顔合わせ
「ただいまー!」
「あら、いらっしゃーい。どうぞ、上がってぇー」
「っす……」
――ついにこの日が来たか、いや、来てしまったか……。
とある一軒家の居間で、耳をそばだてる父親はため息をついた。
今日は、娘が結婚相手を連れてくる日なのだ。いや、結婚するかどうかはまだ決まっていない。こちらが認めるかどうかにかかっている……。と、胡坐をかいている父親は膝を手で押さえるが、貧乏ゆすりは止まらない。
……ああ、わかっている。結婚することはすでに決まったようなものだ。結局、親がどうこう言っても結婚するか否かは二人が決めること。これはただの通過儀礼。そもそも、なかなかに頑固な娘だ。この人に決めたと言えばもう、それは動かない。おまけに一人娘ということで、可愛くてしょうがない。「お願い」と言われれば、こちらの意に反して、この口はポロッと「いいよ」と言ってしまうだろう。
ああ、そうとも。甘やかし、大事に育ててきた一人娘をよくもぉぉ……。しかも、なんだ。聴こえてくるのは娘と妻の声ばかりで、肝心の男の声が聴こえないじゃないか。そこはハキハキと挨拶するべきところだろう。「スリッパ、新しく買ったの?」なんて話はどうでもいいんだ。一体どんな男が――
「おとーさん! 来たよぉー!」
「っす」
「うふふ、素敵な人よねぇ、あなた。ああ、お茶を淹れましょうね。二人はそっちに並んで座って、まあ、お似合いじゃなーい。うふふ」
「あ、ちょ、ちょっと」
「ん、なあに? あなた」
「いや、ちょっと部屋の外で話したい」
「え? もーなんなのよぉ、緊張しちゃったのぉ? うふふ」
「いいから」
「はいはい……で、何? あの子たちにお茶を用意してあげないと」
「いや、あの男だけど」
「ん? 素敵よねぇ。とっても優しそうで、おまけにハンサムで、うふふ」
「いや、めちゃくちゃ殴りそうじゃないか?」
「は?」
「いや、結婚した後、豹変してめちゃくちゃDVしそうじゃないか!?」
「もー、何言ってるのよ。あ! 結婚が気に入らないんでしょー。ダメよ。あの子が好きになった人を悪く言っちゃ」
「いやいやいやいや、よく見ろって、ほら!」
「えー? 別に普通じゃない」
「いやいやいやツーブロック! ピアス! 色黒! 細い眉毛! 顎ヒゲ! アイツは殴るぞぉ、凄まじく殴る……」
「そんなの今の若い子たちの流行りでしょう? 殴らないわよ。私、以前からあの子から話を聞いていたけど、彼ってすごく優しいんだって。それに頼もしくて、物事をハッキリ言って、たくましくて」
「いや、それは『自分には優しくしてくれる』ってだけだ! 結婚後はそれはそれは殴るぞぉ、殴りまくりだ」
「だからぁ、そんなことないってば。優しい人の声よ」
「アイツからはまだ『っす』しか聞いてないんだよ。挨拶もまともにしないじゃないか」
「それはこれからじゃない。ほら、戻るわよ」
と、廊下に出ていた夫婦二人は居間に戻った。父親はテーブルを隔て、正面から男を見つめる。
「殴りそうだなぁ……」
「え? 何? おとーさん」
「いや、何でもないよ。それで話というのは」
「ああ、うん。えへへ、改めて言うと緊張しちゃうなぁ。あたし、彼と結婚します!」
「っす」
「あらぁ、いいじゃなーい! ねえ、あなた」
「いや、まあその……ご趣味は?」
「え、初めに聞くのがそれ?」
「うふふ、お見合いみたい」
「ま、いいから。で、君の趣味は?」
「あー、酒と車」
「おぉぉ、並んで欲しくないものが出た……」
「彼って普段は可愛いけど、お酒が入るとワイルドになるんだよぉ」
「っす」
「不穏……」
