2癒す者
「ありがとうございました!」
店員の声を背に、店を出る女性。
彼女はどことなく上品な雰囲気を漂わせている。
友人からはオトナのオンナって感じでいいわよね!と言われるが、実際、彼女はそんな風に思われるのが嫌であった。
仕事に疲れたときは休日によくこの喫茶店に来る。
高校生の頃からの常連で、とくに甘いものが好きな彼女はいつも珈琲と一緒にケーキを頼む。
「次は店長のプリン頼もうかしら……そういえば今日は初めて見る人だったわね……」
女性は、いつだったか店長が孫と暮らすことになると話していたことを思い出す。
彼がそのお孫さんなのかしら……?いや、もうすこし小さい年齢の子だったかしら?
そんな事を考えながら夕焼け空の下の街を歩く。
時々吹く生暖かい風が、肌に触れると気持ちいがいい。
とてもいい休日だと満足しながらも、また明日から仕事だと若干憂鬱ぎみに自宅のあるマンションに向かう。
「ねぇ貴方、疲れてるわね」
「……え?」
その道中、何者からか知らないが話しかけられた。
振り返るが、そこには誰もいない。
周囲をキョロキョロとする彼女を嗤うような声の主は彼女を誘う。
「こっちよ、こっち……」
建物と建物の狭い間に何かの気配を感じる。
「な……に?」
女性がそれにゆっくりと近づいていく。
「こっち……そうこっち」
「……こっち……」
女性が手を伸ばす。
突如その隙間の影から飛び出した何かが、彼女の頬を切り裂いた。
だが女性は痛みを感じなかったのか、ぼぉーっとしながら建物の間を見つめている。
「あなた、疲れてるわね……とても、かわいそうに」
「あ、私……疲れてる……?」
「ええ、あなたの心はボロボロよ……あたしが癒してあげる」
「癒し……?」
「そう、癒しよ」
何かがおかしい。
だが妙に心地が良い、何かと一つになるような感じだ。
まるで母親のお腹の中にでもいるようだ。
全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
「あなたはあたし、あたしはあなた……あなたの望みがあたしの望み、あたしの望みがあなた望み、さあ叶えましょう」
日が沈み、黒く塗りつぶされた空が街を覆い始める。
にぎやかな繁華街からふらついた足で歩いてくる一人の男がいた。
「うっ……飲みすぎた、明日は仕事のなぁ~のにぃ!ひぐっ……」
完全に酔った男は、いつ自分が道端にゲロをぶちまけるかわからないので、路地裏を歩いていた。
人気のないこの道でなら吐いてもいいだろうという、鈍った頭での考えだ。
「……うっ気分が……あれ?」
男はその人気のない路地で見えたものに、一瞬夢かと思ったが確実に現実のものだと確信して声をかける。
「せぇ~ぱーい!こんなところでき、奇遇ですねぇ~!」
「…………」
彼女は反応しなかったが、否定もしない。
ぐらぐら揺れる視界で、彼女が自分の職場の先輩であるともう一度確認した男は彼女に近づく。
「せ、ぱい~!ちょっと気分がわるぅくて、タクシー代をお借りしたいのでぇすがよろしいですか?」
「…………」
また無反応。
「……せぇんぱい……?………せんぱ、い……うああああああっ!」
男は大声を上げながら後ろに尻もちをつく。
さっきまで素顔だった先輩が、なにやら妙な仮面を被ってこちらを視る。
「……な、なんですかびっくりした……まぁおかげ、酔いが醒めた気が……す、ぶぅぐっ!?」
男の腹部が鋭く尖ったもので突かれ、貫通する。
「え……なんすか?これ」
「あなた……突かれているのよ」
その声は、目の前の女性から聞こえてくるが男の知ってる彼女の声ではなかった。
「うぅっぐええ!」
口から戻した汚物と血に沈む男。
彼に仮面の女が声をかける。
それは無機質であり、まるで母親のように安心する声であった。
「あなたが、彼女の馬鹿な部下ね……彼女を疲れさせるような奴はいらないのよ……ねぇ?」
「…………え?」
なに?この感覚……自分じゃない誰かが自分のふりして自分に話しかけてる?
目の前で自分が行ったことに対して恐怖や罪悪感を感じないといけないのに、なぜか彼女は。
「とても……心地がいい……」
「うふふ……それでいいのよ、さぁ楽しい長期休暇をはじめましょう」
あたしはあなたであなたはあたし。
まるで自分の心が侵食されていくような感覚が女性を襲う。
「あたしが、あなたに心の癒し方を教えてあげる」