到着
王都への道のりは、思いのほか順調だった。
気づけば馬車の窓から差し込む光はすっかり傾き、車内は柔らかな夕陽に照らされていた。
コン、コン。
外から控えめなノックの音が響く。
「ダニエル様、お城に到着いたしました」
御者の遠慮がちな声が聞こえる。
その音で目を覚ましたダニエルは、ゆっくりと体を起こし、まだ少し寝ぼけた声で返事をした。
「ああ、ありがとう」
それから視線を前に向ける。
向かいの席では、黒い羽をふんわりと膨らませたヴィクトリアが、まだ丸くなって眠っていた。
「ヴィクトリア、着いたみたいだよ」
優しく声をかけると、ヴィクトリアは小さく身じろぎをし、ゆっくりと目を開ける。眠りの名残を宿した黒い瞳が、静かにダニエルを映した。
ダニエルはそっと両手を差し出す。
「外の様子、見てみる?」
ヴィクトリアは抵抗することもなく、ダニエルの腕の中に収まった。ふわりと抱え上げられ、そのまま窓辺へと運ばれる。厚く閉ざされたカーテンをダニエルが少しだけ持ち上げると、細く差し込む夕陽とともに外の景色が覗いた。ヴィクトリアはその隙間から、外を見つめた。
王都の中心にそびえる城は、夕陽を浴びてまるで王国の象徴のように輝き始める。
白と淡い青を基調とした優美な塔は幾重にも重なり、尖塔の先に施された金の装飾は、沈みゆく太陽の光を最後まで掴み取るかのように、静かに輝いていた。規則正しく並んだ窓には光が灯り始め、まるで城そのものが静かに目覚めていくかのようだった。
城の正面に広がる円形の石畳の広場には、すでに多くの馬車が集まりはじめている。磨かれた石畳は滑らかに弧を描き、中央には噴水が静かに水音を響かせていた。水面は茜空を映し込み、揺れるたびにまるで地上に降りてきた星のように瞬いている。
広場から城へと続くのは、緩やかに弧を描く長い階段。一段一段はゆるやかでありながら、果てしなく続くように長く、訪れる者を自然と見上げさせる造りだった。赤い絨毯が中央に敷かれ、その両脇には衛兵たちが整然と並んでいる。甲冑が夕陽を受けて鈍く光り、静かな威圧感を放っていた。階段の両脇には、広大な庭園が広がっている。春になれば満開の花々が咲き誇るのだろう。
続々と馬車から降りてくる招待客たちは、華やかな衣装を揺らしながら、その階段を一歩ずつ踏みしめながら上っていく。衣擦れの音と靴音が重なり合い、どこか厳かで、けれど華やかな空気を作り出していた。
ヴィクトリアは、その光景をじっと見つめる。
(…変わらないわね)
長い時間が過ぎたはずなのに、まるで昨日のことのように記憶が蘇る。
あの日も舞踏会が開催されていた。
隣にはかつての恋人のアーデルハルトがいた。
舞踏会終わりに、二人並んでゆっくりと階段を降りていた。終わりを惜しむように彼は言った。「もう少しだけ、一緒にいたいから馬車まで送らせて」と。
その一言が、嬉しくて。
足元に気をつけながら、それでも歩みはどこか名残惜しくて、自然と遅くなる。
もっと階段が長ければいいのに、迎えの馬車なんて来なければいいのにと思っていた。
(アディ…)
胸の奥に、懐かしさがふっと広がる。
昔よく呼んでいた名前が思い出される。
だが、ヴィクトリアはすぐに小さく首を振った。
(今は、感傷に浸っている場合ではないわ)
視線を階段から外し、現実へと引き戻す。
少し離れた場所には王家の紋章が入った馬車が何台も並んでいた。扉が開くと、中から降りてくるのは質素ながらも精一杯着飾った娘たち。おそらく王都の各地で招集され、そこから馬車で運ばれてきた平民の参加者なのだろう。ダニエルのように、家名の紋章が入った馬車で乗り付ける者たちは一目で分かる。それがすなわち、貴族である証だった。
やがて招待客たちは皆、正面入り口へと流れていく。扉の前には衛兵たちが立ち並び、整然と列を作って入場を確認していた。一人ひとりが招待状を差し出し、衛兵がそれを確認すると、横に控えている侍従が銀の盆を差し出す。その盆の上には、色とりどりの仮面が並べられていた。招待客たちはその中から一つを手に取り、顔へと当てる。
仮面をつけた瞬間、誰が誰なのかはもう分からない。
貴族も、平民も。
この夜ばかりは、すべてが曖昧になる。
仮面を受け取った招待客たちは、そのまま城の大扉の奥へと吸い込まれていく。まるで別の世界へ足を踏み入れるかのように。
仮面舞踏会の夜は、すでに始まりつつあった。




