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 第四話 安危を得ず

第十二軍の中佐が声を荒げる。

「中尉。高級将校の会議中だぞ」

「申し訳ありません。ですが至急報告したい件がございます」

中佐は舌打ちすると尊大な態度で中尉の側に寄り何事か小声で報告を受けた。報告を受けながら中佐はあからさまに体を硬直させて、報告し終えた中尉の頬を張った、よろめいた中尉に出て行けと大声で命じる。哀れな若手士官は目の覚めるような敬礼をした後、来た時より顔色を悪くして去って行った。中佐は小走りでアルビウスの背後に立つと耳打ちする。

アルビウスは報告を聞き終えると無感動に手を振った。彼女のつまらなそうな態度は自分の意に従わない事態が起こったことを意味するのだともう分かっていた。

「何かあったのか」

 カトが冷めた目で問いかける。

 中佐は逡巡した様子だったが、アルビウスが顎で報告するよう促した。

「北部方面に放っていた当軍団の斥候部隊20名が予定の時間を過ぎても帰隊していません……」

「どれぐらい遅れているのだ?」

「30分です……」

 室内がざわめく。第四軍団の大佐が椅子を倒す勢いで立ち上がった。怒りに顔を歪めて叫ぶ。

「なぜ報告が遅れた?」

「斥候の帰隊時刻はあくまで予定です。遅れることもあり得ます」

「しかし30分だぞ。それも小部隊、軍団の未着とは訳が違う」

 中佐は反撃に出た。

「たった30分です。大森林地帯の事、あり得ない話ではないでしょう。それこそ軍団の未着とは重要性が違う。通常の任務なら一時間未満の遅延ならば現場判断で待つことはまったくおかしくない」

「なぜ」カトは低い声で「今その報告が来た?」

 中佐はカトの迫力に気圧されつつ答えた。

「そ、曹長が中尉に報告を促したそうです。これは報告するべき事項だと」

「なるほど、軍隊で頼りになるのは下士官、一つの真理だな」カトの視線が第12軍団の将校たちを射抜いた「第12軍団は考えの足りない尉官を下士官が補う仕組みのようだ」

 部下を批判された第12軍団の将校は気色ばんだ。しかしアルビウスが溜息を吐いて片手をあげると、彼らは一様に押し黙った。

「痛烈な物言いだが御忠告として受け取っておくよ」

 軍団の遅延は佐官以上しか共有していない情報……だが、下士官の一人が、将校が頻々に会議室に集う様子から尋常ならざる事態が進行していることを薄々感じ取ったのではないか。それで経験の足りない中尉に上層部への報告を促した。

このような大規模な作戦で、斥候部隊が予定時刻を30分過ぎて帰隊していないことを現場責任者が上位者に報告するかは微妙なところだ。暗夜の大森林ならなおさら、中佐の言ったように斥候の到着を現場判断でもう少し待つというのは十分理解できる判断だ。

カトの批判はいささか厳しいものだが、事実、第12軍団は失態を犯した。第12軍の将校も飲み込むしかない。

しかし、優位に立ったことに気を良くしたのか第4軍団の中佐が呟くように言う。

「斥候部隊の監督すらできないとは、第12軍団が今回の任に耐えられるか、疑わしいものだ」

 俺は一瞬眩暈のようなものを感じた。それは、明らかに行き過ぎた批判だった。第12軍団の将校は目を剥き、そして発言をした中佐は気づいていないが、カトも彼に冷たい視線を送っている。政治というものが分からんのか、馬鹿め、と、

 第12軍団の大佐が立ち上がる、あきらかに冷静さを欠いた彼は、

「こちらの練度不足を言われるが、もし、斥候部隊が襲撃を受けたのなら、責任を問われるのは第12軍団だ」彼はカトから顔を背けて言う「この地域の敵対勢力は平定済みだと中央に報告していたではないか」

 酷いことになってきた。お互いに形だけでも払うべき礼儀を忘れつつある。

 今度は中佐がいきり立った。

「自分たちの練度不足を棚に上げて、こちらに責任を押し付けようと言うのですか」

「貴様こそ、斥候部隊の未帰隊が蛮族の襲撃によるものならどう責任を取るつもりだ。この土地の勢力は反抗する意思がないとして、貢物を受け取るだけで済ませていたのは第四軍団の判断だ」

 俺はこの先に待ち受ける展開を予期して焦燥を覚えた。この口論が向かう先は、この地域の蛮族への対応に関する最終判断者、カト中将への個人攻撃だ、それは両軍団の対立を決定的にする。それにまだ未帰隊の理由は判明していない、蛮族の襲撃という原因を仮定して12軍団を攻撃するのは大佐の立場を悪くするものだろう。俺はカトと大佐を守るという義務に駆られて立ち上がった。

