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男女比1:100の世界で生き延びる  作者: 功刀


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9/11

本当の友達

 相も変わらず、教室は戦場だった。

 俺という獲物を中心に、二十人の女児たちが群がる。

「龍弥くんこっち向いて」「龍弥くん私のリボン可愛い?」という黄色い声の十字砲火。

 俺は愛想笑いを貼り付けながら、心の中で「無」の境地を探していた。


「はいはい、みんな席に戻りなさい! 龍弥くんが潰れちゃうでしょ!」


 佐藤先生の救いの手が入り、蜘蛛の子を散らすように園児たちが離れていく。

 その僅かな静寂の隙間、ふと視界の隅に違和感を覚えた。


 教室のさらに奥、絵本コーナーの影になったデッドスペース。

 そこに、ちょこんと座り込んでいる小さな背中があった。


「ねえ、あの子は?」


 俺は近くにいたミナちゃんに小声で尋ねた。


「あぁ、あれ? しずかちゃんよ」

「しずかちゃん?」

「うん。いつもひとりで本ばっかりよんでるの。ぜんぜんおしゃべりしないし、つまんない子」


 ミナちゃんは興味なさそうに肩をすくめると、すぐに別の友達の方へ走っていった。

 つまんない子、か。

 だが俺の記憶を辿っても、あの子が俺に群がってきた覚えはない。

 他の園児たちが血眼になって俺との接点を探している中、あの子だけが我関せずを貫いている。

 この異常な世界において、その「無関心」はあまりに新鮮で、そして魅力的だった。


 俺は先生が他の園児の相手をしている隙をつき、その隅っこへと足を向けた。


 近づいても顔を上げない。膝の上に広げた絵本に没頭している。

 ショートカットの黒髪が顔にかかり、表情はよく見えないが、その佇まいは幼稚園児にしては妙に落ち着いていた。

 横には三、四冊の絵本が積み上げられている。


「ねえ」


 声をかけてみる。

 反応なし。聞こえていないのか、無視しているのか。

 俺は屈みこんで、視線の先にあるページを覗き込んだ。


「……」


 するとようやくこちらを向いた。

 大きな黒い瞳。そこには、他の園児たちのようなギラついた好奇心や、媚びるような色は一切なかった。

 ただ「なーに?」と問うような、純粋な光があるだけ。


「なによんでるの?」


 俺は努めて穏やかに尋ねた。

 すると一瞬、俺と手元の本を交互に見やり、また本に視線を落とす。

 拒絶されたかと思ったが、違うようだ。


「……にんぎょひめ」


 蚊の鳴くような、小さな声だった。

 手元の絵本は確かに『人魚姫』だ。文字の多い、少し年長向けのやつだ。


「へえ、むずかしいのよんでるね。本、すきなの?」


 俺の問いに、手がピクリと止まった。

 長い沈黙。

 そして、コクリと小さく頷く。


「……すき」


 その一言に込められた熱量は、この騒がしい教室の誰よりも純粋に響いた。

 積み上げられた本の山を見れば分かる。

 この子は親に言われたからでも、誰かの気を引くためでもなく、ただ物語の世界に浸っていたいのだろう。


 なんてことだ……

 俺はこの幼稚園に来て初めて、言葉の通じる知的生命体に出会った気がした。


「そっか。ボクも本、だいすきだよ」


 俺がそう告げると、バッと顔を上げた。

 その瞳孔が少しだけ開き、初めて俺という人間に興味を示したのが分かった。


「……ほんと?」

「うん。本をよんでると、いろんなせかいにいけるからね。ここじゃない、どこかとおくへ」


 俺が少し大人びた感想を口にしてしまうと、驚いたように目を瞬かせ、それから口元を綻ばせた。

 それは花が咲くような、控えめだが美しい笑みだった。


「……わたしも、そうおもう」


 そういって自分の隣のスペースを空け、ポンポンと手で叩いた。

 座って、という合図だ。

 俺は迷わずそこに腰を下ろした。

 桜さんが遠くから鋭い視線を送ってきたが、俺は手で「大丈夫」と合図を送る。


「これ、つぎによむの」


 積まれた本の中から一冊を差し出してきた。

『銀河鉄道の夜』の絵本版だ。

 センスがいい。渋いチョイスだ。


「いい趣味してるね。いっしょによもうか」

「……うん」


 それからしばらく、俺たちは言葉少なに、しかし心地よい沈黙を共有しながらページを捲った。

「男だから」「女だから」というノイズのない、ただ本好きな子供同士の時間。

 俺は久しぶりに心からの安らぎを感じていた。


「ねえ、おなまえ、きいてもいい?」


 チャイムが鳴る直前、俺は尋ねた。

 すると本を閉じ、真っ直ぐに俺を見つめて言った。


「……しずか。とこやま、しずか」

「しずかちゃんか。ボクはたつや。よろしくね」


 常山(とこやま) (しずか)

 名前の通り、静かで、そして賢い女の子。

 俺の幼稚園生活における、最初の「本当の友達」ができた瞬間だった。

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