54差し入れ
「あ~あああ!!暇だァ!」
ベッドの上で右に左に、寝返りにしては大げさなしぐさをとる。
実際、詩朗の怪我は大したことないので、早く帰りたいのだが……
「……保育園内で加害者と接触していた仮面の男も、その集団の仲間ということなのでしょうか……?」
「今現在、調査中でして……」
暇つぶしにつけた小さなテレビではどこもかしこも同じ報道を行っている。
どうやらあの事件自体、全国に知れ渡ったようだ。
もっとも、カルト集団が猟奇殺人を行った……というような報道だが。
「このTHEお偉いさんって感じの人は本当に知らなかったのかどうか……」
少なくとも、この街の独自であのシステムの開発や組織の集団を構成しているとは思えない。
きっと国家……もしかしたら人類の問題として裏で事が進んでいるのかもしれない。
今は誰も、あの仮面の正体が人間と疑っていない、そうやって街の怪物たちを隠匿していた罪を免れるつもりだろう。
とはいえ、正直に話したところで結局、その人類の敵に頼らなければ生き逃れることはできない事実を晒すだけ。
混乱を抑えるため、そう言われてしまえば何も言い返せない詩朗は、若干人間不信になってしまいそうだった。
「Saverシステム……人類の希望となりうる存在……」
部屋の隅にあるギターケース。
もはや両親達だけではない、人類すべての望みがあの箱の中に収められていると思うと
詩朗は、自分にあれを背負っていけるか不安に感じてしまう。
「はぁ……休めとは言われたが、休んでいられないよなぁ」
大体、今はまだ被害は少ないが、公にされたことにより魔刃側も過激になるのではないかと心配もある。
今こうして病室一つを使わせてもらっている詩朗だったが、どうせ自分の存在を表に匂わせないようにするため
拘束するのが目的なら、いっそ牢屋にでもいれておけと思う。
「…………はぁ……」
「お、元気そうじゃないか……」
いつのまに開いていたのだろうか。
病室に入ってきたのは、夕河暁と、詩朗の伯母の詠。
「偶然会ってね、詩朗にお見舞いに来てくれたそうなのよ」
「まぁ、これでも食べて元気出しなさい。どうせ怪我は大したこと無いんだし食べれるでしょ?」
夕河が取り出したのは、お日様のような真っ赤な果実。
「まぁ、果物ナイフがないから丸かじりだけど……お?」
夕河はリンゴ片手に持ちながら、部屋の隅の例のケースを見つめて何かを思いついたような表情をする。
「……すみません、おねぇさん……少し部屋からでてもらっても?」
「え……?え!?」
背中を押されながら、何をするのか理解できず慌てる詠。
それを見ていて、夕河が何をしようとしてるのか察した詩朗はベッドから這い出て彼女から
リンゴを奪って齧り跡をつけた。
「丸かじりでいいってばっ……!!」
「あ、そうだ詠さん……」
甘い果肉は齧り取られ、中の種がむき出しになったそれを手に持ったまま話しかける。
「刑事さんが、あれを」
リンゴを持っていない方の手でベッドから少し離れた場所の棚に指をさす。
そこには折りたたまれた奇麗な布が一枚。
花の刺繍を施したそれは、彼女のモノである。
「刑事さん……」
それを手に取ると、詠は一度何かを言いかけ黙ったと思えば、次には覚悟を決めて声に出した。
「詩朗、あなた……最近何をしているの?」
「えっ」
「だって……夏休みの初めにも病院送りになるような怪我をしたと思えば、数日で帰ってくるし
夜中に外へ出ることは多くなったし、ギターなんて家で見たことないのにギターケース持ち歩いてるし!