「お待ちください。第四軍団及び地方総督の統治は、元老院及び参謀本部に承認されたものです。第四軍団が非難されるには当たりません」

 大佐の目が輝く、獲物を見つけた色だった。

「少佐、中央で全てが判断できるのであれば地方軍団に将校など必要ない。第12軍団の将校はそれが適切な処置であると中央に報告し、ために元老院と参謀本部はそれを信じて承認したのだ。だが、結果はどうか……」

 大佐は第四軍団の判断の甘さをなお言い募った。

 しまった……俺は自分の犯した失態を理解して絶望的な気分に陥った。大佐は、どちらの軍団にも属さず、階級も低い俺に対してはどんなことも言えた、俺は彼の歯止めを失わせたのだ。大佐は俺に反論するという体で、第四軍の判断を批判する。俺は守ろうとしたものに足を掴まれて一緒に奈落に落ちて行こうとしている……。

 アルビウスがこちらを見て微かに微笑んだ。俺が第12軍団に貢献した、けして意図したものではないが、しかし貢献したことを認め、褒美を与えるかのような笑みだった。

 カトはほのかに残忍性を湛えた瞳でこちらを見ている。お前は私の敵か? そう問うている。

 胃がせりあがるのを感じる。論争から距離を取って身の安全を計っていたのに、つまらぬ義務感から進言してこの始末だ。いま俺の立ち位置は第12軍団に確実に近づいている。それはつまり、第4軍団、カトを敵にする行為だ。冗談ではない。

「よろしいか」俺を救い上げたのは、やはりエンヴィルだった「斥候部隊の未帰隊についての原因はまだ不明です。その原因を仮定して第4軍団を非難するのは意味がない」

「その通りだ、大佐は第12軍団の失態を糊塗しようとしている」

第4軍団の中佐が大声を張り上げるエンヴィルからの援護を得られたと思って。

エンヴィルは彼にも炯眼を向けた。

「しかし、斥候の帰隊を練度不足とする判断も今の時点では早計だ、それを軍団の任務実行能力につなげるのはなおさら。まず貴官の発言に問題がある」

 等しく批判された大佐と中佐は黙り込んだ。

 天幕に居並んだ将校がエンヴィルを見る目は、明らかに先の会議と違っていた。油断ならぬ敵として観察する視線がエンヴィルに注がれる。エンヴィルはその視線を受けて一向にたじろがない。

 故事によればアナトリアは悪竜が支配していた。この女はその血を引いているのではないか。

「各々方、一度落ち着かれてはいかがか」

 彼女は冷徹に裁定を下した。

 カトが頷いた。

「エンヴィル少佐の言を認める」話を戻そうとする「諸君、どのような策を取るべきと考える? 率直に言ってくれ」

 率直に言ってくれ、がカトの口癖なのか。その背後にあるものを察して神経を逆撫でされた思いがした。

 少し焦った様子で第12軍団の少佐が口を開いた。

「早急に探索部隊を派遣します。当軍団の第7コホルスが待機中です。これに命令します」

「いや」第四軍の大佐が立ち上がる「措置には同意するが当軍団の部隊を派遣するのが良いと思う。もともとこの地域を管轄していたのは当軍団だ。地形や植生にも詳しい。夜間の行軍であれば、この土地に慣れた兵士を派遣した方がいいだろう」

「そもそも」カトが畳みかける「第12軍から斥候部隊を出させたのは私の判断の誤りかもしれぬ。土地勘のある我々の軍団ですべて賄うべきだった。そこは謝罪しよう」

 カトが頭を下げようとするのをアルビウスが遮った。

「斥候任務に遅滞があったのはこちらの誤り、謝罪されることではない」顔が引きつっている「カト中将、その頭を下げたら私は侮辱をされたと受け取るだろうよ」

 カトの謝罪は我が身の不明を恥じているわけではない、アルビウス中将には斥候部隊を錬成できる程の指導力はない、だが、私はそれを寛容に受け入れようと言っているだけだ、つまりアルビウスを取るに足らない小娘扱いしている。中佐のようなあからさまな言動でではなく、婉曲的に相手を侮辱する方法をカトは知っている。

