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第三話 安堵を得ず

「予定の時刻になったため、第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着への対応を協議する。活発な議論を期待したい」

 カト中将が先の会議より若干柔らかい声音で告げた。アルビウスは深々と椅子に身を沈め、手を組んで黙っている。天幕はカトの好みのか、涼しさを通り越し少し肌寒かった。

 第12軍団の参謀大佐が立ち上がる。

「当軍団は、偵察と伝令を派遣したうえで待機を主張する。軍団という大集団が数日遅延することに異常とは言えない。向こうが伝令を派遣していたとしても大森林の事、こちらに無事到着するという保証もない」ちらとアルビウスを見て続ける「作戦参謀少佐は、皇帝陛下の御親征という特異な事態に影響を受け、神経質になっているのではないか」

 アルビウス派閥は第2案を明確に否定する方針を打ち出すようだ。特に意見はない。こちらとて本気で2軍団が全滅したなどと唱えているわけではないのだ。あくまで、最悪の事態を想起しそれを指摘しておくことで、俺に責任がないことを明確にしたに過ぎない。ただ、カトが言ったように口に出すのが早すぎた懸念はある。撤退論への反発から思考が硬直化する危険……だが、そこまで考えるのは少佐の職務ではない。何かあるならエンヴィルが補足すればいい。

 自分の天幕での敗北の余韻か、俺は逆に大胆な気分に陥っていた。まずい兆候だ、分かっていてもどうにもならなかった。

 俺が黙っていると、満足したように大佐は「異議のある方は」と結んだ。

 第四軍の参謀中佐が立ち上がる。

「当軍団としては、参謀作戦少佐の意見には耳を傾けるべき点があると考える。皇帝陛下の御親征であれば軍団合流の遅延は軍団を率いている両大将も避けたいはず。念のため、こちらからそれぞれの軍団に向けて一個コホルスを派遣し、積極的な軍団の探索を行いたい」

 中佐が発言を終えて座ると両陣営それぞれ身内の者と小声で話し合った。俺はエンヴィル中佐と相談するべきかと彼女を見たが、彼女は固く腕を組みこちらを見ようともしない。

 第12軍団の将校が立ち上がる。

「合計2個コホルスを派遣するというのは行き過ぎた措置ではないか。コホルスと軍団が行違う恐れもある。その場合、この先の戦いの戦力を減じたという結果だけが残る」

 すかさず別の将校が立ち上がった。

「最悪の事態に備えるならば、二個コホルスの派遣は許容範囲内だ。小部隊の伝令を放つより接触の可能性も高い。コホルス派遣こそが適切な措置と考える」

 俺は考えた。通常、軍団は六個のコホルスと二個のアウクシリアから成る。しかし、第四、第十二軍団は増強軍団なので八個のコホルスと三個のアウクシリアから形成されていた。確かにそれぞれ一個コルホスの派遣であれば許容範囲内かもしれない。しかし、それほどの措置を取るべき事態かは疑念が残る。

 二派はお互いの案の妥当性について活発に主張し始めた。誰彼の手振り身振りに合わせ、甲冑が擦れ合う金属音が響く。カトとアルビウスはその様子を表情を変えず眺めている。

大まかな方針では一致しているというのに細部をめぐって争い主導権の把握を目指す。俺の無謀な意気はたちまち消沈し、政治的動物たちの争いに巻き込まれないよう息をひそめた。

お互いの口調が激しさを増してきたところで、カトがゆっくりと片手をあげた。天幕が沈まる。

「第12軍団将校の同意は得られないようだが、私もコホルスの派遣が良いと思う。できれば第12軍団からもコホルスを抽出して欲しかったが、我が軍団から二個コホルス派遣しよう」

 第四軍団の将校は頷き、第12軍団の将校はざわめく。

 アルビウスがカトに老人を労わる声で言う。

「カト中将、私はコホルス派遣について反対だよ。今後の作戦に差し支える恐れがある。我々はそのことについて議論していたはず、一人で結論を出すのは感心しない」

「勘違いしないで欲しいのだが」カトは落ち着いた態度で答えた「我々は合意に達する必要はない。それぞれ独立した軍団長なのだから。私は貴方の命令を聞く立場じゃない」

 アルビウスはじっとカトを凝視する。口を開きかける。

「参謀本部としては」

 急に聞きなれない声が天幕に響いた。声の源を探す視線が交差する。

「各軍団長の独立性を支持します」

 エンヴィルが抑制の効いた声で宣言した。彼女は一分の隙も無く、法官のように居並ぶ将校に対峙していた。

 二人の軍団長はこの瞬間、少しだけ、付けていた仮面の下から真の表情を覗かせた。カトはエンヴィルを疎ましげに見ていた、その顔を見て気づく。彼は次の会話で俺に同意を求めるつもりだったのか。

