ESP部のとある日常
某県の某県立高校。
その南校舎の三階にある一室。『ESP研究会』と橙色のゴシック体で書かれた看板を掲げているその教室に、駆け込んで来る男子高校生がいた。
「こんちわーっ!」
と叫ぶように言って、薙ぎ払うように横開きの扉を開け放つ。そして鞄を放り投げ、あせあせと机に向かった。
その後ろにひょっこり顔を出したのは、こちらも同じく男子生徒。丸眼鏡をかけた、この部室の先客だ。
「やや、こんにちは、坂巻クン。そんなに慌ててどうしたんだい? 若人が生き急いでも、道を過つだけだよ? 人生いかなる時も、余裕を持って――」
「部長! そういう話は後にしてください!」
坂巻と呼ばれたその男子生徒は叫ぶように言い、漁るように棚を引っ掻き回している。数秒ガサゴソやった挙句に取り出したのは、上部に「予算申請書」と書かれたプリント。下の方には生徒会の判が押してある。
「ん? ああ、予算申請書か。そう言えばそろそろ生徒会の役員会議だったね」
「何悠長な事言ってるんですか! 締め切り今日なんですよ!」
「時間ならたっぷりあるじゃないか。放課後は始まったばかりだよ」
「僕はこれから予定があるんです!」
部長に目を合わせることもなく、坂巻はプリントを机に広げ、ペンケースからボールペンを取り出した。そして机に広げてあった書類を左手でめくりつつ睨みつつ、必要事項をプリントに写していく。
「つまり何だ、君は、そんな書類を書くためだけに部室に来たのか? 何とも連れないじゃないか。部長として、この現状は悲しいこと甚だしいよ。ここは『ESP研究会』なんだよ? むしろ超能力でもって時間遡行し、失われた時間を取り戻そうとする方が、我が部として正しい方法なのではないのか――」
「常識として正しくありません!」
「時間遡行が駄目なら、未来視をすれば良かったんだ。占いでも予知夢でも、こうなる事が先に分かっていれば、対策も立てられ――」
「ああ! 部長! また僕の机にカップ置いてるじゃないですか! コーヒー入ってるし! ここには重要な書類が置いてあるから、そういうのは置かないでくださいって、何度も言ってるじゃないですか! コーヒーこぼしたらどうするんです!」
「ああ、ああ、わかったよ、そう怒鳴らないでくれ。……やれやれ、君の潔癖症も相変わらずだね。全てを自分の思い通りにしようとするんだから。付き合い辛い事甚だしいよ」
部長は肩を竦めながら、置いてあったカップを手に取った。そしてそれを口に持っていく。
ズズズッ
「あちっ」
部長は驚いてカップを口から離し、右手で唇をさする。
「お〜……あち。まだ冷めてなかったか……」
しかしそんな部長の行動を気にする事など微塵もなく、坂巻はせっせとペンを動かしている。
部長はその丸まった背中を見下ろしながら、
「しかし考えてみなよ。占いなり予知夢なりで未来が見えたとして、果たしてその結果は変える事ができると思うかい? 何でも量子力学にのっとれば、観測するまで分らない事象というのが存在するらしいが。だが、もし未来が不可変だとしたら、その人にとって人生がつまらない事甚だしくなると思わな――」
「できた!」
坂巻は授与された賞状のようにプリントを両手で握り、すくっと立ち上がった。
と、部長は後ろから坂巻の肩に手を置きながら、
「よし、じゃあ早速これから談義を始めようか。今日の議題は――」
「だから僕、今日予定があるって言ったじゃないですか」
坂巻は首だけで後ろを振り返り、部長に抗議。しかし部長は首を横に振りながら、
「いーやっ。何と言おうが今日こそは参加してもらうぞ。これは部長命令だ。この『ESP研究会』以上に重要な事は君の人生に皆無だと言える事甚だしい。大体君は、先週も出席率が――」
「部長は部活と人の命と、どっちが大切なんですか!」
「ひ、人の命?」
「じゃ、部長、これ提出しておいてください。多分生徒会室の前にポストがあると思うんで」
そう言って、坂巻は部長にひらりとプリントを渡す。
「ちょ、坂巻クン! 曲がりなりにも僕は部長で君の先輩だよ? こういう雑用を――」
「じゃ、お先でーす」
言いながら坂巻は鞄を担ぎ上げ、脱兎の如く部室を出て行った。後に残された部長は
「まったく」
と嘆息するだけだった。
帰り道。
いつもの道を駆け足で進んで行く坂巻は、まずスーパーに立ち寄った。夕飯の買い物に来ている主婦がごった返しているこのスーパーは、坂巻も買い食いに使う御用達の店である。
店内に入ると、坂巻はまず医療品売り場に向かった。そして棚から小さ目の絆創膏を取り出す。
次に坂巻は飲料コーナーに向かった。冷気が噴き出していてひんやりしている棚に辿り着き、
「えーと、お茶、お茶……」
と呟きながら辺りを見渡すが、目当ての物が見つからない。
「え? 嘘? 売り切れ?」
いや、むしろペットボトルのお茶全般が見当たらない。…………まさか。
坂巻は振り返り、右左をきょろきょろしながら店内をうろついた。そしてものの数秒で、
「あ、あった、あった!」
特売品コーナーと書かれた棚の上、ペットボトルのお茶が山積みになっているのを発見した。
「ったく、心臓に悪いよなー」
と呟きつつ、坂巻はレジに向かい、二つの品を購入。袋に詰める事もなく、そのまま店を後にした。
その後坂巻が向かったのは、通学路沿いにある踏み切り。
大して人通りも多くない場所だが、それでも一分に一、二台の車と数人の通行人は渡っていく。坂巻はその遮断機の側に佇み、先刻買ったお茶を口に含んでいる。
何かを待っているようにボーッと立ち尽くすこと数分。踏切がカンカン言い始めて、遮断機が降り始めた。
と、そこに駆け込んで来る子供。赤いランドセルを背負った小学生だ。
遮断機が降りきる前に渡ろうとして、慌てて走って来る。頭を下げてどうにか一つ目を潜り抜け、急いで端まで渡りきろうとした瞬間、
その女の子が、転んだ。
しばらくうつ伏せでうずくまっていたが、少し上体を起こし、自分の膝から血が流れているのを発見。涙目になっていき、終いにはその場で「うわーんっ!」と泣き出した。
百メートル位先には、もう電車の頭が見えている。坂巻は「やれやれ」と言いながらその女の子の方へ駆けて行った。そして
「大丈夫かい?」
と言って、その子を抱き起こす。そのまま担いでさっさと線路を離れた。
女の子の膝に絆創膏を張ってあげた後、
「踏み切りが鳴り始めたら、渡っちゃ駄目だよ?」
と諭し、その子を帰した。揺れるランドセルを眺めつつ、はあ、とため息をつく。
自分の帰り道をとぼとぼ歩きながら、坂巻は呟くように、
「未来が可変って事は、つまり全て予知夢で見た通りにしないと、その現象は起こらなくなる可能性があるってわけだ。という事は、関係なさそうな事でも、夢で見たその通りにしなけりゃならない。欲しくもないお茶を買ったり、ね。未来視も楽じゃないよ、ホント」
今まで三人称視点の小説をほとんど書いた事が無かったので、その練習です。個人的に一人称寄りの三人称視点が好きなんですが、短すぎて使い分ける程でもなかったと言うか……。
ジャンルは一応SFにしましたが、SF作家の方には怒られそうな内容で、まあ、単なる高校生の放課後の話ですね。そんな感じです、はい。