 先の会議でも感じたことだが、同輩、この場合はカトに下位者として扱われることがアルビウスに許容できない一線らしい。その瞬間、彼女の冷徹な仮面は一瞬剥がれ落ちる。

 誇りか、この天幕にいる誰も彼もがそれに縛られる、俺もそのうちの一人、例外は……。

 俺はエンヴィルを盗み見た。紅い瞳で事の成り行きを見守っている。証人たちの証言に耳を傾ける裁きの司だ。

「そうか、ではアルビウス中将の寛大な心遣いに感謝して、頭を下げるのはやめておこうか」

 カトは何事もなかったかのように頭を戻した。彼はきっとこの場での局地的勝利を確信しほくそ笑んでいる。下級貴族の身分で中将まで階梯を進めた彼は若年のアルビウスより政治力において上を行く。徐々にそのことが明らかになりつつあった。

 俺は心を落ち着かせて、政治ではなく戦術を考えた。

斥候部隊の探索に第四軍団を使うというのは戦術的に正当性がある。軍団の名前が示す通り彼らの管轄はここゲルマニアだ。夜間の探索ならば土地勘のある部隊の方がいい。

 アルビウスはうすく頬を歪ませた。負け惜しみの笑みだ。

「大佐の進言を受け入れよう。探索部隊はそちらの軍団から抽出するように」カトのとは言わない「しかし」一言付け加える。ただでは引き下がれない「探索部隊には私と私の親衛隊も同道する」

 その言葉に最も驚いたのは第12軍団の将校たちだった。アルビウスの副官が彼女に何か言おうとするが、鬱陶しそうに手を払われる。

 カトが眉を寄せる。

「中将自らかね? それは危険ではないか」

「危険? 貴方のコホルスでは私の身の安全を保障できないのかな……であるならば私のコホルスを派遣したいが」

 負け惜しみではない、これは見事な逆襲だ。アルビウスの同道を断れば、カトの部隊は任に耐えないとされ、第12軍団の部隊が派遣される。同意すれば彼女は探索部隊を管理下における。直属の上司ではないと言え、中将からの命令を断るのは難しい。それに軍団長は任期制なのだ、いずれアルビウスが自分たちの軍団長として君臨する可能性もある、彼女に睨まれたくはないだろう。

 だが、この提案は賭けだ。実際問題として暗夜の森林でアルビウスの安全の確証などない。

「我が部隊の練度は私が保証する」カトは難しい顔をしていた「それでも、万が一があり得る、それは軍人であれば分かっているはずだ」アルビウスを見つめる「それでも、どうしてもと言うのなら、貴方の責任で同道すればいい、私にはそれを止める手段はない。軍団長の独立性は参謀本部にも支持されているのだから」

 弾かれたようにアルビウスが立ち上がり叫んだ。

「私の親衛隊は探索の装備を整えて広場の北面に集合しろ。部下たちを見つけ出す」

 カトは落ち着いていた。

「歩兵大佐、第2コホルスに出動命令を出せ、任務は帰隊していない斥候部隊の探索。万事よろしく頼む」

 慌ただしくなった天幕で考える。斥候部隊の帰隊が30分遅れた程度で随分話が大きくなってしまった。軍団長の二人にはもう少し待つという選択肢もあった。いや、これが二人の主導権争いでなければ間違いなくそれで合意していたはずだ。

 だが、この判断が間違いでもあるまい。軍団未着、斥候部隊の未帰還、どちらも合理的に説明がつく事態だとしても二つ重なった以上、万が一を警戒するのは正しい。斥候部隊の探索という手近な任務から当たるのは状況の打破にもつながるかもしれない。

「ハヤシ少佐」アルビウスがこちらを振り向く「お前もついてこい」

「小官がでありますか」俺は驚いて立ち上がった「小官、小官は……」

 俺は何を言うべきか迷った。中将の指名なのだ、参謀本部勤務とは言え、断るには理由がいる、理屈に合わない返答をすれば彼女の不興を買うだろう。

 俺は、最初にエンヴィル、次にカトの顔を見たが、彼らはこちらを見ようともしなかった。

 もし俺がすでにカトから敵と判断されているのならば、アルビウスに縋るしかない。エンヴィルは俺を助けないだろう、彼女に無能な少佐を助ける義務はない。

「……分かりました、お供いたします」

 俺が応えるとアルビウスは満足げに頷いた。

 第12軍団の将校たちが天幕を出ていくのを追いかけようとすると、誰かに肩を掴まれた。振り向くとエンヴィルが立っている、俺が何を言うか迷っていると、彼女は笑みを浮かべた。ぞっとするほど色気の立つ妖艶な笑みだった。

 彼女は俺に耳元に顔を寄せ、小声で言った。

「アルビウスのケツに惚れたか? 能無し」

 威儀を正した彼女は立ち尽くす俺に冷たい目を向けた。

「自分の発言がどういう事態を引き起こすか計算できないなら、最初から黙ってろ」

 固まる俺の横を通り過ぎる。長い銀髪の残影がいつまでも俺の目に残った。


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