『無能な美食家』と追放された令嬢ですが、前世知識で【お取り寄せ魔法】を開花させました。~私がいなくなって王宮の食卓が崩壊したようですが、隣国の覇王様に究極の出汁を振る舞って溺愛されるのでもう遅いです~
「リリアーヌ。君との婚約を破棄する」
夜会の最中、セドリック殿下の声が響いた。
隣には、勝ち誇った顔の男爵令嬢エレナ。
私は手にしていたグラスを静かに置いた。
「理由は、私の『浪費』でしょうか?」
「自覚があるなら話は早い! 君は王宮の料理に文句をつけ、高価な食材ばかりを買い漁らせているそうだな。民が飢えている時に、自分だけ美食に興じるとは……王妃の器ではない!」
周囲の貴族たちがヒソヒソと嘲笑う。
私は小さく息を吐いた。
殿下はご存じない。
私が取り寄せていたのは、ただ「高価」なものではなく、衛生管理が徹底された「安全」な食材だったことを。
そして、私が厨房に伝えていたのは、文句ではなく、素材の味を最大限に引き出すための「前世の知識」だったことを。
「エレナを見習いたまえ。彼女の『聖女の祈り』は、堅いパンですら柔らかく変える。君のような金のかかる『無能な美食家』は、我が国には不要だ」
エレナが私の前に進み出る。
「リリアーヌ様、残念ですわ。でもご安心ください。これからは私が、殿下の胃袋も国も支えますから」
その瞳には、隠しきれない優越感と悪意が見えた。
……ああ、なるほど。
私は彼らにとって、ただの「口うるさいお飾り」でしかなかったのだ。
「承知いたしました。……今まで、美味しいお食事を共にできたこと、感謝いたします」
私はカーテシーをして、背を向けた。
最後に一つだけ、殿下に伝えようとして、やめた。
――『祈り』で味は誤魔化せても、腐りかけた食材の毒までは消せませんよ、と。
王宮を出る馬車の中。
私は窓の外を流れる景色を見つめながら、不思議と晴れやかな気分だった。
「やっと、解放されたのね」
もう、誰かのために味を調整する必要はない。
私は、私のためだけに「美味しいもの」を食べていいのだ。
その瞬間、目の前に淡い光のウィンドウが浮かんだ。
【追放条件達成:スキル『お取り寄せ』が解放されました】
「え……?」
画面に並ぶのは、懐かしい前世の商品たち。
醤油、味噌、お米、チョコレート……。
私の喉が、ゴクリと鳴った。
国境の街外れ。誰もいない荒野で、私は馬車を降りた。
空腹だった。王宮の料理は、騒ぎのせいで一口も食べていない。
「……まずは、これね」
震える指で、画面をタップする。
光の粒が集まり、私の手の中に「それ」は現れた。
湯気を立てる、炊きたての塩むすび。
一口齧る。
広がるお米の甘みと、絶妙な塩加減。
シンプルだからこそ分かる、圧倒的な「本物」の味。
「美味しい……っ!」
思わず涙がこぼれそうになった、その時。
「――おい、女」
背後から、低く、威圧的な声がした。
振り返ると、そこには漆黒の軍服を着た男が立っていた。
燃えるような紅い瞳。整いすぎた顔立ち。
そして彼の手には、抜き身の剣が握られている。
隣国の「覇王」、カイル・ヴァン・ガルア。
噂に聞く冷酷な暴君が、なぜか私の手元を――いや、「おむすび」を凝視していた。
「その白い塊から漂う、妙に食欲をそそる香りは何だ。……貴様、魔法使いか?」
剣先が私の喉元に向けられる。
でも、私は気づいてしまった。
彼の整ったお腹が、「グゥ~」と切ない音を立てていることに。
「……毒ではありませんわ。ただの『おむすび』です」
「オムスビだと? 聞いたことのない呪文だ」
彼は警戒を解かぬまま、しかし視線はおむすびに釘付けだ。
私は苦笑して、もう一つ取り出したおむすびを差し出した。
「お一つ、いかがですか? 覇王陛下」
彼は眉をひそめ、恐る恐る手を伸ばした。
そして、一口食べた瞬間。
カイルの紅い瞳が、驚愕に見開かれた。
「……なんだ、これは」
彼は呟く。
「ただの穀物のはずなのに……なぜ、これほどまでに心が安らぐ? 口の中に広がるこの深い味わいは……魔法か?」
「いいえ。これが『旨味』です」
彼はあっという間に平らげると、私の手首を掴んだ。
強い力。でも、その瞳には敵意ではなく、渇望があった。
「女、名を何という」
「リリアーヌです。……先ほど、国を追い出されましたが」
「そうか。ならば好都合だ」
彼はニヤリと笑った。
「リリアーヌ。貴様を我が城へ連行する。……その『旨味』とやら、私が飽きるまで毎日献上しろ」
その夜、私はカイル陛下に呼び出された。
通されたのは、殺風景な会議室。そこには、顔に傷のある強面の将軍たちがズラリと並んでいた。
「……陛下。この細腕の女が、例の『極上のスープ』を作ったと?」
隻眼の大将軍が、私を睨みつける。
「信じられん。スパイかもしれんぞ」
カイル陛下は玉座で不敵に笑った。
「疑うなら食ってみろ。リリアーヌ、あれを出せ」
「かしこまりました。……では、皆様の度肝を抜く『主菜』をご用意しますわ」
私は会議用テーブルの上に、お取り寄せしたホットプレート(魔道具ということにした)を置いた。
そして、取り出したのは――『最高級A5ランク黒毛和牛のサーロイン』。
ジュウウゥゥゥ――ッ!!
