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屋烏の愛  作者: 又一
13/17

時間稼ぎ

ヴィクトリアが人間に戻れる十八時までの間、二人は馬車の中で静かに過ごした。

広場には絶えず馬車の音が響き、遠くからは人々のざわめきが波のように押し寄せては引いていく。ときおり笑い声や、緊張を含んだ高い声が風に乗って届いた。それらをぼんやりと聞きながら、時はゆっくりと過ぎていく。


やがてー

ゴーン、ゴーン、と空気を震わせるような重厚な鐘の音が、王都中へと響き渡った。


「…時間だね」


ダニエルは顔を上げると、すぐに立ち上がった。


「じゃあ、先に行ってるね!焦らなくていいから」


そう言い残し、馬車の扉を開ける。

外へ降り立った瞬間、ひやりとした空気がダニエルの肌を打った。すでに空は暗く、無数のランタンの灯りが広場を照らしている。


その光の中で、同じように駆け出す人影がいくつも見えた。


「鐘が鳴ってしまった…!急げ急げ!」

「まだ間に合うかしら…!」


貴族の青年や着飾った娘たちが鐘の音に急き立てられるように、正面入り口へと急いでいる。

ダニエルもまた、その流れに加わった。

裾を翻しながら、石畳を蹴る。


「すみませーん!待ってくださーい!」


声を張り上げながら、必死に駆ける。

城の大扉は、今まさに閉じられようとしていた。


息を切らしながら滑り込むように入り口へ辿り着く。


「はぁ……、はぁ……っ」


肩で呼吸をしながら、その場で一瞬だけ足を止める。肺に空気を押し込むように深く息を吸い、吐き出す。どうにか呼吸を整え、顔を上げると、すぐに衛兵へと向き直った。


「…はぁ、すみません。パートナーが少し体調を崩していて、馬車で休ませているんです。でもすぐ来るので、ほんの少しだけ待ってもらえませんか?」


だが、衛兵は首を横に振る。


「申し訳ありません。規則により、開場時間に間に合わなければ入れることはできません。さぁ、早く貴方も招待状を出してお入りください」


その声音は丁寧でありながら、まったく揺らがない。


「…そんな!本当にすぐ来るんです!」


ダニエルは食い下がるが、返ってくるのは同じ仕草、同じ拒絶。


「規則ですから」


冷たい一言だった。

ダニエルは、ぐっと奥歯を噛み締める。


(……時間を稼ぐしかない)


「はい…わかりました…」


そう言いながら、ゆっくりとポケットへ手を入れる。


「あれ…?おかしいな、さっき確かに…」


わざと焦ったように呟きながら、反対側のポケット、上着の内側を何度も探り直す。


もちろん、招待状は持っている。

だが、あえて見つからないふりをする。少しでも時間を稼ぐために。


「申し訳ありませんが、提示できない場合は…」


衛兵が言いかけたその時。


「あっ、ありました…!」


ようやく見つけたように差し出す。

衛兵の隣に控えていた侍従が、無言で銀の盆を差し出した。そこに並ぶのは、残りわずかとなった仮面。


「へぇ〜!仮面もいろんな種類があるんだ〜!」


わざとらしく声を弾ませる。

一つひとつ手に取り、じっくりと見比べるふりをする。


(まだだ……まだもう少し……)


その合間に、ちらりと背後へ視線を向ける。そして、見つけた。闇の中で、揺れる黒。


「あ!見てください!」


ダニエルは勢いよく振り返り、広場を指差した。


「あそこ!あの黒いドレスの彼女が、僕のパートナーです!」


***


その頃。

馬車の中で着替え終えたヴィクトリアは、急いで外へと飛び出していた。春先とはいえ、夜の空気が露出している肌を刺す。冷たさと同時に、緊張が一気に全身を駆け抜けた。

幾重にも重ねられた布地に広がるスカート、そして履き慣れないヒールのある靴がヴィクトリアの動きを鈍らせる。石畳のわずかな凹凸に足を取られ、身体がぐらりと揺れるが、とっさにドレスの裾を掴み、どうにか転倒を免れる。


「…くっ」


途中よろけそうになりながらも小走りで前へ前へと進む。視線の先には衛兵たちに囲まれているダニエルの姿が見えた。

何かを訴えているのが遠目にもわかる。

だが次の瞬間。ひとりの衛兵がダニエルに仮面を押し付けるように渡し、そのまま背を押す。


「…っ、待って!」


思わず声が漏れる。

ダニエルが衛兵に抑えつけられながらも振り返り、必死に何かを叫んでいる。

きっと、自分のことだ。

しかしそのままダニエルは、複数の衛兵により大扉の中へと押し込まれていった。


「……!」


ヴィクトリアは息を呑む。


(急がないと……!)


ドレスの裾をさらに持ち上げ、慣れない足取りで駆け出す。数歩進んだだけで、呼吸が乱れ、胸が焼けるように苦しい。


それもそのはずだった。

この三百年、走るという行為とはあまりにも無縁だったのだから。その代償が、今になって突きつけられる。


(こんな…たったこれだけで…)


自分の体力の無さに、自嘲にも似た思いがよぎる。


それでも足は止めなかった。

無数のランタンに照らされた広場を、黒いドレスを翻しながら、必死に前へと進む。

肺が悲鳴を上げても、喉が焼けるように熱くても、正面入り口だけを見据えて足を動かした。


「…っ、待って…、待ってください…!」


掠れる声で、必死に言葉を紡ぐ。

こんなにも息を切らし、必死になる自分がいることにほんの一瞬だけ驚きながら、ようやく扉の前へと辿り着いた。


固く閉ざされた大扉の前には、見張りとして残された衛兵が、直立不動の姿勢で立っていた。

先ほどダニエルと言葉を交わしていた者たちとは違う、無機質なほどに感情を感じさせない顔をしていた。その視線が、遅れて駆け込んできたヴィクトリアを捉える。


「開場時間はすでに過ぎております」


低く、淡々とした声だった。


「これ以降の入場は、一切認められておりません」


息を整える間もなく突きつけられる、冷たい現実にヴィクトリアは一歩、前へ出る。


「…あの…遅れてしまって…申し訳ありません…!…招待状は持っています…!パートナーも…中に……」


だが、衛兵は微動だにしない。


「いかなる理由があろうとも、規則は規則です」


その言葉に、情は一切なかった。

ただ規則をなぞるだけの、揺らぎのない声音だった。


ヴィクトリアは唇を噛み締める。


(どうしたらいいの…)


指先が震える。

胸の奥に、焦りと悔しさがじわりと広がっていくのをヴィクトリアは感じた。


呪いさえなければ。

人間に戻れる時間がもう少し早ければ。

そもそも呪いがあるからこの舞踏会に来ているのに、矛盾したことを考えてしまう。


そんな自分に嫌気が差した、その時。

背後から、足音が近づいてくる気配がした。

明日も12時に投稿予定です。

よろしくお願いいたします。

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