日記
十二月一日
今日も鬱々としている。外に出ようという気持ちと部屋に居たいという気持ちがない交ぜになって、その欝さは更に底を深く深く掘り下げる。
最近、リストカットをする人の気持ちがだいぶ分かってきた。あれは、確かに落ち着く。自分を傷つけることで心に罰という枷をつくり、もし外に出なければこれ以上に傷が増えるぞと言う、ある種脅迫観念とでもいうのか、そういったものを形作り、表に出ようと踏ん張るきっかけが出来るように思う。
あるいは自傷行為の傷跡を残すことによって、世間や周囲の人物に自分が苦しんでいるとただアピールしたいだけなのかもしれない。
どちらにせよ、先日試してみたがあれは下手な向精神薬よりも断然効果があると私は思う。
しかしそれはあくまで病んでいる(もしくはそう思っている)側がそう思い込むだけで、薬のように脳の副交感神経やその中枢にはなんら影響を与えないとも思えるので、実際には矢張り、己が弱者であると訴える人間の、内面的な精神の弱さの表れなのかもしれない。
こんな仰々しく色々とまくし立ててはいるが、実際には自分に専門的な知識は何もない。
ただ自己分析を進める過程でそう思ってしまってそれを書いているだけなのだから、もしこれを読まれて他人からどう言われようが、仕方のない様に思う。マスターベイションなのだこれは。
とにかく表に出よう。今まで自分の中でギリギリ保ってきたものがまた崩れてしまう。いや、もう崩れているのかもしれないが、こんな駄文を書き散らしているということはまだ正常を保てていると言う証拠で、後でこの先の日記(そもそもこんな文は日記か?)を読み返したとき「あぁ、マジこいつ終わってんな」と思わないよう今後も努力することとしよう。
……だがもしこの先自分が本当に終わっていたならば、恐らくこんなもの何も感じずに読み返すのだろうなと思うと、我ながら大いに心配する。死ぬな自分。
十二月十五日
医者でもらった薬の摂取量を増やした(自主的にだが)からか、最近は外に出ることも抵抗がなくなってきた。
日中も仕事を始めさえすれば、気分が悪くなることもなくなった。
今日は一人の同僚の誕生日だった。彼女は明るくハキハキとした振る舞いで周囲からの信頼も厚く、職場のみんなで誕生会を開くことになった。仕事が終わった後、今流行のダイニングバーで宴会まがいの祝いが始まる。
酒も入って盛り上がり、しばらくすると幹事役の同僚が立ち上がってサプライズがある、と彼女とすでに周知の私たちにも聞こえるように声を上げた。
一枚のボードに書き込みをしてそれを主役に渡すというベタな企画はもちろん、一人一人が彼女のためにプレゼントを渡すことになっている。一応、私も用意した。最近若い娘たちの中で流行っていると噂の一匹のマスコットのぬいぐるみだ。私はよくこの良さが感じられないのだが、世間の批評を聞く限りではプレゼントとしてはハズレではないだろう。
花束や、中に何が入っているか分からなくし、帰ったら開けるようにと渡すものもいた。私も一応ラッピングはしてもらったが、すぐ彼女の反応が見たくて、透明なフィルムに包装してもらった。
それというのも、まぁ、端的に言えば私は彼女のことが少し気になっている。恋愛感情とまでは恐らくいってはいないのだろう、自分でそう言い切れる。私は彼女が羨ましいのだ。あの明るさが、元気さが、誰にも分け隔てなく振りまくあの笑顔が、たぶん羨ましいのだ。
私の番が回ってくる。彼女の元にいって、それを手渡した。『これ、今すごく流行ってるやつですよね!』と、いつもより気持ち輝くような笑顔が浮かんで少し会話が繋がった。普段は事務的以外に滅多に会話することなどなかったので、私は少し照れていた。しかし酔いも手伝ってくれたのか、思ったより饒舌に話をすることが出来て、柄にもなく喜ぶ自分がいた。
それからも宴会はしばらく続き、ようやくといった頃合でお開きとなった。ここからは二次会組と帰宅組に分かれていくが、私は明日出勤になっているのでこのまま帰ることにした。車で来ていたので代行を呼び、駐車場で少しの間待っているときのことだ。二次会組の一人に、仕事で聞いておかなければいけないことを唐突に思い出し、店の前でたむろしている同僚のとこまで戻ったときだった。
彼女が、ほかの同僚とキャッチボールをしていた。何でって?あのぬいぐるみでだ。その時は特別なにも思わず目的を果たした。そして車に戻ろうとしたとき、小さい声だったのに嫌に、本当に嫌にはっきりと聞こえた。
『それ、いらないから上げる』
渡した相手は、誰だか分からなかった……。
代行が来て、車に乗り、鍵を開けて家に帰る。すると待っていたのはいつもやってくるあの感覚だった。身体にも、あるのかさえわからない心にもずっしりと重く圧し掛かるあの感覚。あぁ、自分って意外と繊細なのか?と思いながら、卓に投げっぱなしだった薬を貪った。いくつ飲んだかは覚えていない。死ぬな、自分。
