90使命
「……醜いな」
そう吐いたのは割れた仮面を被った少女、黒藤。
彼女の後ろを同じく仮面を身に着けた二人、日野と青井。
彼らの異様な姿を見ても、周囲の人間は誰も、何の反応もしない。
なぜならば、簡易な組み立て式の舞台に立つ少女が皆の視線を一つに集めているのだ。
彼女もまた仮面を被り、そして可愛らしい声で、初恋だとか愛だとかを歌っている。
その歌声は別に、優れた技術を感じさせるわけでも、独創的な歌詞で魅了しているわけでもない。
ありきたりな、ラブソング。
アイドルらしい、彼女の可愛らしさを押し出すための衣装のような歌。
だが皆が仮面の少女の元へ引き寄せられていく。
仮面の怪物の元へ、これではまるでセイレーンの歌声だ。
「日野くんはできるだけまわりの人をあの娘から引き離して」
「何……?」
通信先の黄鐘が日野に命じるも、彼はそれに不服だった。
なぜ三人の中で一番戦闘能力があると自負している俺が戦いを譲らなければならない?
そう思いつつも、彼の頭に傷ついた先導者の仮面の姿が思い浮かぶ。
グラウンドと校庭の狭間、アスファルトに混じった砂をスニーカーが鳴らす。
「……了解」
「二人は観客に紛れて様子を伺って、援護部隊は出せないから危険なら私も行く」
通信は切れる。
二人の耳には可憐な少女の甘ったらしい愛の言葉がリズムに乗って入ってくる。
周囲の盛り上がりはますます増している。
黒藤と青井にはただのありふれたアイドルソングにしか聞こえない。
しかし、彼ら……魔刃とはなんら関係のない人々はその歌に酔っている。
ゆえに一般人で構成された援護部隊の力は借りられない。
観客に紛れた二人は、歌って踊る彼女の姿を睨む。
この状況を作り出している彼女、おそらく人間ではない。
「あそこ……黒藤ちゃん見えます?前方の集団、仮面を被った……」
「見えますよ、でもあれは魔刃ではないですね、遠いのではっきりわかりませんけどみんな同じ模様の仮面なので」
歌声に集まってきた人々とは一線を画している男達。
屋外だというのにペンライトなんてものを振り回す彼らの様子を、他の者どもはまったく気にした様子をしていない。
「どうするんですか?ここでやり合うなら周囲の人を巻き込みますよ?」
「もし、何もアクション起こさないなら、おとなしく歌って踊って終わりならここで戦うのはやめましょう」
「逃がすんですか……?」
ピリピリとした空気纏った黒藤が青井に問う。
青井は青井で、考えた結果、魔刃より周囲の人間の安全の確保を優先した。
それ自体は間違えた判断ではない。人々を守る組織としては妥当である。
だが黒藤は従いはするが、その行動基準に同意するつもりはなかった。
この魔刃に明確な敵意を確認することはできない。
しかし、現在進行形で人間に対してなんらかの影響を与えているのは確実である。
人間を、外部から無理やり歪めておきながら、それを目の前で止めることができないのが黒藤には許せない。
「……やはり、コイツの魔刃か」
「え?」
『本当の想い、あなたにはまだ内緒だから』
歌声が黒藤のついた悪態が青井へ伝わるのを遮った。
周囲の盛り上がりは少しずつ高まる。
「アイツ……アイツが魔刃か」
盛り上がる人々を、半ば力ずくで舞台の前から離れさせていた日野。
歌声に魅了されていたわけではないが、舞台上の彼女を見つめていた。
ろうそくの火のように、ゆらゆらと揺れる何かが、彼の瞳に宿った。
「日野くん」
「…………」
耳につけた機械越しに、男の声が聞こえてくる。
日野はそれに気が付かず、揺れる意識に身を任せていた。
それはとても心地が良く、まるであやされる赤子のような気分だった。
「日野くん」
「……えっあ?」
気の抜けた返事。
先ほどから日野を呼ぶ声の男は、彼の様子を気にせずただ次のように、日野に命じる。
「君の、果たすべき『使命』に従いなさい」
「……ああ」
校門の外、通路に駐車した黒い車の中。
「日野くん?日野くん!!」
「どうしたんですか?天野博士」
破損した先導者の仮面に応急処置を施し、一緒に学校まで同行していた博士の様子がおかしい。
通信相手は日野のようだが、何が起きているのか待機していた黄鐘には見当がつかなかった。
だが彼女にも、観客たちに紛れた青井から連絡が来る。
そこで日野が今何をしているのか知ることになる。
「何……?」
「だから、日野が!あいつ急に舞台の上に立って!!」
黄鐘は車から飛び降りると、青ざめた顔で校門をくぐり抜けていく。
一人車両に取り残された日野は、窓から校舎の上を見上げつぶやく。
「君も、使命に従いなさい……詩朗くん」