家に帰ってきたという少女
人間の少女は、やや前のめりに部屋の入口に立っていました。ぼさぼさの髪を肩近くまでのばし、それがもつれ合ったように頬を縁取っています。
といっても、森さんはクマなので今ひとつ夜目がききません。声と匂いと一メートル二十センチ程の背格好からみてニンゲンの幼いメスと推定したくらいで、しかも鼻に届くのもかすかな、どちらかというと野性の臭いに近いものだったので、いきなり何が起こったのかまるで判断ができておりませんでした。
と、そこへ
「いやあ遅くにすまん、ちょっとさぁ……あれ?」
のっそり入ってきたのは狼の望月さん。
いきなり、少女と鉢合わせ状態となりました。
「何? あんた」
同時に望月さんと少女は声に出しました。そして、わずかな沈黙の後に、今度はどちらもお互いを指しながら森さんをみて
「何? コイツ」
と聞いてきたのです。
森さんはただ、ううう、と低く唸るのみ。先日の出来事がそれなりに衝撃的だったので望月さんが無事だったのにはほっとしましたが、なぜ今頃こんな時間に自分の所を訪ねてきたのか、警察署でどんな目にあったのかも聞きたかったし、少女にも、一体何者で、何をしに来たのか訊ねたくもあったのですが、とにかくすんなりとニンゲンのことばが出てこないのです。
山を出る時に、かなり練習はしてきたはずなのに。村の同報無線や、仕事に入っている作業員たちの会話、登山客の忘れていったラジオなどを注意深く聴いて、のどを押さえながら何度も繰り返し発声練習もしたはずなのに、どうしても「何なのですか全く」とか「逆にこちらがお訊きしたい」とか、頭に浮かんだことばがすっと口から飛び出してこようとしないのです。
うううと唸ってばかりの森さんをしり目に、少女がオオカミに向かって訊きました。手を腰に当てています。
「何でクマとオオカミがこんなところにいるの? 何してるのよ?」
望月さんはさも当然といったふうに答えます。
「俺はモチヅキ。寝ていたアイツはモリ。自然に囲まれた暮らしを捨てて、街で暮らしているのさ」
ちょっと咳払いをして目線を外したのは、あまりにも少女にじっと見つめられていたからかもしれません。ややとまどった口調になって、望月さんは続けました。
「今どき、多いんだぜ俺らみたいなシチー派つうか、文明志向つうか、そんな生き物はね」
少女がなおも黙って見つめているので逆に望月さんは開き直ったように顔を突き出しました。
「アンタは何だい? まずその格好。髪はボサボサだし、服もこの寒い時期、イヤ、オレっちは別に平気だけどよ、お前らには寒い中でワンピースいっちょ、それに素足に何だそれ、ゲタか? しかも、こ汚ねえし、山土とか、タヌキのションベンとかプンプン匂ってやがるし。
それによ、ニンゲンなのにこんな夜中に、まだ十一? 十二かそこらだろ? ガキがひとりっきりでこんな夜中に何してんだ?」
少女はふん、と鼻を鳴らします。オオカミにもクマにも全く動じた様子はなく、彼女はさも当然というふうに答えました。
「アタシはね、ウチに帰ってきたのよ、ようやく」
「はぁ」
ようやく出てきた、森さんの返事がこれでした。
望月さんもぽかんとしています。
「ウチ? ここが?」ぐるりと見回して、「これがオマエさんの、ウチなのか」
「そうだよ」
少女はにっこりとほほ笑みました。いえ、森さんにははっきり見えておりませんでしたが、どうも、匂いからしてそれは笑いのようでした。