57焼き付いた記憶
「はっ……はっ……はっ……」
息を切らせながら一人の少年が狭い通路を駆け抜けている。
彼を追う者の、足音や気配に全神経を尖らせつつ、体力の限界まで走り続ける。
「……くっ!」
「…………」
人気のない場所で、呼吸を整える暇もなく、追跡者は少年の方へ迷わず進む。
このままでは捕まると判断した少年は、痛む呼吸器と重い足を動かす。
口の中は既に血の味で満たされつつも、恐怖でまともな思考ができなくとも、アイツからは逃げなければならないと
それだけははっきりとしていた。
「はっ……はっ……わぁッ!!」
「きゃっ!!」
入り組んだ通路を駆け抜けると、その角で小柄な少女とぶつかったのだ。
少女は何が起きたのかわからない風に、のんきに地についた尻をなでている。
一方少年は、ここで立ち止まっている場合ではないと、少女の手を引っ張り、再び走りだす。
「……なっ、なんですか!?」
「いいから、逃げるんだ!!」
少年に手を引かれながら、人の多い場所へとにかく目指す。
時折、自分のさらに後ろに目をやるその少年の表情を、少女は見てただ事ではないと悟る。
謎の追跡者から逃走する二人は、少し大きめなスーパーマーケットを見つけ、その中へと入っていく。
夕食の食材を求めに来た人々に紛れて、二人はやっと落ち追いて呼吸ができるようになった。
「……はぁ……ふぅう……!!すまない、いきなりでびっくりしたよね?」
「……ほんと、なんですか……!?」
少女の手を離し、彼女に頭を下げる。
人さらいの不審者……という可能性を思い浮かべていた少女、霧香はひとまず安心する。
「逃げる……誰から逃げているんですか?」
少年は少女の手を握ったとき、確かにそう言った。
逃げるというのなら、当然追いかける者がいるだろう。
「……君も知っているだろ?今この街に現れている、仮面の集団」
「……!仮面のって……!」
魔刃だ。
彼女の記憶にもまだ新しい。
あの美術館で現れた、あの者達が今彼女の目の前に現れようとしている。
「…………あの……あなたは?なぜ追われているですか?」
「……あいつらは、昔僕を殺し損ねたんだ……」
殺し損ねる……少年は悲しみと、憎しみと、恐怖の記憶を語り始める。
今から数か月前、この街のある一軒家が……焼失した。
犯人は捕まらず、また出火原因も不明。
突如火に包まれ、そして命を奪っていった。
彼の両親、そして妹。
生まれ育ち、長い時間を共にした家族。
楽しい思い出も、苦い思い出もそこにあった。
少年が約十五年の間、すべて迎え入れてくれたその場所が失われた。
あの業火は彼の大事な人々を骨一つ残さず、灰に変えた。
当然、ただの火災などではない。
少年がその異常な現象により、あらゆるモノを失ってから数か月。
あの火の中で得たのは、悲しみと……憎しみ。
そして焼き付いた記憶。
「あ……あ……っ」
燃え盛る炎の中、彼は身動きができなかった。
おしゃれ好きだった母の、その姿見の前で。
その本人はもうすでに、熱で苦しみ喘ぐ声すら聞こえない。
彼女の代わりにその鏡の前に立っていたのは、灼熱の地獄から現れた、黒ずんだ髑髏の男。
「うぁあああああッ!!」
煙に包まれ、少年の意識はその異形の姿を見たのを最後に途切れる。
次に目が覚めたときにはもう、彼には何も残されていなかった。
「事件には解明されていないことだらけだった。あの家で焼かれて死んだのは両親と妹……なのに……」
正体不明の男性の遺体がそこにはあった。
遺体の損傷は激しく、身元は不明のままである。
彼の家族は原型がなくなるほどの熱に襲われ、一方彼自身は気を失ったが、軽いやけどで済んだ。
そしてその謎の男は全身が黒焦げになっていたものの、人の姿は保っていた。
同じ場所、同じ時間にいて、同じ悲劇に会うもここまで状況が違っていた。
「アイツらは、あの仮面の集団は僕を狙っているんだ……!!」
なんの理由で、そんなことは彼には分からない。
だが彼は実際仮面を被った者に追いかけられている。
少年はあのときみた髑髏の男こそ、あの火事で死んだなぞの男だと考えている。
なんらかの理由で彼の両親、妹、そして彼を殺そうとしたが失敗し、自身も巻き込まれたのだと。
そして唯一生き残った少年は、その髑髏の男の仲間に狙われているのだという。
「そんな……信じられません」
少女は……はっきりいって、彼を異常だと思った。
全てが偽りだとは思ってはいない。
本当に悲劇に会い、家族を亡くしたのだと思う。
しかし、彼に手を引かれながら走っていた時、後に何の気配も感じられなかった。
最近報道された仮面の集団と、その火災事件の放火犯と思われる男を結び付けてしまっているのだと思っている。
いまだ癒えぬ、恐怖と絶望によって幻に怯えているのだと。
「本当だ、本当なんだ!最近また、正体不明の火事が起きている!本当だ!信じてくれ!」
「い、痛いです……」
「あっ……すまない、また……」
痛がる少女の声で、彼は冷静さを取り戻す。
乱暴に揺さぶっていた手を離すと、周囲の主婦たちの疑わしい目線に気が付く。
「……すまない」
「……いえ、もしかしたら……」
もし、彼の考えがすべて正しかったら……その最悪の状況が本当なら。
彼は今、とても危険な状態である。
つい最近、商店街の方で何やら黒焦げたモノが夜中に置かれていたという話を、彼女は思い出していた。
周囲も荒らされていて、誰かの悪戯だと思われていたが、それが……万が一ということもある。
「……危険なことに関わらないで、って言ったのになぁ……」
結局、頼るハメになった少女は自分の無力さを噛みしめながら、少年と共に、ついさっきまでいた病院へ行く。