シルバースノウにありがとう
「あ、雪」
何気なく窓の外を見た僕は、反射的にそう呟いていた。
「ホントだ。もしかして初雪?」
とあるコーヒー専門のチェーン店の中、テーブルの向かい側で、彼女は言う。テーブルには、二つのホットコーヒーが乗っている。更にその上には、白いクリームも乗っていた。
当然僕らが飲んでいるものなのだが、僕はこのコーヒーの名前を忘れてしまっている。これは彼女が注文したのだ(なんだか呪文のような、長い名前だったのは憶えている)。
「うん。初雪だ。今年は遅かったね」
「そうね」
いったんそこで、会話が途切れる。その間に僕は、必死にコーヒーの名前を思い出そうとする。この先の会話で、話題になるかもしれないからだ。……まあ、これに関しては、諦めざるをえなかったが(いくら頑張って記憶の引き出しから出そうとしても、出て来る気配が一向になかった)。
「ねえ」
と、丁度僕が、引き出しを開けるのを諦めた時、彼女は切り出す。
「雪と言えば、何を思い出す?」
そんなことを訊いてきた。唐突に。
僕は、彼女が会話の流れだとか、脈絡とか、そういうものが苦手であることはもちろん知ってたので、そこに関して言えば、僕は特に何とも思わなかった。何せ今月で、僕らは二年と一か月の付き合いになるのだ。唐突というのも、彼女にはよくあることである。
だから僕は、ごく普通に、いつもの調子で、
「どうして?」
と訊き返した。質問に質問で応えるというのは、あまりよろしくないとは思うけれど、彼女は特に気にする様子も無く、
「どうしても」
と、語尾にハートマークが付きそうな、それでいて「これは真面目な質問よ」といった調子で答える。なるほど、分かりやすい理由だ。情報が全くなくて分かりやすい。シンプルと言ってもいい。
それにしても雪か。雪。雪。思い出すもの。……思い出。
「あるよ」
僕は言う。
「思い出すこと」
一つだけ、ある。忘れたことが、一度も無い思い出が。僕にはある。
「聞かせてくれる?」
「長くなるよ」
「時間ならあるじゃない」
笑って彼女は言う。確かに僕たちは、休日にどこに遊びに行くでもなく、ただ店内でコーヒーを飲んでいる暇人だった。
「そうだね」
じゃあ、語らせてもらおうか。ずっと、僕の中にあり続けた思い出を。もしかしたら、この話を誰かにするのは、これが初めてかもしれない。
◆◆◆
その時僕は八歳だった。東京に住んでいた。普通の家庭で育って、普通の食事をして、普通に学んで、普通に友達と遊んで、たまに叱られて。とにかく普通の環境で暮らしていた。これといった不幸がなく、これといった幸せもなかった。大人になる分には最高の環境と言ってもいい。
もちろん家はアパート。一階の、左から二番目の部屋。そこに我が家の空間があった。
僕は、両親と僕の三人暮らしだった。兄弟姉妹はいない。一人っ子だ。祖父母も一緒には住んでいなかった。父方が神奈川、母方が新潟にいる。
祖父母と別居している家庭には当然、『会いに行く』というイベントがある。で、僕の家庭の場合、父方の祖父母の家には頻繁に遊びに行くことができた。近いからね。でももう一方、母方の祖父母の家へは、なかなか行ける所じゃない。神奈川の数倍、距離がある。一方は月に一回行ける。もう一方は年に一回しか行けない。
そのことに対して僕は(大袈裟に言えば)一種の罪悪感のようなものさえ感じていたものだ。不平等じゃないのかって、少しだけ思っていた。
……八歳児の考える事じゃないって、笑ってもいいよ。自分でもそう思っているから。僕は昔から、いろいろ考えてしまう性格だったのさ。
そういうこともあって、年に一回のそのイベントは、僕にとっては、ちょっぴり特別なものだったんだ。
で、その日が来た。十二月三十一日の朝方に我が家を出発して、正月を新潟の祖父母の家で過ごし、一月三日の夕方に我が家に到着、という予定の、その初日。その日が来た。
「早く荷物持って、もう行くよ」
さあ早く、と僕を急かす声。母さんだ。
「わかってる! 今行くよ」
「持つ物、ちゃんと持った?」
