その三 バレンシア
六日目 五月十四日(金曜日)
七時に、四泊したオスタルをチェックアウトして、タクシーで北バス・ターミナルへ向かった。
五日前の夜、三池たちを迎えた若い娘が「ブエン・ビアッヘ」と送り出してくれた。
ターミナルの中にあるカフェテリアに入り、いつものようにコーヒーとクロワッサンという簡単な朝食を摂った。
八時半出発の長距離バスに乗って、バレンシアに向かった。
「さて、四時間から五時間のバスの旅です。僕はメキシコでかなりバスを利用しました。住んでいたメリダという街は交通の便がよく、大きなバス・ターミナルを持っていました。バスでいろんなマヤ文明の遺跡を訪れました。今は国際的リゾート地として有名なカンクーンにも行きました。と、言っても、当時、カンクーンはまだ開発途上で、ホテルもできていませんでしたし、当時の最終目的地はカンクーン周辺の浜辺から船で行く、コスメル島とかイスラ・ムヘーレスといったカリブ海の島だったんですが。地中海の海もなかなか綺麗ですが、カリブ海はもっと綺麗な海です。第一、海の色が違います。地中海よりもずっと淡い色をしていて、日中はエメラルドグリーンに輝き、夕方はメキシカン・オパールの虹色の光を放つのです。機会があったら、一度貴女を連れていってあげたいと思います。きっと、感激するはずです」
「お願いします。是非、連れていってください」
目を輝かせる香織を見ながら、三池は昔見た情景を思い出していた。
日本からメキシコのメリダに来て三ヶ月ほど経った十月の或る日、漸く長かった雨季が終わろうとしていた頃、俺はメリダからチチェンイッツァというマヤの遺跡見物に出掛けた。
片言のスペイン語でも何とか、長距離バスの往復切符を買うことができ、俺はうきうきとしていた。
ユカタン半島の東の端にあるメリダ周辺の夏は雨季で、すごく蒸し暑い。
七月にメキシコシティから飛行機でメリダの空港に降り立った俺たち研修生は真夜中だったにもかかわらず、あまりの蒸し暑さに驚いた。
メリダは嫌だ、快適なシティに帰ろう、とひょうきんな研修生の一人が叫び、みんなで大笑いしたものだ。
しかし、世の中うまくできたもので、十月になると、それまでのスコールがおさまり、乾季の春が翌年三月まで続く。
四月から九月までの地獄の夏と十月から三月までの快適な春、メリダという街にはこの二つの季節しか無い。
バスは一直線の道を青空の地平線を目指して快適なスピードで飛ばして進む。
途中、小さな村の停留所で休憩となった。
一番暑い時間帯だった。
俺はバスから降りて、レフレスコと一般的に呼ばれる炭酸飲料を休憩所の売店で買って飲んだ。
冷たい。
半端な冷たさでは無く、ビンの中味が半ば凍りかかっているほどの冷たさだった。
冷たければ冷たいほどいい、と思いながら飲んだ。
ふと、周りを見たら、一人の女が売店のベンチに座っていた。
真っ赤な服を着ていた。
凄い美人だった。
齢は少し食っており、目に少し険があったが、びっくりするくらい美貌の女だった。
男が売店の奥から出てきて、彼女にレフレスコを渡した。
男はくたびれた感じのする初老の男で、レフレスコのビンの中味は赤色をしていた。
気が付かなかったが、彼女の傍らには古びたギター・ケースが立てかけてあった。
ドサまわりの年増のダンサーと連れのギター弾き、と俺は勝手に思った。
記憶というのは不思議なものだ。
三十年以上も前の記憶だが、今でも鮮明に覚えている。
その女が初老の男から渡されて飲んでいたレフレスコの色の赤さまで覚えているのだ。
なぜだろう?
