先輩と後輩のキラキラ攻防戦
「俺、白井のこと好きなんだけど」
突然の出来事だった。本当に突然。部活終わりの下駄箱で、ひとつ年上の先輩に告白された。中山先輩はリナと同じ陸上部で、種目も一緒の短距離走だった。
誰にも分け隔てなく優しくて、頼り甲斐があって、いつもみんなの中心にいる。元から才能がある上に努力家で、次の県大会の選抜メンバー。顔も断然整っている方で、長身に黒い髪という爽やか要素が女子から支持を得ていた。
そんな人だから、まさか自分を好いてくれているなんて思いもしなかった。リナはどちらかと言えば静かな方で、陸上の記録なんて全然持っていない。選抜メンバーなんて夢のまた夢。先輩とは対照的。
「あの……えっと……急に言われても……」
「そうだよね」
リナがやっとの事で言葉を口にすると、先輩は口元を緩めて笑った。顔を真っ赤にして俯いている自分とは対照的に、先輩の方は余裕ありあり。何で何だ、とリナは純粋に疑問だった。
「けどさ、俺は待てないよ」
先輩の顔が近づいたので、思わず後ずさりした。が、すぐ後ろの壁が背中に当たる。まるで逃げ場を失ったように、リナはぎゅっと体を小さくした。恥ずかしい。
「だから、今すぐ好きになってよ」
「む……無理です!そんなのっ」
「なんで?」
「何でって……」
リナは、潤んだ目をぱちぱちさせた。この人は何を言ってるんだ、と先輩を見上げた。黒色の瞳は、真っ直ぐに自分を見つめている。少し目元が緩んでいて、やっぱりどう見ても余裕ありありだ。しかも何故か楽しそう。
「だって……だって先輩のことあんまり知らないし」
「じゃあ自己紹介すればいい?」
そういう意味じゃない、と言おうとしたが既に遅し。先輩はコホンと咳払いすると、再び彼女の顔を覗き込んだ。
「中山涼、高校三年生。八月七日生まれの獅子座。血液型はA型。好きな事は陸上。あと、テレビ見る事。好きな食べ物は串カツと寿司。好きな歌手はポルノ。好きな動物はパンダ。あと、好きな人は白井リナ」
最後のワードに、リナの顔はさらに一段階赤くなる。この人はふざけているのか、と顔を見上げる。が、目が合った瞬間に恥ずかしくなって、自分の方から反らしてしまった。
「白井、俺の自己紹介済んだけど?」
「せ……先輩は、何で私のことなんか……」
今のは、八割独り言だった。だけど彼はそんな言葉も逃さずに救い上げる。
「何でって、うーん。きっかけはアレかな」
急に語り出す先輩に、リナは口をぱくぱくさせる。この人には恥ずかしさというものがないのか、と。
「白井って偉いじゃん。ほら、いつもさあ、皆が面倒臭がるような後片付けも進んでやるじゃん。一年がやらなきゃいけない事も、二年の白井は文句言わずやるじゃん。そういうとこ、偉いなあっていうかいい子だなあっていうか。可愛いなって思った」
偉い=いい子=可愛い、のか?
リナの頭には成り立たない方程式だった。というか、まず、そんな事くらいで人を好きになるものなのか?というか、先輩はそんな自分を見ていたのか?何で自分なんかを見ていたのか?
「……わけわかんないです」
「わけわかんないよ。けど好きになったんだから、仕方ないだろ」
先輩は、やっぱり余裕たっぷりの笑顔で笑う。恥ずかしい事をさらりと言って、言われた自分の方が何倍も恥ずかしくなる。おかしい。
「俺の事は一通り話したつもりだけど。どう?」
「どう……って」
「少しは好きになった?」
彼が顔を近づける。ただ覗き込んでいるだけなのに、心臓が破裂しそうになる。リナは首を縦に振る事も横に振る事もできず、顔を真っ赤にして固まっていた。
「付き合ってよ、俺と」
「無理……無理ですよ!」
「何で?俺のこと嫌い?」
リナは首を横に振った。ふるふると。それはもう激しく。
「じゃあ、好きってこと?」
こんなの、誘導尋問じゃないか。この人は、おかしい。何で自分ばっかり恥ずかしくなるのか。この人が恥ずかしくなるべきじゃないのか。
「じゃあ、今からキスする」
「は……はい?」
「気持ち悪かったら、殴っていいから」
先輩はそう言うと、ぐんぐんと顔を近づけてくる。リナはまるで石になったように、動けなかった。ぷるぷると体全部が震えだして、沸騰しそうになる。倒れそうになる。
「ちょっと……まって……」
思うように声が出ない。鼻の先には、先輩の綺麗な顔がある。この人は、おかしい。この人は、おかしい。この人は、おかしい。
「……殴らなかったね、俺のこと」
リナは目をぼんやりと開けたまま、立ち尽くしていた。今、自分に何が起きたのか分からなかった。先輩の顔が近づいてきて、どんどん近づいてきて、それで……。
「キス……しちゃったんですか?いま」
「そうだよ」
「うそ……」
へなへなと力が抜けたように、その場にしゃがみ込んだ。あの人の唇と、自分の唇がくっ付いたんだ。おかしい。おかしい。おかしい。
……自分がおかしい。
「イヤじゃ、なかったです……」
リナは、死にそうな顔をしながら先輩を見上げた。すると彼は、相変わらずの笑顔でしゃがみ込む。
「先輩が……キラキラしてみえる……おかしい」
髪も、目も、鼻も、頬も、唇も。
こんなにキラキラしてたっけ?