「うん。大丈夫……だと思う」
子供の発言には大体、『思う』が付くものだ。それに、僕が持っていくべきものなんて、そんなにないしね。
「よし、じゃあ行こうか」
父さんが言う。
我が家には車がないので、最初の行先は、当然駅である。
まず言っておくと、ここから少し話が跳ぶ。と言うのも、当時八歳の僕は、残念ながら電車とか経路とか、そういう類の知識を持ち合わせてなかった。だから僕たちが、どうやって新潟まで行ったのか、そういうのを忘れてしまったんだ。英語自体を知らないから、英単語の綴りを憶えるのが無理、みたいなことさ。それに僕は、移動時にしていた会話の内容も同じく忘れてしまった(……なんで会話をしたことは憶えてるのか? 僕の家庭はそんなに寡黙じゃないよ。会話なんて、当然しただろう)。電車はもちろん、飛行機にも乗った気がする。憶えてるのはそれだけ。
ひどく曖昧だ。
そういう訳で、(さっき脳内で、一度も忘れたことがないと振り返った)思い出話には、いきなり語ることができない部分がある。申し訳なく思ってるよ。……気にしないって? 君は優しいね。
新潟に着いたときに、僕は眠りから覚めた。いや、正確に言うのなら、新潟の、祖父母の家の最寄り駅に着いたときに、僕の意識は覚醒した。うん、こっちの方が正確だ。
で、無事に祖父母の家に到着した。たしか、お昼過ぎだった。前に来た時から既に一年以上経過しているのだけれど、相変わらずの古びた一軒家。それだけの理由で、僕の心はもう、ウキウキである。
「こんにちは!」
「ごめんください」
「久しぶりー」
開口一番の挨拶は三人がほぼ同時に言ったから、よくわからなくなってしまった。出迎えてくれたのは祖母だった。
「こんにちは。ささ、上がりなさいな、上がりなさいな」
一応「お邪魔します」と言ってから家に入った。木造家屋が持つ独特のあの匂いが鼻に心地いい。居間では祖父が、座椅子に座ってみかんを食べながら本を読んでいた。そんなことをしたら本が黄色くなってしまうのではと、ちらりと思ったりした。
「こんにちは!」
「こんにちは。よく来たね。もう疲れてるんじゃないのかい?」
大丈夫だよと僕は言う。そして、祖母と両親も、後から居間に入ってきた。
それからは暫く大人たちの、いわゆる世間話というやつが始まった。子供が入りづらいあの会話だ。しかし、それを察してくれたのか、ミカンの皮をゴミ箱に捨てていた祖父が、
「外で遊んできたらどうだい。今なら雪が、いい具合に積もってるんじゃないかい」
と言ってくれたので、僕は間髪を入れないで、
「行ってきます」
とだけ言って外に出た。飛び出した。
ここに来る時にも見たが、やはり凄い。一面が真っ白だ。比喩じゃあ、ない。祖父母の家の周辺のほとんどが畑である。そこにおよそ三十センチメートルの雪が積もってる(荷物を持って歩くのが大変だった)。東京では絶対に見ることのできない、まさしく景色だった。
当然僕ははしゃいだ。都会っ子には珍しい雪に興奮していた。結構大きめの雪だるまなんかが作れたりもした。
それは、僕が外に飛び出してから、およそ一時間くらい経った時だった。はしゃぎ疲れた僕が家のそばにあったベンチに腰掛けているとき、遠くに見える人影に気が付いた。しかも、ずっと僕のことを見ていたらしい。人影は、僕が向こうに気が付いたことに気が付いたらしく、こちらに近づいてきた。僕の頭を一瞬『逃げる』という選択肢がよぎる。不審な人は警戒しなければ。だが距離が縮まることで、その選択肢は消えた。相手の姿が徐々にはっきりとしてきたんだ。
子供だ。
更に距離は縮まる。
女の子だ。
更に距離は縮まる。
白い服を着ているようだ。
更に距離は縮まる。
おかっぱ頭だ。
更に距離は縮まる。というか、もう目の前だ。
白い服に見えたものは、白い着物だった。初めて見る。
その子は僕の前に来るや否や、
「一緒に遊びましょ」
と言った。
飛び切りの笑顔が眩しかった。直視できないほどに。
「君は……?」
至極当然の質問だと思う。初めて会う女の子に遊びに誘われて、「うん、そうしよう」と即答できる程、僕はノリのいい子供ではなかった。
