②家族
転生から約八月、少しずつ自分が置かれた状況を受け入れた俺は、とある事実に気づいた。
この家、物凄くお金持ちであること。
アタリ!である。
貴族の屋敷というものは、前世でも一度も目にかかることがなかった。
そもそも俺はああいったものに欠片も興味がない。
たとえスマホやテレビのなかでヨーロッパの宮殿風貌が映したとしても、俺は関心なんてまったく持たないし。むしろ家賃4万円や5万円のアパート紹介動画のほうが、はるかに有意義でした。
でも今生は違った。
近代に思える文明に、現代とほぼ変わらないふかふかなベッドと、色ガラスつきの窓、金属製のドアに加え、緑盛る美しい庭園。
しかしそれらを圧倒するような発明が部屋にあった。
それこそ現代の象徴である世紀の発明——水洗式トイレの存在だった。
もし本当の原始社会に転生したなら、俺はきっと絶望と失意の末、うんこをしながら虫たちと仲良くしなくてはならないのだろう。
その点で見れば、この世界は実に素晴らしい。
いや、世界がそうであるかは知らんが、俺はこの家に十二分満足した。
昔どっかで谷崎とやらが水洗式トイレをうんぬんかんぬんと批判したけれど、
便利さに脳が溶けた現代人である俺は、心底理解できない。
いい、実に良い、水洗式トイレ!
うん、決めた、俺はもう誰が何を言おうが、この家からは出ないぞ。
ニート王に、俺はなるのだ!
母が腹を下してトイレに籠って十分は経った頃、ようやく水が流れる音と共にドアが開いた。
蒼白い顔でお腹を押さえる母の姿からは、微塵もファンタジーの麗しさがなかった。
腹下した人にそんなもの求めても酷だしね。
母は溜め息をしながら、ベッドのほうに近づいてきた。
「やー」俺はトイレに指差して、興味を示す仕草をする。
「どうしたの、シュヴィちゃん?」
弱々しい声を発しながら、俺を抱き上げる母、鼻につく香水のにおい。
恐らく意思疎通は当分できなさそう、俺はニートを志に、口で彼女の乳首を覆い包む。
七月から母乳があまり出ないせいで、俺は離乳食を食べはじめた。
だから乳首を咥えても何もない。けど気持ちいいから、暇さえあれば咥えちゃう。
おっと、変態だと言うなし、俺の体は紛れもない女児ぜ!
まあ気持ちいいと言うのも変な意味じゃない、なぜか落ち着くのだ。
「マー」
「ええ、ママよ。ママはね、ちょっと気分が悪いから、お口、離してくれる?」
優しく冷たく俺の癒しを奪おうとする母。おお悲しかな、腹を下した母はなんと冷たいかな!
理解できるけども。俺は大人しく口を離し、静かにまたトイレに目をやる。
「賢い娘だね、じゃあ、もうちょっと、、、ママを、待っー」
グルグルと母のお腹が叫んだ。蒼白い彼女の顔は、いよいよ髪色と同化するほどに至った。
母は俺をまたベットに置き、トイレへ駆け込んだ。
素晴らしきかな、水洗(以下略)!
じっと周りを観察して、ちょっと眠気が出てきた。
ちょうどその頃でした、鉄の扉が開いた。ひとりのぶっとい中年のおじさんが入って来た。
禿げとる。それはそれはお見事なスキンヘッドである。
鋭い目付きとぶよぶよしたお腹、そこそこの身長に、白混じりのヤギひげ。
一言で言えば「オッサン」、それもかなり冴えないタイプのやつ。
恐らく血縁上は、父である。
なぜこう言うと言えば、母からの呼び方が奇妙だからです。
ーー「シルヴァー候様」と。
普通夫婦の間、そんな呼び方する?しないよね?
八月も経った今、俺は三度しかオッサンとは会っていない。
でも毎回お二人のお盛んなところを見られるので、実親であることは確かだがね。
もしかして母って、オッサンの妾的な存在かな。
まあ、どうでもいいけど。
俺は軽くあくびをし、そのリッパなヤギひげを見つめた。
オッサンは俺に目もくれず、部屋を軽く見渡すと、また帰っていった。
なんだろうね