117復讐者
幼き頃の記憶。
父の優しい笑い声を聞き、母の腕の中で夢を見る。
そんな日常が続くと思っていた。
「この、汚らわしい女めッ!!」
「なによッ!あなただっていかがわしい店にしょっちゅう……」
よくあることだ。
男女の関係がうまくいかなかった。
そして彼女は選択を迫られた。
父と母、どちらをとるか。
「私は……」
あぁ、可愛らしい私の娘。愛しているわ。お父さんの分まで絶対寂しい思いさせないからね。
その言葉を聞き、彼女は自分の選択が正しかったと信じていた。
数年後までは。
「私、再婚しようと思うの。そろそろあなたにも新しいお父さんが必要だと思うのよね」
「ねぇ、彼のことどう思う?優しい人だと思うわよね?」
「……どうして拒絶するの?ねぇ、あんなにいい人なのに!!」
少女は分かっていた。
母が紹介した男のあの目。
それは、選ばなかった父がかつて見せていた笑みとは別の、なにかおぞましいモノが含まれていることを、本能的に、少女は感じ取っていた。
だから拒絶した。
すると男は、苛立ち、それを母に暴力を振るうという行為で発散した。
「あなたの……せいで……あなたなんか……」
「お母さん……?」
そのあとのことはあまり詳しく話したくない。
男は母と離れたが、母は独りに耐えきれず、かといって昔の、かつて幸せだったころの関係を再構築することも許されなかった。
彼女と離婚した元夫はすでに新たな幸せな家庭を築いていたからだ。
本来、母親である彼女と、娘である彼女がいたであろう場所はすでに別人が居座っていた。
だから、母は……。
「霧香……わたしのところに来なさい。わたしでは不足かもしれんが、お前には幸せになる権利がある」
青白い顔の母の入った棺の前で、母方の祖父に抱きしめられて、彼女は初めて涙を流した。
「どうして」
どうして、私にこんな仕打ちを?
なにも裕福になりたいとか、もっと良い環境が欲しいと思っていたわけではない。
純粋に、父と母と『私』が三人笑顔で、一緒に入れればそれでよかったのに。
どこで、誰が狂わせた?
優しい祖父に抱かれつつも、彼女の涙はただ悲しみだけで流れていたわけではなかったはずだ。
憎い。
『私』からささやかな幸せを奪ったこの『世界』が。
憎い、憎い。
……してやりたい。
「うあぁああああああッ!!」
仮面を被った少女の内側から、真っ赤な刃がその身を裂いて出てくる。
少女の悲痛の叫びが地下に響く。
「落ちついて、受け入れて」
「しろ……うさん?」
「僕は怪物になってしまったけど、君まで怪物になる必要はない。大丈夫、君なら復讐心を制御できる」
泣き崩れながらも、おぞましい雰囲気に包まれた少女に向かって、警戒心を強める解放と天野。
そしてその二対の魔刃の対決の隙を狙って王の仮面を奪おうと様子を伺う傍観者に向かって、日野が銃口を向ける。
「あらぁ……その程度の装備ならば、私でも造作は無いわよ?」
「それはどうかな……と、言いたいところだが、そうだろうな」
傍観者は銃口を向けられつつも、復讐者を被った少女と、解放を被った男の戦いの行方を鑑賞する。
少女が勝てば、トドメの直後に割り込み、天野から仮面を奪う。
天野が勝ったとしても消耗しているうちに解放を倒し、王を捕食する。
後方で銃口を向ける少年は大した脅威にならない。
そう判断した傍観者は、今は二人の魔刃の戦いを見届けることにしたのだ。
少女は自身から突き出た刃から流れる、血よりも濃い赤いモノに触れている。
「私は……許せない、お母さんも、お父さんも、こんな私の運命も……許せない、許せないッ!」
「飲み込まれないで、俺みたいに。思い出して、君の周りにあった笑顔を」
赤木霧香の周囲の人物、祖父、喫茶店のお客さんたち、詩朗や夕河。
みんな、彼女に笑顔を与えられ、彼女に笑顔を与えた。
「俺は、復讐者だけど、笑顔を守る怪物なんだ。君にも守りたい笑顔があるだろう?」