十二月二十五日
あれからしばらく経った。職場で彼女と会うと一応会話をするものの、以前のような心地よい高揚感が沸いてこない。これは世間一般ではもしかすると失恋したというのではないだろうか。ふとそんなことが気になって、仕事の帰りに昔なじみの家に寄ることにした。
その昔なじみの彼とは小学校からの仲で、私としては唯一まともに『友達』と定義して呼べる人物だった。しかし最近ではどちらも忙しく、特に彼のほうは地元ではそれなりに大手の会社に就職したこともあり、昔のようにあまり会う機会がなかった。
しかし試しにメールをしてみれば、『来い』と短く返信が届く。いつもの彼のメールのテンションではないなといぶかしみつつも、彼の家に行った。
そして行ってみれば、それは凄まじいものだった。最近一人暮らしを始めたとはいえ、以前訪れたときとはまるで違う荒れ様だった。
彼はオウ、と抑揚のない声で部屋に私を通す。脚でゴミを避けて、通り道と座る場所を作ってくれた。
しかしこんな荒れ模様を見てしまっては、当初話そうとしていたこともとっくに吹っ飛んでいたのだが、彼はなにか子供のように、私の話を聞きたがった。とりあえずは先日あった彼女の話や、仕事での鬱憤、簡単に言えば愚痴で収まってしまうのだが、とにかくしゃべり続けた。
しかし彼はそれにウン、ウンと耳を傾け頷くだけだった。お前も何か話せよ、色々溜まってるんだろ?と、私にしては珍しく会話の催促をしていた。というか、こんなに私だけが一方的に喋っていることなど初めてなので不安になり、どうにかいつもの調子に戻そうとしていたのだ。
それでも彼は、オレはいいから。お前の話を聞かせろよ?と、私の眼を見て言った。……あぁ、これはどこかおかしい。そう思いつつも、結局私は自分ではなく彼の催促を受け入れてしまって、また喋り始めた。どうにか話題だけは明るいものにしてやろうと懸命だったが、私自身最近あまり楽しいことがないので、それが上手くいったかはわからない。でも彼の顔の端々に、時折ではあるがか細い笑顔が見えたので少しは安心した。
そのまま長く話していると、もう結構な時刻になっていたので私はそろそろ帰ることにした。
スッと立ち上がり、何気なくゴミ山の中に埋もれたテーブルに眼がいったときだ。そこには飲んだ後の薬の入れガラが幾つも幾つも転がっていた。それも、私の使っているよりもずっと強力なものだ。
……しかしこの時私は、特に何も言うまいと思いさっさと彼の家を出て、帰路に着いた。十二月二十三日、午後十一時過ぎのことだった。
そしてついさっきまで、クリスマスのという世間ではめでたい日に、私は葬式に参列していた。
誰の式なのか。
二日前にあったばかりの、私の『友達』だった。
自殺らしかった。私も混乱し、あまりその内容が頭に入ってこない。昨日の夜だったか、警察の人が家に見えて、彼のことについてを話を聞きに来た。最期に彼と会ったのはあなたですか?彼とは親しかったのですか?彼と喧嘩などされていませんでしたか?彼は最後に、どんな様子でしたか?
彼が死んだのは、二十四日の午前零時ほどらしい。あのあと、すぐにだったらしい。あの時。もう少しあの汚い部屋に居てやれば。無理にでも、あいつの話を聞いてやれていれば。帰るとき、薬のことをたずねて少しでも心配の言葉をかけてやっていれば……。そんなことが頭をよぎる。
しかし、遺族に挨拶をし、焼香を済まし、坊さんの経に耳を傾けている間、私はずっと不思議だった。眼を擦る。涙は、一滴も出ていない。たった一人の友達が居なくなったのにだ。それどころか、軽く胸が高鳴っている。何故だろう、何故だろう、何故だろう。じっと考え続けていた。そして経が上げ終わるころ、ようやく私の中で答えが出た。
答えなんて実は初めからなくて、初めから出ていたのだ。つまり、私は、今、彼が、羨ましかったのだ。プレゼントを渡す以前の時の彼女を見ていたときのように。私は羨ましかったのだ。そうだ、羨ましい、羨ましい、羨ましい。……うん、やっぱり羨ましい。そして決心した。死のう、自分。
一月一日
あれから、色々とインターネットやらで自殺の仕方などを調べてみた。どんな方法が手間が掛からないか、苦しくないか、汚くないか、迷惑をかけないか。しかしどれを見比べてても、例えば迷惑の掛からないものであれば樹海での遭難や失踪しての飛び降り自殺。これは自分としてはあまりピンと来ない。苦しくない死に方も色々準備やら用意するものが多くてやる気が起きなかった。
しかし幸いというか、おあつらえ向きというか、私の部屋は一本の鴨居が走る和室なのだ。自分の身長もそう高くないので、これはきっと首吊りに丁度いいと思った。