「私? うーんとね……雪よ」
その子は名乗る。
「銀雪っていうの」
「しろがねゆき? ……さん?」
というか今この子、自分の名前で悩まなかったか? 僕は思う。
「ううん、私、あなたと同い年。雪って呼んでよ」
初対面の女の子に下の名前で呼んでと提案された。何と言うか、妙に馴れ馴れしい子だ。
「それじゃあえっと、雪」
「なあに?」
「君、ここら辺に住んでるの?」
一度下がったこの子に対する不審度(不信度)がまた上がり始めていた。が、雪国の人は大体優しいものなのだ。うん。それは、それ故の質問だ。
「うん、そうよ」
今度は悩むこともなく、そう返ってきた。ここら辺に住んでいるらしい。信用してよさそうだ。
そして、ちょっと間を置いて、僕は、
「うん、遊ぼう」
と言った。
即答ではなかったものの、二つ返事の僕だった。
正直に言うと僕は、退屈していたのだ。ベンチに座っていたのも、疲れていたわけではなく、やる事がなくなってしまったのだ。暇を持て余していた。こういう時、本当に、一人っ子はつまらない。
まだまだ子供である僕が、遊びで疲れるわけもないし。
そこに彼女、雪が現れた。一緒に遊ぼうと誘ってきた。退屈していた僕が、そこで頷かないはずがない。
最初こそほとんど会話せず、黙々と二人で遊ぶといった感じだったけど、次第に話が弾み、冗談を言ってお互いに笑ったりもした。何をして遊んだかというと、雪だるま作りだとか、雪合戦とか、そういうの。
雪だるまは雪が現れる前に一つ作ったのだが、それとはまた別にもう一つ作って、雪が勝手に『私たち』と命名した。
「なんで僕たち?」
「私たちみたいに、仲がいいから」
「…………」
この無言は嬉しさ三十パーセント、恥ずかしさ五十パーセント、疑問二十パーセントで構成されていた。話してて分かったが、雪は時々こんな感じの恥ずかしいことをさらっと言った。決まってその先に待っているのは、僕がまだ子供で、そういうのが苦手であるが故の、気まずい沈黙であった。
雪合戦は本当に楽しかった。こればっかりは一人でできるものではない。相手がいて初めて成り立つ遊びだ。
だけどまあ、僕たちがやったのは雪合戦というより、雪玉の投げ合いと言った方が近いかもしれないけど。
そこにルールなんて存在しなかったよ。でも、それでも遊びではあった。
楽しい時間というもはあっという間に過ぎてしまうもので、昔の科学者……ええと、何ていう名前だっけ? は、それを『相対性』とかなんとか言ったらしいけれど、子供の僕にはよくわからない。わかるのは前半部分だけ。感覚的にはわかるのに、理屈で説明ができない現象のいい例である。
とにかく何が言いたいかといえば、雪合戦をやっているうちに、すっかり帰宅の時間となってしまった。
「雪、僕もう帰る時間だ」
落ちてきた太陽を見ながら僕は言う。もしかしたら、まだ遊んでいたいという感情が、セリフにいろいろ出てしまっていたかもしれない。
「……? ……そうなの? また明日遊べる?」
「明日は初詣に行くんだ。だから、午後なら……」
「そう、わかった。じゃあ午後に、ここに集合ね」
「うん。それじゃ」
また明日、と僕らはお互いに別れを告げて帰途につく。……といっても僕の場合、帰宅する家がすぐそこだったわけだから、最後まで彼女を遠目に見る形となった。彼女の姿はスッと澄んだ雪原の彼方で小さな点になって、それからもっと小さくなっていって、やがて見えなくなった。それを見届けて、僕は家に入った。
「ただいま」
「おかえり。随分と長く遊んでいたねえ」
玄関の先で何やら忙しそうな祖母が迎えてくれた。
「そう?」
確かに一人で遊んでいたとすれば、数時間の外出は長い方だね。
「まあ、ちょっと」
濁した理由も特にないけど、強いて言うなら早く居間に入りたかったんだ。寒くて。
居間では既に夕食の準備がされていた。僕は机に並んでいる蕎麦を見て、今年があと六時間程で終わることを、その時、遅まきながら思い出した。
