森さん、つかまりかかる
ようやく中に入ることができたので、森さんはあたりの匂いを嗅いで歩きました。
危険なもの、不快なものは特になさそうです。
ただ、おいしそうな匂いはほとんどありませんでした。
ニンゲンたちの『ダイドコロ』というあたりも特に念入りに嗅いだのですが、どれもカビっぽいか、カラカラになったものばかり。ホゾンショクのようなものもありましたが、とりあえずすぐに手をつけるのをやめて、森さんはいったん、家の外に出ました。
駅前商店街から、よい匂いが漂っていたので、そちらに向かいます。
お腹がぺこぺこで、商店街を歩くのは本当につらいものです。
山から降りてきた時に、峠の畑で放置された畑に入り、たらふく柿やミカン、白菜なんかをお腹に詰め込んで来ていたのですが、街の匂いはあまりにも甘く脂っけに満ちて、森さんの腹はぐうぐうなりっ放しです。
ちょうど自動ドアの開いた小さなスーパーに、森さんは誘われるように入って行きました。まっすぐ奥の方にあるお惣菜売り場に進むと、買い物客はぎょっとしたように森さんを見上げました。
森さんは山と積まれたメンチカツに鼻を近づけ、おそるおそるすくい上げました。ほんのりと掌に熱が伝わります。それをいったん、口に運ぶと、もう止まりません。
さくさくした衣の中からじゅわっと肉汁がしみ出し、キャベツが歯の間で軽やかに踊ります。森さんには少しばかり塩けが多かったのですが、かまいません。
メンチカツが済んで、次は脇にある『白身魚のフライ』にとりかかろうとした頃、店長らしい中年の男があわてて走ってきました。
「ちょっとあんた……って、クマ?」
男はおろおろと周りを見回しています。森さんは店長らしき男が特に話しかけてもこないので、今度はフライに向き合い、直接口をつけて食べ始めました。手より効率がよさそうです。
「早くやめさせてよ! コロッケ食べられちゃったら今夜ウチが困るんだから!」
店長(仮)は脇から大柄なオバちゃんにそう怒鳴られ、
「あ、あ、」さらに目を泳がせています。「しかし……マニュアルでは……」
別のちっちゃなオバちゃん、というかすでに年配なのでオバアちゃん、とも言ってもよさそうな女性が店長を押しのけました。「だらしないわねホント」
オバアちゃんは、持っていた買い物かごで森さんのおしりをバンバンとはたきます。
「アンタ! やめなさい!! やめろ!!」
ようやくその声が森さんの耳にも届きました。ゆっくり振り向くと、周りの連中がおびえたように一歩、後ずさりしました。
オバアちゃんだけはせいいっぱい胸を張って、森さんの前に立ちふさがりました。
「アンタね! それちゃんと、お金払いなさいよ! いい?」
あまりにも夢中になっていたため、すっかり頭から抜け落ちていました。前に構えていた手をぱたりと両脇に落とし、森さんはぼんやりと腰に手を当てているオバアちゃんの顔を眺めました。
「お、おかね」
「そう、お金!!」
服を買った時には、ちゃんと覚えていたはずなのに。
森さんは肩を落とし、オバアちゃんと店長(仮)についてレジまで歩いて行きました。
それでもここのメンチカツは、けっこうおいしいので覚えておこう、と支払い済んで無事に店から出てきた森さんはそう思ったのでした。