マディの穏やかな休日
本編に行き詰まったので、気晴らしに書きました。
視点はミラの姉になります。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
竜王の娘であるマディは、魔獣界の自宅の中庭に置かれた椅子に座り、ゆったりと読書を楽しんでいた。
燃えるような赤い髪は軽く梳いただけで背中に流し、服も飾り気のないブラウスとロングスカートという休日仕様だった。テーブルには最近お気に入りのお茶を入れたポットと、契約者から借りてきた本が幾つか重ねてある。
近頃は人間界での仕事で出ずっぱりになっていたので、久々の休日をのんびりと堪能していた。
「 マディ姉ちゃーん! 」
そこへ妹のミラがマディの名を呼びながら、こちらに向かって走ってきた。その後ろからはミラの側仕えが必死に追いかけているのが見える。
まだ幼い妹は、最近人化できるようになったばかりだ。銀に一滴の青を垂らしたような美しい髪をなびかせて、小さな身体で転がる様にして走りよってきた。
「 じーちゃんが人間界のお菓子をくれたの!一緒に食べよ!」
ミラは小さな手で紙の袋を大切そうに握って、髪と同色の瞳を煌めかせていた。薔薇色に染まった頬がなんとも愛らしい。
マディの久しぶりの帰宅を、誰よりも喜んでくれたのはミラだった。竜族は人間界の監視のために家を開けることが多い。そんななかその存在を秘匿されているミラは、一人で家に取り残されがちだった。側仕えが付いているとはいえ、寂しい思いをさせてしまっている。
「 まあ、ありがとう。何のお菓子かしら? 」
「 わかんない。マディ姉ちゃんと食べたくて走ってきたから 」
頬に張り付いていた髪を耳に掛けてやると、ミラは嬉しそうに手に擦り寄ってきた。そのあまりの可愛らしい言葉と仕草に、マディは思わずミラを抱きしめてしまう。ああ、どうしてうちの妹はこんなに可愛いんだろう。まさに天使だ。神様はミラの可愛さを世に知らしめる為に、この世界を作ったに違いない。
「 …マディ様、ミラ様が苦しそうです。お気持ちは分かりますが、その辺りにしてください 」
ミラを抱き締めたまま身悶えていると、ようやく追い付いたミラの側仕えのサーラが、息を弾ませながら言った。はっとして見下ろすと、ミラはマディの大きな胸に顔を埋めて、苦しそうに藻掻いている。マディは慌ててミラを解放した。
「 ああ、ミラ、ごめんなさい!大丈夫?どこか痛いところはない? 」
「 けほっ、大丈夫だよ。ちょっと息が苦しかっただけだから 」
ミラは少し咳き込みながらも健気に言った。
可愛いミラを抱き締めると、つい興奮して力が入ってしまう。ミラの背中を擦りながら、次こそは気を付けなければと、何回目かの反省をした。
「 それよりも、早くお菓子食べよう! 」
「 そうね、今お茶を入れるわ 」
マディはミラをもう一つの椅子に座らせ、お茶を入れる準備を始めた。茶葉を蒸らす間に、ミラの持ってきたお菓子を袋から取り出してお皿に並べる。お菓子は小さな焼き菓子だった。
「 わぁ!これ、何ていうお菓子? 」
「 これはマドレーヌよ。甘い生地を型に流して、焼いて作るお菓子ね 」
「 マドレーヌ! 」
ミラはお皿に並べられたお菓子をキラキラとした目で見つめている。
魔獣の食事は基本的に、木の実を取って食べるか、獣を狩って食べるかだ。料理をする魔獣など殆どいないので、魔獣界にはお菓子が存在しなかった。マディも人間界でお茶の入れ方を教わったが、料理までは学んでいない。なので家族がお土産に人間界の食べ物を持って帰ると、ミラはとても喜んだ。
丁度良く蒸れたお茶をカップに注ぐとミラの前へ置き、ついでに自分の分も入れ直してようやく席に着く。ミラはその間ずっと、テーブルに身を乗り出すようにしてお菓子を見つめていた。そんな姿も愛らしいが、あまり待たせるのも可哀想だ。
「 さあ、頂きましょう 」
「 いただきます! 」
マディが声を掛けると、ミラは待ってましたとばかりにお菓子に手を伸ばした。
「 っ、おいしい~‼ 」
お菓子を食べたミラが歓声を上げた。
マディもお菓子を一つ摘んで口に運ぶ。しっとりとした生地を噛み締めれば、上品な甘さが口内に拡がった。その後にお茶を飲めば、口内からはすっと甘さも消えてしまう。ありがちな焼き菓子でありながら、その繊細な味にマディも驚いた。
「 …あら、本当に美味しいわね 」
「 ね~!美味しいね~! 」
お菓子の入っていた袋を見れば、マディでも知っている有名な菓子店の印が押されていた。
しかしこの菓子店は、祖父の契約者がいる場所とはかなり離れていたはずだ。わざわざミラに食べさせるために買ってきたのだろう。相変わらず祖父はミラに甘い。
「 サーラもマドレーヌ食べようよ。美味しいよ? 」
ミラは足下で見守っていたサーラに言った。
