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屋烏の愛  作者: 又一
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ドレス仕立て

後日、ヴィクトリアはハイム男爵家へ招かれた。


ハイム男爵家の屋敷は、古い貴族の館らしく重厚な造りをしている。灰色の石で積まれた三階建ての建物は、長い年月を経てもなお威厳を失っていない。正面の玄関へ続く石畳の道の両脇には手入れの行き届いた庭園が広がり、冬を越えたばかりの薔薇の枝が静かに芽吹きを待っていた。重い扉をくぐると、高い天井の玄関ホールが迎える。磨き上げられた大理石の床には長い赤絨毯が敷かれ、壁には代々の当主たちの肖像画が整然と並んでいる。シャンデリアから落ちる柔らかな光が、静かな屋敷の空気をやさしく照らしていた。


広い仕立て部屋では、ダニエルと一緒に選んだ生地を体に当てながら、数人のお針子たちにぐるりと囲まれている。部屋の壁一面には色とりどりの布が並び、棚にはレースやリボン、刺繍糸がぎっしりと収められていた。大きな窓から差し込む夕陽が、机の上に広げられた絹やサテンの生地をやわらかく照らしている。


「まあ……なんてお美しいのかしら」


年配のお針子が、思わずため息をついた。


「白いお肌に映えて、とてもよくお似合いですわ」


若いお針子が生地を肩へ当てながら、感嘆の声を上げる。


ヴィクトリアは少し照れたように微笑んだ。

三百年もの時を生きてきたとは思えないほど、その仕草はどこまでも初々しい。


仕立てが始まってから、すでにかなりの時間が経っていたためか、最初こそ遠慮がちだったお針子たちも、作業を進めるうちに次第に緊張がほどけ、今ではすっかり気を許している様子だった。


