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 第一話 議論を得ず

 序文 奴は本当に裏切り者か

 

 

 

暑い……。

大天幕のどこかで誰かかすれた声で呟いた。口にするつもりはなかったが、思わず喉から出てしまったという声音だった。

第四軍団長はそれを耳にしてあからさまに顔を歪めて舌打ちした。

確かに暑いのは事実だが、それを口にしてもどうしようもあるまい。俺は懐から手巾を取り出し額の汗を拭った。

季節は夏、北部の霧立ち込める森林地帯に切り開いた広場に張った大天幕、我々は甲冑を身に纏っている、それは暑いとも。

「おい、魔術師。もう少し涼しくできんか。若輩者にこの暑さは厳しいようだ」

 第四軍団長が若手に責任を転嫁して魔術師に命じる。

「はっ……」

 団長の背後に控える魔術師が応えると、別の者がさっと手をあげた。

「待て、魔術師。私は魔術で作った風が好きではない。このままでいい」

 その言葉に、室内が張り詰める。魔術師は身を固くして目をかっと見開いている。

「何をしている、魔術師。さっさと冷風を作れ」

「軍団長が止めろと言った。三度は言わないよ」

 大理石の天板が張られた長机を囲んで座る二人はゆっくりと顔を見合わせた。室内の誰もが二人の挙動を見守っている。両軍団の将校と、天幕の内縁に配置され照明を作り出す魔術師達が息をひそめる。皆が、両団長の間に挟まれたのが自分ではなくてよかったと胸をなでおろしながら。

「私の命令に文句があるのかな」

 第四軍団長は怒気を隠しながら。しかし背後にそれがあるのは隠していない、むしろそれを相手に主張している。

「私は貴方の命令を聞く立場じゃないからね。我々は共に帝国中将だ」

 第十二軍団長はそれを無視して、無視することで侮辱して。

 二人はしばらく見つめ合い、

「しかし中将になったのは私が先だ。軍務も長い」

「貴方の言を認める。しかし、それで何が変わるのだろう。私は軍団長及び帝国中将としての権利を主張する。だが、もし『お願い』をされたのなら、先達に敬意を表し譲歩するのもやぶさかではない」

「じゃあお願いしようではないか」第四軍団長は声を張り上げた。「ユーリア・コルネリウス・アルビウス中将。帷幕の弱卒どものために魔術師に冷風を送らせることを許可していただきたい」

 逡巡するかと思ったが意外だ。この決断の速さは将官として美点ではある。

 堂々と第四軍団長に頼まれた彼女は少しつまらなそうな顔をしていた。第四軍団長は少しもひるんだ様に見えず、彼女が主導権を取りそこなったのは傍目にも明らかだった。

「ええ、頼まれたのなら否とは言わない。グナエウス・グロウメルス・カト中将。魔術師、第四軍団長の良いように」

 魔術師はほっとした様子で一つ咳払いすると、杖を持って詠唱を始めようとした。しかし、それは鈍く響く金属音に邪魔をされた。

 天幕の奧に設置された機械式の時計が、八回鐘を鳴らす。時刻は二十時を回った。

 再び、室内に沈黙が満ちる。

 気がつけば俺と同じく参謀本部からこの陣に派遣された上官がこちらに鋭い視線を送っている。お前が口火を切れ、と。

 予想外のことになってきた……しかし上官の期するところをなさなければ未来はない。俺の未来も、ヤマト属州の未来も。

 俺はゆっくりと立ち上がった。期待と恐れが入り混じった視線が俺を指す。汗が額を伝う、単純に暑いからだ。そう自分に言い聞かせる。

「合流予定時刻を二十四時間過ぎましたが第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが到着していません。考慮が必要な事態と愚考します」

 俺が口を閉ざすと再び沈黙の帳が降りる。

 それを破って、第四軍麾下、逞しい体躯の騎兵大佐が声をあげた。

「まだ一日の遅延だ。大軍の行軍であればおかしくない」。

「はい、大佐。確かに、ただの遅延かもしれません。しかし、憂慮するべき点が三点あります。一つは遅延を伝える伝令が来陣してないこと。一つは、到着していない軍団が一つでなく二つであること。もう一つ、さらに大きな点として、この陣にはやがて総軍の指揮を取るためこの世界で最も偉大なお方が訪れる予定になっていること。万が一でも皇帝陛下より遅れるような不始末をお二人の軍団長がご自分に許すでしょうか」