サーラは雌の亀の魔獣で、ミラが産まれたときからずっと側にいる乳母のような存在だった。小型の下位魔獣だが、精霊の加護を受けているので人化することもできた。しかし元の魔力が低いためか、かなり消耗するようで普段は亀の姿のままでいることが多かった。今もミラの足下で長く首を伸ばして二人を見上げている。水晶の飾りの付いたリボンが、甲羅の襟元に結ばれているのがとてもお洒落だ。
「 いえ。私は結構ですので、ミラ様が食べてください 」
「 え~?お菓子いっぱいあるよ?全部食べたら、ミラのお腹が苦しくなっちゃうよ 」
「 甘いものが嫌いじゃないなら食べてあげなさいな。貴女にもお茶を入れるわ 」
固辞しようとするサーラに重ねて声をかければ、少しためらった後で人化を始めた。霧のように霞んでそれが再び集まると、エプロンドレス姿の女性が現れた。
「 すみません。では、お言葉に甘えてご相伴に預かります 」
「 やった~!みんなで食べた方が美味しいよね! 」
「 そうね。サーラも遠慮せずに座って頂戴 」
席に着いたサーラにお茶を渡せば、ミラがさっそくお菓子を勧めた。
「 ほら、サーラも食べてみて。すっごく美味しいの! 」
「 ありがとうございます、いただきます 」
ミラに急かされてお菓子を食べたサーラの顔がみるみる綻んでいく。
「 とても美味しいですね 」
「 ね~!美味しいよね~! 」
サーラと微笑み合ったミラも、再びお菓子を食べ始めた。みんなで食べることができて嬉しいのだろう。上気した頬をお菓子で膨らませて、もぐもぐと懸命に咀嚼している。…あぁ、うちの妹は世界一可愛い。食べてしまいたいくらいだ。きっとお菓子よりも甘いに違いない。
「 今日はスティナが居ないのね。一緒に食べられたら良かったのだけれど 」
愛らしい妹を妄想全開で眺めていると、ミラの側仕えが一人足りない事に気づいた。スティナはユニコーンの聖獣で、普段はサーラと一緒に、不在がちな家族に代わってミラを育ててくれている。
「 スティナもお菓子好きだもんね。いっぱいあるから取っておいて後であげようね 」
「 そうね。きっと喜ぶわ 」
「 お気遣い、ありがとうございます。きっと凄く喜びますわ 」
サーラは目を細めて嬉しそうに笑った。
サーラとスティナは精霊に認められて祝福まで受けた種族の違う夫婦だった。すでに成人して親元を離れた子供までいる。
「 素敵よねぇ、種族を越えて結ばれるなんて。私もいつかそんな相手に巡り会えるかしら 」
マディも年頃の乙女だ。サーラとスティナの物語の様なラブロマンスには憧れてしまう。マディは二度ほど発情期を迎えたが、どちらも丁度仕事が忙しい時と重なってしまい、番いをもつ機会を逃してしまっていた。
「 マディ様ならきっと素敵な方と出会えますわ。殿方たちが放っておきませんもの 」
「 そうかしら? 」
「 そうだよ!マディ姉ちゃん、おっぱい大きいもん。ジェナ兄ちゃんが、おっぱいは大きい方が男の人は喜ぶって言ってたよ! 」
ミラのとんでもない発言に、サーラと二人でお茶を吹き出した。
「 みみみ、ミラ!? 」
「 ミラ様、何てことを…! 」
ジェナはミラのすぐ上の兄で、数年前まで契約者がいなかった事もあり、ミラと過ごす時間が家族の中でも一番多かった…が、純粋な妹に何てことを教えてるのか!!次に会った時は全力でボコボコにすることを、心に誓う。
沸き上がる怒りを堪えながら、お茶の掛かってしまった本を拭う。ああ、貴重な本が少し茶色くなってしまった。後で慎重に乾かさなければ。
「 ミラ様、レディは無闇にそんな言葉を口にしてはいけません。相手にも失礼になりますよ 」
「 それにジェナの言葉を鵜呑みにしては駄目よ。あの子は貴女をからかっているんだから 」
「 えー?じゃあ、ミラのおっぱいが小さくてもお嫁に行けるの? 」
ミラは大人たちが何を焦っているのか分からない様子で、不思議そうに首をかしげている。いったいジェナは何だってそんなことをミラに言ったのか。
「 ジェナは貴女に何を言ったの? 」
「 ミラはおっぱいが小さいから、誰もお嫁さんにしてくれないって。ミラがお嫁さんになれないのは可哀想だから、ジェナ兄ちゃんがミラをお嫁に貰ってくれるって言ってたよ? 」
ミラはその時のことを思い出したのか、しょんぼりと自分の胸元を見下ろしている。可哀想に自分に胸が無いことを気にしていたのだろう。
あのバカ弟め!ミラにはジェナしかいないと思い込ませたかったのだろうが、好意を表すにしても稚拙過ぎる。好意を伝えるどころか、ミラを落ち込ませてどうするのか。
後で必ずこの話は他の男どもに広めてやろう。ミラを愛するすべての男から、血を見るような制裁を受けるがいい。
私の可愛いミラを傷つけた代償は大きい。その身をもって思い知るがいいわ!