「あと、彼のいいところはね、約束事とかを大事にするところとぉ、可愛いのが、ふふふ、やきもち焼きなところでぇ」
「やきもち……嫉妬……危険な匂いが……」
「ん?」
「ああ、いや、約束事を守るというのはいいな! うん!」
「っす。マジ、許せねえっすよね。おれとの約束を破るやつとか。しめますね」
「おぉあ、初めてまともに喋ったと思ったら、それか……。しかも、『おれとの』って……あっ、ちなみに仕事は何を?」
「建築関係っす」
「それはまあ、うん。で、君は遅刻とかせずに、毎日真面目に働いているんだよね」
「そっすね。上の人にキレられんの面倒なんで。まあ、でも前の日、キツかったら仕方ないっすけどね。ははは、酒とか入ってるときとか。バーベキューよくやるんすけど、次の日とかしんどいっすよねぇ」
「おぉぉ、自分には甘い……」
「ねえ、お父さん、さっきから何? なんか変だよ」
「いや、その」
「お父さんね、彼って結婚後に豹変しそうだって言うのよぉ」
「おい、言うなよ! 本人を前に!」
「めちゃくちゃ殴りそうだって。そんなことないわよねぇ」
「はぁ? 何言ってるのお父さん。そんなことないよ。ね?」
「っす。おれ、正直、殴り合いの喧嘩とかよくしますし負けたことないし、ちょっと格闘技をかじってたことあるんすけど、そんときにもプロに近い相手を全然ボコボコにしましたよ」
「ほらね」
「いや、ほらねじゃないよ。何で途中で自慢話に舵を切っちゃったんだよ」
「あー、だから何の話でしたっけ?」
「人を殴らないって話だってさ」
「は? 殴るけど。いいっしょ」
「あたしをだよ」
「あー、おれ、女とか殴らない主義なんで」
「ほらね。ねえ、何を心配してるの? 彼、本当にいい人だよ」
「うーん、そうか……」
「まあ、殴ったことはありますけど、元カノとか。でもそれはアイツが浮気したからで、まあそれはおれの勘違いだったんすけど、でも未遂みたいな感じでほぼ浮気とゆうか、でもアイツ、警察とか呼んだんでどっちにしろ裏切りっすよね」
「ね、ふふふ、よかった」
「何が!? 今この瞬間、殴っても驚かないぞ!」
「ほらもう、あなた、大きな声を出さないの。あなただって、昔やんちゃしてたんでしょう?」
「ん、まあな、ふふん」
「なんで嬉しそうなのよ、お父さん」
「まあ、お父さんも昔はな、喧嘩とかな、六対一とかざらにあったなぁ」
「あー、あるあるっすよね。一人で八人相手にしなきゃいけない時とか」
「あー、九人だったかな」
「競わないでよ」
「うふふ、この二人って案外似た者同士なのかもね」
「あはは、そうかもね」
「そういえば、お顔も少し似てると思ったのよぉ」
「えー、そうかなぁ?」
「ねえ、あなた、似てるわよねぇ」
「え、自分じゃよくわからないが……まあ、似てたからと言ってなぁ」
「おれは嬉しいっすけどね」
「ほう、そうか、ふふん」
「ちょろいね。お父さん」
「うるさいなっ」
「おれ、親とかよくわかんないんで、マジ、結婚できて家族になれたら最高っすね」
「おお、そうなのか……その、よくわからないというのは?」
「なんか、父親がクソでおふくろを孕ませるだけ孕ましといて、どっか行ったらしいんですよねぇ。しかも、おふくろのこと殴りまくって。まあ、そのおふくろも、おれを殴って、しかも捨てましたけどね。マジ、ムカつきますよね」
「おぉぉ……サラブレッド……いや、でもまあ、君は君、親は親だものな。うん」
「そうっすよ。クソ親とは違いますよ、クソヒロキ、クソミホ。マジでクソクソ」
「あら、うふふ。その人の名前、ヒロキっていうの?」
「へー、あたしも初めて聞いた。お父さんと同じ名前とかウケる。ね、お父さん。……お父さん? おーい……?」