84新蝕
3年ほど前、剣之上市はそのずっと前から魔刃の脅威に晒されていたが、ここに新たな素質を持った者が一人。
名は日野研司。
だが当時の彼は今の彼とは大きく違う。
これは、彼が先導者と出会ったばかりの頃である。
「ひっ……ひっ!!」
「少年……!!戦え!」
それが彼の初めての戦闘での記憶。
目の前の仮面の怪人に対してと、今からその人の形をしたモノを切り刻まなければならないという恐怖。
被害と加害の二種の恐怖に挟まれた日野には、先導者の声も届かず限界状態に入り、目の前の狂刃から離れる。
まるで赤ん坊のように地に手を付け、無様に敵に背を向けて去る。
結局、その時の魔刃はまだ現役だった根吹に狩られたが、日野は自分の持つ力と向き合わず、ふさぎ込んでしまった。
「俺は……俺は普通の人間だ……!!刃覚者とか魔刃とかわけがわからない!俺には無理だ!!」
かつて人類が与えられた戦うための力、今再びそれを振るう必要がある。
だというのに、つい最近まで普通の学生をしていた彼は、その責任や自分の希少性を理解していない。
理解などしたくなかったのだ。
なぜ自分が戦わなければならない?痛いのは嫌だ、苦しいのも。
「俺は、戦わない!!」
「…………ふぅむ……」
どうしたものか……と殻にこもった彼を見ていたのは、彼の力に引きよせられた一体の魔刃。
先導者。
「どうしたらよいのでしょうかね、彼が力を宿しているだけであって一般人であるのは変わりないですし」
「そうね、彼自身に戦う理由がないものね」
日野の指導をしていた黄鐘は、先導者と共にどうすれば彼が戦う気になるのか、それを考えていた。
彼の家族は彼が幼いころ離婚し、引き取った母親も、今は別の男と同居し、ほとんどほったらかしである。
またそんな家庭環境のせいか、彼は学校で誰とも自分の普段の生活を話すことができず、孤立していた。
彼に守りたい価値のある世界はなかった。
「やはり、彼には酷な運命なのかしらね」
「とはいえ希少な刃覚者ですから、彼には戦ってもらわねば」
悩む二人の背中を、一人の小柄な少女が眺めていた。
彼女は日野より少し先に入隊した、少し特殊な経緯を持った少女。
肩までかかる髪を後で小さく、二つに結んでまとめた少女、名前は青井凛子。
「うーん、救世主様にしたら?」
「と、言いますと?」
青井のそれはあまり深く考えていない、適当な提案であった。
かつて人類を救った者のように、お前は人類を救う必要がある。
お前は救世主に選ばれたからその責任を果たせ。お前にしか人類は救えないのだから。
つまりは責任から逃れられないように、相手に自分自身を脅迫させるのだ。
「お前が逃げたら、人類終わるぞってなーなんって、言ってもヘタレは『知るか!!』って逃げると思……」
「それです!なるほど!!参考になりますよ青井どの!!」
ただ冗談半分に言ったそれを先導者は真に受けた。
人を導くことに長けた彼は、いつだって他人を動かす方法を考え、求めていた。
ゆえに思いついたそれを実行せずにはいられなかった。
「では、さっそく彼の元へいってまいります!!」
仮面から生やした小さな刃の足で、敵から逃げる虫のように去っていく。
「あ……まぁ、ダメ元で、ね?」
「ダメ元よね……」
「少年!!いや、選ばれし者よぉおおお!!」
意外にも、それはうまくいった。
彼は次の戦いには人が変わったように、魔刃の前でも、あるいはただの人間の前にだって臆することをやめた。
なぜなら、自分は選ばれし者だから。
幼いころから、まるで自分をお荷物のように思っている母。
彼女が連れて来た男のめんどくさいといった顔。
学校で、皆が楽しそうにしている中一人誰にも話しかけられず、ただ時が過ぎ去るのを待つ自分。
『選ばれし者』それは、誰かに求められているということ。
替えの利かない、ただ一つのなにか。
少年は初めて、唯一無二の自分であると自覚した。
だから。
「俺は、選ばれし者なんだァアアア!!」
夜の廃ビルに響く声。
突き破られた窓からそれが聞こえ、いち早く気付いた顔の崩れた仮面の怪人はその者によって蹴り飛ばされる。
「グギィイイイ!!?」
トラックに跳ね飛ばされたように、コンクリートの支柱に向かって一直線。
埃混じりの砂煙をまき散らし、その醜い仮面にヒビが入る。
「グギガァアアアア!!」
致命的な一撃。
呆気なく二体目の魔刃は全身がバラバラになり、死に絶える。
「三体いる……と言っていたな。なぜもう一体しかいないッ!?」
「逃げろって、言われても襲われたら逃げられないじゃない?」
チッ……と舌打ちをした後に、日野は残りの一体の方へと向かう。
救世主、彼の仮面を持つ黒藤をその場に置いて、獲物を独り占めしようとする飢えた獣の如しまなざしで駆ける。
鋭い針のような剣を持ち、目の前の敵を貫き倒さんと握る手に力が入る。
「ギリィ……!!オレェ……オレハァ!!」
「……! 選ばれし者よ、いけない!!」
日野のレイピアが相手の胴を突き破った、と確信したその瞬間。
目の前の現実が実は幻想であったように、視界がぼやけ、気が付けば刺したはずの敵がいない。
「な……に?」
「後よ!!」
黒藤の声で背後に敵の気配を確認した彼は、相手の背から攻撃しようとたくらむ敵の思考を読んで、振り向くと同時に反撃を食らわせようとした。
だが、その狙いは実現しなかった。
「ぐ……ぎぎぃい……ぎ、ぐはあはああああ!!死にぇえええ!!」
「ぐっ、うぉおおおおおお!!」
日野の背後をとった相手の攻撃は、伸びた腕を鞭のようにしならせ叩くものだった。
奇怪な体の変化、強烈な一撃に驚愕する暇もなく日野の体はその腕にはじかれ、廃ビルの天井へと叩きつけられ、重力により地面へと落ちる。
「ぐふふふっ!!俺、なんでこんな力……?まぁいいや、俺今とても幸せなんだぁあああ!!」
仮面で表情は隠れているが、その声色で彼が心の底から悦びに浸っていることがわかる。
彼の顔を覆っている、その醜い仮面から男の身体にかけて、ヒビが入っていく。
さきほど日野が蹴り飛ばしたのとは違い、なんらダメージを負ったわけでもなく、突如起きた現象である。
「ふひぃ、ぐふひぃいいい!!」
「なんだ……あれはッ!!」
地べたから起き上がろうとしている日野が目にしたのは、まるで卵から孵るひな鳥のような姿。
醜い魔刃の出来損ないは、完全な魔刃へと孵化したのだ。