「私……」
本当は、母も父も三人そろって笑い合っていた時が一番守りたいものだった。
だが、それはもう叶わない。
「私は……」
だけど、今の彼女には新しい、守りたい笑顔がたくさんあるはずだ。
そう復讐者は、いや、月村詩朗は訴えかける。
「……守る」
「……どうやら、向こうの戦闘準備が整ったようですね。我々もいけますか、救世主」
「無論、天野よ、人にして我らの理想を理解したお前とならばな」
新たな肉体を得て、通じ合う人間と怪物たち。
双方は己の意思を固めた刃をその身から出現させ、ぶつけ合わせる。
刃が交わるたび、互いの理想の世界を相手に見せつける。
「完璧な存在、完璧な世界。それは美しいのかもしれないけど、私たちに居場所はない、完璧な人間なんてもはや私たちじゃない」
「そうですとも、人間であるから完璧ではないのですよ、あなた達こそ、復讐心、憎悪の力を使いながら笑顔を守ろうなど、矛盾している
そんなもので人は救えない。他者を傷つける憎悪で誰を笑顔にできるのです?」
刃をぶつけるたび、相手を疑い、自分の理想も疑ってしまう。
これは自分の理想をどちらが信じきれるか、その耐久戦であろうか。
先に音を上げたのは、復讐者の方。
「たしかに……俺の力は、誰かの、そして俺や霧香ちゃんの恨みやマイナスな感情が元だ……」
だけど、たとえ歪んでいたとしても、笑顔を守りたい。
そんな理想を、解放と天野は否定する。
「そんなに笑顔があふれる世界にしたいのならば、我々にひれ伏しなさい。完全な世界には憎悪も笑顔もすべてが存在する。あなたたちの矛盾も受け入れてさしあげましょう」
「……悪くないな、だけど、矛盾してることがいけないことじゃないだろ、完全じゃない俺たちは矛盾し続けている。あんただって……」
「何を……ッ!?」
復讐者の一撃、天野の身体に一筋の切傷、それが光り輝く。
その光は天野を包み、彼の心の奥底の彼の『復讐心』が目を覚ます。
母の研究を無駄にして……許さない。
「それが、アンタが、天野博士、アンタが俺の両親に抱いた感情だろう!!」
「それが……どうしたというのです!!」
「それを……許せるのか?」
「何?」
母の研究により生まれたそれを使わず、まるで母の研究を盗むように、新たな武装の開発の元データとしか扱わなかった月村夫妻。
そんな彼らを許せるのか?
「あんたが完全なる存在ならば、その復讐心と共に、対となる許しの心も必要じゃないのか?でなければ全てが存在した完全なる者とはいえないッ!!」
「ッ……私は……」
私は……。
「許せ……る」
解放の魔刃のまっすぐ伸びていた刃が歪む。
「わけが……」
拮抗していた力関係が一気に崩れる。
「ないだろぉおッ!!お前の、お前の両親は、私の母の研究成果を否定したくせに、それを元に様々なものを作り上げた!!
人間のために、許せない、お前の両親も、人間どももッ!そして、私自身母の研究成果を改造し、彼女の理想とは別の用途に使っているッ!!そんな自分も!!」
「……天野、人間よッ!!落ち着け、心の昂ぶりを抑えろ!お前がそれを飲み込みさえすれば、すべてが手に入るのだぞ!?」
頭を抱え、のたうちまわる天野。
怒り、憎しみ、悲しみ。
それらの感情が制御できなくなっている。
そこに、霧香が一歩踏み出し、隙だらけの天野に近寄る。
混乱している天野はもはや頼りにならないと判断した解放の魔刃は、全力で彼の肉体を乗っ取り、接近した霧香の斬撃を迎え撃とうとした。
しかし、彼女が放ったのは攻撃ではなかった。
彼女は、彼女が被っていた仮面を、解放の魔刃の仮面の上からさらに被せたのだ。
「解き放てよ、お前の、復讐心を!!」
「あぁあああッ!!」
抑圧されていた復讐心、その下にある解放の性質を上乗せし、さらに眠る天野の怒りや憎しみの感情を引き出す。
「おのれぇ……このッ!!」
なんとか天野の体をコントロールし、自身の上に被さる復讐者の魔刃の仮面を投げ捨てた解放の魔刃。
