第1話 いつもと違う道
色々な人が交差しながら歩いて行く。
いまこの街中でーー日本中で。
職場に行くためや、学校に行くため、もしくは恋人に会うために。
そんな時、多くの人は大抵決まった道を選択する。
通い慣れた道と見慣れた景色、無意味な冒険に価値を見出せる日の方が少ないから。
でも不意に、いつもと違う道を選ぶ日がある。
雲一つないような快晴や、傘がしなるような大雨、そんな日は大抵そんな時。
結論から言えば、今日の帰り道、蓮花はいつもと違う道を選んだ。
良く晴れた昼間、左腕の時計はもうすぐ13時を指そうとしている。
本当に雲一つない綺麗な青空で、煙と飛行機雲がスーッと一本伸びていく。
親友の葬式の帰りだったーー名前は海と言い、中学一年生の時に同じクラスになってから、蓮花とは長い付き合いだった。
27歳の若さでその生涯に幕を閉じるとは、先月会った時にはお互いに思いもしなかっただろう。
太陽は暖かく、心は冷たく、ただ形だけの儀礼と時間だけが足早に進んで行く。
蓮花は路地裏に立ち尽くして、交差点の行き交う人を眺めていた。
一陣の風が、長くなったタバコの灰を散らし、頬まで垂れた前髪の先を揺らす。
染みる煙を避けるように左目を閉じると、端にある涙ボクロが色気に満ちて、目の前を通った二人組の若い女が二度見した。
開けたシャツの胸元からは、鮮やかなタトゥーが見え隠れしている。
「行かんとね...」
開店前の居酒屋の外にある灰皿に、二本目のタバコを押しつけると、重い足取りでようやく歩き始めた。
蓮花が帰り道に選んだいつもと違う道は、別に大した道じゃない。
駅から家に向かう途中にある古い中華屋と、一階のテナントが埋まる気配のない小さなビルとの狭い隙間。
どこに繋がっているのか、ただそれだけの好奇心。
魔が差すとはこういうことなのだろう。
あえて理由を付けるなら、親友の海が呼んだとか。
いずれにせよ蓮花の人生はその瞬間に大きく舵が切られていったーーたったそれだけのことなのに。
一人分の横幅もない路地の影に足を踏み入れると、先の方の曲がり角が視界に入る。
角の先から光が挿し込んでいたから、それを曲がれば通りに出ると蓮花は思った。
短い冒険で遠ざけた現実が、歩幅に合わせて戻って来るーーこれまでとは違う日常が戻って来る。
その感覚は正しくもあり、大きな間違いでもあった。
曲がり角に顔が近付いた時、この時間にしてはやけに西日がきついように感じたので、蓮花は節目がちで足を踏み入れた。
その瞬間、眩い光は一斉に帷をおろし、上げた視界に映る光景は、路地の続きではなく、古い木造の部屋の中だった。
「あれっ?」
蓮花は思わず言葉を漏らす。
立っている場所は、四畳半ほどの薄暗い小さな部屋ーー床は板張りで、鍬や鋤といった名前が付いてそうな農具が壁に並んでいる。
蓮花は周りを何度も見回しながら、部屋の中心でしばらく立ち尽くしてみるが、その事実は変わる様子がない。
「んっ?」
部屋の薄暗さに慣れた頃、目の前の扉が少しだけ開いてることに気付いたーー奥から人の様な声も聞こえる。
ようやく次の一歩を踏み出し、ゆっくりとその声に向かって歩き出すと、蓮花はこの状況をどうやって話せばいいのか頭を悩ませた。
部屋からいきなり現れる男、真っ黒の喪服と胸元に覗くタトゥー、完全に不審者だ。
こみあげてくる笑いをこらえながら、せめてと首のボタンを止めるが、耳が扉に近付くと、その笑みはすぐに消えたーー喧嘩だろうか。
だが、蓮花の予想は一瞬で覆る。
声は女のもので、あえぎ声のようだったーーいつも聞く、あの甘くて艶めかしい声とは似ても似つかない、死に際の獣のような、怒りと悲しみの交じった声。
