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屋烏の愛  作者: 又一
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舞踏会前夜

舞踏会前夜。


静まり返った洋館で、ヴィクトリアとダニエルは向かい合って座り、真剣な表情で話し合っていた。蝋燭の火がゆらりと小さく踊り、橙色の光が二人の横顔をゆらゆらと照らしている。


「じゃあ、改めて確認するけど…」


ダニエルが念を押すように言うと、ヴィクトリアは静かに頷いた。


今回の舞踏会に参加するにあたり、ヴィクトリアには一つ大きな障害があった。それは、舞踏会の開場時間が十七時から十八時の間に限られていることだった。それ以降の入場は一切認められない。途中入場も許されない、厳格な取り決めだった。

しかし、ヴィクトリアは日が沈んでからでなければ人間の姿に戻れない。そのため、二人は綿密な作戦を立てる必要があった。


「明日は僕が朝方に馬車で迎えに来る。半日かけて王都まで向かい、カラスの姿のままヴィクトリアと一緒に馬車の中で十八時まで王宮の前で待機する」


「そして十八時になったら、私は急いでドレスに着替えて馬車から出る」


ヴィクトリアが続けると、ダニエルは真剣な顔で頷いた。


「ヴィクトリアが着替えている間、僕は王宮の衛兵の相手をして時間を稼ぐ。多少不審に思われても、貴族の招待客なら話くらいは聞いてくれるはずだからね」


そのために用意されたのが、今回のドレスだった。普通の舞踏会用ドレスは、一人では着られない。背中の編み上げや複雑な留め具は、侍女の手を前提に作られている。だからダニエルは、一人でも着脱できる特別な構造に仕立てさせていたのだ。


ヴィクトリアが困らないように。

いつでも最善を尽くせるように。


ヴィクトリアがドレスを用意してほしいと伝えてきたときから、ダニエルの中ではすでにこの考えが思い浮かんでいた。開場時間に制限があるのは予想外だったが、結果としてはダニエルの行動は最善策になった。


「念のため、今夜のうちに一度着てみてほしいんだ。ちゃんと一人で着れるか確認したいから!」


「わかったわ」


ヴィクトリアは頷き、箱から取り出してあったドレスをそっと持ち上げた。夜の影を切り取ったような、深い黒の布地が静かに揺れる。


そして、自身が今着ているドレスの背に手をかけた。


「じゃ、じゃあ僕は外で待ってるね!」


ダニエルは慌てて立ち上がり、ほとんど逃げるように扉へ向かった。


ぱたん、と扉が閉まる音を確認してから、ヴィクトリアはゆっくりとドレスを脱ぎ始めた。


***


廊下に出たダニエルは、思わず深く息を吐いた。


扉一枚隔てた向こうでは、ヴィクトリアがドレスに着替えている。そう思うだけで、どうにも落ち着かない。しんとした廊下に、かすかな衣擦れの音が聞こえてくる。そのたびに、ダニエルの意識はどうしても扉の向こうへ引き寄せられてしまう。


(落ち着け、僕……!!)


自分に言い聞かせるように腕を組み、壁にもたれた。心臓が、やけにうるさい。

意識しないよう、窓の外を見たり、剥がれた壁紙を眺めたりしてヴィクトリアが着替え終わるのを待った。


しばらくして―


「ダニエル、いいわよ」


扉の向こうから声がした。


ダニエルは一瞬だけ固まり、それから小さく息を整える。覚悟を決めたように、そっとドアノブに手をかけた。


***


扉を開けた瞬間―

思わず、息を呑んだ。

ヴィクトリアは、ドレスを身に纏って立っていた。カラスを思わせるような、漆黒のドレス。深い夜の色をした布地が、照明の光を受けて静かに艶めいている。それはまるで、夜そのものを纏っているかのようだった。その夜の中に、さりげなく縫い込まれた灰緑のレース。淡く揺れるそれは、夜空に差すオーロラのようにも見える。


(本当は……少しだけ僕のわがままなんだけど)


ヴィクトリアのドレスが完成する少し前。

お針子たちから「差し色を入れたら、より華やかになりますよ」と提案されたとき、ダニエルの胸に、ふと小さな衝動が芽生えた。


せめて、ほんの少しだけ。自分の色を残したい。

そう思ってしまったのだ。彼は、自分の瞳と同じ灰緑の糸を差し色に使うよう頼んだ。


どうせこの恋は叶わない。

だからこそ、それはダニエルのささやかな小さな抵抗だった。


「……どうかしら?」


黙り込んでしまったダニエルを不思議に思い、ヴィクトリアは小さく首を傾げた。その仕草に、黒い髪がさらりと肩の上で揺れる。


その瞬間、ダニエルは我に返った。


「す、すごく似合ってる! 本当に……すごく綺麗だよ!」


勢いよく言葉が飛び出す。

ヴィクトリアは一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑った。


「ふふ、お世辞が上手になったのね」


「お世辞じゃないよ。本当に…誰よりも綺麗だよ…」


思わず、言葉が溢れる。

その声は少しだけ掠れていた。

寂しげな瞳をするダニエルに、ヴィクトリアは柔らかく微笑む。


「ありがとう、ダニエル」


ドレスの裾をそっと指先で撫でながら、静かに続けた。


「こんな素敵なドレスを用意してくれて。問題なく一人で着られるわ。本当にありがとう」


その言葉に、ダニエルは少し照れくさそうに頭をかいた。けれど次の瞬間、彼はふっと表情を引き締める。


明日になれば―

ヴィクトリアは王宮の舞踏会へ行く。

そしてそこで、きっと多くの視線を浴びるだろう。


(きっと……誰だって、見惚れる)


胸の奥が、少しだけ痛んだ。

それでもダニエルは、何も言わなかった。

ただいつものように笑った。

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