「 胸なんて大人になれば自然に大きくなるわ。ミラは子供なんだから、今は胸が小さくて当たり前なのよ 」
と言うよりも、その年で巨乳だった方が問題がある。ミラは今のままでも十分可愛いのに、変態にでも目を付けられたらどうする。
「 たとえ胸が小さかったとしても他に魅力的なところがあれば、殿方たちはそこを好きになってくれますわ 」
「 そうよ。見た目よりも心の美しさが大事なの。心が醜い者は、その者の見た目も醜くしてしまうものなのよ? 」
サーラと二人で、ジェナのが刷り込んだ誤った認識を正そうと真面目な顔でミラに向き合った。男どもの性癖など知ったことではないが、たとえミラが貧乳であったとしても、そんな事ではミラの魅力は少しも損ねる事などありはしないのだ。
ミラも二人の真剣な様子に、どうやら結婚に胸は関係ないらしいと理解したようだ。
「 わかったよ。ミラ、おっぱいが小さいままでもお嫁に行けるように、おっぱいじゃない所を好きになって貰えるように頑張るよ 」
「 ミラは今のままでもとても魅力的だもの、心配要らないわ。…ただし姉様は、その言葉を口にしない方がもっと魅力的だと思うの 」
「 ミラ様、言葉の美しさも女性の魅力の一つですよ。女性の胸をその様に呼ぶのは下品に思われますわ 」
「 ジェナは口が悪いんだから真似をしてはダメよ。ミラは女の子なんだから、もっと綺麗な言葉を使うようにしなさい 」
ジェナと一緒にいる時間が長かったせいで、ミラはたまに男の子の様な話し方をする。母のことは『母さま』と呼べるのに、兄弟のことは『兄ちゃん』『姉ちゃん』と呼んでいて何度注意しても直らなかった。
「 ほら、私のことも『姉ちゃん』ではなく『姉さま』と呼んでちょうだい?姉様はその方が嬉しいわ 」
「 ………姉さま? 」
「 っ!そうよミラ!とっても素敵だわ!!」
ミラはこちらを伺うように首を傾げて、上目遣いで『姉さま』と口にした。
念願の『姉さま』よびに上目遣いまで加わり、その破壊力にマディは興奮のあまり人化が解けるところだった。
なんだこの可愛さは!どこでそんなあざとい仕草を覚えてきた!?この天然小悪魔め!その可愛さで姉を殺す気か!?もう死んでもいいから何度でも呼ぶがいい!!でも何で疑問形!?
「 もう一度!ミラ、もう一度『姉様』と呼んでちょうだい!」
「 姉さま 」
「 もう一度!! 」
「 ………………姉さま 」
「 もう一度!!」
「 マディ様、もうその辺りで… 」
「 さあ、ミラ早く!!」
「 ……………………………ねえ、さま 」
「 ああん、ミラ!!私の天使!!誰よりも愛してるわ~!!」
疑問符の取れた愛しいミラの『姉様』呼びに、興奮のあまり魔力が吹き出すのを押さえられない。大量の魔力が渦を巻き、マディを中心にして竜巻のように風が巻きおこる。轟々と吹き荒れる風に、机がお菓子やカップごと吹き飛んでいく。契約者から借りた本も、木の枝や草と一緒に風に引きちぎられながら何処かへ飛んでいった。
「 マディ様!落ち着いて下さい!!このままでは庭が無くなってしまいます!! 」
サーラは耐えきれずに人化を解いて亀の姿に戻り、吹き飛ばされないように必死に地面にしがみ付いた。地面に座り込んだミラは、顔を青ざめさせてガタガタ震えながら、見開いた目を姉から放せずにいる。
「 ああ私の愛しいミラ!もう一度その可愛らしい声で『姉さま』と呼んでちょうだい!!さあ、ほら早く!!」
我を忘れたマディが真っ赤な髪を振り乱し、空色の瞳を爛々と輝かせながら一歩一歩ミラに近づいて行く。
「 ミラ!ほら早く!呼んでくれないと、姉様頭がおかしくなっちゃうわ!!」
「 マディ様!お止めください!! 」
「 さあ、ミラ早く!!早く呼んでちょうだい!! 」
「 うわああぁぁん!!また姉ちゃんが壊れたー!!じーちゃんだずげでーーー!!! 」
「 待ってミラ!姉様を置いていかないで~!!」
「 じーちゃーー!! 」
「 マディ様行っては駄目です!っ、ミラ様早く逃げてー!!」
泣きながら逃げるミラを全力で追いかけるマディと、亀の姿で必死に後を追うサーラ。
あとに残されたのは竜巻によってえぐられた地面と荒れ果てた庭だった。
こうしてマディの休日は穏やかに過ぎていく。