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屋烏の愛  作者: 又一
35/35

調査結果

***



書斎の窓から差し込む光の強さに、レオンハルトはようやく時間の経過を自覚した。昨夜は遅くまでここに籠っていたものの、区切りのいいところで切り上げ、早めに床についたはずだった。だが今朝から再び公務に取り掛かり、気づけば昼食も取らぬまま、ひたすら没頭していたらしい。机の上には、未だ手付かずの書類の束が積み上がっている。夜には仮面舞踏会が控えているため、その前に少しでもこの山を崩しておかなければならないと判断し、レオンハルトは再び視線を書類へと落とした―その時だった。扉が、何の前触れもなく開かれる。


「やっほー!入るよー」


軽すぎる声とともに、遠慮の欠片もない足取りで入ってくるクラウス。ノックも許可もあったものではない。その無礼を働くクラウスに、レオンハルトは眉を寄せ、露骨に不快感を示す。


「…ノックをしてから入れと何度も言っているだろ」


ため息交じりに告げるその言葉は、もはや注意というより習慣に近い。だが当の本人は、まるで意に介した様子もない。


「それよりも、昨日のヴィクトリアちゃんのこと分かったよ」


ひらひらと手を振りながら、クラウスはあっさりと話題を切り替える。ヴィクトリアという単語にレオンハルトは羽ペンの持つ手を止め、クラウスの方に視線を向ける。


クラウスは満足げに口元を緩めると、書斎の奥へと歩みを進めた。重厚な本棚の並ぶ壁際を横切り、来客用に設えられた長椅子へと向かう。まるで自室であるかのような気軽さで、どさりと腰を下ろす。背もたれに深く身体を預け、片腕を肘掛けに乗せると、足を組んでゆるく揺らした。


「も〜、朝からいろいろ聞きまわって大変だったんだよ〜」


やれやれ、と肩をすくめながら、クラウスはわざとらしくため息をつきながら、ちらりとレオンハルトへ視線を向ける。レオンハルトは机の前に座ったまま、ただ真っ直ぐにクラウスを見据えている。その視線には、急かすような圧が込められていた。


「まず昨日の門番をやっていた衛兵に話を聞きに行ったんだ。最後に見た招待状の名前を覚えてるかってね。でも、はっきりした回答は得られなかった」


クラウスは軽く肩をすくめながら、当時を思い返すように言葉を続ける。


「まあ、無理もないよね〜。次から次へと人が来るし、いちいち名前まで覚えてられないよね」


そう言って、くすりと小さく笑う。

レオンハルトは何も口を挟まず、ただ黙って耳を傾けている。その視線は鋭く、わずかな情報も逃すまいとしていた。クラウスはその視線を受けながら、話を続ける。


「だから今度は別の方向から攻めようと思ってさ。次に向かったのが王宮の記録室」


クラウスは長椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、気軽な口調で語る。


「ハイム男爵家の親族、それから遠い親戚にまで範囲を広げて、今回の舞踏会に招待状が配られる年齢の女性がいるかどうか調べてもらったんだけど…」


クラウスはそこで一度言葉を切り、わざとらしくため息をつく。


「成果はゼロ。見事なくらい、誰もいないんだよね〜」


軽く肩をすくめる仕草とは裏腹に、その内容は決して軽くはない。クラウスはさらに続ける。


「これは困ったなぁ〜って思ってさ。最後の頼みの綱に、宮廷典礼室に行ったんだよ。そこで招待リストを確認させてもらって、ついでにハイム男爵領を担当した騎士の名前も教えてもらってね」


そのまま、クラウスは少し身を乗り出す。


「で、ついさっきその騎士に会いに行ってきたんだ。ちょうど訓練終わりの食事の時間を狙ってさ。いや〜、急に僕が現れたもんだから、彼すごい顔してたよ」


思い出したように、くすくすと笑みをこぼすクラウスとは対照的に、レオンハルトは微動だにしない。一介の騎士にとって公爵家嫡男のクラウスの突然の来訪は驚くのも無理はないとレオンハルトは思いながらも、ただ一言だけ問いを投げる。


「それで、話は聞けたのか?」


「もちろん!幸い、ハイム男爵領で配られる招待状の数は少なかったおかげでね、かなり詳しく聞き出せたよ」


クラウスは軽く指を鳴らしながら、どこか得意げに続ける。


「ヴィクトリアちゃんの見た目の特徴―髪の色とか、雰囲気とか、できる限り具体的に伝えてさ。これに該当する子はいたかって聞いてみたんだけど…」


そこで、わざと間を置く。


「答えは、否だった」


その一言が落ちた瞬間、書斎の空気がわずかに張り詰める。レオンハルトの表情が、すっと固くなる。


「…では、ハイム男爵領の者でもないということか…」


低く押し出された声には、焦燥にも似た色が滲んでいた。予想していた可能性のひとつが崩れていく。だが、クラウスは慌てる様子もなく、軽く笑いながら長椅子に背を預け直す。


「まあまあ、最後まで聞いてよ。確かに“該当する子はいない”って答えだったんだけどさ。じゃあ逆に、“直接招待状を渡せず会えていない子はいるか”って聞いてみたんだ」


クラウスは少しだけ身を乗り出す。


「そしたら一人だけいる、ってさ」


その言葉に、レオンハルトの視線が鋭くなる。

クラウスはその反応を楽しむように、わざと一拍置いてから口を開いた。


「その子の名前は、ミーナ・ホルツ。ハイム男爵領の、あの広大な森の奥深くに住んでるらしいよ。騎士の話だとね、屋敷に向かったはいいけど、“本当に人が住んでるのか?”って疑うくらい荒れ果ててたんだってさ。手入れもされてないし、人の気配もほとんど感じなかったらしい。ね?すごく"それっぽい"よね」