 俺より遥かに権力を持つ人々が俺を睨んでいる。特に威のある瞳はやはり二人の軍団長だ。彼らに比べれば他の将校は背景に過ぎない。

 グナエウス・グロウメルス・カト中将。下級貴族出身、人生の殆どを軍隊で過ごし、血を吐くような、いやいや、血を吐いて、将校の地位に達した。小柄だが顔は厳つく声が大きい、理想的な軍人、部下にも恐れられながら慕われている。

 ユーリア・コルネリウス・アルビウス中将。高位貴族出身、血をかけ合わせながら更に優秀な者を作るのが貴族主義なら彼女はその傑作の一つだ。用意された舞台で期待された以上の実績を残し高級将校の路を駆けあがった。気怠そうな手ぶりや喋り方は、物事を高みから見ているように人々に思わせる。

 アルビウスが宙を見据えて呟く。

「逆にこの遅滞を論理的に説明できる要素は?」

「はい、中将閣下、二点あります。現在森林地帯は雨期であり、河川の氾濫や土砂崩れなどが生じている恐れがあります、その場合、通路の復旧もしくは迂回経路を通るため数日程度の遅滞があり得ます。もう一つは、この戦争計画が急速に進められたために不備があり、順調な進軍でも想定していた以上の日数がかかるものであったというものです。しかしいずれの場合でも伝令兵が来ていないのは説明できない」

 俺はよどみなく答えた。もっともこの程度のことが分からないのでは帝国中将は務まらない。言わばこれは大天幕に居並んだ将校たちが現状を確認するために儀式なのだ。

 しかし、それでも聞きたくない言葉というのはあろうよ。それを口にする者は正しくても憎まれる。

「作戦参謀少佐。貴官の意見は」

 カトが試すように問いかけてくる。

 ああ、ここで「では貴方と同じく模様眺めで」なんて答えられたら胸がすくだろう。

 しかしそれが許されるような立場ではない、そもそも俺自身が俺の能力を裏切り無能に堕することを許さない。

「選択肢は三つあるかと思われます。一つ、斥候と伝令を派遣したうえで軍団の合流を待つ。二つの軍団の遅れがただの遅れであれば、それで万事片付きます。二つ目は、軍団の合流遅延が計画的な帝国への反抗により生じたと仮定した場合です。伝令も送れない事態に二軍団が陥ったとすれば、敵の攻勢は著しく激しいことを意味します。最悪の場合、二軍団はすでにこの世から消失している。敵の次の目標は我々です。早急にこの無防備な合流地点から軍を引き上げ、こちらに向かっている禁軍と合流の上、後背地の要塞都市へ引き上げる必要があります」

 何名かが身を乗り出して何か言おうとしたので、俺は手で制して続けた。

「三つめは、現在の状況を皇帝陛下と総司令官に早馬で連絡して下知を待つ。しかし、こちらに向かっているとは言え、まだ距離を隔てた方に意思決定を委ねるのです。刻一刻と変化する戦場において、情報伝達の遅れが致命的な事態を招かないか……。小官からは以上です、他に意見のある方は」

 第四軍団の歩兵大佐が立ち上がった。

「撤退案? 貴官はこの戦を何だと思っている。新皇帝陛下の御親征にして初陣だぞ。勝利だ、この戦いの結末は勝利以外にはあり得ない」

 アルビウスが続けた。

「それも圧倒的な勝利だ。新皇帝陛下の即位に箔をつけるような」

 大天幕に同調する意思が満ちる。確かにその通りだ。この戦争は最初から圧倒的な勝利を予定された戦争だった。敵の蛮族、ウェイイ族はそのためにいままで生存を許されていたと言ってもいい。いつか新皇帝が即位したとき、その初陣の戦果となるために、彼らは見逃されてきたのだ。

「勘違いなさらないで頂きたいのですが」俺は歩兵大佐を見つめる。「小官は、第二案が正しいと言っていません。軍団の遅延はやはりただの遅延かもしれません。その可能性は十分にあるでしょう。ただ職責として最悪の場合を述べる必要が小官にはあります。ご了解の程を」

