撮影会
「さ、桜さん! 助けてくれ!」
俺は部屋の隅で待機している桜さんに視線を送った。
桜さんなら「龍弥様の尊厳を守るため」とか「精神的負荷が大きすぎます」とか言って、この暴走する母を止めてくれるはずだ。
そう信じていた。
しかし。
「……」
桜さんは無言だった。
いや、ただ無言なだけではない。
その鉄仮面のような無表情の奥で、瞳が怪しく揺らめき、頬がほんのり紅潮している。
その手は、いつの間にかエプロンのポケットからスマートフォンのカメラレンズを覗かせていた。
「う、嘘だろ……!?」
まさかの裏切り。
いや、彼女もまたこの世界の住人。
希少な美少年の、しかもあどけなさの残るこの時期にしか見られない「女装姿」という禁断の果実に、抗えるはずがなかったのか……
「お願いよ龍弥~! ママ、このデザインに命かけてるの! これが完成しないと、来期のコレクションに穴が開いちゃうわ! そうしたら会社は倒産、ママたちは路頭に迷って、野草を食べて生きることに……うぅっ!」
母さんがその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って肩を震わせる。
出た……伝家の宝刀・嘘泣き。
路頭に迷うわけがない。この家は要塞みたいだし、資産だって余裕があるはずだ。
分かっている。分かっているのに。
「……ちらっ」
指の隙間から濡れた瞳(に見えるように瞬きを繰り返した目)でこちらを見上げてくるあざとさに、俺の防壁は脆くも崩れ去った。
中身が三十路の男だろうと、母親の涙(フリ含む)には勝てない遺伝子の呪縛。
「……わ、わかったよ。着ればいいんだろ」
「本当!? やったぁ! 愛してるわ龍弥!」
母さんはバネ仕掛けの人形のように飛び起き、涙など一滴も出ていない笑顔でガッツポーズをした。
「それじゃあ桜ちゃん、お願いね!」
「御意」
桜さんがインカムに向かって短く指示を出すと、どこに待機していたのか、数名の業者がドカドカと部屋になだれ込んできた。
「えっ? 業者?」
彼らは手際よく家具を端に寄せると、本格的な照明機材、レフ板、そして背景用のロールスクリーンを設置し始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 試着してサイズ見るだけじゃなかったの!?」
「何言ってるの龍弥。せっかく着るなら、最高のライティングで記録に残さないと勿体ないじゃない」
「写真撮らないって言ったよね!?」
「記録用よ、記録用! 資料として必要不可欠なの!」
抵抗する間もなく、俺は簡易更衣室(パーティションで仕切られた空間)へと押し込まれた。
そこからは地獄の着せ替えタイムだ。
「はい、バンザイして~」
「うぅ……冷たい……」
シルクの滑らかな感触が肌を滑る。
フリルのついたスカートが腰回りでふわふわと揺れる。
背中のジッパーが上げられると、俺の体は完全にピンク色のガーリーなワンピースに包まれた。
肩が出ていてスースーする。スカートの下の心許なさが半端ない。
「ん~、やっぱり首元が少し男の子っぽいかしら」
母さんが俺の首筋を見て顎に手を当てる。
まだ声変わり前とはいえ、僅かに出てきた喉仏が気になるらしい。
「こちらをお使いください」
桜さんが恭しく差し出したのは、幅広のベルベットチョーカーだった。
中央に大きなカメオがあしらわれている。
これを首に巻くと、喉仏は完全に隠され、華奢な首筋が強調される結果となった。
「完璧だわ! ……でも、何かが足りない……」
「ヘアスタイルですね。準備しております」
桜さんが魔法のように取り出したのは、栗色のロングウィッグだった。
俺の地毛に近い色味で、緩やかなウェーブがかかっている。
「というか準備良すぎだろ……!」
最初からこの展開を狙っていたのか。
「さあ龍弥様、じっとしていてくださいね」
桜さんの手によってウィッグが被せられ、丁寧に整えられる。
前髪を調整し、サイドの髪を耳にかける。
そして仕上げに、ワンピースとお揃いの大きなリボンを頭に乗せられた。
「……完成です」
桜さんの声が、感動に打ち震えていた。
俺はおそるおそる、鏡に映る姿を見た。
そこにいたのは、俺ではなかった。
大きな瞳、白くなめらかな肌、華奢な手足。
栗色の巻き髪が揺れる、どこかの名家のご令嬢のような美少女。
まごうことなき、俺だった。
「…………」
俺は絶句した。
素材が良い(自分で言うのもなんだが)とは思っていたが、ここまで化けるとは。
これなら、誰も俺が男だとは気づかないだろう。
というか、俺自身が鏡の中の人物にドキッとしてしまうレベルだ。
これが「男の娘」というやつか。業が深い。
「きゃああああっ! 可愛いーっ!!」
母さんの絶叫が部屋を揺らした。
「最高よ龍弥! ママの傑作だわ! 世界一可愛いお人形さんね!」
「ふぅ……ふぅ……尊いです、龍弥様……」
母さんは興奮で飛び跳ね、桜さんは鼻元をハンカチで押さえながら過呼吸気味になっている。
二人のテンションが限界突破してやがる。
「さあ撮影よ! そこの真ん中に立って!」
俺は照明の眩しい光の中に立たされた。
数人のカメラマン(全員女性だ)が、獲物を狙う猛獣のような目つきでカメラを構えている。
「龍弥ちゃん、こっち向いて! 少し首を傾げて!」
「そうそう、上目遣いで! 恥じらうような表情でお願い!」
「スカートの裾を少しつまんでみて!」
パシャッ! パシャパシャッ!
シャッター音が機関銃のように鳴り響く。
最初は棒立ちだった俺も、プロの指示と母の熱気に当てられ、次第にポーズをとらざるを得なくなっていった。
「こ、こうか……?」
「そう! その困ったような顔が最高にキュートよ!」
「目線こっちにお願いします! ああ、素晴らしい!」
スカートを摘んでモジモジしたり、口元に手を当てて驚いたフリをしたり。
俺の中の羞恥心は、音を立てて粉砕されていった。
もうどうにでもなれ。
早く終わらせるには、彼女たちの要求に応えて満足させるしかない。
俺は虚無の瞳で、しかし外面は完璧な美少女スマイルを振りまき続けた。
「次は座ってみましょうか! いわゆる『女の子座り』で!」
「無理だよ、関節が痛いって」
「できるわよ! 龍弥の体は柔らかいんだから!」
桜さんに足の角度を調整され、床にペタリと座らされる。
スカートが円形に広がり、その真ん中にちょこんと座る俺。
絶対領域がチラリと見えるアングルに、カメラマンたちが「神よ……」と拝み始めた。
この撮影会は、日が暮れるまで続いた。
衣装チェンジは実に五回。
ゴスロリ、制服風、アイドル衣装……
全ての撮影が終わった頃には、俺は身も心もボロ雑巾のようになっていた。
ウィッグを外された時の開放感たるや、数年ぶりのシャバの空気のようだった。
「ありがとう龍弥! 最高の資料が撮れたわ!」
「このデータは家宝にします。サーバーのセキュリティレベルを最高ランクに引き上げなければ」
ホクホク顔の二人を横目に、俺はベッドに倒れ込んだ。
「もう二度とやるものか……」
そう固く誓ったが、この写真が後に麗華や静の目に留まり、さらなる波乱を呼ぶことになる未来を、今の俺はまだ知らなかった。




