違和感
あれから数日が過ぎた頃には、俺の抱いていた違和感は確信へと変わっていた。
男がいない。
文字通り一人もいないのだ。
医師、看護師、清掃業者、見舞いに来る親戚らしき人々。
視界に入る人間は例外なく女だった。
それだけならまだいい。女子校の寮にでも間違って生まれたのかと思えば納得もいく。
だが不可解なのは父親の不在だ。
俺の母親――名前を美月というらしい――は、片時も俺のそばを離れようとしないが、父親の存在について言及したことは一度たりともなかった。
「パパがもうすぐ来るわよ」とか「パパに似てハンサムね」といった、ありふれた語りかけが一切ない。
周囲の人間もそうだ。
まるで俺という存在が、最初から母親一人で完結して生まれた奇跡であるかのように振る舞っている。
単子生殖? クローン技術?
未来の世界だからあり得なくはないが、それにしては俺への扱いが丁重すぎる。
何か途方もなく、歪な社会構造の中に放り込まれたのではないか。
そんな疑念が頭をもたげるが、悲しいかな俺の肉体は首も座らない赤ん坊だ。
情報を集めようにも手足はバタつくばかりで、口からは情けない声しか出せない。
「あらあら、どうしたの? そんなに難しいお顔をして」
思考の迷路に入り込んでいた俺の視界が、不意に美月さんの顔で遮られた。
陶器のように滑らかな肌に、長い睫毛。
今日も絶世の美女だが、その瞳に宿る光は相変わらず重い。
「お腹が空いたのね。ごめんね、すぐに楽にしてあげるから」
彼女が慣れた手つきで病衣のボタンを外し始めた。
……おい、待て。
俺の心拍数が跳ね上がる。
露わになったのは、たわわに実った白い果実だ。
血管がうっすらと透けるほどの白磁の肌が、目前に迫ってくる。
待ってくれ、俺には前世の記憶があるんだ。いくら母親とはいえ、大人の男としての自意識が残っている以上、これはキツい。
羞恥心で顔から火が出そうだ。
俺は必死に顔を背けようと試みた。
嫌だ、俺は粉ミルクでいい、哺乳瓶を持ってきてくれ!
「ほら、こっちよ。恥ずかしがらないで」
美月さんが優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで俺の頭をホールドする。
逃げ場はない。
体温が、甘い匂いが、俺の嗅覚を暴力的に刺激する。
その瞬間、俺の意思とは無関係に赤ん坊の本能が炸裂した。
空腹という生存本能が、羞恥心という理性を軽々とねじ伏せる。
ぱくり。
あろうことか俺の口は、自らその先端に吸いついていた。
「……んっ」
美月さんが艶めかしい吐息を漏らす。
温かい液体が喉を潤すと、脳が痺れるような安心感が全身を駆け巡った。
屈辱的だ。
三十路近い男の記憶を持ちながら、母親の胸にむしゃぶりついているなんて。
だが身体は正直で、ごくごくという喉の音を止めることができない。
「いい子、その調子よ……たくさん飲んで、大きくなってね」
頭を撫でる手つきは慈愛に満ちていたが、その呟きにはどこか鬼気迫るものがあった。
「私の栄養を全部あなたにあげる。私の命も、時間も、全部あなたのものよ」
「あー、うー……(くそ、うまい)」
「ふふ、そんなに強く吸ったら痛いわ。でも、いいの。あなたが欲しがるなら、ママは何だって平気よ」
恍惚とした表情で俺を見下ろす母。
その瞳に映っているのは、単なる我が子というよりも、崇め奉るべき神体を見るような色だった。




