表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男女比1:100の世界で生き延びる  作者: 功刀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

静の母親

 佐藤先生は言葉を詰まらせた。

 教育論で返そうとしかけた口が、パクパクと開閉する。

 俺の言ったことは「子供のわがまま」の皮を被っているが、その本質は「個人の尊重」だ。

 特に、男性の権利が極端に制限されているこの世界において、俺自身の口から出た「嫌だ」「これが好きだ」という意思表示は、大人たちにとって重く響くはずだ。


「……そ、そうね」


 先生は困ったような、でもどこか感心したような表情でしゃがみ込み、俺の目線に合わせた。


「龍弥くんの言う通りだわ。無理やり遊んでも、楽しくないものね。先生が間違ってたわ。ごめんなさい」


 さすがはプロの教育者。

 自分の非を認め、子供相手でも頭を下げられる。

 その柔軟さに俺は少しだけ感動した。


「みんなも聞いた? 龍弥くんは今、静ちゃんと本を読みたいの。みんなが龍弥くんと遊びたい気持ちは分かるけど、お友達の『やりたいこと』を邪魔するのは違うわよね?」


 先生が園児たちに向き直る。

 彼女たちは不満そうに口を尖らせたり、モジモジしたりしていたが、先生の真剣な眼差しに渋々頷いた。


「……はーい」

「ごめんなさーい……」


 蜘蛛の子を散らすように、園児たちがすごすごと離れていく。

 嵐が去った後のような静けさが戻ってきた。


「ふぅ……」


 俺は大きく息を吐き出して、もう一度座り込んだ。

 隣では、静がまだ信じられないといった顔で俺を見つめている。

 大きな瞳から、ポロリと一粒、涙がこぼれ落ちた。


「……たつやくん」

「だいじょうぶ?」

「う、うん……ありがとう……」


 彼女は涙を拭うと、握られたままだった俺の手を、おずおずと握り返してきた。

 小さな手。でも、確かな体温。

 彼女の顔に、さっきまでの怯えの色はなく、代わりに見たことのないような信頼と安堵の色が浮かんでいた。


「……わたし、たつやくんといっしょで、うれしい」


 消え入りそうな声だが、その言葉は俺の胸にじんわりと染み込んだ。

 ハーレムだ、モテ期だのと浮かれていた自分を殴ってやりたい。

 一人の女の子を笑顔にすることが、こんなにも満ち足りた気分にさせてくれるなんて。


「ボクもうれしいよ。さあ、つづきを読もう」


 俺たちは再び『銀河鉄道の夜』を開いた。

 周囲からの視線はまだある。

 先生や桜さんが遠くから見守っている気配もする。

 だが、この四半畳ほどのスペースだけは、誰にも侵されない俺たちだけの世界だった。


 * * *


 それからの日々、俺と静の関係は盤石なものとなった。

 相変わらず他の園児からのアプローチはあるものの、「読書中は邪魔をしない」という不文律がクラス内で形成されつつあった。

 静も、俺が守ってくれたことが自信になったのか、以前より少しだけ声が大きくなり、笑顔を見せる回数が増えた。


 そんなある日の降園時。

 いつものように装甲車へ乗り込もうとした時だった。


「……あの、東条様」


 背後から声をかけられた。

 振り返ると、そこには上品なスーツに身を包んだ女性が立っていた。

 年の頃は三十代半ばだろうか。

 理知的な顔立ちだが、どこか疲れたような影があり、そして何より――静によく似ていた。


「しずかちゃんの、ママ?」


 俺の問いに、彼女は深くお辞儀をした。


「はい。常山静の母、響子きょうこと申します。……娘から聞きました。東条様が、いつも娘と遊んでくださっていると」


 東条様。

 幼稚園児相手に使う敬称じゃない。

 彼女の態度は、親同士の挨拶というより、王族に対する拝謁に近い緊張感があった。


「娘は……静は、口下手で、トロくて、何の取り柄もない子です。クラスのお友達とも上手くやれず、いつも一人ぼっちで……私は、この子の将来を案じておりました」


 響子さんの声が震えている。


「そんな娘が、まさか東条様のような……この国で最も尊い方のお傍にいさせていただけるなんて。夢を見ているようです。……本当に、ありがとうございます。娘を見捨てないでいてくださって、ありがとうございます」


 彼女は涙ながらに、アスファルトに額がつきそうなほど深々と頭を下げた。

 俺は言葉を失った。

 この母親にとって、静が俺と仲良くすることは、単なる「お友達」以上の意味を持っているのだろう。


「あたまをあげてください、おばさん」


 精一杯の子供らしさで言った。


「ボクは、しずかちゃんといるのが楽しいから一緒にいるんです。しずかちゃんは、おもしろい本をたくさん知ってるし、やさしいし、すてきな女の子ですよ」


 俺の言葉に、響子さんは顔を上げ、驚愕の表情を浮かべた。

 そして、まるで救世主を見るような目で俺を見つめ、再び涙を流した。


「……あぁ、なんて勿体ないお言葉……。静、聞いた? 龍弥様が、こんな風に言ってくださっているのよ」


 彼女の足元には、静が隠れていた。

 母親のスカートを握りしめ、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに俺を見ている。

 静に向かってニッと笑いかけた。静も、はにかむように微笑み返してくれた。


 その様子を、一歩後ろで見ていた桜さんが、静かに、しかし鋭い眼光で何かをメモしているのを俺は見逃さなかった。

『常山家、要調査。龍弥様のパートナー候補としてランク引き上げを検討』

 そんな不穏な文字が見えた気がしたが、俺は見なかったことにした。


 今はただ、この小さな友情を大切にしたい。

 大人たちの思惑がどうあれ、俺と静の間に流れるこの穏やかな空気だけは、本物だと思いたかったから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