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第五話 月夜を得ず

 身の振り方を誤りエンヴィルに罵倒された俺は重たい気分で自分の天幕に戻った。入るやいなや俺が命じていた通りコルシュは探索行のために準備を始める。

 長靴に履き替えるとコルシュが靴ひもを強く結んでくれた。

 俺は彼の頭頂部を見ながら、溜息を吐いた。

 コルシュは俺の従卒だ、俺が森林に赴くのなら彼も追随するのが道理。しかし、彼が暗夜の森林行に耐えられるかは疑いを持たざるを得ない。

 コルシュは無能だ。教えても学習しないという意味の無能ではなく、そもそも教育が細越されていないための無能である。従卒としての最低限の振舞は覚えさせたが、それ以外について彼には何も教えていない。俺がそれで良しとしたのだ。

「コルシュ」

 俺が声をかける。彼は顔をあげた、真剣な面持ちだった、事に臨んでやる気に満ちている。

 彼は無能ではあるが、怠惰ではない。俺がやれと命じたことは石に噛り付いてでも成し遂げようとする。

 だから怖いのだ。

「お前も長靴に替えろ」

 俺は目線をそらして命じた。


 北面の大森林の際には第四軍団のコホルスとアルビウスの親衛隊が集結していた。叩き起こされた魔術師達が、各員の眼球に暗視の魔術を施している。総員七百名を超える人員に難易度の高い魔術を次々と施さなければならない彼らは明らかに困憊していた。もしかすると今日眠りについて明日目覚めぬ者もいるかもしれない。

 急な任務にも関わらず第2コホルスの兵士たちは一切の動揺を見せずに雨がぱらつくなか堵列を整えている。昼間に街道を行進するのも、暗夜の森林を探索するのも等しく軍務と言った趣だった。一般に数字の少ないコホルス程精鋭である。カトが頼みにする歴戦の兵士たちなのだろう。

 一方、練度で言えばアルビウスの親衛隊も劣らない。彼らは森を見据え静かに闘志をたぎらせている。いざとなれば中将の盾となるべき部隊、最精鋭が選抜されているはずだ。そのうちの一人が俺を目にすると小走りに近づいてくる。

「ハヤシ少佐、お待ちしておりました」敬礼する「アルビウス閣下の従卒を務めておりますドルスス曹長と申します。閣下はハヤシ少佐を側に置きたいとお考えです。こちらにどうぞ」

 二十歳後半といったところだろうか、帝国本州の出によく見る金髪の白い肌の壮佼だが、年嵩から俺の好みからは若干外れている。それでも尻には目が行った。

 エンヴィルの言葉が思い出される。

 アルビウスのケツに惚れたか? 能無し

 中立を維持することをできなかった俺を彼女は詰った。確かに俺は無能だ、飾言の余地はない。だが、彼女は俺を見放したわけではないのでは、とも思う。彼女は無価値な人物に無駄な罵倒を吐くような性格には思えない、まだ俺を見捨て切ってはいないからこその叱咤なのではないだろうか。これは自分の価値を過大評価した甘すぎる考えかもしれない。しかし、今の俺はこの解釈により縋る他ない。

ドルススに連れられてアルビウスの面前に押し出された。

「ハヤシ少佐罷り越しました、これより行動を共に致します」

「ヒデノリ少佐、そう固くならなくていい」アルビウスは俺の名前を呼んで微笑んだ「ここに敵の目はないからね」

 貴方が味方とは決まっていない、とは流石に言えるわけもなく、俺は敬礼を返して黙っていた。

「従卒のお前もよろしく」

 アルビウスはコルシュにも声を掛けた。

「よろしくお願いします。アルビウス……えーっと」コルシュは彼女の階級章を見ながらそれがどの階級を示すか考える「中将?」

「……よくできました」

 アルビウスは感情を窺えぬ声音で答えた。

 空を見上げると、量感豊かな雲が天上を覆っている。月はどこかに隠れてその片鱗すら感じられなかった。

 

 我々は草木が覆い茂る暗夜の密林に足を踏み入れた。

 雨期を迎えて植物は伸び伸びとその腕を広げている。先頭に立つ兵士達は剣と手斧でそれを切り立ち後続の路を作った。

 重なり合った枝葉で昼なお暗い大森林の事、暗視の魔術を掛けられていても容易に先は見渡せない。大木が地面に張った太い根に何度も足を捉えられそうになる。「危ないぞ」兵士が小声で仲間に警告する響きが、甲冑が雨粒を弾く音に混じる。

夜になっても温気は我らを蒸し殺そうとするようで、行軍するうちに甲冑の下に纏った制服は汗を吸い取って重くなった。

俺の近くを歩くアルビウスの顔にも何条もの汗が流れていた。彼女はそれを拭おうともしない。ふと香気を鼻に感じた。妙齢の女が放つ男を迷わせる香り、しかしこれ以上惑わさられるわけにはいかない。