バレンシアはマドリッド、バルセロナに次ぐスペイン第三の都市です、と三池は言った。
バレンシア・オレンジと、パエーリャ発祥の地でもあります、と付け加えた。
メキシコで食べたパエーリャには、わざわざ、パエーリャ・ア・ラ・バレンシアーナ(バレンシア風パエーリャ)とメニューに書いてあったくらい、バレンシアはパエーリャでは有名だ、と三池は思った。
「香織さん。パエーリャの発音ですが、日本ではパエーリャという発音でなされていますが、スペイン語ではどちらかと言えば、パエージャという風に発音されます。リャはLLAと書かれますが、発音としてはジャの方に近いんです」
途中、地中海の蒼い海が見えた。
今回の旅は、カタルーニャから始まり、バレンシア、アンダルシア、ラ・マンチャ、カスティーリャと廻る。
アンダルシアまで、この海は見えているはずだ、と三池は思い、気持ちが自然と昂揚してくるのを覚えた。
五時間後、バスはバレンシアのバス・ターミナルに到着した。
歩いてもたかが知れている距離ではあったが、長時間のバスで少し疲れていたので、タクシーに乗り、市庁舎広場近くのホテルに向かった。
ホテルにチェックインし、荷物を部屋に放り込んで、早速市内見物に出掛けた。
国立陶器博物館脇を通って、中央市場に入り、スーモ・デ・ナランハ・ナテュラルと注文して、有名なバレンシア・オレンジの生搾りジュースを飲みながら、パエーリャを食べて昼食とした。
パエーリャの注文は二人前からであった。
「これは、パエーリャ・ミスタ、つまり、ミックス・パエーリャで魚介類、肉、野菜が入っている具沢山のパエーリャですが、パエーリャ・バレンシアーナとメニューに書いてあれば、そのパエーリャには必ず兎の肉が入っています。兎の肉が特徴なんです」
三池はムール貝を香織の皿に取り分けながら言った。
その後、ラ・ロンハ、ミゲレテの塔、カテドラルを見物しながら、市内を散策した。
ミゲレテの塔に登ると、バレンシアの街が一望できた。
「気持ちのいい眺めですねえ。日本を発つ前に、スペインに関する雑誌を図書館で読んでいたら、泥棒とか掏りの被害に遭った人でも、スペインにはまた行きたいと書いてありました。この風景を見ていたら、私、その人の気持ちが分かるような気がします。本当に、魅力ある街並みですよねえ」
香織が遠くをかざすような仕草をしながら、呟いた。
カテドラルからレイナ広場に出て、ベンチに腰を下ろした。
「レイナという言葉は、女王という意味の言葉ですが、ラ・レイナとあり、ラという女性の定冠詞まで付いています。果たして誰のことを指しているのでしょうか。一番有名な、イサベル女王、のことでしょうかね。夫のフェルナンドと共に、レコンキスタを成し遂げ、コロンブスのパトロンとなり、イサベル・ラ・カトリカと尊称されたイサベル女王を指しているかも」
三池は、ふと、香織の今後が気になった。
「ところで、香織さん、日本に帰ったら、何か予定でもあるんですか?」
「予定、と申しますと?」
「就職とか、・・・、ご結婚、とか」
「結婚の予定はありません。就職も少し間をおいてから考えることにしているんです。文京区あたりで、正規社員が難しければ、派遣のお仕事でも探そうかと」
結婚の予定が無い、ということを聞いて、三池は何となく安心した。
しかし、安心した自分の気持ちに少し驚かされ、狼狽した。
結婚の予定が無い、ということを聞いて、安心したお前の精神構造はどうなっているのか?
香織と結婚するつもりも無いくせに、また、香織も二十歳も齢が離れたお前を結婚相手に選ぶはずは無いのだ、これは絶対あり得ないことだから、と三池は思い、憂鬱になった。
俺は、思いもよらぬことであったが、いつしか、香織という女性を生涯の伴侶として考え始めているのだろうか?