クラウスはニヤニヤと笑い、意味深な視線をレオンハルトへ向ける。まるで面白い玩具を見つけた子供のような、無邪気さすら混じった笑みだった。レオンハルトはその言葉を反芻するように、わずかに目を伏せる。


「…ミーナ・ホルツか。戸籍も調べたのか?」


クラウスは「あたりまえでしょ」と言わんばかりに肩をすくめる。


「うん。もう一回記録室に戻ってさ、ホルツ家の戸籍を見せてもらったよ。かなり昔から、ずっと同じ場所に住み続けてる家系みたい」


そこで、ほんの少しだけ言葉を選ぶように視線を逸らす。


「…ただ、ちょっと引っかかったのがね。そのホルツ家、ずっと女の子しか生まれてないんだよね。しかもどの代も、両親は決まって早逝してる」


淡々と告げながらも、クラウスの瞳にはわずかな興味が宿っている。


「なんか、不思議だよね?」


(…どうゆうことだ?)


レオンハルトはわずかに眉を寄せ、思考を巡らせる。

あの【亡霊のヴィクトリア】と名乗った彼女の振る舞いも、言葉の選び方も、とてもただの平民とは思えなかった。だが現実として浮かび上がってきたのは、“ミーナ・ホルツ”という名の、森の奥に住む一人の女性に過ぎない。なぜ、そんな人物がヴィクトリアの名を使ったのか。なぜ、人の気配すら乏しい荒廃した屋敷で暮らしているのか。そしてなぜ、ハイム男爵家と繋がりがあるのか。どれもこれも理由が分からず、まるで最初から何かを隠すために用意されたかのような不自然さだった。


「直接聞くしかないか…」


レオンハルトからぽつりと零れた言葉は、半ば独り言のようだった。だが、その一言を聞き逃すほど、クラウスは鈍くない。


「それはさすがにダメじゃない?」


間髪入れずに、軽い調子で口を挟む。


「僕たちがやったこと、完全にルール違反でしょ?仮面舞踏会ってさ、素性を明かさないのが前提なんだから。本当なら調べること自体が無粋なんだよ」


その言葉は冗談めいているようでいて、的確だった。


「それなのにさ、“君のこと調べたよ”なんて近づいたら、警戒されるし最悪嫌われちゃうんじゃないかな〜?」


クラウスのわざとらしく肩をすくめるその様子に、レオンハルトの表情がわずかに曇る。


「確かにそうだな…」


得た情報は確かに有益だが、それをそのまま表に出せば、すべてが台無しになる。冷静な判断ができていなかったと、レオンハルトはわずかに目を伏せ、自身を律するように息を整える。


「それにしても、調べるのが早かったな」


ぽつりと漏れた感想には、隠しきれない感心が滲んでいた。クラウスの行動力が並外れていることは、これまでの付き合いで嫌というほど理解している。だが、それでもなお昨晩調べてくれと命じただけで、翌日の午後にはここまで辿り着くとは思っていなかった。


「まあね〜、僕こうゆうの得意だから」


クラウスは肩をすくめ、軽い調子で笑う。

ひと通り話し終えたことで満足したのか、クラウスは長椅子からすっと立ち上がる。用件は済んだとでも言うように、躊躇いなく扉へと向かうその背中は、どこまでも気ままだ。扉に手をかけそのまま出て行くかと思いきや、不意に足を止めた。


「あ、そうだ」


クラウスはくるりと振り返る。


「控えてる侍女に軽食、渡しておいたからさ。あとで食べなよ〜」


にやり、と悪戯っぽく笑う。


「どうせ何も食べずに公務してたんでしょ?」


その一言に、レオンハルトは図星を突かれたことに一瞬言葉を失う。だがそれ以上に、別の感情が胸をかすめていた。頼んでいた用事だけでなく、レオンハルトが食事を取っていないことも見越して、わざわざこの執務室に寄る前に食堂に立ち寄り簡単につまめるものを持ってくるとは。自分の行動、癖、そして優先順位までも、まるで当然のように読まれている。この短時間でそれをやってのけたことに、感心を通り越して、わずかな戦慄すら覚える。


クラウスはそんなレオンハルトの内心など意に介した様子もなく、ひらりと手を振った。


「じゃ、またあとでね〜」


軽やかな足取りのまま、今度こそ書斎を後にする。扉が閉じられ、再び室内に静寂が戻った。数秒の後、レオンハルトは小さく息を吐き、椅子の背にわずかに体重を預ける。


(…本当に、底が見えない男だな)


そう考えながらも、どこか信頼を置いている自分がいることを否定はしなかった。


やがて、控えていた侍女が入室し、恭しく差し出された盆の上には、片手でも口にできるように整えられた軽食が並んでいた。手を汚さず食べられるよう配慮されたそれは、明らかに公務の合間を想定したものだった。


侍女が一礼して下がると、レオンハルトは一つそれを手に取った。わずかに口に運びながら、もう片方の手では再び羽ペンを握る。書類に視線を落とし文字を追うが、意識の奥では、別のことを考えていた。今夜の仮面舞踏会で再びヴィクトリアと会うために。その一心だけを胸に、レオンハルトは公務へと没頭していった。

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