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クメルは先に宿屋をとることを主張した。
岩塩を口の中で転がすのを気に入ったパーンは口中を動かしながら、しばらく考えて頷いた。露天市の北に宿屋が固まっていた。クメルの鼻と耳は落ち着きなく動いていたが、ある小さな宿屋の前で立ち止まった。
「ここの飯がうまいはず。」
パーンは辺りを見回した。
三階建ての宿屋は通りの角にあり、裏は人が入れる隙間がないほど隣の建物に密着している。片側の通りの反対は露天市、もう一方は何かの建物だった。
頷いたパーンは中に入った。
ラミア族の証である表情の読めない冷たい目ときめの細かい鱗肌の女将がやってきた。
「泊まりかい?」
「ああ、飯もつけてくれ。部屋は一つでも二つでもいい。」
「気前がいいねぇ。でも、部屋は一つしか空いていないんだよ。その代わり角部屋だよ。そこを使っておくれ。」
「ああ。」
パーンは女将の目の前に銀五枚を出した。女将のしなやかな細い指がそれを受け取り、ポケットにしまった。
二人は案内されて三階の部屋に通された。
清潔なその部屋にクメルはにやけた。早速ベッドに上がり、風通しの良い場所で昼寝をはじめた。パーンは剣を下ろし、砥石を手に手入れをはじめた。
夕方に目を覚ましたクメルはたらいに水をもらい、垢と砂を流した。
居酒屋と兼用の食堂に降りると、女将からパーンは酒を飲みに出たと告げられた。
肩をすくめたクメルは食事をもらうことにした。
出されたのは岩塩と香辛料で味付けされた焼いた羊の肉の塊と麦の粥、そしてゆで卵と茹でた野菜だった。久しぶりにまともな食事を詰め込んだクメルは満足して部屋に戻り、また寝た。
パーンは酒と女の匂いを漂わせて明け方に戻ってきた。
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反乱に恐れおののいた奴隷商人は当座の資産と妾代わりに使っていた奴隷女四人を連れて夜逃げのように慌てて街を離れた。
七つの惑星の祭祀都市エ・テメン・アン・キの巫女だったナンナは亜人族でもとりわけ野蛮で人族の蹂躙に熱心な猿人族の襲撃で奴隷となった。星に祈ることしか知らない巫女の純潔は儚く散ったが、この身を汚した蛮族たちへの恨みは尽きなかった。
奴隷商人は怒りっぽく、些細なことで奴隷女たちに罰を与えていたが、人一倍臆病なたちを必死で隠しているがための行動であるとナンナは知っていた。
彼が暴動を恐れ、護衛を十分につけずに王都を逃げ出した。
その愚かさの代償は彼の命を持って支払うことになったが、奴隷の首輪を外す鍵を忘れてしまっていたことは、ナンナをはじめとする女たちの不幸だった。
彼女たちの前に現れた盗賊征伐の冒険者は奴隷の首輪の上に冒険者の印をつけて、身分の書き換えを行なっていた。
黒髪に浅黒い肌を持つ男は大型の野生猫のようなしなやかな筋肉と蛮族にはふさわしくない知性をたたえた黒い瞳を持っていた。
もう一人の黒い耳と尾を持ち、白銀の髪をした美しくも恐ろしい猫族の子供は急いで鍵を探しに走ったがないものはなかった。
奴隷女たちで一番若いイーナが奴隷身分から逃れられないことに絶望の涙をこぼしていたが、パーンと呼ばれる男は構わずに荷車を王都に向けて進めた。
ナンナたちは奴隷商人の縁者という見たこともない女の財産となり、その日のうちに競売にかけられ、バラバラになった。
ナンナは王都の歓楽街の置屋に連れて行かれ、身を清められて客引き代わりに目立つところに置かれた。
「ひとまず、客引きくらいには役に立ってもらうぞ。まったく、最近は女郎が使い物にならないことが多いからな。」
「えっ?」
「ああ、お前はあの因業商人が自分のための奴隷にしていたから、知らないのか。
最近客を取っている女たちが霧のようにいなくなって、二、三日後に死んでいるのが見つかっている。
女は怖がるし、衛士はうろつき回って、こちとら商売があがったりだ。」
恐ろしい話を聞かされたが、逃げるわけにもいかず、入り口横の部屋に座らされた。
その部屋は壁をベンガラと呼ばれる魔除けの意味もある朱色の顔料で塗り固められ、男を惑わすような麝香の香りがたきしめられていた。
通り側の壁を取り払い、売り物である女たちをそこに座らせて客引きをさせるのだが、男衆の話通り、商売女は恐ろしがって表に出ようとしなかった。
ナンナは目立つところに座らされて、目を伏せて朱壁に映える蜂蜜のようになめらかな金髪と鮮やかな薄物の服から透ける白い肌を人目に晒していると、声をかけられた。