肉を鉄板に乗せた瞬間、暴力的なまでの香りが部屋中に炸裂した。
脂の焦げる甘い匂い。将軍たちの鼻がヒクヒクと動く。
味付けはシンプルに。岩塩と、わさびを少々。
「さあ、どうぞ」
私が切り分けた肉を皿に乗せると、将軍たちは恐る恐る口に運んだ。
そして――咀嚼した瞬間、全員の動きが止まった。
「……なっ!?」
隻眼の大将軍が、ガタガタと震え出した。
「肉が……消えた!? 噛んでいないのに、口の中で雪のように溶けたぞ!?」
「なんだこの脂の甘みは……! 今まで食っていた硬いゴム(干し肉)はなんだったんだ!」
「うおおお! 白米! この白い穀物をよこせぇぇ!」
屈強な男たちが、涙を流して肉とご飯をかき込む地獄絵図……いや、天国絵図。
カイル陛下も、私の焼いた肉を頬張りながら、恍惚の表情を浮かべている。
「……リリアーヌ。貴様、魔法を使ったな?」
「調理という名の魔法ですわ」
「ふん、口の減らない女だ」
彼は立ち上がり、私の腰をぐいと引き寄せた。
将軍たちの前だというのに、その顔が近い。
「……許さん。こんな味を知ってしまったら、もう他のメシなど食えん。責任を取って、一生俺の傍でこれを作れ」
「それ、プロポーズのつもりですか?」
「命令だ。……だが、貴様が望むなら、この国の半分をくれてやってもいい」
その紅い瞳が、獲物を狙う獣のように熱っぽく私を捉えていた。
……どうやら私は、とんでもない男の胃袋を掴んでしまったらしい。
一方、リリアーヌを追放してから一週間後の王宮。
かつての栄華は見る影もなかった。
「……なんだ、このスープは」
セドリック殿下は、目の前に置かれた皿を見て眉をひそめた。
いつもなら黄金色に輝いているコンソメスープが、今日はなぜか濁ったドブ色をしている。鼻を近づけると、ツンとした酸っぱい臭いがした。
「申し訳ございません、殿下!」
料理長が青ざめた顔で頭を下げる。
「今朝届いた野菜が、その……どれも傷んでおりまして。リリアーヌ様が契約していた業者が、『もう取引はしない』と……」
「ええい、言い訳はいい! エレナ、君の出番だ」
セドリックは隣に座るエレナに微笑みかけた。
「君の『聖女の祈り』で、このスープを最高の味に変えてくれ」
「はい、お任せください殿下!」
エレナは自信満々に立ち上がり、スープに向かって手をかざした。
「天にまします神よ、この哀れなスープに祝福を! ……エイッ!」
可愛らしい掛け声とともに、スープが一瞬だけピンク色に発光した。
「さあ、召し上がれ殿下! とびっきりの味になっているはずですわ!」
セドリックは期待に胸を膨らませ、スープを一口すすった。
甘い。砂糖をぶちまけたような味がする。
だが、リリアーヌの作る小賢しい料理とは違う、直球の甘さに満足し、彼はスープを飲み干した。
――その時だった。
「ぐ、うっ……!?」
突然、セドリックが腹を押さえてうずくまった。顔色がみるみる土気色になっていく。
「で、殿下!? いかがなさいました!?」
「は、腹が……焼けるように熱い……! エレナ、貴様、何を入れた……!」
彼らは知らなかったのだ。エレナの『聖女の力』は、味を甘く変えるだけで、腐った食材の毒素までは消せないということを。
「い、いやぁぁ! 私のせいじゃありません! 料理長が腐った野菜を使うから!」
食堂に悲鳴と怒号が飛び交う。
その時、一人の伝令兵が駆け込んできた。
「ほ、報告します! 追放されたリリアーヌ嬢が、隣国のガルア帝国にいるとの情報が! しかも、皇帝カイルの寵愛を受け、毎晩『極上の宴』を開いているとか……!」
セドリックの脳裏に、リリアーヌの涼しげな顔が浮かんだ。
あいつは、分かっていたのだ。自分が去ればこうなることを。
「……おのれ、リリアーヌ!」
セドリックは立ち上がり、狂ったように叫んだ。
「馬車を出せ! 私が直々に迎えに行く! あの女を連れ戻し、再び私のために極上の料理を作らせるのだ!」
鏡に映った自分の顔が、栄養失調でドブネズミのように痩せこけていることにも気づかず、愚かな王子は走り出した。
ガルア帝国の謁見の間。
私とカイル陛下は、執務の合間のランチタイムを楽しんでいた。
今日のメニューは、私の自信作『王道ポークカレー(半熟卵のせ)』だ。
スパイスの刺激的な香りが、広い広間に充満している。
