61解放、誕生
救世主。
かつて支配されていた人間達は彼をそう呼んだ。
魔刃でありながら魔刃に刃向かったその彼を、魔刃の王の配下は裏切り者と呼んだ。
「どうして……王と共に死んだはずなのに」
傍観者を名乗る魔刃である彼女はかつて、王の勢力として彼と戦うこともあった。
『解放』の力を持つ彼は人類に『刃覚者』という力を授けた後に、王と相打ちになったはずだ。
「……王の力を使った……?だとすれば……」
解放、すべての可能性の解放。
それが救世主とも裏切り者とも呼ばれる彼の力。
それは創造主である王の力すらも、自分の可能性の一つとして解放することもできる……のかもしれない。
いや、『かもしれない』と思われるのなら、それはすべてできるのだ。
そういう存在なのが『解放』の魔刃であるのだ。
「うあっ……なんだ!?なんで!?」
「……?」
遠くで起きている騒がしい事件に無関心なこの静かな狭い路地。
そこで一人の男が女の格好に動揺している。
敵から逃れるために使った仮面の力を治めていた彼女は、今は一糸まとわぬその姿で夜の街を歩いていたのだ。
人間の価値観で測ればかなりの美女が、こんな非日常的な夜に美しい肌を晒し目の前に立っている。
男は思わず情欲に思考を惑わされたが、罪悪感がそれを止めた。
「ねぇ、あなた」
「え……?」
見知らぬ男の前だというのに、その女は羞恥心が無いというように男の方へ近寄る。
壁際に追い込まれた男は、心臓の鼓動を狂わせるような女の香りが混じった夜風を感じた。
「あなた、なかなかよさげな素材になりそうね」
「何を言って……!?」
女の唇が男のものと触れ、鉄のような味が男の口で広がる。
男の口内に押し込まれた舌は、まるでヤスリのように内側の皮膚を削っていった。
激痛と官能的な雰囲気と女の目が男を支配する。
「うっ……」
男がその場で倒れ、女は男の首元に手をやる。
月が雲に隠れるように女の姿が消えた。
「『解放』が破壊したのよ」
「…………」
「そう、生きていたのよ……驚かないのね……とはいえあなたは直接会ったこともないか」
「………………!」
「な……うっ、どこだここはッ」
意識を取り戻した男は、何者かと話す先ほどの女の声を耳にした。
その話相手とやらは、どうやら男の意識を取り戻したのを確認すると女に何かを手渡し、暗い部屋の奥へ消えた。
ここは音が反響し、まるで洞窟のようだ。
赤く怪しく光る鉱石が壁などに埋まっており、それが電灯代わりに男を赤く照らす。
「お目覚めね」
女は病院から抜け出したかのような、検査着を身にまとっている。
先ほどのような露失は無いが、それでも彼女は変わらず男を誘惑する何かを持っている。
「俺を……どうするつもりだ」
男は鎖で岩壁に繋がれ身動きが取れない。
なぜ、こうなった……?
彼には自分がこんな目に会う理由に心当たりなど無い。
今日は帰宅道を人ごみが占拠していたから遠回りで帰ろうとしただけだった。
彼はどこにでもいる、ただの二十代後半の会社員、普通の男。
ありふれた、人並みの、有象無象。
それがどうして?
