女装バレの危機
修学旅行から数日が経ち、教室には日常が戻ってきていた。
だが、その空気は以前よりも少しだけ温かい。
俺たち三人の絆が、あの特別な旅行を経てより強固になったからだ。
「はい、龍弥。お土産の八ツ橋ですわ。生と焼き、両方買ってきましたの」
「ありがとう麗華。やっぱり京都と言えばこれだよな」
「わたしからは、おまもり。学業成就だって」
「ありがとう静ちゃん。大切にするよ」
昼休みの教室で、俺たちは机をくっつけてお土産交換会を開いていた。
麗華が見せてくれるスマホの写真には、金閣寺をバックにピースする二人や、着物体験ではしゃぐ姿が写っている。
旅行中にもリアルタイムで送られてきていたが、こうして改めて見せてもらうと、彼女たちが心から楽しんできたことが伝わってきて俺も嬉しくなる。
「本当に楽しかったわ。来年は中学生ですけれど、また三人で行きたいですわね」
「うん。今度はたつやくんもいっしょに、遠くへ行きたい」
二人の笑顔を見ながら心の中で安堵していた。
俺が留守番をしている間に起きた「あの悪夢のような出来事」は、墓場まで持っていく秘密だ。
母さんは「資料用だから!」と言っていたし、まさか表に出ることはないだろう。
そう信じていた。
平和な日常は、これからも続いていくはずだったのだ。
◇
さらに数日が経過したある日の放課後。
掃除当番が終わって教室に戻ると、麗華が自分の席で一冊の雑誌を広げていた。
表紙がキラキラと光る、ティーン向けのファッション誌だ。
「珍しいね、麗華が雑誌なんて」
声をかけると、麗華は顔を上げて少し照れくさそうに笑った。
普段はオーダーメイドの服ばかり着ている麗華だが、最近は静と一緒にショッピングモールに行くようになり、既製服にも興味を持ち始めたらしい。
「ええ。自分サイズの可愛いお洋服が載っていると聞いたので、参考までに買ってみましたの。最近の流行りを知っておくのも、淑女の嗜みですわ」
「へえ、勉強熱心だなあ」
何気なく麗華の手元を覗き込んだ。
その瞬間。
俺の心臓が早鐘を打ち、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。
麗華が開いているページ。
そこに大きく掲載されているモデルの少女。
栗色のロングヘア、フリルのついたピンクのワンピース、そして少し困ったような上目遣いの表情。
見覚えがありすぎる。
というか、その困った顔をした時の心情まで鮮明に思い出せる。
……なんで載ってるんだよぉぉぉッ!?
俺は内心で絶叫した。
資料用じゃなかったのか!
記録に残すだけじゃなかったのか!
母さんの嘘つき!
しかもこれ、ただのカットじゃない。見開き特集だ。
『天使降臨!? 新星モデル・リュウちゃんのドーリーコーデ特集』
なんてふざけた見出しまで躍っている。
リュウちゃんって誰だよ。そのままだろ。
「……ねえ、龍弥」
麗華の声色が、少し変わった。
ページ上の「リュウちゃん」の顔と、俺の顔を交互に見比べている。
その目は、探偵が犯人を追い詰める時のように鋭く細められている。
「このモデルさん……誰かに似てませんこと?」
「えっ? そ、そうかな? よくある顔立ちじゃない?ほら、最近の加工アプリとか凄いし、みんな同じような顔に見えるっていうか……」
俺は動揺を隠そうとして、早口でまくし立てた。
声が裏返りそうになるのを必死で抑える。
ここでボロを出してはいけない。
もしバレたら、俺の男としての尊厳は死ぬ。
今まで築き上げてきた「頼れる男友達」としての地位が崩壊し、「女装趣味のある変態」というレッテルを貼られてしまう。
「そうですわよね……。でも、この目の形とか、鼻筋のラインとか……」
麗華はまだ納得していない様子だ。
この子の観察眼は鋭い。伊達に毎日俺と顔を合わせているわけではない。
俺は冷や汗を拭いながら、話題を逸らそうと試みた。
「あ、あっちのページの子も可愛いんじゃない? 麗華に似合いそうだよ!」
「誤魔化さないでくださる? わたくし、気になりだすと止まらない性格ですのよ」
麗華は雑誌を手に取り、さらにページをめくった。
そして、表紙に戻る。
「……あら?」
麗華の手が止まった。
俺もつられて表紙を見る。
そこには純白のドレスに身を包み、花冠を頭に乗せた「リュウちゃん」が、女神のような微笑み(カメラマンに「聖母のように笑って!」と強要された結果の引きつった笑み)でこちらを見つめていた。
デカい。
表紙全面だ。
本屋の棚に並んでいたら、誰でも目に入るレベルの露出度だ。
俺は目の前が真っ暗になった。
「この表紙の子も……やっぱり似てますわ。いえ、似ているというレベルではありませんわね。生き写し……ドッペルゲンガーですの?」
麗華の疑惑が確信へと変わりつつある。
まずい。非常にまずい。
俺が脂汗を流して立ち尽くしていると、背後からひょっこりと静が顔を出した。
「なになに? どうしたの?」
「あ、静! ちょっとこの雑誌を見てくださる? このモデルさん、龍弥にそっくりだと思いませんこと?」
麗華が雑誌を静に見せる。
俺は祈るような気持ちで静を見た。
頼む、静。
「似てないよ」「別人だよ」と言ってくれ。
君のその優しさで、俺を救ってくれ。
静は雑誌を受け取り、じっと表紙を見つめた。
数秒の沈黙。
そして、彼女は顔を上げ、俺の顔をまっすぐに見つめて言った。
「……これ、たつやくん」
断言。
迷いなき断定。
慈悲などなかった。
「ええっ!? 静、やめてよ冗談! ボクがこんな格好するわけないじゃん!」
俺は悲鳴に近い声で否定した。
だが、静の瞳は揺らがない。
静は幼稚園の頃から、誰よりも俺のことを見てきた幼馴染だ。
俺のホクロの位置、睫毛の長さ、ちょっとした表情の癖まで知り尽くしている。
「ううん、わかるよ。この、こまったときの眉毛のかんじとか、くちびるの形とか。あと、このチョーカーしてるけど、首のほくろがすこし見えてる」
静が指差したのは、カメオのチョーカーの隙間から僅かに覗く黒点だった。
「そんな細かいところまで見てるの!?」
探偵か君は!
