勝負
俺の脳裏に数日前の体育の授業風景が蘇った。
そうだ、あれだ。あれが決定的だったんだ。
青空の下、女子生徒たちはグラウンドを元気に走り回っていた。
ドッジボール、鉄棒、短距離走。
多少の怪我は名誉の負傷とばかりに、クラスメイトは汗を流して競い合っていた。
その一方で、俺はどうだったか。
「はい、龍弥くん。今日はマットの上で柔軟体操をしましょうね」
「先生、ボクもドッジボールやりたい」
「だめよ。ボールが顔に当たったら大変だもの。万が一、網膜に傷でもついたら国家の一大事よ」
「じゃあ、せめて跳び箱……」
「論外です。指を突き指するリスクが1%でもあれば許可できません」
俺だけが体育館の隅、分厚い衝撃吸収マットの上で、まるでリハビリ中の老人のようなストレッチを強要されていたのだ。
桜さんに至っては、AEDと救急セットを抱えて俺の横で待機している始末。
俺だって走りたかった。汗を流したかった。
だがその不満げな顔さえも、外野から見れば「楽なメニューに文句を言う贅沢な悩み」に映ったに違いない。
炎天下で走り回る他の子達にとって、冷暖房完備の体育館で寝転がっている俺の姿は、まさしく特権階級の象徴だったのだ。
『くそっ……俺だって望んでそうなったわけじゃないのに!』
回想から戻り、目の前の西園寺さんを睨み返した。
怒りがふつふつと湧いてくる。
俺が味わっているこの閉塞感、自由を奪われる苦しみを、彼女たちは「楽」だと切り捨てたのだ。
「人の気も知らないで、勝手なこと言うなよ!」
俺は声を張り上げた。
西園寺さんがビクリと肩を揺らす。
「ボクだって、みんなと同じように走ったり、勉強したりしたいんだ! 特別扱いなんてされたくない! 『男だから』って理由だけで、何もできない無能扱いされるのはたくさんだ!」
俺の悲痛な叫びに対し、西園寺さんは冷ややかに鼻で笑った。
「口では何とでも言えますわ。でも現実はどうかしら? あなたは泥にまみれることもなく、涼しい顔で生きている。それが結果ですわ。『されたくない』なんて言いつつ、その特権に甘えているのは事実でしょう?」
ぐうの音も出ない正論だ。
言う通り、俺は今の生活を享受している。
どんなに文句を言っても、俺が恵まれた環境にいる事実は変わらない。
このままでは、一生「守られたお飾り」として軽蔑され続けるだけだ。
そんなのは死んでも御免だ。
「……わかったよ」
静かに息を吐き、西園寺さんを指差した。
「そこまで言うなら、勝負しよう」
「勝負?」
「ああ。次のテストの点数で、どっちが上か決めるんだ」
教室がざわついた。
西園寺さんは一瞬きょとんとしたが、すぐに呆れたような表情になった。
「はあ? 何を言い出すかと思えば……。いいこと、東条さん。わたくし、入学試験は首席でしたのよ? 英才教育を受けてきたわたくしに、あなたが勝てるとでも?」
「やってみなきゃ分からないだろ」
俺は相手の目を真っ直ぐに見据える。
「もしボクが勝ったら、二度とボクを『無能な男』扱いしないでくれ。ちゃんと一人のクラスメイトとして認めろ。ついでに、ボクの言うことを一つだけ聞いてもらう」
「大きく出ましたわね。……ふふ、面白くてよ」
西園寺さんは扇子でも持っているかのような仕草で口元を隠し、優雅に、しかし獰猛に笑った。
「その勝負、受けて立ちますわ。ただし、わたくしが勝ったら……そうね、あなたは一生わたくしの下僕として『男らしく』大人しくしていただきますわよ? 授業も受けずに、教室の隅で観葉植物のように飾られていればよろしくてよ!」
「上等だ。負けないからな」
「おーほっほっほ! 男なんかに負けるはずがありませんわ!」
高笑いが響く。
周囲の女子たちも「麗華様が負けるわけないわ」「身の程知らずね」と失笑している。
完全に舐められている。
だがそれでいい。
彼女たちは知らないのだ。
俺の中身が、過酷な受験戦争を経験した元日本人男性であることを。
小学生レベルのテストで大人気ないとは思うが、これは男の尊厳を懸けた聖戦だ。
見てろよ……ガチで満点取って、その高慢な鼻をへし折ってやる……!
俺は心の中で闘志を燃やした。
その横で、静だけがオロオロと不安そうに俺と西園寺さんを交互に見つめていた。
大丈夫だ、静。
俺が勝って、この教室の空気を変えてみせるから。