一月一日、僕と僕の両親は、近所の神社で初詣を済ませて、十時頃に帰ってきた。近所といっても、歩いて二十分くらいだったような気がする。祖父母はあまり動ける体ではなかったから、その時も留守番だった。
神社にて、僕は母さんからもらった百円硬貨を賽銭箱にフリースローした後、めでたく凶を引いたりした。甘酒も飲んだ。冷えた体を真ん中から溶かすくらいに熱かった。
昼食をちゃちゃっと食べて、僕は昨日のあの場所へ足を運ぶ。待ち合わせ場所だ。ちょっと早いかなとも思ったけれど、全然そんな心配はいらなかった。
「約束通り、来てくれたのね」
既に彼女は来ていた。パッと見、昨日と恰好が変わっていないように思える。もしかしたら変わっていたのかもしれないな。
「もちろん。明けましておめでとう」
「こちらこそ、明けましておめでとう」
新年のあいさつをすると、彼女も返してくれた。
「今日は何して遊ぶ?」
さすがに二日連続で雪合戦は骨が折れる気もしたのだ。もし彼女が「雪合戦」と答えたらどうしたものかと考えていた。
そんな心配は必要なかったわけだけど。
「あのね、お祭りに行きたいの」
「お祭り?」
予想していない予想外な提案。しかし仮に、そのお祭りのためのその恰好(白い浴衣)なのだとしたら納得できる。浴衣についての知識を何も持ち合わせていなかった当時の僕でもそう感じるほどに、その浴衣は普通じゃないくらいの何かを放っていた。本当に、そこまで白い浴衣はそうそう見ない。
「今日、近くの村で新年を祝うお祭りがあるの。それに行きたいなって」
「でも、もうお昼過ぎだよ。お祭りには賛成だけど、その会場までどれくらいかかる?」
あまり遅くなっても、変に家族に心配をかけてしまうかもしれない。まだ雪のことは言っていないから、なおさら。
しかしそれこそ、彼女は変なことを言った。
「それなら大丈夫。目、つぶって」
「え?」
「いいからいいから」
「あ、……うん」
言われた通り、目を閉じる。視覚は人にとって重要な情報源らしいから、それを奪われるとひどく不安になってしまう。雪の前だと不安と言うより、緊張のほうが正しいかもしれなかったけど。
十秒くらい経ったか。いやそんなに長くはなかったか。少なくとも五秒よりかは長かったように感じた。
「いいよ。開けて」
そう言われて、ゆっくり目を開ける。眩しい光に目が馴染んで、視界が開ける。
「……? ん? あれっ、ここは?」
たぶんこの時の僕は、声がだいぶ裏返っていたことだろう。それにはちゃんと理由があって、結果から言うと、僕と雪の二人は瞬間移動していた。
「さ、行きましょ。早く早く」
雪はまるで何もなかったかのように、思考も身体も文字通り固まっている僕を催促している。
「いや、あの、えっと、ここはどこ?」
「さっき言った、お祭りの会場よ」
「え、君、雪、今、えっと、何したの?」
「ひみつ」
とだけ言って、教えてはくれなかった。
「ほらほら、はやく」
「……うん」
何か、これ以上言及したらまずいことになりそうな、そんな予感がしたので、僕はおとなしく、お祭りに向かうことにした。単純に、お祭りに轢かれていたというのもある。
お祭りは村で行われているとのことだったが、厳密にはどこかの神社の境内だった。午前中に初詣をした、あの神社よりも大きい所だった。
お祭りはとても賑わっている。屋台が立ち並び、提灯が吊るされ、道行く人は手に手に食べ物か、何かの景品を持っている。正月なのに夏祭りっぽいなと思った。
「ねえ雪」
そんな中、僕は気になったことがあるので、数メートル前を歩いていた雪を呼び止める。
「え?」
「お祭りに来たはいいけどさ、雪、お金持ってるの?」
僕はまだお小遣いをもらっていないのだ。当時の僕の友達は、そのほとんどが財布を持ち、お金を持っていた。それを羨ましく思っていた記憶もある。
僕には財布もお金もない。
「ええと、ね、うん、持ってるよ」
と、どこから取り出したのか、いつの間にか雪の手には五千円札が握られていた。
いやホントに、どこから取り出したんだろうか。今、改めて考えてみても、よく分からない。