二人はホテルに戻り、荷物を整理してから、再び市内見物に出た。
国立陶器博物館を見学した。
香織はこのような焼き物に興味があるらしく、じっくりと時間をかけて観て廻った。
丁度、Mという日本人陶芸家の作品展が開催されていた。
金・銀をふんだんに使った蒔絵風の作品が展示されており、スペイン人含め、大勢の人が熱心に鑑賞していた。
侘び・寂びといった風情は無かったが、作品が醸し出す芸術性はかなり高いものと三池の眼には映った。
「三池さん、リャドロってご存じ?」
「ああ、知っていますよ。でも、随分と高い陶器というか磁器です」
「バレンシア出身のリャドロ三兄弟が始めたポーセリンアートなんです。実は、私、今回のスペイン旅行の中で一つはリャドロを買い求めるつもりなんです」
博物館を出て、ぶらぶらと歩いていたら、リャドロの店があった。
リャドロはロマンティックな磁器であるが、値段もとてもロマンティックだ、と三池は思った。
数万円から数百万円まで、大きさとデザインの精巧さで値段が決められる。
一瞬、香織にプレゼントしてもいいかな、と思ったが、価格が三池を躊躇させた。
こんな高価なものを貰ういわれが無い、と言うだろうし。
リャドロの店を出て暫く散策した後で、観光案内書に掲載されていた『ラ・リウア』というレストランで、ワインを飲みながらパエーリャを食べた。
豚肉、鶏肉、海老、ムール貝、ピーマンなどが入ったパエーリャでそれぞれの具材が醸し出す奥深い味が楽しめた。
「香織さん、このパエーリャは今日昼食で食べた、ミックス・パエーリャですよねえ。でも、味が昼食のパエーリャと違い、それほど塩辛くは無いですね。とても美味しい」
「塩辛いと言えば、三池さん、その後、血圧の方はいかがですか?」
「それが、不思議なもので、退職して田舎に引っ込んだ途端、正常値に近くなりました。もっとも、体重の増加には気を付けていますし、ウォーキングにもせっせと励んでいますから、それも功を奏しているのかも知れませんね」
「それはいいですね。うちの母が心配していました。お父さんのせいで、まあ、お酒のせいで、という意味なんですが、三池さんが高血圧になってしまったのでは、と心配していましたので。今の良い状態を継続してください。継続は力、ですよ、三池さん」
言いながら、香織は三池の体を心配する自分に気付き、意外に感じていた。
まるで、三池さんの奥さんみたい、私って、と思っていた。
でも、それも悪くない、但し、三池さんがノーと言えば、それまでだけれど。
七日目 五月十五日(土曜日)
朝食はホテルの料金の中に含まれていた。
簡単なビュッフェ形式の朝食で、二人は簡単に済ませて、ホテルを出た。
午前中は、二十分ほど歩いて、バレンシア美術館を見学した。
エル・グレコ、ベラスケス、リベーラ、ゴヤ、そして、ソローリャといった幅広いジャンルの絵画が展示されていた。
午後は火祭り博物館とバレンシア・ノルド駅を見物した。
火祭り博物館は街外れの少し分かりにくい場所にあったが、何人かの通行人に訊いて、何とか辿り着くことが出来た。
火祭り博物館には、三月中旬に開催される火祭りで、投票で一位となった人形だけが焼かれずにこの博物館に陳列される。
それ以外は全て惜しげも無く焼かれ、灰になる。
一年をかけて製作され、何千万円もかけた人形の寿命は一つを除き、この祭りの期間中、一週間という命で終る。
燃やし、灰になっていく人形を見詰める人々の暗い情熱を感じざるを得ない、と三池は香織に語った。
形あるものを永遠に残そうとする意志と、その瞬間に全てを賭け、燃焼し尽くし、その後の残滓、祭りの残滓は一切残さないという意志、どちらもこのスペインには色濃く在る、と三池は思った。
信仰と官能、この二つの異質なものがこのスペインという国の謎解きをするキーワードかも知れない、とも思った。
バレンシア・ノルド駅、この駅はいかにもバレンシア風だ、至るところにオレンジの装飾が施されている、面白い、と三池は思った。
この日は昼食も夕食も、中央市場で食べた。
イベリコ豚のサラミのようなソーセージ、タコのオリーブオイル炒め、海老の鉄板焼きが美味しかった。
「市場には、独特なにおいがあります。臭気と言ってもいいんですが、少し黴臭いような、饐えたような臭いがどんな市場でもしますね。きつい、弱いの違いはあるにしても。ただ、臭いって、慣れますね。慣れてしまえば、そう悪い臭いでも無くなる。時には、懐かしい臭いの一つとなることだってあります」
