでは? 外務部はかなりの時間、政務官が不在だったようですが」
「財務の……ねぇ」
アンリは軽くなった腕を組んで、納得のいかないような表情で首を傾けた。外務部云々については、聞かなかったことにするようだ。
ギルバートが「何か?」とでも言いたげに目を眇めると、開き直ったように微笑んだ。
「いや? それじゃあ、後はお任せするよ。リディアちゃん、またね〜」
「は、はい。ありがとうございました」
アンリはひらりと片手を上げて、出口へと踏み出した。
感情の読めない表情で見送ったギルバートは、後を追うように動く。
「……リディア、行きますよ」
「ギルバート様は何故こちらに?」
聞くまでもない質問だったかもしれない。資料室に行くと宣言して執務室を飛び出したものの、就業時間を超えても戻ってくる気配のない部下がいる。 上司としては、確認しに行くのが普通だろう。
「あなたこそ、何故資料室などに?」
「あれだけの情報で予算案を出せというのも、無理な話だからです。現状に不満を持っているのか、満足しているのかすら分からない」
「そうですか」
聞いておきながら、リディアの方を見ることもなく、興味の無さそうな声で応答する。意味がわからず、いつものように言い合いでも始めるのかと口を開いたところで、少し先を歩いていたギルバートが振り返った。
「今更かもしれませんが、あまり、テノール殿とは関わらないように」
「? 仲悪いんですか?」
刹那、リディアの頭には衝撃が走った。巻物を片腕に抱えたギルバートが、巻物で殴ったのだ。氷のような冷たい視線で蔑んでいた。
「阿呆、鶏でももっとまともな推測をしますよ」
残念ながら、リディアの腕力では巻物を片腕に抱えることはできない。自由な足に「そんなわけがないだろう」という怨念を託し、目の前を歩くギルバートの足を蹴っ飛ばした。
ビクともしないのが、また腹立たしさを増長させるというのに。