「うふふ、解放……そうね、あの者ならこう言うでしょうね、……『解放せよ』」
「うあああああっ!!」
女が先ほど男から受け取ったのは、鋭利な刃物だった。
それを何度も、何度も、何度も、女は男の胴体をそれで貫く。
激痛、激痛、激痛……それだけが男を支配する。
「さぁ……あなたの魂の核を見せて……?」
「痛い、助けて……お願いします……」
救済、苦痛からの解放、恐怖。
……違う、それらはこの男の本質ではない。
「教えろ!教えろ!教えろ!!」
女の検査着は真っ赤に染まっていく。
何度も突き刺された男は、通話が切れた受話器のように、何か言葉を発しながらぐったりとしている。
「っ……っ……て」
「……見込み違い、かしらね」
血に濡れた検査着を不快に思った女は、退屈そうに、それを脱いでその辺に投げ捨てる。
再び素肌を男の前にさらけ出すと、さっきまで生気を失ったようにしていた男が、血走った眼でそれに食いつく。
「……うあああああッ!!!」
「へぇ……」
「だめだ、だめだ!!それはダメ!よくないよくない、最低だ、僕は最低だだだ!!」
男を繋ぐ鎖が、がしゃがしゃと大きく地面に打ち付けながら暴れている。
「あああッ!欲しい、ダメなのに!!寄越せ!!や……」
「……ふふっ……どうしたの?どうしたいの?」
女の声がいちいち、男の理性を破壊していく。
「やら……殺ら……殺らせろ!!ヤラせろ!!ヤリヤリヤリ???やららららァッ!!」
男を繋ぎとめていた鎖が、強引に引きちぎられてしまった。
人間として大きすぎるモノを失い……いや、解放された彼は真っ先に目の前の裸の果実にかじりつく。
「アァアア!!女ァアア!!」
「うふふっ、ダ~メぇ!!」
女は自分の肩に歯を食いこませている男の頭を優しくなでるようにすると、男は全身がぴくぴくと痙攣し、その場で動けなくなる。
体の自由が奪われ、息苦しそうにもがく。
「がぁああ!!おおおんんなああああッ!?」
「……第二段階、成功か……まぁでも理性を保てない辺り、第二世代に劣るわね」
彼女は自分が手渡されたそれの効力を確かめるために男を刺したが、その刃物はただ肉を裂いたり貫いたりする道具ではないということだ。
「……はぁ、まぁいいわ、まだ私と『焼失者』しかいないものね」
戦力は多ければ多いほど良い。
つぎつぎに復活する魔刃は必ずしも、王に忠誠を誓ったものとは限らない。
例えば復讐や先導者のような、王と対立する者も同じく蘇る。
それにどちらにもつかない、という選択をした魔刃もいるだろう。
王に従わない者は始末し、復活した王の新たな体として捧げるのは良いとして、女……『傍観者』の魔刃は人間達を気にしていた。
かつて自分たちが支配していた頃から、変化が起きていたのだ。
相変わらず非力ではあるが、技術と数と多様性……それらを以て、自分たち魔刃を制御する技術や、仮面状態の魔刃の自由を奪う、さらに魔刃の力を使った装備など
もうただ支配されるだけの存在ではない。
「刃覚者はだいぶ数が少なくなったけど、厄介ね……それに」
傍観者がつい先ほど歩道橋の上で出会った者。
『解放』の魔刃。
それはかつて王に反逆し、人間達に力を与え、そして王と共に眠りについた者だ。
王より早く目覚めてしまうとは思わなかった傍観者は、少々焦りを感じる。
まだ解放の魔刃も、全力を出すほど力が戻ってはいないのだろうが、再び刃覚者を生み出されれば、今の人間達の技術と数の力が加わり、
再度人類支配が難しく思われる。
なんとしてでも、あの魔刃だけは今度こそ力を取り戻す前に完全に破壊しなければ、傍観者達、王の魔刃の一派は滅んでしまう。
「力……巨大で、大勢の、力」
「おん……な」
足元で泡を吹きながら、肉体の一部が刃物へと変化している男を見下ろして、おもわずため息がでる。
「力に慣れれば少しはマシになるかしら?」
子供の育て方に悩む母親のような気持ちになる傍観者の魔刃は、とにかくこの人間の雄だった怪物に
『暴欲』の名を与え、そして街に放った。
暴欲の魔刃は夜空の下を、己が本能を満たすものを探しに、街へと駆けていき、また闇へその刃物の体を沈ませる。