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森さん、隣家の主人と出あう

 どうにか、住処と決めた我が家に帰ってこられた森さん、翌朝早々ぱちりと目を覚ましました。山に住んでいる時の習慣で、日が昇る頃に必ず目が覚めるのです。


 森さんは大儀そうに起き出して、まず、南側に面した大きな掃き出し窓を開けようとしました。

 雨戸で塞がれたガラス窓は、何かで固定されているらしくうんともすんとも動きません。森さんは、うつむいて一歩下がり、それから溜めもなく一気に前のめりにその窓に体当たりしました。


 地響きを伴う濁った音と衝撃で窓枠が家ごと震え、その一画は庭に向かって吹き飛びました。ガラスが割れる派手な音があたりをしばし騒がしたものの、騒ぎはすぐに静まりました。


 たまたま一部始終見ていたのが、庭で面した隣のお宅、ウサギの中年オヤジでした。


 真っ黒に塗りつぶされたような隣家の雨戸がひとつ大音声とともにいきなり外側に向かって吹っ飛び、それに続いて掃き出し窓一枚と、そこにサーフボードのように伏せ気味に乗っている大きな影が降ってきたのです、手にトーストの切れ端を掴んだままのオヤジは目を丸くして硬直するのみでした。


 というのも、ウサギのオヤジはいつも休日の朝は庭のテーブルで朝食を摂るのが常だったのです。

彼は足を組んで白い鉄製の細工じみた椅子に斜めに腰かけたまま、荒れた庭に窓枠ごと転落してきた大きな影に言葉もなく見入っておりました。トーストが細かく震えているのにも、こんがりと焼けたトーストの端から、とろりとしたニンジンジャムが数滴たれ落ちているのにも気づいていませんでした。


 ううっふ、とようやく大きな影が起き上がった時にはオヤジはすぐ、相手がクマだと気づきました。

 昨日たまたまクマがやってきた午後の時間、ウサギのオヤジは仕事に出ていて留守でした。そしてオクサンと五羽の幼い子どもらは買い物に出ていました。

家にいたのは、年老いたオヤジの父親のみ。すっかり目も耳も認知力も不確かになったウサギの老父は、安楽椅子にちんまりと腰かけてずっとテレビを視ているだけで、森さんが隣に越してきたのはたぶん気づいていなかったに違いありません。それでなくとも、日々の話もかみ合っていなかったのですから。


 姿勢はやや腰を浮かせ、椅子から立ち上がろうかどうしようかウサギのオヤジは迷いました。

元来、ウサギとは臆病なものです、それでもこうして家族を連れて街なかに住むというだけでも、彼は同族のウサギたちから大変な勇者だともてはやされていたのです。

 ようやくありったけの勇気を振り絞って

「あの」

えへん、と弱々しい咳払いを一つした時、立ちあがって身に降りかかったガラス片や木くずをばらばらと払い落したクマがゆっくりとこちらに向き直りました。

びくん、とオヤジの小柄な体が跳ねあがり、手に持ったトーストが折れて、大きな欠片がぽちゃん、とカフェオレカップの中に落ちました。

「あ、あ、おおおおはよう」やっとのことで声が出ました。

「きききみは? 誰だがの?」

「モリ」

 一言だけそう答え、森さんはぺこりと無造作にお辞儀をして、まだこちらを見て立っていました。オヤジは、そうか、隣に越してきたのか、名前を聞きたいのだろうと、キンキンと響く震え声で

「イ、イナバウワ。稲に葉っぱに上、って書いて稲葉上(いなばうわ)だがの」

 ようやくそう返事をすると、森さんは何ごともなかったかのように朝露輝く庭を背にまた家の中に戻って行きました。


 稲葉上さんは、はたからみても動悸の激しい胸を押さえつつ、彼の消えた方をみて、それからその荒れた庭に目をやって、その後自分の丹精した庭にそっと目を戻しました。


 庭には美しい薔薇が沢山咲いています。それは全て、隣の荒れた庭からこっそり折って挿し木で育てた薔薇でした。


 同じ花が咲いてますねと言われたらどうしよう、と稲葉上さんは不安げな目をさまよわせ、隣に空いた穴を見てからため息をつきました。

 クマが花にこだわるだろうか、クマがもし薔薇の花が大好きだったらどうしようか、何かと借りに来たり、因縁をつけに来たり、大きいからって言っていばったりしたらどうしようか……稲葉上さんのため息はそれから日が沈むまで止むことはありませんでした。



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