それまで雪の怪しいところはあまり気にしてこなかったけど、お金が関わってくるとそういう訳にもいかないのだけれど……と疑う反面、まあ、もしかしたら、雪の家庭がすごくお金持ちで、両親が五千円という大金をお小遣いとして雪に渡しているのかもしれない。と勝手に理由をつけて、僕はそれでもスルーした。
「これで一緒に、何かやろう」
その後、僕たちは綿あめを食べたり、金魚すくいをしたりと、そのお祭りを目一杯楽しんだ。金魚はとれなかった。おじちゃんがお慈悲で一匹くれる、なんてことも、やっぱりなかった。
そして僕たちは例の雪合戦場所に帰ってきた。帰りも僕は目を閉じる形となった。
「楽しかったね」
「うん、楽しかった。金魚は残念だったけどね」
いや、とれたところで持ち帰れないから、それはそれで良かったのかな。
ともかく、ひとしきりお祭りの感想を言い合った後、僕たちは別れを告げる。
「それじゃ」
「うん、それじゃ」
昨日と同じく僕は雪を見届ける。
……と、そこで気が付く。明日会うのかどうかを、訊くのを忘れた。
一月二日、朝起きたら、布団のわきで雪が正座していた。
「な、なんで?」
いやいや、いろいろ早すぎる。待て待て。何故だ、何故こんな状況になっている。
「来ちゃった」
と笑みを含ませて、正座した女の子は言った。
「いや、それで納得しろと言う方が無理だよ」
「楽しみ過ぎて、来ちゃった」
「ちょっと情報が追加されただけだ」
「それにあなた、明日の朝で家に帰っちゃうんでしょう?」
「え、……うん、そうだけど」
そのことを雪に言ったかどうかは、寝惚けてたこともあってよく分からなかった。
「ま、まあ、とにかく」
僕は一旦気を落ち着けて、
「おはよう」
朝の挨拶。
「おはよう。さ、早く早く、お出かけしましょ」
雪の存在を隠しつつ、家族に外出の理由……当然、真っ赤な嘘だけど……を説明するのは少々気が引けたものだ。気が引けただけで、結局は実行したのだけれど。
『お出かけ』という名目の下、それから僕は、雪についていくことになった。どこに行くかは聞いていない。
そして、僕と雪は、何故か林道の上。柔らかい雪に包まれた、ちょっとした林の中。二人でそんな場所を歩いていた。
「どこに向かってるかは……たぶん教えてくれないよね」
「うん。秘密秘密。着いてからの、お楽しみ」
そんな調子で、教えてはくれない。
歩き始めてから一時間くらい経った頃だったか。その時点でもう、それなりの距離を歩いたはずだ。林の中の景色はあまり変わり映えがしないから、さすがに疲れてくる。
そこで、そこにきて僕は、景色の一部が明らかに変わっていることに気が付いた。
進行方向に建物が見えてきたんだ。歩くにつれて、それはだんだんと、大きくなっていく。
それは古びた神社だった。
「これ、は……」
おそらく建設されてからかなりの時間が過ぎているのだろう。その瞬間崩れてもおかしくないレベルで、雪も大量に積もっているし、ボロボロだ。
僕は雪の方を見る。
雪も僕の方を向いて微笑んでいる。
「ようこそ」
雪が切り出す。そして僕は……耳を疑う。
「私の家へ」
疑いきれなかった。まぎれもなく、彼女はそう言った。冷たい風が吹きすさぶ。
◆◆◆
随分語っていたようだ。さっきまで降っていた雪は、いつのまにか止んでいた。どうやら積もることはなかったようだ。今となってはもう、積もらないことのほうが嬉しいと感じるようになっている。そんなところで、『ああ、自分は大人になってしまったのかなあ』なんて思ってしまう。
彼女は、僕のこんな長ったらしい話をよく聴いてくれたと思う。始終相槌を打ってくれた。
僕たちは店を出て、近くの駅で別れを告げた。
僕は彼女の後姿が見えなくなるまで、それを見つめていた。彼女はエスカレーターで上の階まで登っていき、とうとう足まで見えなくなったところで、僕も改札に向かった。
本当に、彼女は、雪が似合うと思う。
雪、また会いに来てくれて、ありがとう。僕が気付いていることに、彼女は気付いているのだろうか。次会うときに、思い切って訊いてみようか、なんて。