「ほら、やっぱり! 静もそう思いますわよね!」
「ち、ちがうってば! これは偶然だよ! 世の中には自分に似た人間が三人いるって言うし、これはその一人だよ!」
俺は最後の悪足掻きをする。
だが、麗華はもう俺の言い訳など聞いていなかった。雑誌の中身を食い入るように読み込み始めたのだ。
そして、ある一点で指を止めた。
「……龍弥。往生際が悪いですわよ」
「へ?」
「ここ、ご覧になって」
麗華が指差したのは、ページの下にある小さなクレジット表記だった。
そこには、アルファベットでお洒落に、しかしはっきりとこう書かれていた。
『Costume Design & Styling : Mizuki Tojo』
東条美月。
俺の母さんの名前だ。
「東条美月……あなたの母親のお名前ですわよね?」
「…………」
「母親がデザインして、息子に似たモデルを起用した? いいえ、そんな偶然あるわけがありませんわ。つまり、この『リュウちゃん』は、あなたの母親があなたをモデルにして仕立て上げた……そういうことですわね?」
詰んだ。
完全に、逃げ場なし。
物的証拠(写真)、証言(静)、状況証拠。
全てのピースが埋まってしまった。
俺はガクリと項垂れた。
抵抗する気力も失せ、魂が抜けたように白状する。
「……そうだよ。母さんに無理やり着せられたんだ」
俺は重い口を開いた。
留守番中に母さんが襲来したこと。
サイズ確認だけだと言われて騙されたこと。
桜さんが裏切って撮影会になったこと。
全てを洗いざらい話した。
「信じてくれ。ボクは嫌だったんだ。男として、こんなヒラヒラした服を着るなんて屈辱だったんだよ……」
俺は顔を覆って蹲った。
これで終わりだ。
二人はきっと俺を軽蔑するだろう。
「気持ち悪い」と言って離れていくかもしれない。
さようなら、俺の青春……
さようなら、大切な親友たち……
しかし。
予想していた罵倒は飛んでこなかった。
代わりに聞こえてきたのは、荒い鼻息と、衣擦れの音だった。
「……なんてこと」
麗華の声が震えている。
恐る恐る顔を上げると、そこには目を爛々と輝かせ、頬を紅潮させた麗華が迫ってきていた。
「すっっっごく、可愛いですわ!!!」
「は?」
「何ですのこれ!? 反則じゃありませんの!? 普段の龍弥もかっこいいですけれど、この『リュウちゃん』の儚げな美しさは芸術的ですわ! ああ、この憂いを帯びた瞳……守ってあげたい! いえ、いじめたい!」
麗華のテンションがおかしい。
いつもの気品あるお嬢様ではなく、推しを見つけたオタクのような熱量だ。
「静、見て! このページ! 白いニーハイソックスが最高ですわ!」
「うん……すごい。たつやくん、お人形さんみたい……」
静もだ。
普段は大人しいが、雑誌を抱きしめるようにして見つめ、うっとりとしている。
軽蔑どころか、新たな扉を開いてしまったようだ。
「ねえ龍弥! この服、まだお家にありますのよね!?」
「えっ、あ、あるとは思うけど……」
「今すぐ着てくださいまし! 実物が見たいですわ!」
「わたしも……みたい。写真じゃなくて、本物の『リュウちゃん』」
二人がジリジリと詰め寄ってくる。
その目は、撮影会の時の母さんやカメラマンたちと同じ、飢えた肉食獣の目だった。
「ちょ、ちょっと待って! ボクはもう着ないって誓ったんだ!」
「そんなの聞きませんわ! 素材の有効活用ですわよ!」
「たつやくん、おねがい。いっかいだけ……」
静の上目遣いと、麗華の強引なプレッシャー。
逃げ場はない。
教室の出口は、興奮した二人に塞がれている。
「たすけてぇぇぇーッ!!」
俺の悲痛な叫びが放課後の校舎に響き渡った。
再び女装させられる危機。
いや、今回は母さんだけでなく、親友たちまで敵(?)に回ってしまったのだ。
俺の平穏な学校生活は、ここに来て最大のピンチを迎えていた。
ハーレム物の主人公になるはずが、いつの間にか「愛されマスコット」としての地位を確立してしまった俺の明日はどっちだ。