試しに手を使ってぶら下がり、簡単に折れないか確認してみた。多少軋みはするものの、大丈夫のようだ。人間は十分以上脳に酸素が供給されなければ脳死してしまうというから、最低限それほど持ってくれればよかった。
問題は苦しさだが、私は死ぬときに苦しまないで死にたいと思うほどのゆとり世代ではないので、これは一向にに構わなかった。首吊りとは自殺の中では結構に苦しい部類に入るようで、あまりオススメできません。と書かれていたが、線路に寝転んで電車に跳ねられるよりはマシだと思った。あれは経営側から賠償金やら請求されるらしいので絶対に遠慮したい。ちなみにそれは先日の私の友人の手法だった。
縄もすでに用意している。食い込みやすいように細めのワイヤーにしてみた。金具を付ければ輪にするのも簡単だし、ホームセンターでこれは良いと即買いしてきたものだ。
それと遺書。正直、書くことがなかった。両親への謝罪、人生の疲れ、自分の弱さの悲観。それらをもっともらしく書き綴ってみたものの、それはもっともらしく見えるだけで、もっともな遺書ではなかった。ギリギリまで悩んでみたものの、やはり書かないことにした。
あとは時間だが、友人がクリスマスイヴというイベントのある日付を選んでいたので、私の場合は大晦日。十二月の三十一日から翌年の一月一日にかけて死んで見ることにした。これで段取りが整った。あとは、その時がくるのを待つばかりだ。
心待ちにしていた時間はようやくやってきて、私は暗い部屋の中で椅子の上に立っている。縄の長さも調整したし、これでいざ跳んでみて床に脚が届いてしまう、という空しい結果も起こらない。
午後十一時。表では除夜の鐘が鳴り響いている。私はその音に、いつしか耳を傾けていた。この鐘は一〇八の煩悩を落とすというが、果たして人間の持つ煩悩とはそれほどに少ないものなのだろうか。昔ならそれでよかったのかもしれないが、現代に生きる人間であれば、数え切れないほどのそれを持っているに違いない。
するとここにきて、急に私はあの友人との昔の記憶に思いを馳せていた。小さい頃に一緒に遊んだ時のことや、喧嘩をしてしばらく口を利かなかったときのことや……走馬灯にはまだ早いというのに、何故かその記憶のリフレインは止まらない。少しずつ、少しずつ、記憶の中で私たちは大人に近づいていって、やっと先日、彼が亡くなった所まで至ったときだった。
顔に、熱いものが流れた。
それはいつまでも、いつまでも止まらなかった。むしろ段々と熱さの粒は大きくなり、顔がいつの間にかグシャグシャになっていた。軽い嗚咽を漏らしたとき、ようやく自分が泣いていることに気が付いた。気が付くと、もうそこで立っていられなくなり、椅子から降りて畳に蹲っていた。
……あぁ、そうだ。何をしていたんだろう。なんでこんなバカなことになっていたんだろう私は。
バカなこととは、自殺しようとしていたことではない。人が、友達が、しかも長年一緒だった大切なものが、もうすでにここに居ないというのに、どうして私は今まで泣いてやれなかったのだろう。
そう考えたら恥ずかしくなって、頭を抱えずには居られなかった。畳の上でうずくまり、まるで胎児の姿のように、私はひたすら泣いていた。もう体裁も糞もなかった。とにかく泣いてやりたかった。居なくなってから泣いてやれなかったこの一週間分を、今ここで全部零れだしてしまいたかった。
自殺するというのなら、彼が死んだことに絶望して死のうとすればよかったのに。あろうことか羨ましいなどと……。自分で自分を殺してやりたかった。
頭の中がグシャグシャになって、ようやく落ち着いた頃には、除夜の鐘の音もとっくに鳴り止んでいた。時計を見ると、午前零時十分。一時間以上も私は泣き喚いていたのだ。
とりあえずは、吊るしてあったワイヤーを片付けた。もうこんなものはいらない。私は友人を侮辱したのだ、最悪の形で。ならば私に自分で死ぬ資格なんてない。たとえそれがどんなくだらない理由でも、どんな死ななくてはいけない理由でも。
一通り片づけが済んで、ようやっと涙と鼻水で小汚くなった顔を整えていた時だった。コンコン、と部屋の戸が叩かれ、引き戸がゆっくりと開けられた。そこにいたのは、私の母親だった。
「あけましておめでとう。あんた、こんなくらい部屋でなにやってんの?」
「いや……」
そう言葉を濁すしかなかった。
「年越しソバ出来てるから、冷めないうちに早く来なさい?」
そう言うと母親は、特になにも気付かなかったようでさっさと部屋から立ち去ってしまった。
「………………お袋」
一息溜めると、私は今一番言いたいことを口にした。
「年明けてるのに、年越しソバはもう遅いよ」
――――――ということで、私は死ななかった。だから今後も病んだ日記を徒然と書いていくだろう。でもいつも日記の最後に書いていたあの台詞はもう書かない、今度からは友人のためにも、この言葉を最後に付け加えていくことにしよう。
生きよう、自分。