蓮花は、ゆっくりと扉を押しながら部屋の中へと顔を押し込んでいく。
木製の扉は建て付けが悪く僅かに軋んだ。
さっきまでの場所が物置部屋なら、こっちは家の中心部だろう。
左側の壁の位置はそのままに、蓮花から対角線上に広がったその部屋は数倍広く、いくつかの木の柱の奥の隅に、その声の発信源があった。
「あ゙ぁ゙ぁあっ、あ゙ぁ゙ぁあっ!」
板床に四つん這いになった女。
服は無惨に破られ、白い柔肌がむき出しになって揺れているーーそして、その後ろから覆いかぶさる男。
女の肩口には、床に向かって剣が突き立てられており、男が腰を打ちつける度に、その刃が女の肩に当たって、痛みで声が上がる。
呆然と眺めながら、えも言えぬ気持ち悪さが蓮花の胸を漂った。
「ハァ....ハァ.... ✕ ✕ ✕ ✕ ✕ !」
男は吐き捨てるように言葉を発し、床に刺さった剣を抜くと、女の髪を逆の手で掴み、そのまま剥き出しの背中に突き刺した。
「あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙があ゙あっ!!!」
女の叫び声が部屋中に響く。
それに合わせるように男は一層強く腰を打ちつけていく。
「✕ ✕ ✕ッ!! ✕ ✕ ✕ ✕ ッ!」
怒りと嫌悪が一瞬で胸の中を駆け巡ると、目の前で繰り広げられている残虐な光景に、抑えきれない衝動を感じた。
心臓が強く打つーー体中の血が逆立っていく。
蓮花は部屋に顔を戻し、何かないかと血眼で物色する。
「あの傷...」
恐らく女は助からないだろうと蓮花は思った。
顔が紅潮し、感情が入り乱れて泣きそうになる。
そしてあの男ーーこの叫び声の中、腰を振り続けるあの男。
「気ぃ狂ってるっ...!」
壁にかかる鍬のような農具を手に取ろうとした時、蓮花の右手が眩く光り、その手に慣れない感触を覚えた。
「んっ?」
蓮花が、光の治まりに合わせて目線を下ろと、そこには真っ黒な刀身の日本刀が握られていた。
「これって...?」
その疑問は続けて聞こえた女の叫び声でかき消される。
心臓がさらに強く打つーー全身の血が沸騰している。
蓮花は扉の僅かな隙間から身体を部屋に捩じ込むと、その声の方へ慎重に歩みを進めた。
音を立てないようにーーだが、一直線に最速で。
背後まで近付いた時、既に女はぐったりとしていたが、それでも夢中で腰を振り続ける男の姿に、頭はやけに冷静だった。
そのまま斜め上に振り上げた右手に左手を添える。
「あっ?」
男が何かに気付いたように後ろを振り向こうとしたが、蓮花の方がわずかに早い。
背中に向かって刀を振り下ろす。
『殺った!』
刀は男の背中を右肩から左の脇腹に向かって抵抗なく抜けて行った。
咄嗟に右足を踏み込んだのは、よぎった何かの記憶のおかげか。
確信とは裏腹に、男はその驚いた顔のまま、何事もなかったかのように、膝を着いたままで立ち尽くしている。
血も出ず、苦痛の声もないーーまるで蓮花の一撃が存在しなかったかのように。
僅か1秒の時間が無限のように流れていく。
次の瞬間ーー男が女に刺さった剣を抜こうと、再び身体を戻そうとしたその瞬間、ずるりと男の上半身がズレると、大量の血潮を噴き出しながら、鈍い音と共に崩れ落ちた。
男は驚いた顔のまま、床に倒れ込んで動かなくなった。
「ハッ....ハッ....」
立ち尽くした蓮花の吐息と、小さくなった女の妙な呼吸音だけが部屋の中を漂う。
『"剣術"と"探知"を獲得しました。』
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