「もう客をとるのか」
パーンだった。
驚いたナンナはたどたどしく彼を誘った。
「あの、もしよろしかったら、いかがですか?お礼もしたいので。」
「…酒はうまいか?」
「ええ。どうぞ。」
上の部屋にあがり、壁に織物をかけたその部屋でナンナはパーンに酌をしていた。
「子猫が、朝から酒を飲むやつはクズだと言ってな。」
「まぁ。でも、主人様の身を心配されていらっしゃるのでしょう。」
「そんな上等なもんでもない。…確かにうまいな。酒の女神ニナンナもこれには満足するだろう。」
丹念に濾して不純物をなくした麦酒はパーンの喉を潤し、微発泡の苦味走った泡は暑さを忘れさせるようだった。
「ありがとうございます。」
「だが俺はもう少しきつい方が好みだ。あと肉だ。肉をくれ。…それと少し野菜も貰おうか。」
「はい。」
ナンナはもたれかかっていたパーンのたくましい肩から離れ、給仕の婢女に頼んだ。
「俺は外で女を買ったことがなかったが、王都の盛り場とはこのようなものなのか?やけに薄暗いし活気がない。」
ナンナは今しがた、お茶屋の男衆から聞いた話をパーンに語った。
「そのようなことがあるのか。お前は怖くないのか?」
「恐ろしいですが、高い金を払ったからと言われるとどうしようもありません。」
「ふん。お前はここの土地のものではないんだろう?」
「ええ、私はもっと西のオアシスにあるエ・テメン・アン・キの生まれです。」
「すまんが、聞いたことないな。俺は南の方の出らしい。今までほとんど闘技場の中でしか動いたことがないから、よくわからんがな。」
「そうだったのですね。…どうぞ。」
婢女たちが持ってきたのは猪のバラ肉をにんにくと油で焼き、果実や野菜を幾日も煮詰めてドロドロにし、香辛料と岩塩で味を整えたソースをかけたもの、野菜は肉のスープで煮込んだものが出された。そして酒は蜂蜜酒をさらに蒸留し、きつくした火酒が出された。
ナツメヤシの実であるデーツやあんず、炒ったソラマメも皿に出され、ナンナがつまんだ。
「ああ、これはうまいな。外では皆うまいものばかりを食べているな。」
「そんなことはありませんよ。庶民はもう働くことができなくなった年老いた馬鳥や羊たち、それに卵を産まなくなった鶏などを食べます。
このようなものは大商人や貴族たちが食べるものです。そうでなければ、お金をつかんだ冒険者がこのようなところで食べます。」
「なら、俺だな。手っ取り早くいい金になった。」
「あなたはお強いのですね。」
「ああ」
頷いたパーンは肉にかじりついた。
濃厚な油と肉汁が染み出て、パーンの口の端からあふれてあごに垂れた。彼はそれに構わずひたすらかぶりついた。肉がなくなると火酒をあおり、指を舐めて名残を惜しんだ。
少し腹が満たされたのか、パーンは芋や玉ねぎ、ポロネギ、あとはピスタチオやアーモンドのようなナッツをつまみながら喉が焼けるような火酒を飲みはじめた。
落ち着いた様子を見せたパーンの横で、ナンナは手持ちができるほどの大きさのハープを持ち出した。
ポロン。
音を試すように一度鳴らすと、ゆったりとしたリズムで和音を使わないシンプルなメロディが香の香りとともにナンナの生まれたという西の異国を感じさせた。
ゆったりとした薄物の袖がずり落ち、白い腕が覗いた。そしてハープを支える足の柔らかい内腿が裾から現れた。
パーンの眼差しが男のそれに変わったことをナンナは気がついていたが、不思議と嫌な感じはしなかった。それよりも小さな杯を持つその大きく無骨な手と動くたびに浅黒い肌の下で動く筋のたくましさに胸が高まった。
「抱きますか?」
「…今日はいい。こうして美しいお前の奏でる音を聞きながら、酒を飲むだけでいまは楽しい。」
「では、またということで。」
「ああ。酒と飯がうまいし、お前もいい。贔屓にするぞ。」
「ありがとうございます。では、お体だけでも拭かさせてください。」
「ああ。」
婢女が香油を垂らした湯を持ってきた。
布を湯に浸したナンナはゆっくりとパーンの大きな背から流しはじめた。泥と汗で固くごわついた黒い髪をゆっくりと湯に浸してときほぐした。湯を三度取り替えて、ナンナは丹念に彼の足の指まで洗い終えた。
「毎日でも通いたいな。」
「それではたんとお稼ぎくださいませ。いつでもお待ちいたしています。」
愉快そうに獰猛な笑みを浮かべたパーンはナンナの細い腰に丸太のような両腕を回し、豊かな胸が潰れるほど強い力で抱きしめて、荒々しい口づけをした。
「わかった。お前になら懐を搾り取られてもいいぞ。」