だが精神が不安定な状況になった故に、彼の刃はとてつもなく脆くなってしまっていた。
その隙を、待っていたといわんばかりに、ついに傍観者の魔刃が動く。
「死ねぇ!救世主っ!」
「ぐっ、貴様ぁ!!」
隙を突かれ、本体である仮面に大きな欠損を負う。
だが、そんなことより、彼らにとって最悪な事態が起きる。
天野の懐から、王、支配者の魔刃の仮面が飛び出した。
日野はその仮面に向かって、銃口を。
傍観者はそれを破壊せず、丸飲みしようと、口を開ける。
「当たれぇえええ!!」
「おせぇえええええ!!」
刃の弾丸は支配者の仮面に掠りもせず、そしてそのまま王を飲み込み、同化した傍観者。
彼女の刃の体が急激に鋭く、そして強固に強化されていくのを感じる。
「ハハッ!もう私はただ見ているだけの傍観者じゃない、すべての世界を私好みの舞台を描く、創作者とでも名乗ろうかッ!ハハハッ!!」
「はぁああああッ!!」
万能の力を手にした。
そう確信したのは間違いだった。
復讐者の仮面を拾い上げ、それを被り、刃を即座に形成した霧香は、傍観者の魔刃の腹を裂いた。
すると、そこには当然、丸飲みした、完全な状態の支配者の仮面が存在してる。
それを素手で抉り出す。
「ガッ……やめ、ろぉ……」
ついに、すべての元凶である支配者、魔刃達の王の仮面をその手に掴む。
すると、彼と彼女の二人の脳内に、何者かの声が響く。
「汝らもわれの力を欲せ、さすればこの世を支配できるぞ」
「……あいにくだが、誰かの支配下では、真実の、心の底からの笑顔は見れない。お前じゃ俺たちの願いは叶えられない」
ギリィ……復讐者は支配者の仮面を握りつぶそうと力を入れる。
それに、解放の魔刃、そして傍観者の魔刃までもが、叫び、破壊をやめるよう訴えかける。
「わかっているのか!!それは我々魔刃の王、力の根源!!」
「魔刃になったあなたがそれを壊せば、あなた自身もただの仮面へとなり果てるのよォ!?」
そんなことは、人間をやめ、怪物と化したときから覚悟は決まっている。
ただ、一つだけ心残りがあったので、復讐者、いや月村詩朗はそのひび割れた支配者の仮面を空中に投げ、日野にそれを撃ち抜くように頼む。
月村詩朗はもうすでに死んでいる。それを理解している日野は容赦なく支配者の仮面を撃ち抜くだろう。
ただ、宙に浮いたそのわずかな時間。
そこで詩朗は霧香に、唯一の心残りを伝える。
「……わかった。詩朗さん」
銃声、そして砕け散る音。
叫びをあげる怪物たちは、すぐさま、無機質なただの仮面と化す。
それは例外なく、復讐者、月村詩朗もだ。
支配者の仮面が破壊されると、霧香が封じ込められていた赤い結晶の装飾がされていた巨大な剣。
かつて支配者の魔刃が他の魔刃から奪い取った刃の体の塊が崩れ始める。
その場にいた日野は赤木の手を引いて、脱出を図ろうとする。
赤木霧香は胸にもうただの仮面と化した『彼』を抱いて、手を引かれるまま地上へと向かう。
「天野博士ェ!!」
「……」
途中、魔刃に体を乗っ取られていたとはいえ、完全に同化していなかった天野の存在に気付いた日野が、霧香を先に地上へ向かわせると、崩れる地下へ戻ろうとしていた。
「日野君!!」
「博士、!!俺はアンタに感謝している!たとえ裏切り者でもだ!俺が、俺たちが戦う力を与えてくれたのはアンタだからだ!!
だから、こんなところでくたばらせない、ここを出て罪を継ぐな……」
「……もう、手遅れですよ。日野君」
天野は、復讐者と同じくただの仮面と化した、解放の魔刃を手で押さえながら顔を隠し、そのまま崩れる巨大な剣の刃に埋もれる。
「日野さんッ!」
「くっ!!」
無数の刃で狭い空間が圧迫されていく。
なんとか日野はその場を去り、地上へ出る。
「天野博士、後輩……」
赤木霧香が涙を流しながら抱きしめている仮面を見つめながら、日野は弾が空になった刃の銃を捨て、呟いた。