 アルビウスはエンヴィルという人間がその真実の一端を晒したことに、喜悦を感じているようだった、口の端が吊り上がる。

 俺はエンヴィルとの格の違いを感じていた。こいつは物が違う。どうせならもっと早くその能力を見せつけてほしかった。そうであれば俺は自分の天幕であんな醜態をさらすことはなかったのだ。

 アルビウスは微かに笑いながら呟く。

「参謀本部としては我らの独立性を認めてくださるそうだよ。でもそれは我らの行動に合意したという事ではない。責任は決断した軍団長一人にある。例え、貴方がハヤシ少佐から個人的な同意を得たとしてもね」

 間抜けな作戦参謀少佐の同意にはもはや何の価値もないことを彼女は公にした。屈辱ではあるのだが、それは俺が危地を脱したことを意味する。エンヴィルの発言はそのためのものか、あるいは俺のことなど最初から眼中にないのか。

 カトは黙っていた。自分の案の保険であった作戦参謀少佐からの同意が無効化されたためか。第4軍軍団の将校は自分たちの主に視線を注いでいる。

「私は」カトが口を開く「ハヤシ少佐を有能な作戦参謀少佐だと認識している。だが、あくまで彼の意見は参考であって、責任を分散するものではない」彼は俺に笑いかけた、俺はその笑みに本能的な嫌悪感を抱いた「ハヤシ少佐、貴官はどう考える? 責任はすべて私にあるものと思って、率直に言ってくれ」

 あるいはここが分水嶺か。俺は意識してアルビウスのように余裕のある体で立ち上がった。

「整理しましょう。二個コホルスの派遣。少数の伝令兵を送るよりも安全で軍団に接触あるいは情報収集できる可能性が高い。しかし軍団とすれ違う恐れや森林で迷う恐れもある。そうなれば単純な戦力の減です。では少数の斥候、伝令を送るのはどうか。こちらの軍団の戦力は減りませんが、不測の事態に対応できないかもしれない」

「ふむ、それでどちらがいいと思う」

 カトが好々爺の顔で。

「はっ」俺は敬礼した「小官においては両案の利点と問題点を整理することしかできません。また、これは先の会議の第一案を前提にしたものですが、第二案、第三を含め、判断については実践経験のある高級将校の方々にお任せいたします」

「それでも、どれかいいかぐらいは考えがあるだろう」

 カトは諦めない。

「小官個人としては」また、エンヴィルが口を開く「コホルスの派遣も、伝令の派遣も必要ないかと思います。現状のまま待機、軍団合流を待つ」

「それは中佐、見込みが甘いのではないかね」

「失礼しました。歴戦の猛者である中将ほどの見識がありませんので」

 カトの笑顔にひびが入り、額に血管が浮かび彼の本性と思われる激しやすい性格を覗かせていた。

俺はエンヴィルの胆力に唖然とした。この女は竜の肝を持っている。

 エンヴィルは参謀本部としてではなく、個人として意見を述べたのだ。その意見がどれほど的を射ていようと、あるいは的外れであろうと、そしてこの場合、的外れもいい所なのだが、彼女は軍団の意志決定の責任を負わない。その意見を無視しようと受け入れようと、自分に、もっと言えば、参謀本部から派遣された我々に責任が及ぶことはないと言い切っていた。

 エンヴィルはわざと両軍団長に採用されないような劣悪な案を出した、徹底的に責任を回避するために。彼女は他者に無能と思われることを厭わないようだ。いや、人はその態度にこそ、この人物は有能であるとの印象を抱くのかもしれない。佯愚とは時として上智と聞くがこれは正に典型だろう。

 だが、俺にその手は取れない、ヤマト属州の出身者は無能だなどという風評が流すわけにはいかないのだ。高級将校たちを見回して、

「確認します。細部は一度置くとして、大筋では第一案で合意ということでよろしいですね」

 将校たちが顔を見合わせ、静かに囁き合っている。

とにかく、両軍団共に第一案で合意するという事実が明瞭に示されていないのが、紛糾の一因なのだ。まずそこをはっきりさせなければ。

「ああ、異議はない」

アルビウスは楽し気に応えた。

カトは険しい顔つきで黙っていた、考えているのだろう、己の利益、軍団の利益、敵、すなわちアルビウスの利益、そして俺の利用方法について。だが彼も第一案の確定には同意するだろう。俺はかすかな安堵を覚えようとしていた。そんな緩んだ俺の頭に叫ぶ声が響く。

「失礼いたします!」

中尉の階級章を付けた青い顔色の若者が天幕の入り口に立っていた。


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