刑事さんと顔見知りだったみたいだし!!」
「あっ……詠さん……その」
「何よ!!」
「ごめんなさい……」
一方詩朗も何かを言いかけ、それを言葉に出すことはできずに黙ってしまう。
これまでの事を正直に話すかどうか、迷っているというのもあるが、詠の怒りに委縮してしまっている。
どうしたものかと夕河の方へ助けを求めて向いてみると、彼女の眼球が不自然に動いていた。
どうにも、彼女に何かを期待するのは無意味らしい。
仕方がないので何か適当な理由でもでっちあげるか、と額に手を当てながら考えていたところ。
「その、手に額を当てるの……気づいていないとでも?」
「え……?」
長年、彼と暮らしているうちに彼の癖を把握している、
詠はいつも彼がその額に手を当てるという動作をしているときに、何を考えているのかわかるのだ。
「嘘はやめて……刑事さんと……今ニュースでもやってるあの場所に行ったんでしょ?」
「……ああ」
詩朗は額に当ててた掌で自分の頭を軽く叩く。
そして頭に手を乗せたまま、彼女に目を合わせることもできずに、認める。
それは、最近の不自然な行動も、類似した何か危険なことである、ということを示す意味でもある。
「なんで、なんで詩朗が……そんなことをする必要が!」
月村詩朗。
大事な兄夫婦の一人息子。
二人の忘れ形見を引き取った、亡くなった詠の母……詩朗の祖母は最期にこう言った。
「あの子のやさしさは、脆くて危ない何かを隠しとる……詠、あの子が傷ついたり傷つけたりせんように
よう見守ってやりなさい……」
祖母も、詠も。
昔から気が付いていた。
月村詩朗という両親を失い心に傷を負った少年が、いつも無理やり作った笑顔を振るまっていたことを。
そして彼の奥底で眠る本性は、傷つけば簡単に壊れてしまうものだということ。
さらには、傷つけさせるだけでも逆に折れてしまうような脆さであることも。
「詩朗……ねぇ、危ないことをしてるならやめて……あなたは誰かを傷つけられない子だって信じてるし、誰からも傷つけられて欲しくないの」
「…………!」
詩朗が詠の顔を見つめると、体のどこかにある心がすり潰されていく音が聞こえた気がした。
両目と頬を赤く染めて、怒りと悲しみで震えた声は、彼にとって耐えがたいものだ。
「……俺……僕は……」
今ここで、彼女を安心した笑顔を取り戻させるには、もう二度と危険なことはしないと約束することだろう。
誰かの笑顔が最優先。
そんな風に生きてきた人間は、ここでたとえ嘘でもそう言えるだろう。
「僕は……もう……!」
彼が続きを言おうとしたとき、詠の隣にいる夕河の様子が目に映った。
先ほどまで泳いでいた眼は床を捉えて動かない。
眉と眉の間にはしわができて、自分自身を睨みつけて後悔させているような印象である。
彼女自身、隣の詠の言葉を聞いて胸が痛んでいた。
詩朗が対魔刃部隊に加わるきっかけを作ったのは、彼女とあの魔刃との一件があったからだ。
当の本人は、遅かれ早かれ魔刃との因縁が組織に導いていた、と考えているが彼女の罪悪感はいまだ消えない。
そんな彼女を見ていると、詩朗もあの一件を思い出す。
罪もない人が、魔刃の手により危険に晒される。
思えばそれだけではない、この夏休みが始まって以降……それ以前にだってそういうことが行われていた。
詩朗が知らないだけで、この街の多くの住人が知らないだけで。
彼の両親が必死に希望を生み出そうとするほど、人の知らない場所で惨劇は起きていた。
もう知らない振りなんて、今更できない。
「僕は……もう、戦うって決めたんだ……!!」
「…………ッ!!」
詠は手の中で花の刺繍の白いハンカチをしわくちゃにして、何も言わず病室を出た。
夕河は詩朗に何かを言わなくてはならない気になったが、結局何も言えず、詩朗が布団を頭まで被ってしまったから
そのまま彼女も病室を後にした。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
悪夢にうなされる幼児のように弱々しい声を吐いている。
自分を責め立てるような無音が彼にそうさせた。
誰もいない、だから少しくらい弱さを吐き出しても良いだろうと。
しかしそんな彼の声を聞いてしまった者がいた。
ゆっくりと開いた扉は、布団の中の彼に彼女が入ってくることを伝えなかった。
彼女は具合が悪いのかと心配し、彼に声をかける。
「大丈夫ですか……詩朗さん」
「霧香……ちゃん?」
彼女の小さな手には甘いカラメルの匂いが詰まったカップがあった。