「それにしても、ダニエル様ったら。あんなに女っ気がなかったのに……こんな素敵な方がいらっしゃったなんて。もう、本当に驚きましたわ!」


「本当ですよ、水臭いこと! ミーナ様、どこか苦しいところはありませんか?」


どうやらダニエルが「友人の女性のためにドレスを仕立てたい」と言った時点で、彼女たちの中ではすでに“友人以上”という結論になってしまったらしい。


「ええ、大丈夫よ。それと私はただの友人よ」


一応訂正してみるが、お針子たちの耳には届いていないようだった。都合のいい部分だけを拾い、残りは器用に聞き流してしまっている。


「でも安心いたしましたわ」


年配のお針子が、ほっとしたように胸へ手を当てた。


「ハイム男爵家の男性って、代々晩婚でしょう? ダニエル様もこのままずっと独り身なんじゃないかって、みんな心配していたんですもの」


「ええ、本当ですわ。旦那様もきっと安心なさるわねぇ」


お針子たちは賑やかに話しながらも、手元の動きは驚くほど正確で無駄がない。彼女たちの仕事の早さに感心していたとき、廊下から足音が近づき、扉の向こうでノックが響く。


「ヴィク……ミ、ミーナ! ドレス作りは順調かい?」


危うく本名を呼びかけたのを取り繕おうとしたのだろう。声が裏返っている。その狼狽え方が可笑しくて、ヴィクトリアは肩を揺らして笑った。


「ええ、とても順調よ。彼女たちが手際よく進めてくれるもの。でも、ダニエルはまだ入ってきちゃだめ」


生地選びを終えたあと、ダニエルはお針子たちによって即座に部屋の外へ追い出された。

“完成までの楽しみがなきゃダメですわ!”との熱い主張つきで。


「……うっ、分かってるよ。でも……な、何かあったらすぐ呼んでね!」


どうにも落ち着かないのだろう。その後もダニエルは、数分おきに扉の向こうから「進んでる?」「休憩する?」「大丈夫?」と声をかけてくるのだった。


そのたびに、お針子たちはクスクスと笑い、ヴィクトリアも思わず頬を緩ませる。三百年ぶりのドレス仕立ては、思っていたよりもずっと賑やかで温かい時間になっていた。


ドレスの最終調整が終わった頃には、月はすっかり夜空の真上に昇っていた。窓の外には澄んだ夜気が広がり、庭の木々の影が長く地面に落ちている。


ダニエルに夕食を勧められ、ヴィクトリアは遠慮しつつも結局ありがたくご馳走になることにした。

もともとヴィクトリアが人間に戻れるのは、夕方の十八時から翌朝六時までの十二時間だけだ。そのため仕立ては必然的に夜の作業となり、遅くなるのは分かっていた。


食堂で出された温かな料理は、どれも素朴で優しい味だった。長い年月を生きてきたヴィクトリアにとって、こうして誰かと食卓を囲む時間は、どこか懐かしくもあり、少しだけくすぐったかった。


夕食を終えると、ダニエルとともにハイム男爵家の馬車で洋館へ向かった。


夜の街はすでに静まり返り、石畳を進む車輪の音だけが規則正しく響く。窓の外には、月明かりに照らされた街並みがゆっくりと流れていった。閉ざされた店の看板や、まばらに灯る街灯の光が、通りを淡く照らしている。やがて馬車は大通りを外れ、人気の少ない道へと入っていった。家々の明かりは次第に遠ざかり、石畳もいつしか土の道へ変わる。代わりに窓の外へ広がっていくのは、背の高い木々の影だった。月明かりが枝葉の隙間からこぼれ落ち、道の上にまだらな光を落としている。風が木々を揺らすたび、葉擦れの音が静かな夜にささやくように響いた。


馬車はさらに森の奥へと進んでいく。


街の気配はすっかり消え、聞こえるのは車輪の音と馬の蹄だけだった。森の空気はひんやりと澄んでいて、どこか人の世界から離れていくような感覚さえある。


ヴィクトリアはふと窓の外へ視線を向ける。


月明かりに照らされた木々がゆっくりと後ろへ流れていく。揺れる枝葉の影が、馬車の窓辺を静かに横切っていった。夜の森の景色に、ヴィクトリアはほんのわずかな安堵を覚える。


「……なぜかしら。この景色に安心するわ」


ぽつりと漏れたその呟きを、向かいに座るダニエルは聞き逃さなかった。


「久しぶりに人とたくさん話したから、少し疲れた?」


遠慮がちに、様子をうかがうような声だった。


ヴィクトリアは一瞬だけ考えるように視線を落とす。

恐らく、そうなのだろう。

普段はダニエル以外の人と関わらないようにしているため、慣れない賑やかさに少なからず疲れたのかもしれない。けれど不思議と、嫌な疲れではなかった。


「……そうなのかもしれないわ」


小さくそう答えると、ヴィクトリアは再び窓の外へ目を向ける。


静かな森の夜は、どこか懐かしい。

まるで自分が本来いるべき場所へ戻ってきたかのような、不思議な安らぎがあった。


やがて木々の合間に、見慣れた洋館の屋根が月明かりに浮かび上がる。ほどなくして馬車はゆっくりと速度を落とし、洋館の前で静かに止まった。


先に降りたダニエルが、扉を開けて手を差し出した。ヴィクトリアが足を下ろすと、彼は自然な仕草でその手を添えて支える。


「ダニエル、今日は本当にありがとう。久しぶりにドレスを作る経験ができて……とても楽しかったわ。完成が待ちきれないくらい」


ヴィクトリアはそう言って、そっと彼の手を握り、やわらかく微笑んだ。月明かりに照らされたその表情は、どこか儚く見える。


「どういたしまして。ヴィクトリアが喜んでくれるなら、僕だって嬉しいよ」


ダニエルは少し頬を赤らめ、照れたように笑った。

けれどその視線は、どこか名残惜しそうにヴィクトリアへ向けられたままだった。


まるで、もう少しだけこの時間が続けばいいのにと願うように。

続きは近いうちにまたアップする予定です。

楽しみにしてくださる方が1人でもいれば幸いです。

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