アルビウス中将は共和政時代から続く名門の出だ。彼女と関係を築けるなら、それは俺としてもヤマト属州としても望ましい。しかし、彼女がこの作戦以降に俺に接触してくるとは、楽観が過ぎる考えだ。彼女は一時的に俺の肩書を利用しているだけで、真実、俺の有用さを認めたわけではないのだろう。このままではきっと彼女は俺を忘れる。しかし、憎しみは違う。カトの脳裏には目障りな少佐のことが記憶されただろう。同量の好意と憎悪では、憎悪のほうがはるかに影響力強い。

しかし、現状で俺に取れる手段はない。作戦完遂のために頭に切り替える。

どこかで獣が遠吠えを挙げた、時刻は狼の旬、足元で蛇が横切る、夜に生きる生物たちが騒ぎ出す時間だ。

一般に蛮族たちは夜襲を好まない、暗夜に行動する危険性を知っているから。しかし、小部隊を撃破できる好機を活かそうとするかもしれない、見通せぬ木々の間から蛮族の先兵がいつ姿を現すか恐れと、そして微かな期待を抱く。この状況で蛮族が襲撃してくるのなら、それは一つの答えだ。あって欲しくない事態ではあるが、一切合切の回答を得たいという捨て鉢な欲望を否定はできない。

「あっ」コルシュが小声で呟いた「なんだろこれ、取れない」

「どうした」

 俺は聞き返す。

「うん、首にぶよぶよしたのついてる」

 コルシュの首元を覗くと、海鼠を裂いたかのような目のない生き物が白い肌に食いついている、山蛭だ。

「なんか痒くなってきた」

 コルシュが力づくで蛭を覗こうとしたので止めた。口の部分が残る恐れがある。

「待ってろ」俺は詠唱し人差し指に魔力を込めた、指先に熱が灯る。蛭に近づけると、熱を嫌ってころりと落ちる。俺はそれを掬い上げた。

「これがお前の首についていた」

 コルシュに見せると彼は感心した様子だった。

「森にはいろんな生き物がいるねえ」

 コルシュは俺の手から蛭を受け取るとそれを森の奥に投げ込んだ。

「ドルスス、薬はあるか、コルシュ上等兵の首に塗ってやれ」

 アルビウスはこちらを見ずに、傍らで死灰のごとく控えるドルススに命じた。

「はっ。コルシュ上等兵、こちらへ」

 コルシュは手招きされるまま、ドルススの元に近寄る。

 アルビウスが俺の側に寄ってきた。

「あの上等兵は随分呑気だな」

「申し訳ありません、小官の錬成不足で」

 気まずさを感じながら答えると彼女は首を振った。

「いや、気持ちは分かる。こんな世界に身を置いていると、癒しになる存在が欲しくなるもの……私も最初に従卒を選んだ際の視点はそれだよ。実際上の役割ではなく、側にいて落ち着ける存在を選んだ、少佐の身分ならそれが許されるだろう」だが、とアルビウスは続けた「階級を進めれば従卒に能力を要求しなくてはならなくなる。護衛として秘書として十分に働いてもらわねばな。私もそうなった」

「彼は最初の従卒ではないのです」

「いや、私の従卒はドルススだけだ。しかし教育した」アルビウスは微笑んだ、こんな優しい笑みが彼女にできたのかと驚く「お前もコルシュを従卒として使い続けるのであれば、どこかで十分な錬成を施さなければならないよ。覚悟しておくといい」

 アルビウスは一瞬黙ったが、また口を開いた。

「お前はなぜ軍人になったの」かすかに笑みを浮かべる「皇帝陛下に忠誠を尽くすため、などと杓子定規な回答はやめておくれ」

 俺はアルビウスの横顔を伺う、その表情は驚くほど無警戒だった。眼には力があり一心に前を見つめているが眉宇に濃い疲労の陰が漂っている。アルビウスは戦士としても一級であると聞いていたが、膝まで草が覆い茂る、暗夜の森林を行軍するのには不慣れなようだ。無理もない、将軍職にある者なら、兵士たちが整えた荒れ道を馬に乗って進むのが通常の行軍。このような足元の定かでない原野の探索行など将軍の仕事ではなかろう。俺も少しく疲れていたが、隣により疲れているものがいると、なぜか力が湧いた。

 彼女は俺から何かを聞き出したいというより、会話することで疲労をまぎらわせたいのだ。俺は気遣う気持ちになって答える。もちろん当たり障りのない範囲で。

「ヤマト属州は帝国内部に有力者を作ることを望んでいます。私は属州の選抜者として軍内での出世を目指すことを命じられました。よくある話です」

「ヤマト属州は若いからね。そんなことしなくても同化が進むうちに、帝国内で一定の勢力を作れるだろうけど、急く気持ちは理解するよ」

「中将はなぜ軍に」

「私は、私は」アルビウスは過去を眺めふける視線で言う「私が15歳になったとき、コルネリウス氏族には高級軍人がいなかった、二人将官がいたが一人は病死し、一人は暗殺されていた。だから軍人になるよう家長に命じられた」ため息をつく「お前と同じようなものだね、私の意思などどこにもなかった」

