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男女比1:100の世界で生き延びる  作者: 功刀


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3/11

専属メイド

 退院の日を迎えるまでに俺が得られた情報は皆無に等しかった。

 赤ん坊の生理現象とは恐ろしいもので、授乳の時間以外は泥のように眠り続けてしまうのだ。


 俺の名前は東条(とうじょう) 龍弥(たつや)に決まったらしい。

 龍の字が入っているあたり、いかにも強そうな名前だが、今の俺はふにゃふにゃの赤子に過ぎない。


 母親の名前は東条 美月。

 古風でまともな名前だと安心した覚えがある。


「龍弥、今日からお家に帰るのよ。楽しみねえ」


 美月さんは上機嫌で俺を抱き上げると、病院の玄関へと向かった。

 俺は腕の中で欠伸を噛み殺す。


 ようやくこの薬品臭い場所とおさらばか。家に帰ればテレビやネットで情報収集もできるだろう。

 未来のガジェットに触れられるかもしれないという期待に、俺は少しだけワクワクしていた。

 だがその期待は自動ドアが開いた瞬間に消し飛ぶことになる。


 ざわ……ざわ……


 病院の外に出た瞬間、異様な熱気が肌を刺した。


 ……なんだこの人の数は。

 病院前の目抜き通り。その両サイドにびっしりと人が並んでいる。

 数百、いや数千人はいるだろうか。そしてその全てが女だった。

 若い女、スーツ姿の女、学生服の女。彼女たちは一斉にこちらを向き、食い入るような視線を送ってくる。

 まるでハリウッドスターか、一国の元首でも現れたかのような騒ぎだ。


「えっ……? な、何これ……」


 美月さんが立ち止まり、俺を抱く腕にぎゅっと力を込める。どうやら母親にとっても想定外の事態らしい。

 俺は混乱する頭で周囲を見渡した。これだけの人数がいながら、黄色い歓声が上がらないのが逆に不気味だ。

 全員が息を呑み、崇拝と渇望の入り混じった眼差しで静まり返っている。

 その視線の先にあるのは美月さんではない……


 俺だ。


 この小さなタオルケットに包まれた俺という一点に、数千の視線が集中している。


 おいおい、マジかよ……男ってだけでこれか?


 俺の背筋に冷たいものが走ったとき、人垣を割って一台の車が滑り込んできた。

 リムジンではない。

 装甲車のように角ばった、見るからに頑丈そうな黒塗りの大型車だ。

 タイヤなんて俺の身長よりもデカいんじゃないか。

 その車から降りてきたのは、フリルのついたヘッドドレスにエプロン姿の女性だった。

 メイドだ。

 コスプレではない、本物の使用人が放つ凛とした空気を纏っている。

 彼女は流れるような所作で俺たちの前まで歩み寄ると、深々と頭を下げた。


「お初にお目にかかります。本日より東条家付きのメイドとして派遣されました、(さくら) (あや)と申します」


 顔を上げた彼女は、切れ長の瞳が印象的なクールビューティーだった。

 表情は鉄仮面のように崩さないが、俺を一瞥した瞬間、その瞳の奥で火花のような執着が見えた気がした。


「え、あ、メイドさん……? 私、そんなの頼んでませんけど」

「政府からの特別支給でございます。龍弥様の養育と護衛は、国家レベルの最重要事項ですので」


 桜と名乗ったメイドは、あたかもそれが当然の理であるかのように淡々と告げる。


「護衛って……そんな大袈裟な」

「大袈裟ではございません奥様。ご覧ください、この群衆を。この中には龍弥様を一目見ようと、三日前から野宿していた者もおります」

「み、三日前!?」

「さあ、ここでの長話は危険です。どうぞ車内へ。冷暖房完備、防弾ガラス仕様の特別車をご用意しております」


 防弾ガラスって、ここは紛争地帯か何かなのか。

 桜さんは美月さんの返事も待たずに後部座席のドアを開けた。

 その手際はあまりに完璧で、拒否することすら許さない圧がある。


「ど、どうしましょう龍弥……ママ、なんだか怖くなってきちゃった」


 美月さんは不安げに俺を見つめるが、俺にできることといえば「あーうー」と適当な相槌を打つことだけだ。

 ただ一つ分かるのは、このメイドには逆らわない方がいいということだ。

 俺の意思を汲み取ったのか、それとも単に気圧されただけか、美月さんはおずおずと足を踏み出した。


「失礼いたします、龍弥様」


 車に乗り込む際、桜さんの手が俺の頬に触れた。

 指先が震えている。

 あんなに冷静な口調だったのに、男の赤子に触れただけで、彼女の鉄壁の仮面にはヒビが入っていたのだ。


「……温かい」


 吐息のような呟きが耳を掠める。

 俺は再び身震いした。

 閉じられる重厚なドアの音が、まるで俺をこの異常な世界へ閉じ込める檻の鍵音のように響いた。

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