 カトが机を叩いた。その衝撃で禿頭にわずかに残ったもみあげを伝って雫が落ちる。

「職責を果たす、大いに結構。しかし想像の翼をたくましゅうしすぎではないか、少佐。まだ一日しか遅延していない状況では撤退論など論外だ。無論、一つの意見でしかないことは理解するが、士気を考えれば口に出すには早い推論だ」

「はっ、失礼しました」

 深々と頭を下げた。実際、俺とてここで頑張るほどの根拠などないのだ。最終決定権がないからこその発言であるのは十分に承知している。

 第二案は二軍団の敗北を前提にしたもの、十分な証拠がないのにこれを受け入れる方がどうかしている。俺が両軍団長の立場でもこの状況で撤退はしないだろう。もっとも根拠を手にした時には黄泉路を、いや、帝国式に言えば忘却の河を渡っているかもしれないが。

「……では、第三案はどうでしょう?」

 誰かが口を開くと、アルビウスとカトは同時に叫んだ。

「それこそ論外」

「貴様、両軍団長の顔に泥を塗る気か」

 二人は第二案を批判している時には見せなかった憤激をもって応えた。

 第三案こそ両軍団長がもっとも忌避する提案であることは分かっていた。何しろ第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスの軍団長は帝国大将なのだから。

 多少の遅延があっても皇帝禁軍が参陣するまでに軍団が合流できていれば何も問題はない。将軍たちは口裏を合わせて予定通り合流したと皇帝陛下に申し上げて、褒美の言葉でも貰うだろう。しかし、二軍団長が予定時刻を超過しているとわざわざ皇帝陛下や総司令官に告げるのは、それがただの遅延で、軍団が翌朝にも合流しうるのであれば、無用な恨みを買うだけの行為だ、それも自分より高位の将軍から。熟練の組織人である彼らがそんな選択肢を取るはずがない。

 そもそもこの戦いに参加する将校は例外なく昇進を約束されていたはずだった、新皇帝の初陣の勝利を祝って。上層部も昇進させたい将校を選んでこの戦いに推薦している。

 ここで失態を報告されればその約束された昇進がなくなるどころか、処分を受ける恐れさえある。二人の帝国大将だけでなくその派閥の者からも憎悪される。

 だが、万が一、二軍団が窮地に陥っているのであれば、彼らを救えるのはこの選択肢だけだ。

 考え過ぎだろうか。確かにそうかもしれない。広大な版図を誇る我が帝国は人的資源の宝庫だ。本地や属州から選りすぐられた数多の有能な人材が容赦なく使い潰される。武官などその最たるものだろう? そのような環境下で帝国正規軍の将校に上り詰めたものはこの上なく優秀だ。軍団長にして帝国大将を案じるなど一介の少佐には過ぎた行為か。

 ふと誰かが何かを呟いているのが耳に届いた。他の者たちも気づいたようで周囲を窺っている。そして皆が声の主に視線を集中させた。

 声の主はそれに気がつくと、詠唱をやめた。

「あの、冷風を送れと命令されたので」

 隣の者が唾を飲む音さえ聞こえそうな静寂。

「……ああ、そうだったな。魔術師、続けてくれ」

 カトは呆れたように手を振った。そして続ける。

「一部大袈裟な言動があったように思うが、考慮が必要な事態だというハヤシ少佐の言は正しい。議論しなければならない。しかし各自考えをまとめる時間が必要だろう」

 カトが一拍置いたのを見計らってアルビウスが言葉を挟む。

「では、一時間与える。一時間後大天幕に集合し方針を決定する」

 アルビウスはカトに向き直った。

「よろしいか、カト中将」

「いいとも、アルビウス中将」

 カトは鷹揚にうなずく。それはまるで部下の進言を受け入れるような態度だった。アルビウスの顔が引きつる。

「第四軍団の将校はこの天幕に残れ」

「私の麾下の者は、私の大天幕に来い」

 将校たちが立ち上がって、第四軍団の者はカト中将の周りに集まり、それ以外の者は天幕から出ていく。

 俺は自分が手を握りしめていたことに気づいた。拳はじんわりと湿っていた。


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