「しかし、中将は軍内で有能さを発揮されたのでしょう。37歳の若さで中将の階級まで進めるのは常人には無理です。ご尊敬申し上げます」

「苦労したんだ」

 その短い言葉には万感の思いが詰まっていた。

「お前は37歳の若さという、しかし、私としてはもう37歳だ。上官たちには春秋に富む身と評せられるが、年寄りの言葉など何の慰めにもならないよ。15歳の頃の私の計画では、高位貴族の婦人として三人ぐらいの子供を産み、窓から庭で遊ぶ我が子の姿を眺めている時候のはずだったんだ」

 こうしてアルビウスの顔立ちを眺めると、とても優し気な造りをしていることに今更ながら気づいた。目はたれ目勝ちで、首は白く細い。

俺は不意に得心した。

アルビウスの気だるげな雰囲気は、彼女が軍隊で身に着けた処世術なのだ。彼女の顔ではカトのように軍人らしい威厳を演出することができない。ために、全てを高みから見下ろすような超然とした態度をその代替として軍隊生活に適応した。

「しかし今更泣き言を吐いても仕方がないね。我々は母体の保護と援助を受けるが、身を粉にして母体に貢献しなければならない。我が氏族が吹っ飛べば、私も吹っ飛ぶ」

 そのとおりだ、俺はヤマトのために動いているが、ヤマトの援助がなければ帝国での活動はままならない。俺を昇進させるためにヤマトの有力者たちがどれだけ骨を折ったか、様々な口添えに多額の賄賂、有形無形の支援の下に俺の今の立場がある。ヤマトが吹っ飛べば俺も吹っ飛ぶ。

「帝国にも盤石であってもらわねば困る。我々の根幹は帝国臣民であることだからね。帝国なくてしてコルネリウス家の盛名もないよ。新皇帝陛下は……」

「閣下」

 いつの間にかドルススが脇に控えている。コルシュも俺の傍らに戻ってきた、その顔に疲れは見えない、15歳、盛りの季節は慣れぬ森林行軍をものともしないらしい。

「汗をお拭きします」

「ああ、頼む」

 ドルススは白い手巾を取り出し、歩き続けるアルビウスの顔を丁寧に拭く、アルビウスは母親に世話を焼かれる幼児のようにドルススのなすがままにされていた。

不意にドルススの目がこちらに向けられた、険しい視線だった。それが何を意味する眼なのか予想はつく。今聞いたことを他所では喋るなと言う警告の視線だ。

 俺は頷くとドルススの視線はアルビウスに戻った。

「どれぐらい歩いたかな」

 アルビウスが問うとドルススが答える。

「もう間もなく一時間経ちます」

「ではそろそろか、気を引き締めなければね」

 そういうとアルビウスは今度こそ黙り込んだ。

 俺はアルビウスの言葉を吟味していた。数日前にあったばかりの少佐に自分の思いの全てを打ち明けるわけもなかろうが、本心の一端は含まれる気がした。彼女にとって軍隊生活は望んだ道ではなく、ある種の戍役なのかもしれない。それでも、自分の母体である氏族のために勤めをこなさなければならない。氏族がふっとべば自分も吹っ飛ぶ。

 ドルススが会話に割り込んだたため、着地点は確かめられなかったが、アルビウスは新皇帝の統治の盤石であることを望んでいるようだ。確かに義兄が勢力を起こして新皇帝と対立などという事態になれば、それこそ帝国が吹っ飛ぶ恐れもある。

 世界帝国ルーム、国家の主権者である皇帝は世界の支配者だ。その名に瑕疵があってはならない。 

 だが現実は、「こうあるべき」からたびたび逸脱する。それは歴史の示すところだ。できればその当事者にはなりたくない……。

 二つの軍団に何かあったかもしれないなど、職責とはいえよく口に出せたものだ。ある意味でその恐れを現実視していからこそ発言出来たのだろう。だが、斥候部隊の未帰還が重なり、誰もが、この俺自身も、まさか、を考え始めている。

 今この瞬間に宿営地を目指す斥候部隊と遭遇できれば、少なくとも懸念の一つはなくなる。だが、斥候が帰還の最中ならばすでに遭遇していなければおかしい。何かがあったのだ、我々は何かを見定めるために歩く。

「斥候隊発見、死傷者多数」

 コルホスの先頭集団から叫び声が上がった。

 アルビウスはその叫びを聞いて駆け出した。我々もその背中を追う。見たくはないものを見るために。


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