少女、告白する、というより開き直る
共同生活も少し経ってから、いよいよ蓄えもなくなり買い物に行かねばならない、という時になって望月さんは最初、少女にお使いを頼もうとしました。
「なんで?」
少女が簡単にいいよ、と言わなかったので望月さんはめんくらった顔で答えます。
「オレっちはよ、どうもあのカネとかサツとか細かい数字とか嫌いなんだよ、手に乗りにくいし」
「ただ数が数えられないだけでしょ? それにサツとカネって同じ意味だけど」
少女が簡単にそう斬り捨て、望月さんはぎりぎりと牙を鳴らして地面を見ました。
「狼さんも、カード払いにすれば?」
「本気で言ってんのか?」住民登録もできないのに、と上目で少女をねめつけます。
「オレら、それなりに苦労してんだぜ、文明に生きるのはさ」
もちろん文明生活を送るようになってまだふた月ほどしか経っていない森さんは、何もコメントできませんでした。
お金については、たまたま巡り合わせがよいのか、運が良かったのか、持ち合せが途切れた事がなかったし、出したお金についても、相手が気をきかせて森さんの手のひらから適当な金額を拾い上げてくれていたので、まだ一度も買い物でのトラブルに遭遇したことがなかったのです。
「お前こそ、ニンゲンなんだろ?」
望月さんが急に顔を上げました。
「いくら子どもでも、買い物くらいはできるだろ? まあ、カードは持ってないとしても、親のがどっかに置いてねえのか? つうかお前の親はどこにいるんだよ」
少女は答えます。
「もちろんアタシひとりで買い物くらいはできるに決まってるじゃない。野生動物じゃないんだから」
「オマエ、それ全国の野生動物さんたちに対して失礼だぞ」
少女は動じたふうもなく、続けます。「ただ問題があるの」
「そのみっともないワンピース姿で、外に出られねえってのか?」
望月さんが鼻で笑います。「ここ、お前んちなんだろ? いくらでも好きな服に着替えりゃいいじゃねえかよ」
少女は何か答えようと口を開きかけました。そこを望月さんが止めます。
「分かったよ、何だかんだ言っても結局金がないってコトなんだろ、お前も」
望月さんはやれやれと肩をすくめ、ジャージのポケットから黒いヨレヨレの財布を取り出しました。
最後の最後の手段だからな、と言いながら彼は財布を開きました。札入れではなく、小銭入れの部分でしたが。
しかし少女の次の答えにその手はぴたりと止まりました。
「他の人間には、アタシは見えないと思う。オオカミさんやクマさんには見えてもね」
「どういうことだ?」聞きたくもないが、とりあえず聞いてやろうというさりげない口調で望月さん。
「だってアタシ、ずいぶん前に事故で死んだんだもの……山の中で、パパが運転する車に乗っててね。ママと小さい妹と弟と」
服装もそのまんまだし、何も喰ってる様子もない理由がようやく分かったぜ、と望月さんがぼうぜんとしたままつぶやき、森さんもぶふう、と大きく鼻息を噴きました。
望月さんも森さんもそこからまだ数日間は何とかしのいでおりましたが、世のならいというべきか、食料の蓄えもお互いの持ち合せも少なくなってきました。
望月さんは深くため息をついて、のっそりと立ち上がり、言いました。
「仕方ねえ……森さん、アンタにも少しは稼ぎ方を教えてやるよ」
森さんは望月さんに連れられて、いつも金に困った動物たちが仕事をもらっている所を順に回ってみることになりました。
少女も「面白そう、一緒に行くわ」と立ちあがります。
「……メイワクなんだよなあ」
言いながらも、望月さんは森さんを連れて、少女はついて来るにまかせ、街に出て行きました。
「メイワク、って言ってもアナタだってアパートを追い出されたんでしょ? つまりはうちに居候しているってことなのに」
ゲタをかたかた鳴らしながら、そんなことばを浴びせかけている少女に、望月さんは更に苦い顔を向けました。
「まあいいけどさ、もう少し静かに歩けないのか? 朝っから下駄が響いてしょうがねえ。空きっ腹に堪えらぁ」
「だいじょうぶ、聞こえない人には聞こえないから」
少女がけろりとした顔でそういいます。
「それに見えない人には見えないの」
望月さんは何となく納得したような表情を浮かべたものの、たまたま商店街のガラス張りになった店の前を通りかかり、ぎょっとしたように立ちすくみました。
「ガラスに映ってるじゃねえか! オマエ」望月さんは少女に向かって指を突き出します。
「丸見えってことじゃねえのか!?」
「何かいけないことでもある?」少女はあごを突き出しました。
「鏡を見てごらんなさい。何が映っている?」
少女が訊ねました。
「オレと、あんた、それと森さんも見える……まずいぜ、こりゃ。他の奴らにもすぐバレちまう」
「見えない人からは、見えないのよ、わかる?」
「いや、待てよ」
望月さんは首を捻ります。
「アンタ、でも鏡に映ってるんだぜ? それでも他の奴らから見えていないって言えるのか?」
「言ってる意味が分からない」
少女はあっさりと切り捨てた感じです。望月さんがムキになって言いつのります。
「映ってる、ってことはそこにあるからじゃないのか? オマエさんの薄汚れた顔も、ボサボサの髪もボロい服もオレが見たまんま、鏡に映ってる。つまりさ」
「あのね」
少女は一言ずつ区切るように、そう望月さんを黙らせてから、続けました。
「その鏡で見ているのは、誰? アナタでしょ? アナタはアタシが実像としても見えている、と思っているから、アタシの姿が鏡にも映って見えているの。元々見えていない人から見たら、鏡にだって何も映らないに決まってるじゃない。それにさ」
少女は大きく腕を拡げて鏡を示しました。
「鏡って何? 映して見せているだけでしょ? つまり、あるものを見せる訳ではないの、見ようとしたものを見せるだけなのよ。もしもアナタが、鏡をちらっとも見ずにその脇を通り過ぎた時、鏡の中にその姿は映っているの?」
「映ってるに、決まってらあ」
望月さんは鼻をふくらませます。「オレが通った時にさ、誰かが鏡の中を見りゃ確かに……」
「誰かが? ううん、そこには、誰もいないの、アナタのほかには」
少女が重々しく告げます。
「そしてアナタはそこを見ていない。どう? 分かった?」
暫らく、望月さんは視線を宙に向けたまま口を半開きにして固まっていました。
「……分からねえ」
ようやく、望月さんがそう答えた時には、少女はすでに道路のずっと先の方を歩いておりました。
「オマエ、どう思う?」
望月さんは、森さんを振り返りました。しかし、森さんの姿はありません。本能的にすぐに鼻を利かせた望月さんでしたが、匂いすら全く届きません。
「き、消えた!?」
望月さんが飛び上がります。
「モ、モリさん!? もしかして、元々アンタすら存在していなかった、なんて言うんじゃ……」
と震え声でそこまでつぶやいた時、ひょっこりと、脇の路地から森さんが姿を現しました。
「な……なんだ、よかった」
安堵の吐息をつく望月さんを見て、森さんが首をかしげます。
「?」
「いや別にね」
望月さんは先に行ってしまった少女の背中をぼんやりと見ながら、放心状態のまま答えました。
「珍しくコムズカシイこと考えちまったらさ、怖くなっちまって……
『存在』ってモノは、何が決め手なのか、とかさ」