「懐かしいにおい。私にとっては、シッカロールがそうかしら。小さい頃、お風呂の都度、汗疹防止ということで母がパタパタと付けてくれました。時々、懐かしくなります。ちゃんと、鼻腔の奥で記憶しているんでしょうね」
「時に、香織さんは料理はしますか?」
「あら、いやだ、ちゃんとしますわよ。料理は、どちらかと言えば、好きなほうです。父がお酒飲みで、中学生の頃から私、父のお酒の肴を作っていたんです。父はお世辞かも知れませんが、母より私が作ったほうが美味しいと言っていました」
「それはそうです。父親ならば、娘が作ってくれるものならば、たとえ不味くても、美味しいと言うに決まっていますよ」
まあ、ひどい、と香織は三池をぶつ真似をした。
八日目 五月十六日(日曜日)
今夜は夜行バスに乗って、グラナダに行きます、と三池は朝食の席で香織に言った。
ホテルをチェックアウトして、タクシーでバス・ターミナルに向かった。
バス・ターミナルの近くに、エル・コルテ・イングレスという大型デパートがある。
「このデパートはスペインでは最大のデパートで、観光客にとってはお土産となりそうなものもたくさん売られているという話です。勿論、マドリッドにもありますので、帰る間際あたりで、一度覗いてみましょうか」
二人は、ターミナルのコイン・ロッカーに荷物を預けて身軽なスタイルになって、地下鉄を乗り継ぎ、地下鉄・コロン駅に行き、そこから三号線・ラフェルブニョル方面の電車に乗って、終点のパルマレト駅に向かった。
「インターネット情報によれば、パルマレト駅近くのレストランでパエーリャ名物の店があるらしいです。行ってみましょう」
珍しく、三池がパエーリャを食べたがった。
パルマレト駅は海岸地区で、海沿いにはパエーリャの専門店が目白押しといった状態で林立していた。
「三池さん、この頃はパエーリャばっかりですね」
香織が海沿いの道を歩きながら、笑って言った。
バレンシアの海はあくまで蒼く、空の青さと砂浜の白さを際立たせていた。
ハワイのワイキキ海岸もそうだったが、世の中には、まるで絵に描いたような、と表現される風景がある、まさにこのバレンシアの海辺の風景がそうだ、と三池は思った。
アルロース・ネグロという名前のイカ墨のパエーリャを食べた。
見た目は真っ黒でびっくりするが、オリーブオイルとイカ墨のコンビネーションが抜群の味を引き出していた。
味も見た目とは違って、塩辛く無く、まろやかであった。
食事の後、暫く浜辺に座り、のんびりとした優雅な時間を過ごした。
そして、夕方頃、地下鉄に乗って、バレンシアの中心部に戻り、賑やかな通りをウインドウ・ショッピングをしながら歩いたり、カフェテリアでお茶を飲んだりして時を過ごした。
夜、十時頃、地下鉄・トゥーリア駅に戻り、隣接したバス・ターミナルのカフェテリアで十一時発のバスを待った。
「香織さん、夜行バスは初めてですか」
「いえ、日本では東京から京都まで結構夜行バスを利用しています」
「ふーん、京都へ夜行バスで。京都も千二百年の歴史を持つ古都ですが、これから訪れるグラナダも古都です。グラナダが陥落し、レコンキスタが完了したというスペインでは歴史と郷愁を誘う街です」
「確か、アルハンブラの思い出、というギターの名曲もありました」
「そうです。よく、ご存じで。大学の頃、知り合った理学部・数学科の博士課程の人がなかなかのギターの名手で、よくこの曲を弾いて聴かせてくれました」
「スペインらしい、郷愁を誘うロマンティックな曲で、私も好きな曲です」
十一時、バスはほぼ定刻通り、六割程度の乗客を乗せて、グラナダに向けて発車した。
これから、九時間ほどのバス旅行となる、少し寝ておいた方が明日のためだ、と三池は車窓から夜の闇の中を点滅するように灯っている家々の灯りを見ながら思った。
一方、香織は日本から持参したニットのカーディガンを首筋まで羽織りながら、三池の隣で、私に青春なんてあったのかしら、と思っていた。
二年間の短大時代はあっという間に過ぎ去り、会社に入ってからも、懐かしく思い出すに価するロマンスも無く、家と会社の往復だけに、あるべき青春が無駄に費やされた気がする。
私の青春って、一体何だったのかしら、と香織は砂を噛むような気持で思った。
バスは何ヶ所か停留所に停まり、乗客たちはざわめき、三池たちもその都度、バスから降りて、トイレに行ったり、飲み物を飲んだりした。
途中、バスの運転手も何人か替わり、バス自体も乗り換えとなった。
荷物を新しく乗り換えるバスに運びながら、これでは、のんびりと眠ってはおれませんねえ、と三池は笑って、香織に言った。