メガドライブ版スーパーモナコGPというレースゲームの皮を被った最高の物語について
自分の人生観を揺るがした傑作レースゲーム、メガドライブ版「スーパーモナコGP」のゲームレビューです
往年のSEGAファン。メガドライバーには誇りとするソフトが沢山ありました。
スーパーファミコン、PCエンジンの三強の中で最も劣勢ではあったが、熱狂的なファンのいたハード。
ソニック、ゴールデンアックス、シャイニングフォース、ファンタシースター、サンダーフォース
その中で「スーパーモナコGPは傑作だった」という声も多くあります。
「スーパーモナコGP」はレースゲームです。
アーケードがオリジナルなのですが、その移植度は正直褒められたものではありません。
アーケードと同じモードの「SUPER MONACO GP」は、アーケード移植を期待した自分から見てもがっかりな出来でした。
しかし、メガドライブ版にはオリジナルモードがありました。
それが「WORLD CHAMPIONSHIP」モードです。
メガドライブ版スーパーモナコGPが、SEGAファンの誇りとされているのは、まさにこのモードが所以です。
「WORLD CHAMPIONSHIP」
これは全16戦を戦い、ワールドチャンピオンを目指すというものですが特徴が下記のようになります。
・車の性能の差が激しい。どんなにやりこんでも弱いチームの車のままではワールドチャンピオンにはまずなれない。
・1位にならなくていい。目的は自分よりやや強いライバルに勝ち、そこからスカウトされどんどん強いチームに移動すること
・自分がライバルを指定するだけではなく、CPUからもライバル指定される時がある、それに二連敗するとチームから追い出される。
ここから浮かび上がるのは、徹底した「車の性能がすべて」という世界感。
ここまでがゲーム説明。
ここからが本番の感想です
小さいころ、このスーパーモナコGPをやり始めた感想は
「RPGみたいで面白い」
でした。
RPGに出てくる剣や鎧のイメージです。
どんどん敵を倒すことによって、良い剣や良い鎧を装備できる。
チームの移籍はまさしくそんなイメージでした。
敵を倒す。ライバルを倒すことによってどんどん強くなっていく。
良いチームに移籍することで、自分が強くなっていく。
いつしか「自分は強くなった」と感じるようになる。
そしてその強い自分は、念願のワールドチャンピオンに成りあがります。
なんて強い自分。自分こそが世界チャンピオン。
どころが、世界チャンピオンになりMADONNAというトップチームに移籍した直後
突然現れたライバル「CEARA」が現れます。
そして、この「CEARA」には(通常のレース運びでは)絶対に勝てません。だってこいつワープするし。
そして2連敗します。
その結果チームを追い出される。
そして主人公は路頭に迷うのです。
主人公は世界チャンピオンになった。そんな実績があるのに、ほかの強豪チームはどこも声をかけてくれない。
声をかけてくれたのは弱いチーム。
しかも「まだ走れるよな?」というメッセージ。
主人公は敗北ですべてを失ったのだ。
ここで、当時の自分は震えた。
剣や鎧のように認識していたもの。チーム。
自分はただそれに踊らされていただけ。
自分は本当は強くはない。
単に車が、チームが良かっただけ。
RPGのように無邪気に強くなっていたと喜んでいた自分に、ゲームはここで牙を剥く。
このレーサーとはいったいなんなのか。
世界チャンピオンまで成り上がりながら、また再起を誓う主人公はなんなのか。
このあたりで感情移入度がマックスになりました。
「世界チャンピオン、最高のレーサー、そんなものはどうでもいい」
「ただ、自分を地獄に叩き落したCEARAにまた戦いたい。そして勝ちたい」
絶望してもなお戦う主人公。
自分を見限ったチームを見返し、また這い上がる。
「一度の敗北ですべてを失った。自分の存在意義はあるのだろうか?」
レーサーなんてだれでもいいんじゃないか。
必死にハンドルを操作しているけれども、結局はマシンとチームが優秀ならば勝ててしまう。
自分という存在意義と戦う絶望。
それでもハンドルを離さない。
そして
CEARAに再戦し勝った時、涙を流して喜びました。
めっちゃ難しかった。すごい時間がかかった。だからこそ、その勝利は格別なもの。
そして胸に沸き上がったものは
「結局このゲームにおいては、レーサーの価値なんてないかもしれない」
現にCEARAを撃破した時に乗ったチームは最強ランク。
自分の価値との自問自答はなにも終わってない。
それでも、主人公はまたハンドルを握る。自分の存在意義と戦いながら
そう、自問自答は終わらない。自分の存在意義との闘争は、勝ってもまだ終わらない。
「ああ、戦い続けることが、人生の意味なんだ」
自分の存在意義とは戦い続けること。
例え負けたとしても、すべてを失ったとしても、それでも這い上がってまだ戦うこと。そしてまた這い上がってもまだ戦い続けること。
それこそが自分という存在意義
レースゲームでそんなことを教えてくれたメガドライブ版「スーパーモナコGP」
たまに中古ショップで格安で見かけます。
メガドライブミニでも収録されず、ほかの媒体でも復活は絶望的な傑作(実名もろバレな変名と「モナコ」の権利が色々無理)
もしやる機会があればお勧めします。