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王都の歓楽街は今日も人通りが少なく、店々の前でたく篝火も幾分か、細く不景気な様子を見せていた。
妓楼の張見世ではポツンとナンナが瀟洒な椅子に腰を下ろしていた。
「相変わらず、お茶を挽いているな。」
「こんばんは。ええ、昨日も一人、遊女がいなくなりました。」
「そうか、今日は聴きたいことがあって来た。あと、うまい酒もな。」
「はい。では、どうぞ。」
ナンナはパーンを廓に招き入れた。
こないだとは違う部屋で彼ははいていたサンダルを脱ぎ中に入った。薫きしめられたお香の香り広がり、遊牧民の女たちが織った幾何学模様の絨毯が敷き詰められている。悠然と進んだパーンはおもむろにいくつも重ねられたクッションに身をもたれかけた。ナンナは心得たように婢女に火酒と料理を頼んだ。
廓も暇なのか、大皿に山盛りとなった羊の骨つき肉の香草焼きが湯気を漂わせて、婢女の少女、二人がかりで持ち運ばれてきた。それからも新鮮な果物や野菜の煮物などが運ばれた。
昼もクメルとともに食べたパーンだったが、見る間に出されたものを平らげ、強い酒の入った盃を何度もあおった。
ハープの音が聞こえてきた。
穏やかなその音色は薄雲が徐々に星々を隠し、生暖かい空気が風もなく動きを止めた王都の退廃の市の真ん中にあって、巫女としての身を落とされてもその魂までを汚されていないことを表していた。
「お前はいつまでもこのようなところにいてもいいのか?」
「どのようなつもりでおっしゃられているのでしょう?
私は奴隷です。
自分の身を取り返すことなどできませんし、よしんば、どうにか工面できたとしても私のいた国は猿人たちのよって滅ぼされてしまいました。戻る神殿などもうありません。
それともあなた様がお買われになって連れて行ってくれますか?」
「俺は……はじめて、自由というものを味わうことができた。
これから、何をして、どこへ行くか、そんなことは考えていない。
ただ、自分の足の赴くまま行き、敵と戦い、宝を得る。それを楽しみたいのだ。
だから、ナンナ、お前を連れて行くことはできない。」
ナンナは鈴のように声を震わせて笑った。
「まぁ、パーン様はまるで子供のようですわね。」
「ふん。それより、神殿とはどういうことだ?」
「これは余計なことをお話ししてしまいました。
私が生まれた国、エ・テメン・アン・キはこの星を取り巻く七つの惑星の祭祀都市でした。
私は都市の中心にある美の星の神殿の巫女の一人です。」
「そうだったのか。これは都合がいい。実はお前に話があったのだ。」
「なんでしょうか?」
「今日、邪神教徒の魔法使いに襲われたのだが、その時に奴に俺が何かを隠したと思われた。何か心当たりがないか?」
邪神教徒と聞いてナンナはその表情を引き締めた。
「邪神教徒と戦ったのですか?呪いはかけられませんでしたか?」
「ああ、大丈夫だ。奴が何か印を結びながら喉を掻き切って、土を溶かす血を撒き散らしたが、俺も子猫も何ともないぞ。」
「そうでしたか。一応、お祓いを…」
口ごもったナンナはうつむいて伸ばした手を戻した。
「私はもう汚れた身で、神の御力にすがることはできないことを忘れていました。」
「いや、いい。その気持ちだけで十分だ。それよりも心当たりはないのか?」
「心当たりですか……」
ナンナは深く考えながら、我知らずにオリーブのみを手に取り、口に運んだ。
「前の主人は奴隷商人ということで怪しげな者たちとのおつきあいも多かったと思います。その中に邪神教徒がいたのかもしれませんが、それが知られてしまうと抗弁の機会も与えられずに首を切り落とされてしまいます。」
「そうか。」
「不可思議なことというならば、奴隷商人は以前に家族はいないと話されていましたが、だとすれば私たちを含めてあの男の遺産を受け継いだ縁者と名乗るあの女はなんだったのでしょうか?」
「……いなかったのか。」
頷いたナンナは口を閉じて目を伏せた。パーンは盃に口をつけながら考え続けていたが、やがて首を横に振った。
「わかった。考えていてもわからないことは考えるのをやめた方がいい。いずれ、わかる時も来るだろう。来なくても、何か動きがあればわかることも出てくる。」
深く考えることをやめたパーンはナンナによって満たされた杯の酒を飲み干し、彼女を引き寄せた。
寄りかかった娼婦の髪に薫きしめられた麝香の香りが男の鼻に届いた。その芳しくも官能的な香りにパーンはナンナを力強く抱きしめ、ゆっくりと彼女に重なっていった。