「……美味い。この辛さが、疲れた脳に直接響くようだ」
カイル陛下はスプーンを止めず、額に汗を浮かべながらカレーを頬張っている。
その時だった。
バンッ! と扉が粗暴に開かれた。
「リリアーヌ! どこだ、リリアーヌは!」
衛兵に取り押さえられながら転がり込んできたのは、見るも無惨な姿の男だった。
頬はこけ、目の下には深いクマ。かつて輝いていた金髪は脂ぎってベタつき、豪華だった服は泥と食品のシミで汚れている。
「……あら? どこの浮浪者かと思えば……セドリック殿下ではありませんか」
私がスプーンを置くと、セドリックは血走った目で私を睨んだ。
いや、正確には私ではなく、私の手元にある『カレー』を凝視していた。
「ひぃっ……! なんだその芳醇な香りは……! あぁ、腹が減った、腹が減って死にそうだ……!」
彼は涎を垂らしながら、這いつくばって近づこうとする。
その姿は、かつて私を「不快だ」と罵った王子の面影など微塵もない。ただの飢えた獣だ。
「リリアーヌ! 迎えに来てやったぞ! 今なら特別に許してやる! だから国へ戻り、私のためにその料理を作れ! あの腐ったスープと石のようなパンはもうこりごりなんだ!」
彼は叫んだ。謝罪ではなく、命令。
相変わらずの傲慢さに、私は冷ややかな視線を送った。
「お断りしますわ。私は今、世界一味覚の優れたお方のために料理を作っておりますので」
「なっ……!? 私より、その野蛮な皇帝を選ぼうというのか!?」
その瞬間。
室内温度が氷点下まで下がったかのような殺気が、空間を支配した。
「……おい、ドブネズミ」
カイル陛下が立ち上がっていた。
その手にはスプーンではなく、抜き身の魔剣が握られている。
「俺の至宝に、その汚い口で話しかけるな。……それと、俺のカレーの香りを嗅ぐことすら、貴様には許さん」
「ひっ……!?」
覇王の威圧感に、セドリックは腰を抜かした。
カイル陛下は冷酷に見下ろす。
「彼女を追放したのは貴様だ。その結果、貴様の国は飢え、私の国は満たされた。……感謝するぞ、愚か者。おかげで私は、最高の伴侶を手に入れたのだからな」
「は、伴侶……だと……?」
「衛兵! この男をつまみ出せ。二度と帝国の敷居を跨がせるな!」
「ま、待ってくれ! せめて一口! そのカレーを一口だけ舐めさせてくれぇぇぇ!!」
セドリックの情けない悲鳴が遠ざかっていく。
私は最後の一瞥をくれ、再びスプーンを手に取った。
……うん、少し冷めてしまったけれど、それでも彼らが食べている「餌」よりは、何億倍も美味しいわ。
嵐が去った後、静寂が戻った部屋で、カイル陛下がため息をついた。
「……興が削がれたな。リリアーヌ、冷めてしまったか?」
「いえ、スパイスが馴染んで、むしろ美味しくなりましたわ」
私が微笑むと、彼は不意に真剣な表情で私の手を取った。
「リリアーヌ。先ほどの言葉は、冗談ではないぞ」
「……え?」
「伴侶だ。……私はもう、貴様の料理以外で生きていける気がしない。いや、貴様がいない食卓など、味気なくて耐えられん」
彼は私の指先に口づけを落とした。
その紅い瞳には、燃えるような情熱と、少しの照れくささが揺れている。
「貴様を、ガルア帝国の皇后として迎える。……この国の全ての食材と、私の全ての愛を貴様に捧げよう。だから――」
彼は少し顔を赤らめて、こう続けた。
「――毎日、俺に『あーん』をしてくれないか?」
私は驚きに目を丸くし、それから吹き出してしまった。
冷徹な覇王様が、まさかそんな可愛いお願いをしてくるなんて。
でも、その不器用な愛が、何よりも「美味しい」と感じてしまったのだから仕方がない。
「ふふ、仕方がありませんね。……はい、カイル様。お口を開けて?」
私がスプーンを差し出すと、彼は幸せそうにカレーを頬張った。
「……美味い。世界一だ」
こうして、無能と呼ばれて追放された美食家は、隣国で最も愛される皇后となった。
噂によると、かつての祖国では、王太子が「カレー……カレーをくれ……」と譫言を呟きながら、今日も黒焦げのパンを齧っているらしい。
けれど、それは今の私にはもう関係のない話。
今の私は、明日の朝食にカイル様と何を食べるか、それだけを考えるので忙しいのだから。
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